すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

観音・マリア

2019-06-21 12:23:48 | 無いアタマを絞る
 (昨日の続き)シャカは悟りを得た後、初めのうちは教えを広めるつもりはなかったそうです。自分の悟ったことは世間の人の理解を得られないだろうと考えていた。けれど強く懇願されて話すことを決心し、それ以後は、身分や性別の隔てなく、人々に教え続けた…ということになっています。
 とはいえ、シャカの教団に女性が入れなかったのは確かなようです。これは、以下の理由によるものと思います。
 シャカのもとに集まってくるものたちは、教えを求めるもの全体、でなく、修行志願者たちに限って言えば、圧倒的に男性だった。というのは、当時のインド社会から見て、まず間違いないでしょう。彼らは、シャカの教えに従って自分も悟りに至りたいと、熱望していたが、しょせん、いまだ未完成なものたちです。彼らを修行に集中させるためには、ルールを設けなければならなかった。すなわち、働いてはいけない、盗んではいけない、禁欲しなければいけない、嘘をついてはいけない…などなど。修行集団の中に女性がいては修行に集中できない(禁じられていればなおさらのこと)ので、女性は入れないことにした。つまり、暫定的な方便だった。
 それを、シャカ亡き後の(不完全な)弟子たちが、女性は穢れたものであるから、というふうに解釈した、あるいは、問題をすり替えた。
 はじめは「女は成仏できない」ではなくて、「女がそばにいると修行に集中できないから、男が成仏できない」だった。だから、女は穢れたもの、と思い込もうとした(まったく、男ってやつは)。それが、固定観念になった。
 これは小乗の話。
 大乗は基本的には在家だから、家庭は持てるし経済活動もできます。そうした中で、日常生活が修行だと考えて、正しく生きればよい。これは大進歩。
 ただし、大乗でも、専門家集団は残ります。すなわち、僧侶、寺院。ここでは、小乗と同じ偏見と差別が残ってしまった。
 そこを打ち破ろうとしたのが、親鸞と一遍。親鸞は僧の妻帯を認め、一遍は、熊野権現から、「身分性別の区別なく念仏札を配るべし」という夢告を受け、一生それを実践した。
 しかし、ぼくはその後の両者の教団のことは知らない。たぶん、偏見は残っただろうな。

 …どうでしょうか?
 イエス亡き後、シャカ亡き後の、膨大な思考はほとんど、イエスやシャカを理解できなかった弟子や宗教者たちの築き上げた、迷妄です。
 イエスに還ろう。シャカに還ろう。
 あるいは、親鸞に還ろう。一遍に還ろう。
 
 さて、ここからは、雑談。
 ぼくが子供の頃一時通った村の幼稚園は禅宗のお寺の経営するものでしたが、毎朝、厨子の中から観音像を出してみんなで合掌していました。やさしい姿の像だったと覚えています。お母上は、観音像に似せて作られたマリア像を拝んでいたそうですが、ぼくの幼稚園の観音像はマリア像に似ていました。 
 あれは、仏教の中にわずかに入った、女性的要素かも知れない。
 ぼくは体の弱い子供だったようで、町の病院に通うのに幼稚園と両立できないから、ということで、そこは数か月で中退してしまいましたが、ずっと通っていれば、もう少しやさしい人間になれていたかな。
 マリア信仰は、キリスト教の「隣人愛」よりは、仏教の「慈悲」に近いと思います。
 ただし、そうでないマリア信仰もあります。
 若い頃、ノルマンディーの小さな村の農家にひと月ほど居候していたことがあります。村の入り口に、大きなマリア像が立っていました。そのマリアは、リンゴを口にくわえた蛇を踏みつけて、カッと目を見開いて、憤怒の顔をしていました。「邪悪なるもの村に入るな」、ということでしょうか。信仰というものの頑迷が形になったように思いました。
 素朴なものの持っている頑迷は、怖いです。原理主義というものもそうかもしれない。
 ぼくたちは、考えるということを大切にしなければ。
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生きとし生けるものは

2019-06-20 22:30:52 | 無いアタマを絞る
 一昨日の記事に、石井みどりさんからコメントをいただきました。ここに紹介させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(石井さん)中学2年の 7月 大乗仏教になるまでは、女は穢れているから成仏できないとされていた
こんなことを聞かされて「釈迦だって 所詮男なのよ」って

