すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

本流

2018-03-31 19:49:26 | 無いアタマを絞る
 …そうだ、ぼくはむしろ古典的作品を勉強した方がいい。
 古典と言っても、ブルーグラスの古典、ビル・モンローとかでなく、イタリアのラウンド・バック・マンドリンの古典だ。カラーチェの名曲が弾けるようにはならなくても、オデルの教則本などの中にも比較的簡単で美しい旋律はあるはずだ。「イケガク」に行って、やさしいマンドリン名曲集みたいなものを探してきてもいい。
 レッスンも、ラウンドバックの先生を探した方がいいのだろう。ぼくは腰痛があるのだから、楽器はフラットでも構わない、という先生がいればの話なのだが。
 ただし、問題はいくつかある。ブルグラの、ほとんど技巧練習みたいな、だんだんスピードを上げてゆく練習は、小節を伴う歌謡曲など、ほかのジャンルの曲を弾くときにも確かに効果はあるのだし、ほかの楽器と合わせる楽しみ、その中に歌も入れる喜びは、捨てがたいものだし。
 マンドリン・アンサンブルのようなものに入るつもりはさらさらない。ドムラの時に、ロシア民族音楽のアンサンブルに入れてもらって、あの体験はもうしたくない。全体としては素晴らしいハーモニーなのかもしれないが、ぼくのパートのやっていたのはほとんど、旋律的美しさも抒情性もない、半音階の連続だった。歌もなかった。
 ブルグラでは、たぶん、それぞれの楽器が十分個性を出し合いながら音楽を作ることができるだろう。
 ただし、ブルグラとラウンドの両方をやるのは大変困難だ。練習をする時間と体力が厳しい。今は一日に2時間程度だが、これを3時間にするには、家事の時間は削れないから、読書の時間、運動の時間、ブログを書く時間…などを削らなければならない。
 また、両方の先生につくお金も出すのは困難だ。
 ただし、一番の問題は、そういうことではない。
 ぼくはこれまで、何をするにしても、本流とは少し外れた、ずれた位置に自分を置いた来た。
 例えば、日本のシャンソン界というものに、ぼくはほとんど関心がなかった。フランスから帰ってきてしばらくの間は、日本でほとんど知られていない新しい歌をフランス語の原語で歌っていた。それが関心を持たれないことが分かった後、ぼくの方ではシャンソンそのものに関心を失ってしまった。
 たとえば、小中学生を対象とした自然教室や観察会をしていたころ、ぼくは子供たちに自然について知識や体験を提供すること自体よりも、子供の心や、心と体の関係の方に、子供の抱えている悩みや問題の方に関心があった。
 外国語も、今の時代の外国人とのコミュニケーションよりも、文学作品を原語で読むことの方に関心があった。
 ドムラを練習していたころ、ロシア音楽の合奏よりも、ほとんどだれもしていない、一人で行うドムラによる弾き語りや、そのためのコード奏法の方に関心があった。
 主流にいる人とは常に少し違うところに、その人たちからは一歩引いた位置に、自分の持ち場を作ろうとすること、それはそれでいいとも考えられるのだが、それがぼくの一種の逃避でないと、物事の本筋と向き合うことや、そこでの人間関係からの逃げの姿勢ではないと、ぼくには断言できないのだ。
 そしてぼくは、また同じような位置に自分を置こうとしているかもしれない。
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スポーツシューズ

2018-03-29 20:57:54 | 健康のために
 …ナンカ今日ハ、スゴク疲レタ気ガスル。
 気温がぐんぐん上がったせいだろうか? いや、朝からすでに疲れていた。朝いつものように散歩に出かけようと思って、歩き出して、「あれ、疲れてるなあ。今日はやめよう」と思って、それでも、家に戻るのよりはマシかな、と、バスに乗って出かけたのだった(去年の秋から、バスは無料だ)。
 ひょっとしたら、仕事をやめてほぼ一か月、最初のうちの開放感、というか、テンションがハイの状態、というか、躁状態が、そろそろ急降下する時期なのかもしれない。
 帰ってきて、昼寝を2時間もして、そのあと武蔵小山の商店街に靴を買いに行った。
 ぼくは歩き癖があって、靴のかかとの外側がひどく減るのだが、今まで履いていたのは1500円ぐらいの安物で、特に減りが早く、もう穴が開きかかっていて、桜が咲き始めてからいっそう歩き回っているぼくは、これも疲れる原因ではないかと思ったのだ。
 入り口近くにあるスニーカーを見ながら店員さんにいろいろ質問をしたら、「スニーカーなんて、ファッションだけですから(なんて、靴屋の店員さんが言うか?という感じ)、歩き回るのでしたら、ウオーキング専用の靴がいいですよ」と、別のコーナーに案内してくれた。
 そこで、ぼくとしては大枚をはたいて、登山靴以外では今まででいちばん高い靴を買った。古いのは捨ててもらって、それを履いて帰ってきた。
 確かに歩きやすい。歩くのがうれしくなる感じ。新しい革の所為か、歩くたびにキュツキュツ鳴るのが気になるが、今まで安い靴ばかり買っていたのが間違いだった。
 歩くのは健康管理の基本中の基本だから、靴は良いものを買わなきゃね。
 目黒区は数か所に区立体育館のトレーニングルームがあって、シニアは一回150円で利用できるので、そこでウオークマシンや自転車こぎをやってみたこともあるのだが、運動の効率としてはそちらの方が高いのだが、外を気ままに歩き回るほうが楽しい、ずっとマシンの上にいるのはつまらない。毎日来ているらしいおばさんたちの会話も耳障りだし。
 もっとも、ぼくは花を見たり空を見上げたりするほかは、いつもの癖でうつむいて暗い顔をして歩いているらしく、このあいだも顔見知りに「どうしたのですか?」と声をかけられた。
 「じつは、世界の終わりと個人の運命について考えているのです」…なんて、もちろん答えなかったが。
 昼寝をいっぱいしたのだが、今日は早く寝ることにしよう。
 明日レッスンの日なのに、今日はフラマンの練習をしなかった。
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アイ・ソー・ザ・ライト/わたしが歌いに来た歌は

