すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

森が恋しい

2020-05-01 13:14:22 | 健康のために
 ぼくは檻の中の動物のようだ。格子越しに外の広い世界を見ながらうろうろ輪を描いて回っている。一日に一回、ザックを担いで林試の森に運動に行く。二日に一回ほど、武蔵小山のスーパーへ食材を買いに行く。あとは、時々たまらなくなって、住宅街を歩き回る。
 だから厳密にいえば家に蟄居しているわけではない。それでも、家が獣舎で林試の森がその前庭のような気がしている。前庭にいくらかの木が植えてある、水場もある、でもそれ自体がぼくの檻のなかだ。
 ぼくはテレワークしていない(そもそも仕事をしていない)。介護しなければならない家族も、育児しなければならない子供もいない。だから、そういう人たちに比べたら心理的・身体的負担は遥かに、全然と言っていいほど、軽いはずだ。
 それでもこの頃、気持ちが塞ぐ。けだるい。物憂い。意欲が湧かない。「ぼくの人生はこれで良かったのだろうか?」などと断片的に繰り返し考える。4月中旬に少し続けてブログの記事を書いたが、あれはあの時期、音楽に向かう気持ちになれなかったからでもある。
 まあ、音楽はアマチュアだから、その気になれなければそれで仕方がない、のではあるが、こんなに簡単に意欲を失うなんて、ぼくはすごく根性なしのアマチャンだろうか? たぶんそうだろう。でも…
 人は自然とのある程度の「濃厚接触」がなければ健康ではいられない。
 ここで「健康」とは、病気でない、というだけの意味ではない。体も心も健やかで安定した状態にある、という意味だ。
 これはすでに何回も書いていると思うが、人類が自然を離れて都会生活をするようになったのは、ごく最近だ。人類史のうちの99.9%かそれ以上は、自然の中で、あるいは自然との濃厚で豊かな接触の中で過ごしてきた。人類はまだ、自然と切り離されて生きることに慣れてはいない。自然と切り離されて生きることに耐性がない。
 人は、自然に囲まれる時間をある程度は持たなければ、くつろぐことができない。
 もちろんこれには個人差がある。一日に10分ていど近所の公園に行けばそれで済む、という人もいるかもしれない。ベランダの鉢植えに水をやるだけで、外に出なくても平気、という人もいるかもしれない。そんなもの何にもなくても平気、という人だっているかもしれない。
 でもその人たちはそういう生活に慣れてしまって、忘れているだけだ。ぼくは、なかなか慣れることができないタイプかも知れない。
 自然と切り離された生活を続けるうちに、ぼくたちの脳細胞はそうした事態を受け入れるように変化を始めているのだ。だから自然と切り離された生活でも、比較的苦痛を感じなくなってきている。自然なんかなくてもやっていける、とだんだん思うようになる。でも実は、気付かないうちに大きなストレスを受けている。その現れが、イライラや鬱やキレやすさや体の不調だ。
 これも前に書いたと思うが、現代社会の数々の問題、自殺やDVや虐待やいじめや若者の無軌道な行動や…のかなりの割合は(実証的な数字はぼくには出せないが)このストレスから起こっているとぼくは思っている。自分が気付かないストレスが、他者に転嫁される。
 政治家にはこうした意識がない。収入の減少の補償にどれくらいの金を出せば経済的ダメージを少なくしたままで外出を控えてもらえるか、という計算しかしない。

 ぼくは新緑の梢を見上げて、ため息をつきながらつぶやく(加藤登紀子さんと中島みゆきさん、ごめんなさい)。

 あゝ ぼくは昔むかしサルだったのかもしれないね
 こんなにもこんなにも森が恋しい
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スポーツシューズ

2018-03-29 20:57:54 | 健康のために
 …ナンカ今日ハ、スゴク疲レタ気ガスル。
 気温がぐんぐん上がったせいだろうか? いや、朝からすでに疲れていた。朝いつものように散歩に出かけようと思って、歩き出して、「あれ、疲れてるなあ。今日はやめよう」と思って、それでも、家に戻るのよりはマシかな、と、バスに乗って出かけたのだった(去年の秋から、バスは無料だ)。
 ひょっとしたら、仕事をやめてほぼ一か月、最初のうちの開放感、というか、テンションがハイの状態、というか、躁状態が、そろそろ急降下する時期なのかもしれない。
 帰ってきて、昼寝を2時間もして、そのあと武蔵小山の商店街に靴を買いに行った。
 ぼくは歩き癖があって、靴のかかとの外側がひどく減るのだが、今まで履いていたのは1500円ぐらいの安物で、特に減りが早く、もう穴が開きかかっていて、桜が咲き始めてからいっそう歩き回っているぼくは、これも疲れる原因ではないかと思ったのだ。
 入り口近くにあるスニーカーを見ながら店員さんにいろいろ質問をしたら、「スニーカーなんて、ファッションだけですから(なんて、靴屋の店員さんが言うか?という感じ)、歩き回るのでしたら、ウオーキング専用の靴がいいですよ」と、別のコーナーに案内してくれた。
 そこで、ぼくとしては大枚をはたいて、登山靴以外では今まででいちばん高い靴を買った。古いのは捨ててもらって、それを履いて帰ってきた。
 確かに歩きやすい。歩くのがうれしくなる感じ。新しい革の所為か、歩くたびにキュツキュツ鳴るのが気になるが、今まで安い靴ばかり買っていたのが間違いだった。
 歩くのは健康管理の基本中の基本だから、靴は良いものを買わなきゃね。
 目黒区は数か所に区立体育館のトレーニングルームがあって、シニアは一回150円で利用できるので、そこでウオークマシンや自転車こぎをやってみたこともあるのだが、運動の効率としてはそちらの方が高いのだが、外を気ままに歩き回るほうが楽しい、ずっとマシンの上にいるのはつまらない。毎日来ているらしいおばさんたちの会話も耳障りだし。
 もっとも、ぼくは花を見たり空を見上げたりするほかは、いつもの癖でうつむいて暗い顔をして歩いているらしく、このあいだも顔見知りに「どうしたのですか?」と声をかけられた。
 「じつは、世界の終わりと個人の運命について考えているのです」…なんて、もちろん答えなかったが。
 昼寝をいっぱいしたのだが、今日は早く寝ることにしよう。
 明日レッスンの日なのに、今日はフラマンの練習をしなかった。
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