すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「葬式列車」

2023-08-25 21:12:42 | 

 「夜と霧」を聴いたり歌詞を読んだりするたびに思い浮かぶ詩がある。逆に、その詩を読むと「夜と霧」の歌詞を読みたくなる。日本の戦後詩人、石原吉郎の「葬式列車」だ。

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえもいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発してきたのかを

 似たような状況を表現していると言えなくはないのだが、「夜と‥」(A)は歌であり、「葬式‥」(B)は詩だ。Aは聴かれるためにつくられており、Bは書かれたのち読まれるために発表されている。そしてAの方が届いた範囲は遥かに広いが、表現の緊迫性や体験の直接性はBに及ばない。「詩の困難」というものを思う。翻訳の困難、というものもある。ぼくはAを(当然のことながら)訳で紹介したが、残念ながら訳ではAの詞の持つ音楽性や脚韻の快さは再現できない。それは歌としての「肝(キモ)」であるにもかかわらず。

 石原吉郎は終戦時ハルビンでロシア語通訳をしていてソ連軍に抑留され、旧カザフ共和国の収容所に送られ、軍事法廷で重労働25年の刑を言い渡されたのちシベリアの収容所に移送される。スターリン死後の恩赦で帰国できたのは抑留から8年後だった。Bはシベリアに移送される途中の体験から生まれたものだろうという。
 ぼくはかつてBに衝撃を受けたが、残念ながらぼくには石原について書く力はない。ここでは、シャンソンまたはフランスに関心のある人はAは知っているとしてもBは知らないかもしれないと思い紹介した。ともあれ、「似たような状況」は、一見そのように見えるだけで、じつはAは脱出行を描いており、Bは地獄送りを描いているという決定的な違いがあった。Aにはまだわずかな救いを感じることができる。それが、歌としてAが成功した理由かもしれない。
   

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