2018-03-28 21:16:59 | 
 「アイ・ソー・ザ・ライト」は発表当時まったくヒットしなかったそうだが、今ではたいへんスタンダードな曲になっている。先日の発表会でも歌った人がいた。
 全くヒットしなかったのも当然かな、とおもわれる、完全に直球の、神への賛歌だ。
 「自分は罪の中に生きていたのに、救い主のおかげで光を見ることができた」という内容は、かの有名な「アメイジング・グレイス」とよく似ている。
 これを日本語でやられたらぼくは共感するわけがないと思うのだが、英語だから直接的に感じないのだろうか。
 素朴で力強い歌で、「アメイジング…」より好きだ(あちらも嫌いではないが)。
 ただ、あまりに直接的なので、ここに歌詞を載せるのはやめておく。

 …ところで、三日前に宗教的な詩作品に触れたときに、いちばん重要な詩人を挙げるのを忘れていた。それは、インドの、ラビンドラナート・タゴールだ。
 タゴールの詩は、引用したいものがいっぱいあるが、このブログは歌手の方が何人か読んでくれているかもしれないので、ここでは「ギタンジャリ(歌の捧げもの)」から、歌を題材にした一編を森本達雄の訳でのせておく。こちらは、「アイ・ソー…」よりは抵抗なく読んでもらえると思う。

「わたしが歌いに来た歌は 今日まで まだ歌われずにいます。
 わたしは 楽器の弦を緊めたり 弛めたりして、毎日を過ごしてきました。
 調子はととのわず、歌詞(ことば)もまだよくは並んでおりません――ただ わたしの胸のうちに 歌いたい欲求の悶えがあるばかり。
 花はいまだに開かず、風のみが 嘆息(ためいき)をつきながら吹きぬけてゆく。
 わたしはまだ あのかたのお顔を拝したことも お声を聴いたこともありません――ただ 表通りを行く あのかたの静かな足音を耳にしたことがあるだけです。
 床に敷物をのべているうちに 長い一日も過ぎ去った――けれども、まだランプに灯が入らないので、あのかたを家にお迎えすることはできません。
 わたしは あのかたにお逢いできるという 期待のうちに暮らしていますが、出会いの時はまだ来ない。」
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ブルーグラス

2018-03-27 22:59:58 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 一昨日の日曜日、家から歩いて15分ほどのライブハウスでバンジョーとマンドリンの発表会があって、聴きに行ってきた。ぼくの習っているマンドリンの先生が参加しているバンドのバンジョー奏者の生徒さんたちが主で、15人ぐらいいて、ぼくの先生の生徒も2人だけ参加していた。
 ぼくは、「出ますか?」と訊かれたのがあまりに直前だったし、バンドで演奏するのは経験がないので、今回は聴きにだけ行くことにした。
 生徒は初心者が多くて、うまい人は少なく、ゆっくり弾いたりつかえたり外しまっくたりしていたが、バックにバンジョーとマンドリン(どちらも先生)のほかにギターとベースのすごくうまい人がいて、生徒の演奏を支えていたので、楽しく聞くことができた。
 次回はぼくも参加して、安心して初心者ぶりを発揮させてもらおうかな、と思った。
 ジャンルとしてはブルーグラスというのだろうが、みんなこの音楽が大好き、というのが良く分かって、和気あいあいとして雰囲気も良かった。最後のプロの演奏は、素晴らしいテクニックで圧巻だった。
 ところで、ぼくもそのブルーグラスを習っていることになるのだろうが、じつはブルーグラスというのはどういう音楽なのか、ぼくはよくわかっていない。バンジョーやマンドリンやフィドル(バイオリン)の音色を特徴とする、非常に速い演奏を持ち味にする、アメリカのケンタッキー州を中心にしてアイルランドからの移民の間で始まった、どこか田舎風の感じがする音楽、なのだそうだが、カントリーとどこがどう違うのか?
 カントリーは昔から(小坂一也とワゴンマスターズの頃から)聴いてはいるが、もっとのんびりしている気がする。あののんびりした広々とした感じが好きだ。
 ブルーグラスはどう違うのか、カントリーの一種なのか、もわからない。例えばハンク・ウイリアムスの「ユア・チーティン・ハート」は好きだが、「アイ・ソー・ザ・ライト」はいつかやってみたいが、あれはブルーグラスなのだろうか?
 歌い方も、あまり口を大きく開かず、やや鼻にかかった声で、小節のようなものを聞かせて歌うのが多いようだが、ああしなければいけないのだろうか?
 これからぼくがあの音楽に深く入り込むことになるのかどうかは、今のところ分からない。先生にいただく曲を練習するよりも歌謡曲やフォークやのんびり系のアメリカ・イギリス民謡を練習するほうが今のところは楽しい。
 ブルーグラスは速弾きを特徴とするので、年齢的な問題もある。練習はメトロノームを使って非常にゆっくりした速度からだんだん上げていくのだが、これが歳を取るとなかなか上がらない。今やっている曲は♩=80位から始めて、やっと140あたりまで来たが、プロは200を軽く超えている。
 発表会に生徒たちもめいめい自分のできる速さで弾いていたから、それはそれでいいのではあるが、本来の速さで弾けないのはやはり悔しい。
 ぼくは歌が主な目的で、演奏は伴奏、と割り切ればよいことなのだが。
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空に向かって/いたるところの春