(樋口)もう少し詳しく書いてくれませんか。仏教に女性蔑視があるのは承知していますが、大乗はいいのか?釈迦は、だめなのか?石井さんの趣旨がよくわかりません。

(石井さん)南アジアでは、未だに小乗仏教が主流と聞いています。自分を救うだけで精一杯みたいな。女性は5つの障りが有って成仏できないそうです。大乗仏教になって、尼僧も生まれたのに・・・
 母は、マリア信仰でした。1950年に横浜に転居しても、観音像に似せられて作られたマリア像は仏壇に納められ、聖書は 浄土真宗の「正信偈」に隠されていました。母は、それは、マリアを信仰することを、プロテスタントもカトリックも認めていないからと説明していました。母は、仕方なく 桜木町の指路教会で洗礼を受け直しました。母はもっと信仰を深めたいと牧師に懇願したのに 「女性は聖職者にはなれません」と言われたそうです。
兄は、牧師になりました。私も 幼い時から日曜学校に通い、聖歌隊で歌い(中学2年生までは)熱心に聖書を読みました。
 神道も 女性が神職に就けるようになったのも戦後。天照大神が女性だったのにです。
 2016年 ローマ法王が「私の後任に 女性がなることはあり得ない」の発言の後、世界的に 女性が神父や牧師、神職になる運動が起きていますね
 
 男社会を変えるのは まだまだ時間がかかりそうです
・・・・・・・・・・・・・・
 石井さん、ありがとうございます。まとまったことは言えないので、雑談風の記事を書きます。
 (神道を含めて)大宗教は、歴史的に、女性に対する蔑視・偏見・差別にみちています。それは何時から、なぜ、始まったのでしょうか?
 キリスト教でいえば、イエス自身はそのような偏見は持っていないものと思われます。女性を分け隔てなく癒している(マタイ9-18以降、15-21以降など)し、何よりも、復活したイエスは最初に使徒たちにではなく、マグダラのマリアともう一人のマリアの前に現れ、「弟子たちにガリラヤで私と会うことになると告げなさい」と言っているのだから、女性はむしろ特権的立場にいます。
 ところが「コリントの信徒への手紙 1」ではすでに、「男の頭(かしら)はキリスト、女の頭は男…女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭(あたま)にものをかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。…頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい」(11-3以降)などと書いたり、「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません」(14-34以降)とまで書いています。つまり、女性蔑視は、イエスがいなくなって間もない頃にすでに始まっていた、と思われます。
 これは教団(というものはまだできていなかったから、その萌芽と言うべきか)の権力を男が独占するため、また、マグダラのマリアをはじめとする女性たちへの嫉妬、から生まれたものでしょう。一般に、宗教教団の力が増すにつれて、女性蔑視は増幅し、固定化します。

 シャカが女性に対する偏見を持っていなかったかどうか、はよくわかりません。シャカは、村の娘スジャータの差し出した一椀の乳粥を飲んで休息をとったことが、悟りを得るきっかけになります。また、彼は悟りを得てから45年ぐらい生きるのですが、身分や性別の分け隔てなく教えを語ったそうです。また、最古の(したがって、小乗の)経典スッタニパータは、シャカの言葉を集めたものだそうですが、そこには「一切の生きとし生けるものは幸福であれ」(145)と書かれています。
 これは大変美しいので、ちょっと長いですが、引用しておきます。

 「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
 いかなる生き物生類であっても、怯えているものでも、強剛なものでも、悉く、(中略)
すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
何人も、他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いを抱いて、互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
あたかも、母が己の独り子を命をかけても護るように、そのように一切の生きとし生ける者どもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。
 また、全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。(145~150)」(中村元訳)
(長くなりすぎるので、続きは明日)
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「シッダールタ」

2019-06-18 20:55:53 | 無いアタマを絞る
 仏教について考えようとすると、呆然としてしまう。仏教はあまりに多岐にわたっていて、何でもありで、何が核心となる教えなのかわからない(ように、ぼくには思える)。仏教全体を一つの体系と考えることは不可能だ。あまりにも矛盾とホラが多すぎる。
 ここ一週間ばかり、どうまとめようか迷ったのだが、結局ぼくは整理できるほどには理解できていないようだ。だからとりあえず、それは断念、というか、パスしよう。
 仏教という名で一括される膨大な量の思弁のほとんどは、あとの時代の宗教家が彼らなりに理解しようとして、もしくは大衆を教化しようとして、もしくは自分の立場を守るために、考え出したものだ。だからそれは遠ざけて、ぼくが生きていくうえで大切と思われることだけを取り上げることにしよう。

