…そうだ、ぼくはむしろ古典的作品を勉強した方がいい。
古典と言っても、ブルーグラスの古典、ビル・モンローとかでなく、イタリアのラウンド・バック・マンドリンの古典だ。カラーチェの名曲が弾けるようにはならなくても、オデルの教則本などの中にも比較的簡単で美しい旋律はあるはずだ。「イケガク」に行って、やさしいマンドリン名曲集みたいなものを探してきてもいい。
レッスンも、ラウンドバックの先生を探した方がいいのだろう。ぼくは腰痛があるのだから、楽器はフラットでも構わない、という先生がいればの話なのだが。
ただし、問題はいくつかある。ブルグラの、ほとんど技巧練習みたいな、だんだんスピードを上げてゆく練習は、小節を伴う歌謡曲など、ほかのジャンルの曲を弾くときにも確かに効果はあるのだし、ほかの楽器と合わせる楽しみ、その中に歌も入れる喜びは、捨てがたいものだし。
マンドリン・アンサンブルのようなものに入るつもりはさらさらない。ドムラの時に、ロシア民族音楽のアンサンブルに入れてもらって、あの体験はもうしたくない。全体としては素晴らしいハーモニーなのかもしれないが、ぼくのパートのやっていたのはほとんど、旋律的美しさも抒情性もない、半音階の連続だった。歌もなかった。
ブルグラでは、たぶん、それぞれの楽器が十分個性を出し合いながら音楽を作ることができるだろう。
ただし、ブルグラとラウンドの両方をやるのは大変困難だ。練習をする時間と体力が厳しい。今は一日に2時間程度だが、これを3時間にするには、家事の時間は削れないから、読書の時間、運動の時間、ブログを書く時間…などを削らなければならない。
また、両方の先生につくお金も出すのは困難だ。
ただし、一番の問題は、そういうことではない。
ぼくはこれまで、何をするにしても、本流とは少し外れた、ずれた位置に自分を置いた来た。
例えば、日本のシャンソン界というものに、ぼくはほとんど関心がなかった。フランスから帰ってきてしばらくの間は、日本でほとんど知られていない新しい歌をフランス語の原語で歌っていた。それが関心を持たれないことが分かった後、ぼくの方ではシャンソンそのものに関心を失ってしまった。
たとえば、小中学生を対象とした自然教室や観察会をしていたころ、ぼくは子供たちに自然について知識や体験を提供すること自体よりも、子供の心や、心と体の関係の方に、子供の抱えている悩みや問題の方に関心があった。
外国語も、今の時代の外国人とのコミュニケーションよりも、文学作品を原語で読むことの方に関心があった。
ドムラを練習していたころ、ロシア音楽の合奏よりも、ほとんどだれもしていない、一人で行うドムラによる弾き語りや、そのためのコード奏法の方に関心があった。
主流にいる人とは常に少し違うところに、その人たちからは一歩引いた位置に、自分の持ち場を作ろうとすること、それはそれでいいとも考えられるのだが、それがぼくの一種の逃避でないと、物事の本筋と向き合うことや、そこでの人間関係からの逃げの姿勢ではないと、ぼくには断言できないのだ。
そしてぼくは、また同じような位置に自分を置こうとしているかもしれない。
古典と言っても、ブルーグラスの古典、ビル・モンローとかでなく、イタリアのラウンド・バック・マンドリンの古典だ。カラーチェの名曲が弾けるようにはならなくても、オデルの教則本などの中にも比較的簡単で美しい旋律はあるはずだ。「イケガク」に行って、やさしいマンドリン名曲集みたいなものを探してきてもいい。
レッスンも、ラウンドバックの先生を探した方がいいのだろう。ぼくは腰痛があるのだから、楽器はフラットでも構わない、という先生がいればの話なのだが。
ただし、問題はいくつかある。ブルグラの、ほとんど技巧練習みたいな、だんだんスピードを上げてゆく練習は、小節を伴う歌謡曲など、ほかのジャンルの曲を弾くときにも確かに効果はあるのだし、ほかの楽器と合わせる楽しみ、その中に歌も入れる喜びは、捨てがたいものだし。
マンドリン・アンサンブルのようなものに入るつもりはさらさらない。ドムラの時に、ロシア民族音楽のアンサンブルに入れてもらって、あの体験はもうしたくない。全体としては素晴らしいハーモニーなのかもしれないが、ぼくのパートのやっていたのはほとんど、旋律的美しさも抒情性もない、半音階の連続だった。歌もなかった。
ブルグラでは、たぶん、それぞれの楽器が十分個性を出し合いながら音楽を作ることができるだろう。
ただし、ブルグラとラウンドの両方をやるのは大変困難だ。練習をする時間と体力が厳しい。今は一日に2時間程度だが、これを3時間にするには、家事の時間は削れないから、読書の時間、運動の時間、ブログを書く時間…などを削らなければならない。
また、両方の先生につくお金も出すのは困難だ。
ただし、一番の問題は、そういうことではない。
ぼくはこれまで、何をするにしても、本流とは少し外れた、ずれた位置に自分を置いた来た。
例えば、日本のシャンソン界というものに、ぼくはほとんど関心がなかった。フランスから帰ってきてしばらくの間は、日本でほとんど知られていない新しい歌をフランス語の原語で歌っていた。それが関心を持たれないことが分かった後、ぼくの方ではシャンソンそのものに関心を失ってしまった。
たとえば、小中学生を対象とした自然教室や観察会をしていたころ、ぼくは子供たちに自然について知識や体験を提供すること自体よりも、子供の心や、心と体の関係の方に、子供の抱えている悩みや問題の方に関心があった。
外国語も、今の時代の外国人とのコミュニケーションよりも、文学作品を原語で読むことの方に関心があった。
ドムラを練習していたころ、ロシア音楽の合奏よりも、ほとんどだれもしていない、一人で行うドムラによる弾き語りや、そのためのコード奏法の方に関心があった。
主流にいる人とは常に少し違うところに、その人たちからは一歩引いた位置に、自分の持ち場を作ろうとすること、それはそれでいいとも考えられるのだが、それがぼくの一種の逃避でないと、物事の本筋と向き合うことや、そこでの人間関係からの逃げの姿勢ではないと、ぼくには断言できないのだ。
そしてぼくは、また同じような位置に自分を置こうとしているかもしれない。