2018-03-26 12:37:34 | 無いアタマを絞る
さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、
いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、
他の人達の死んでいつた恐ろしい沈黙の深淵をも
知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して
古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横たへよう
花々のあひだに、空にむかつて。
   (R.M.リルケ、堀辰雄訳)
 昨日の文を書いていてふと思い浮かんだ懐かしい詩を載せておく。

 …ここからは違う話。
 桜の小さな名所は、咲かなければわからない。林試の森に行く途中の、小山台公園。小さな公園だが、いつも幼稚園児が遊んでいるのが良い。桜も見事だ。林試の森の「大きな広場」。ここはふだんは野球の練習等に使われているのだが、早朝に行くと、三方を取り囲む桜が静かに咲いていて良い。もう一方はプラタナスの並木で、こちらは新緑が楽しみだ。先日書いた「碑さくら通り」は、やや木の老化が進んでいて、これと交差する田向公園前の通りの方が美しい。
 上野公園に昨日30万人の花見客が出たそうだが、あんな人混みで宴会するなんて、まっぴらごめんだ。

咲くほどに名所とわかる桜かな

あたりいちめんの春。桜の季節が良いのは、いたるところが春につつまれるからだ。

その春の中を歩き回る。
宮沢賢治ふうに言えば、修羅は春の中を行く。
歩き回るぼくは修羅だろうか?
それほど心の中に嵐を抱えているわけでもない。
さりとて、春と菩薩、でもない。
春と、道を尋ねるもの…ではかっこ良すぎる。
春と迷子…子供ではないしなあ。
春と彷徨い老人…徘徊みたいだなあ。

桜の樹の下では、子供が遊んでいる

有名な、「桜の樹の下には死体が眠っている」は、確かに鋭いと思うが、病的な鋭さだ。
子供が遊んでいる方がいい。
あと数日して、散る桜の下なら、なお良い。
 
終わってゆくものと、始まったばかりのもの。
下り行くものと、上ってゆくものの交差。

ふたたび、リルケ。

…みよ、かれらはおそらく、葉の落ちつくしたはしばみの枝に芽生えた
垂れさがる花序をゆびさすであろう、あるいは
早春の黒い土に降りそそぐ雨にわれらの思いを誘おう。

そしてわれわれ、昇る幸福に思いをはせる
ものたちは、ほとんど驚愕にちかい
感動をおぼえるであろう、
降りくだる幸福のあることを知るときに。
    (ドゥイノの悲歌 第十)
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須賀敦子詩集

2018-03-25 11:07:09 | 
 昨日のブログを読んで、ぼくが非宗教的な人間だと思われたかもしれないが、必ずしもそうではない。神や霊魂の存在を最初から出発点にしてしかものを考えようとしない態度に反対しているだけだ。そうすると宗教を権威としてそれに盲従してしまうことになる。
 ぼくは信仰に基づいて書かれたと思われる文学作品のいくつかを繰り返し読むことがある。例えば、T.S.エリオットの「灰の水曜日」とか、R.M.リルケの「時禱集」とかだ。同じリルケの「ドゥイノの悲歌」は、神どころか天使などというものを重要な主題にしたものだが、難しくてわからないながら、繰り返し読む。
 この一冊も、繰り返し読むことになる本だと思う。
 須賀敦子の詩集「主よ 一羽の鳩のために」が出版された。
 ぼくは新刊の単行本は原則として買わないのだが、これも比較的薄い詩集であるし、わかりやすい言葉で書かれているし、本屋さんで軽く立ち読みしてしまおう、と思ったのだが、読んでいるうちに、「いやいや、これは繰り返し読み味わうことになるに違いない」と思い、買ってしまった。
 出たばかりの本を引用してはいけないのだろうが、このブログは営利を目的としていないし、本のPRにもなるかもしれないので、2編だけ紹介してみる。
 (ぼくも、時々、祈ることはある。何に向かって? たぶん、そらに向かって)

 (あゝ/とうとう)
 あゝ
 とうとう
 おまへは
 また
 やってきた
 無限のひかりと
 草を焦がす熱と
 水底の静けさの晝(まひる)をつれて。
 私はふたたび
 すべてを
 しっかりと
 両手に にぎりしめ
 菩提樹の香に咽せながら
 燃えさかる
 大地に
 うっとりと
 立つ。


 (これほど空があをくて)
 これほど空があをくて
 ミモザが
 黄のひかりを まきちらし
 くろい みどりの 葉のあひだに
 オレンヂが 紅く もえる朝は
 たゞ 両手を
 まっすぐにさしあげて
 踊りくるふほか
 なんとも しかたないのだ――。
 ひくゝ たかく
 うたひながら
 いのりつゞけるほか
 なんとも しかたないのだ――。
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仮説について

2018-03-24 21:16:41 | いのち
 「死んだ人と話す」、と書いた。でも、どこかこの世界とは別に死んだ人たちが住む世界があって、そこにいるその人と話をするわけではない。
 「僕は霊魂に呼び掛けているのではない」と書いた。霊魂というものは、あるのかないのかは確かめ難い。少なくとも、人類の現在の発展段階では、確かめられない。
 どのようなことでもすべて、実験・観察によって確かめられるまでは、仮説として扱われるべきだ。
 ぼくは、「霊魂はない」とは言っていない。あるかもしれないし、ないかもしれない。「あるとすれば…」という話はできる。でも、確かめようがないことを、あるという前提のもとに議論することはできない。
 科学者はすでに、「実験・観察によって確かめられるまでは、仮説として扱われる」ということを共通認識としている。相対性理論でさえ、その理論の帰結する、重力によって光の進路は曲げられる、とか、ブラックホールが存在する、とかの予言が実際に確かめられるまでは、仮説であった。だから相対性理論はノーベル賞を取っていない。
 それどころか科学者はすでに、不確定性原理によって、科学の力では確かめることができない事柄のあることを認めている。
 経済学者や社会学者は、自分の理論が正しいと信じているだろうが、真理であるとは主張しない。実際に現実社会に適用してみて理論どおりに経済や社会が動くかどうかを確かめる。それに、たとえ現象が理論どおりに進んでも、世の中が変われば、時がたてば別の理論が必要になるかもしれない、と知っている。
 ただ宗教のみが、実験・観察で立証されるのを待つことなく、自分の考えが心理であると主張する。傲慢である。(以前に、トランスパーソナル心理学というものの入門書を読んだことがある。「人の魂は死後、四十九日経つと、生まれ変わる」と書いてあった。「宗教家と一部の心理学者のみが」と言い直しても良いかもしれない。)
 これも以前に、二人一組で宗教の勧誘に個別訪問している人と話してみたことがある。彼らは神様がいるということ、霊魂があるということを絶対的真理だと思っているから、そこを前提にしか話ができない。「確かめようのないことは、仮説である」という前提を、絶対に受け入れようとはしない。
 「あなたの言うことは正しいかもしれないし、そうでないかもしれない。確かめようがない」ということを了解し合えたら、もう少し意見交換をしても良いのに。
 科学技術は進んでも人間の叡智は本当にゆっくりとしか進化しない。確かめる方法はまだ見つからない。宗教の側からは、見つけようとさえしていない。
 宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の初期形の中で、「もしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とをわけてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も科学と同じやうになる」と書いた。
 その通りだと思いたいが、どうも人類は霊魂や神が存在するかどうか知る方法を見つける前に、滅んでしまいそうな気がする。
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末期(まつご)の目

2018-03-22 22:48:36 | 老いを生きる
 「末期の目」というのは、芥川龍之介が自殺する前の「ある友へ送る手記」の中に書かれていた言葉だそうだ。ただし僕はそれが実際に手紙なのかそれとも創作なのかは知らない。この手記の中には、あの有名な、「(自殺する)動機は…ただぼんやりした不安である」という言葉も書かれている。ただ、芥川の遺書や上記の手記に対しては、今となっては大きな違和感を持たざるを得ない。
 また、「末期の目」という言葉をさらにメジャーにしたのは、川端康成が文学論の中でそれを展開してからだそうだ。ぼくはそれをさしあたって確かめる必要を感じていない。ぼくには川端の美的感覚はいささか気持ち悪く感じられる。ぼくが芥川や川端の感じ方にシンパシーを感じているわけではない。
 …と断ったうえで、「手記」の該当の個所を引用してみる。

 「…君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである…」
 
 さて、比較社会学者の真木悠介氏が、「交響するコミューン」の中でこんなことを書いている。

 「敗戦後東南アジアの現地で処刑されたB・C級戦犯の手記などを読むと、ふしぎにたがいに符合する一つの回心のパターンをみることができる。現地の収容所からつれ出されて裁判をうける建物に行き、そこで死刑の判決をうけてまた収容所にもどる。そのもどり道で、光る小川や木の花や茂みのうちに、かつて知ることのなかった鮮烈な美を発見する。彼らはそこに来るときもこの道をとおってきたし、すでに幾週かをこの島で戦ってきたはずなのに、彼らの目はかつてこのような、小川にも木の花にも茂みにも出会うことがなかった。これらの風景や瞬間は、今はじめて突然のように彼らをおそい、彼らを幻惑し魅了する」
 
 これは、「末期の目」について書いているのだと思う。

 ぼくたちは誰もが皆、死にゆく存在である。死に行く存在であることを知るがゆえに、ぼくたちの目に映る世界は、いっそう美しい。
 桜の花があんなに美しいのは、ほんの一週間ばかりの間にあざやかに咲いて散ってしまうから、だけでなく、桜を見るぼくたちも短い時を生きる存在だからなのだ。
 だから桜は年々、いっそう美しい。
 時が急いで過ぎていくことを、ぼくたちがこの世界をすぐに通り過ぎてゆくことを、残念に思わなくて良い。通り過ぎてゆくからこそぼくたちは、自然を、日々を、いっそう美しいと感じることができる。
 念のために書くが、自死を肯定しているわけではない。滅びゆくものは美しいといっているわけではない。
 ぼくは今、散歩の途中で花を見るのが楽しくてしょうがない。心地よい音楽を聴くのが、気心の知れた友達と話すのが、楽器の練習をするのが、読書をするのが、楽しくてしょうがない。
 そうはいってもすぐ疲れるのだし、今は仕事をやめたゆえの開放感、ということもあるのだろうが、これは一種、「末期の目」なのだと思う。ぼくが地上を離れる日まで、ぼくはその目を持って生きたい。
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お彼岸に

2018-03-21 20:00:45 | いのち
 今は亡き、親しかった人の墓に向かって手を合わせる。「待っていてね。もう間もなく僕も行くからね」と心の中で呼びかける。あるいは、仏壇の遺影に向かって手を合わせる。今日はお彼岸だから、母におはぎとイチゴを上げる。「お母さん、見守っていてね」と呼びかける…
 ぼくは霊魂の存在に懐疑的であるのに、呼びかけるのを不自然に感じないどころか、相手が聞いていてくれるような気さえするのは、なぜだろう。
 ぼくは母の霊魂に呼びかけているのではないからだ。ぼくの心の中の母の思い出に呼びかけているのだからだ。むこう側の世界というものがあって、今はそこにいる、親しかった人の霊魂に「僕も間もなく行くからね」と言っているのではない。ぼくの心の中のその人に向かって言うのだ。
 心の中に今でも相手がいるのは良いことだ。その相手と今でも話ができるように思うのは良いことだ。残念ながら、ぼくは母の遺影の隣にある父の遺影に向かって呼びかけている気が少しもしない。
 ところで、手を合わせて話しかけるというのは、相手との心のレベルでのコミュニケーションというだけではなく、自分もやがて死ぬ、その準備でもある。
 死者に手を合わせる、死者と話す、ことによって心が休まる、ぼくたちはそれを繰り返すことを通して、じつは自分自身の死をも少しずつ受け入れることができるようになる。
 子供の頃、そのことを考えると大声で泣き叫ぶほど恐ろしかった、青年時代、夜中に布団から跳ね起きて、いてもたってもいられなくなるほど恐ろしかった死が、今では別に怖くもない、受け入れることができるような気がするのは、そういうコミュニケーションの繰り返しを通じて、死というものに親和、でないまでも、慣れていくからだ。
 そしてそれは、自分が死ぬまでのこれからの人生を心安らかに過ごすための大事な条件でもある。歳をとってきて、いろいろ不調も出てきて、いずれ死ぬということが現実感を増してくる、その時期に死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったら、落ち着いて日々を生きてなんかいられないからね。その時期までに死というものになじんでおくことは絶対に必要だ。
 世界のどんな民族、どんな時代でも、お墓や遺影に手を合わせる、死んだ人を悼む、あるいはその人と話をする、というのは、人類に共通の自然な気持ちであるとともに、人類の叡智でもあるのだ。
 「もう間もなく」というのは、「人間の生きている時間は短い、そのぼくの短い時間の残りを終わりまで生きて」という意味でもある。たとえ死んでから会えなくても、生きている間はその人と話ができる。そのことを心の慰めとも喜びともすることができる。
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目黒の桜

2018-03-20 22:08:03 | 自然・季節
 食料品を買いに行く道筋にある簡易裁判所民事執行センターに、ピンクのと白の二本の桜が並んで立っている。白いのは葉桜だからオオシマザクラだろうか。ピンクのはソメイヨシノよりは少し色が濃いし、このあたりのソメイヨシノはまだ本当に咲き始めなのにこれはもう五分咲きぐらいになっているから、別の種類なのだろう。ピンクの方がほんの少しだけ大きいが、ほぼ同じくらいにゆったりと大きく枝を広げていて、似合いのカップルのようで好ましい。これ二本だけだから名所になりようがないが、そういう桜が好もしいと思う。
 目黒川の桜は確かに圧巻だが、他にももう少し静かな桜の見どころはある。目黒川はあまりにも有名になりすぎて、ものすごい人混みだし、それにあれは最近少しはマシになったとはいえ、どぶ川なので、日によってはどぶの匂いがする。何年か前にがっかりしたことがあって、桜の頃にはあまりあそこには近寄らない。もっとも、週に2回ぐらいは、散歩のときに横切るのだが。
 ぼくの子供のころ、桜の名所と言えばまず思い浮かぶのは洗足池だった。ボートを浮かべて眺めるのも良い。ただ、子供のころはもっと素晴らしかったという気はするのだが、今見ると名所というほど立派ではない。そういうことってよくあるからね。それに洗足池は大田区だ。
 禿坂(ハゲではなくて、かむろ坂です)の桜並木もいいがあれは品川区だ。かむろ坂の名の由来になった話の人物、白井(平井)権八と遊女小紫の比翼塚は、今は目黒区の目黒不動尊にある(先日、散歩で偶然見つけた)。
 では、ここからは目黒の桜。
 おすすめは、大岡山の東京工業大学のキャンパス(たぶん、駒場東大も、と思うが、家からは遠いので行っていない)。それから、緑が丘の駅から都立大学の駅を通って玉川通りまで続く、呑川緑道。
 清水池公園からサレジオ教会を通って環七通りまで続く「碑(いしぶみ)さくら通り」は、片側だけの並木だが、桜の下を歩くのも、反対側を歩くのも良い。人が少ないのも良い。桜並木は、静かに感慨に浸りながら歩きたい。西小山駅から円融寺の脇を通って碑文谷八幡宮に続く参道も良い。こちらは、道の真ん中が参道になっている。
 さっき出てきた、目黒不動尊も良い。ここは、桜とそのほかの樹木の調和を楽しもう。洗足池をぐっと小さくしたような碑文谷公園も、ぼくにはなじみの桜スポットだ。ボートにも乗れる。さらにぐっと小さくした感じの清水池公園の入り口には、ぼくと妹が「お母さんの桜」と呼んでいる木がある。公園の入り口にあって、陽当たりが良いらしく、ほかより少しだけ先に咲く。母とよく見上げて、「ああ今年も咲いたね」と感嘆したものだ。
 小さな児童遊園や、新しくできた団地のポケットパークなどで桜を発見するのも楽しい。桜の季節には、そういう楽しみを求めて歩き回る。
 …ところで、昨日の朝どこかのチャンネルで、目黒川の桜がけっこう咲いているという映像を見せていた。映像を見ると、ぼくたちはそれが真実だと思ってしまうが、真実でないわけではないのだが、ご用心。昨日、目黒川の、ぼくが散歩で通る、雅叙園前の橋の上からは、上流も下流も目の届く限り、橋の角の一本を除いては全く咲いていなかった(川岸に一本だけ、ソメイヨシノとは明らかに種類の違う桜が咲いていたが)。
 映像は時には、真実の0.1%でしかないこともある。桜に限らず、マスコミが提供するものを鵜呑みにするのは気をつけよう。
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In this life

2018-03-19 22:00:37 | 老いを生きる
 昨日は広瀬敏郎さんの弾き語りライヴに行った。ぼくは広瀬さんの歌が大好きなのだが、昨日は普段あまり歌わない日本の歌、「風に立つライオン」とか「初恋」も聴くことができてとてもよかったのだが、ここではそのことではなく、違うことを書きたい。
 実は開演前も、歌の途中も、後頭部の右下側が痛んで、今までそんなところは痛んだことがないので、いたって気の小さい僕は、「これはいったい何なんだろう? ひょっとして、脳血管系のトラブルの前兆かなんかなのだろうか?」と気になっていたのだった。だから終わってからも、ちゃんと挨拶もしないで出てきてしまった。
 そういえば、去年の秋から小さい出来事がいくつかあったから、「仕事をやめたら、これからの生活のために一度人間ドックに行ってみよう」と思っていて、まだ予約もしていなかった。
 まあ、ぼくはちょっとなんかあるとすぐに医者に行く方で、この間も、恥ずかしい話だが、胸が苦しくなって医者に行ったら、「もうちょっと様子というか、経過を見てみないと、何とも言えませんね。精密検査受けますか? 必要ないと思うけど」などと言われたくらいなのだが、自分では、「大事になるより小心の方がいい」と思っている。もっとも、今日は痛まないので医者には行っていない。
 毎年、桜が満開になると、見事な花を見上げて、「あと何回、これが見られるかなあ」とか、「僕がいなくなっても、この花はやっぱり少しも変わらずにこんなに美しく咲くんだよなあ」とか思うのだが、今年はまだ咲き始めたばかりで、もうそんな気がしている。
 桜に限らず、花や風景や空の輝きや人の心がことさら美しく感じられるのは、「末期の目」というんだそうだが、そのことは以前にも書いたが、またそのうち書きたい。
 先日、古くからの友人が、「週末になると熱が出るということが続き、なんとか恢復したけれど、これっていつか死ぬことの準備なのだなと思う」と書いてきた。
 ぼくにしたって、これからどうなるか、何が起きるか、わからない。
 そのことを恐れるのではなく、世界の美しさを十分に味わうことにしよう。そして、しばらく会っていない友人には今のうちに会っておきたいものだ。別の世界で、ではなく、ぼくとあなたとしての、この短い人生のうちに。そしてできれば、元気なうちに旧交を温めておきたい。
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故郷喪失

2018-03-18 22:23:57 | 自然・季節
 夕飯に、フキノトウとタラの芽とウドの天ぷらを食べた。と言っても、天ぷらは揚げ加減が難しいので、自分ではやらず、妹が食事当番の時にリクエストする。ほろ苦くて、香り高くて、やっぱり春はこういうものが美味しいし、食べると元気をもらった心地がする。
 昔、子供を対象にした自然観察会や自然教室などの活動をしていた時、春休みの合宿を房総半島の山中の台倉というところでしたことがある。その時のテーマは「食べられる野草」ということで、一日に14種類を採取して食べたことがある。
 14種類もあると、食べる前の下ごしらえや調理で本当に大変だ。水が冷たくて指が真っ赤になるし、アクがついてなかなか取れない。それでも、普段そんなものを食べたことのない子供たちも、もちろん僕たちも、大興奮の大満足だった。
 それを思い出して書いてみると、セリ、ツクシ、ノビル、ヤブレガサ、アザミ、カンゾウ、フキノトウ、タンポポ、ナズナ、タラの芽、アケビ、ワラビ、コオニタビラコ(春の七草のホトケノザ)、ハコベ、になる。
スーパーなどで売っていないもののうちいくつかについてちょっとだけ書いてみる。
 アザミは成長するとトゲがあってとても食べられないと思うが、新芽の葉が開く途中のごく若くて柔らかいうちに、真ん中の部分だけ摘んで(軍手は必要)天ぷらにすると非常においしい。トゲも気にならない。
 ヤブレガサも、傘が開いてしまうとおいしくないが、まだ閉じているうちに天ぷらにするとおいしい。茹でてアクを取っておひたしにするのも香りがあっておいしい。
 カンゾウは酢味噌あえにすると絶品だ。
 アケビはツル先の折れるところを探って摘んで、茹でて良く水にさらしておひたしにすると、ほろ苦くておいしいし、酒の肴に良い。東北地方ではアケビのツル先を「キノメ」と読んで珍重するそうだ。
 ハコベは味噌汁の具にする。昔、「銭形金太郎」というTV番組で、誰かがハコベと鶏ガラでスープを作っていたっけ。
 ノビルは、ぼくの田舎では地上に出た緑色の部分だけ摘んでしょっぱい佃煮にしていた。これだけでご飯が進んだ。根っこも食べられることは仲間に教えてもらった。根っこに味噌をつけて食べると辛くておいしい。子供には敬遠されることも多いが。
 根っこを食べないのは先人の知恵なのだと思う。葉だけ摘めば来年もまた生えてくるのだから。

 震災の直前に今のところに越してくる前は、保土谷の林の中に住んでいて、春には庭にフランス料理の高級食材にするトガリアミガサダケが群生したし、秋には銀杏がバケツに何杯も、ご近所に配って歩くくらい採れた。ハコベも採れた。
 その前は戸塚の丘の上の団地に住んでいたが、丘を下って境川の河川敷に行けば、タンポポやハコベやナズナやホトケノザはもちろん、カンゾウもフキノトウもツクシもノビルも採れた。
 今住んでいるところは、そういう楽しみがない。
 なんだか、故郷喪失のような気分だ。
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デジャ・ヴュ

2018-03-17 14:17:50 | 
またいつか会えますね?

こうしてあなたと話しているぼくは
束の間の統一体にすぎず
いずれ形も意識も失うにしても
それが幾種類かの粒子によって構成された
ある一定の遺伝子の組み合わせだとすれば
いつかふたたび
そのような組み合わせが生ずるかもしれません

この宇宙が亡んだあと
いくつめかの宇宙の
こことよく似た星の上で

その時たまたまあなたが
やはりあなたである可能性は
ひどく少ないものかもしれませんが
時が無限でさえあれば
ゼロではないはずです

その時ぼくたちは
お互いに気付くでしょうか
そして思い出すでしょうか
向こうの山の上に湧いた
真っ白な雲の耀きと
その耀きのなかを帆翔している
二羽のノスリのことを

  * * *

いつか会ったことがありますね?

わずか数十年間の記憶をたどってみても
どこにもあなたを見つけることはできません
でもたしかに いつか遥かな時間の向こうで
ここにこうして坐って
畦道を走りまわる子供たちの歓声を
聞いていたことがあるはずです

あなたの傍らにいるとこんなに懐かしい
それなのにわけもなく胸が詰まるのは
十年前とか物心つく頃とかでなく
向こうの山の生まれる前
この星が生まれる前からの
今が幾度目かの出会いだからに
ちがいありません

あなたのその
考え事をする時 眉間にしわを寄せる癖を
ぼくは確かに 前から知っています

こうしてここに坐っていたぼくたちは
そのあと どうなったのでしょう
あれから
何千億年かが経ったのでしょうか
あなたが時々
遠くを見るような顔をするのは
それからあとのぼくたちのことを
思い出そうとしているのではありませんか?

 手紙(1)に書かれていた(3月14日の記事)、ぼくなりの輪廻転生観を、それからおよそ7年後に詩にしたものです。ただし、この時点で対象になっているのは、すでに、別の女性です(その彼女とはその後30数年間、手も握らずに、大切な友人として年に一度か二度会ってお酒を飲んで話をする仲が続いています)。
 これはずっと以前にブログに載せたことがありますが、再録しておきます。ついでに書きますが、日本で「デジャヴ」というのは、発音の間違いです。フランス語のuの字は、「ウ」と読まずに「ユ」と読むので。直してほしいものです。
 一般的な輪廻転生観については、反論ないし疑問を、また別に書きます。

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常盤台長寿会

2018-03-16 20:29:56 | 音楽の楽しみー歌
 震災の直前まで住んでいた保土谷の常盤台に行ってきた。老人クラブの皆さんと、ぼくのフラット・マンドリンの弾き語りで一緒に歌うためだ。年に5回、1,3,5,7,9月に行くことになっているが、1月は肺炎にかかってしまって行けなかった。だから半年ぶりだ。
 半年もたつと、残念ながら少し人数が減っている。目黒区でもそうだが、60歳以上は参加資格があるのだが、“若い人”はなかなか参加してくれないようだ。
 ぼくの方も、この半年の間には、歩いていてコケたり、肺炎になったり、仕事をやめたり、いろいろ変化があった。でもそんな話でも、久しぶりに顔を合わせて話せばうれしい。
 今日は少し雨模様で昨日よりはだいぶ気温も下がったが、春なのでなるべく春の歌を、リクエストに沿って、春の唄、北国の春、旅の夜風、高校三年生、蘇州夜曲、丘を越えて、いつでも夢を、などをみんなで歌った。最後に、「群青」をソロで歌わせてもらった。
 今日は主にナツメロ歌謡曲だったが、外国の叙情歌だったり、童謡・唱歌だったり、フォークだったりもする。
 帰り際に、年代物の高級ウイスキーをいただいた。
 デュモンをやめるときに、「歌をやめてしまうの?」と幾度か訊かれたが、そういうわけでもない。ただ、ぼくは一人でスポットライトの下に立って歌うより、みんなで歌う方が好きなのだ。その方が楽しい。
 これから目黒の方でも老人会で弾き語りの会をするつもりだし、ボランティア協議会にも登録しなおすつもりだ。以前ドムラの弾き語りで登録していたのだが、腰を痛めてしまったので止めたのだ。そのほかにも…いや、まだやっていないことを書くのは止そう。
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手紙(2)

2018-03-15 21:19:13 | 思い出すことなど
 以下に載せるのは、昨日載せた手紙の翌日、つまり電報を受け取った翌日の手紙です。
 この手紙を書いたことは、ぼく自身はすっかり忘れていて、今回発見してたいへん複雑な思いがしました。ひどくせつない、と同時に、すごく未熟。あまりに感情的・感傷的過ぎて、公開するのが恥ずかしい。でもまあ、公開してみます。
 親しい人を亡くした人が、「自分のせいで死なせてしまった」、「自分があの時ああしていれば、死なないで済んだだろうに」、と思い込んでしまう、そして罪悪感にとらわれる、典型的な例です。
 「お前のせいではないんだよ。だいいち、お前は彼女の死にそんなに関わっていない。彼女は、自分の意思で行動したのだ。そしてそのことは良かったのだ」、と言ってやりたい。「お前は悲劇の主人公じゃない。主人公になりたかったかもしれないけれど」、とも。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今日は涙が出て仕方ありません。
 12日の午後、出発の前に彼女に会いに行きました。
エレベーターの前で待っていると、出かけていたお母さんが帰ってきて、「さっきからお待ちしていました」と言って、病室に案内されました。彼女は、「今までのこと本当にありがとう」と何度も繰り返して、握手を求めました。そのとき彼女は、もう間もなく自分が死ななければならないことを、もうそれっきりでぼくと会えないことを、予感していたのだと思います。ぼくももう二度と会えないことを予感していたはずです。それなのにぼくは、沈んだ雰囲気にならないよう陽気にふるまって、急いでその場を去ってしまいました。
 お母さんが僕について病室を出てきて、「今度はあの子はもう…」と声を詰まらせて、床にぼたぼたと涙を落としました。その時僕はお母さんを慰める言葉が出ませんでした。
 彼女は最後まで「今までのこと本当にありがとう」と言ってくれたのに、ぼくは笑って彼女の手を握り返しただけだったと思います。本当はその時にほくは彼女に今までのことの許しを請わなければならなかったはずなのに。
 彼女の死の原因の何割かは僕にあるような気がします。
 ぼくたちの出会いの初めのころ、彼女はぼくとの結婚を望んでいました。ぼくはそれに同意しようとはしませんでした。それが、彼女がフランスに行く決心をした遠因だと思います。ぼくが結婚していれば、彼女は一人でフランスには行かなかったはずです。そして彼女の病気は、早いうちに発見され、治療されて、それで済んでいたかもしれません。
 かわいそうなことをした、と思います。ぼくと出会ったことが、彼女の不幸の原因だったかもしれないのに、彼女は、ぼくと出会って幸いだったという意味のことを言ってくれたのです。せめて僕にできることは、出発を延ばして最後まで彼女のそばにいてあげることだったはずです。いまさら、安らかに眠るように、などと言ってみても仕方ないことです。
 彼女に許しを請わずにしまった今、だれにそれをすればいいのでしょうか。彼女のお母さんにでしょうか。
 昨夜、夜中に突然風が出て、明かりがバチっと音を立てて消えました。廊下は真っ暗で表の戸が開いて風に動いていました。昨夜ぼくは「霊魂の存在を信じない」と書いたけれど、実際は何も知らないだけなのかもしれません。
12月8日
A 様
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