 仏教は、シャカという人物が悟りを得て苦悩を克服し、輪廻転生の輪から脱出することに成功した、というところを出発点にしている。
 ぼくは先日、「魂が未来のある時点で転生をやめて、別の在り方に、別のステージに入る可能性がある」、というのを、仏教的考え方、としたが、これは正しくない。言えるとすれば、「仏教的とぼくたち日本人が感じる考え方」ぐらいだろう。
 シャカは、魂というものがある、とは言っていない。シャカが気付いたのは、この世界の全ては、無明、根源的な無知、迷妄、から生まれ出て現象という形をとったものだ、ということだ。魂というような永続的な実態は存在しない。
 それでは、輪廻転生するのは何か? 私たちとは何か?
 それは業(カルマ)だ(ぼくは、輪廻転生があるとは必ずしも思っていない。シャカの考えに同意しているわけはない。これは仮説だ。念のため)。シャカの当時のバラモン教の教義の信じられていた社会では、人間をはじめとする動物は、前世の業が今世で生きものの形をとったものだ。カーストも、その表れだ。
 シャカは、その、業が次々に形をとる世界の総体を苦の世界と考え、それが実態のあるものではなく、業に過ぎないということに気付けば、それを消し去ることができる、と気付いたのだ。彼岸、という別世界があるわけではない。それは、弟子たちが、のちの時代の人達が、勘違いしたのだ。
 なぜ勘違いが起きたのか? それは、シャカの悟りがどのような体験だったか、よくわからなかったからだ。

 シャカは、「この世界の全ては、無明、根源的な無知、迷妄、から生まれ出て現象という形をとったものだ」、ということ、「そのことを悟りによって知れば、苦悩を克服でき、業から解放され、輪廻の回転を止めることができる」ということを弟子たちに教えたが、自分の悟りの体験がどのようなものだったかは、伝えきることはできなかったのだと、ぼくは思う。
 人は、ある瞬間に自分に訪れた天啓がどれほど素晴らしいものだったか、他者に伝えきることはできない。それが、自分にとってまさに世界をひっくり返してしまうほどの根源的なものであったらなおさら。このことはぼくたちが、自分が体験した歓喜が、あるいは逆に苦しみが、どれほど大きなものであったかを人に伝えきれないのと似ている。
 他者は、自分で体験するしかない。しかも、それは同じ体験ではありえない。

 このことを、ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセは知っていた。「シッダールタ」という小説がある(この本をぼくは何度読んだことだろう! 何度読んでも、ため息が出る)。
 主人公の青年シッダールタ(歴史上のシャカではなく、ヘッセが創造した人物)は、覚者ガウタマ(こっちが、シャカをモデルにした人物)の講話を聴いて感嘆したのちに、彼のもとを去る前に、彼に心を込めて挨拶をし、彼の教えが至高のものであることを讃え、しかしさらに言う。
 「あなたが悟りを開かれたときにあなたの心に起こったことを、あなたは誰にも、言葉で、そして教えで伝えることはできないのではないでしょうか! 悟りを開かれた仏陀の御教えは多くのことを含んでおり、多くのこと、正しく生きること、悪を避けることを説いています。けれども、これほど明晰な、これほど尊い御教えもただ一つのことを含んでおりません。世尊ご自身が、幾十万人もの人びとの中で世尊ただ一人が体験されたことの秘密を含んでおりません」(岡田朝雄訳)

 自分で体験しなければならない!
 ぼくたちは一人ひとりが、苦悩から解放されるためには、ありがたい教えを受けてそれを鵜呑みにすることではなく、自分自身の探求によって、目標に到達しなければならないのだ。
 (だが、ぼくはシャカの体験について、ぼくたち自身の体験の手がかりにできないものか、、もう少し考えるべきことがある。ここまでは、いわば助走だ。)
 余談:ぼくは「悟」だが、これは「さとり」ではなくて、動詞。つまり目標。
(この稿続く)
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他者から受け取る

2019-05-10 19:30:28 | 無いアタマを絞る
 山之内重美さんからFBの方にコメントをいただいた。読みながら、「ん、これは大事だぞ」と思った。そして考えてみたら、自分の頭の中には視点の欠落が二つあるのに気が付いた。これから先のぼくの生き方にとって、このブログの今後にとっても、これは大きい。山之内さんに感謝したい。
 それにしても、こんなことにこれまで気づいていなかったなんて。
 ひとつは、他者から受け取る、ということ。
 山之内さんや、内海宣子さんや石井みどりさんの生が豊かなのは、他者からたくさんのものを受け取ることができ、しかもそれを味わっているからだ。
 ぼくは、自然が、本が、音楽が、たくさんの豊かさをもたらしてくれることを知っているし、受け取れることに感謝もしている。しかし、もともと他者(人)との関係性について淡白だから(つまり孤独志向が強いから)そこから受け取れるものの豊かさについて、受け取ることの喜びについて、あまり意識したことがなかったかもしれない。
 だからかえって、山之内さんたちのように他→自でなく、自→他ということに、つまり自分が何を言うか、何を発信するかの方に関心がいくのだろう。そのくせ他者がどう感じるかが気になるから、被承認願望とかを意識する。
 昨日、「自分の言動には実はそれが含まれているんだ、ということは知っておいた方が良い」と書いたのは、自戒の言葉であるべきだったのだ。
 もう一つは、プロの視点、ということ。
 ぼくは歌を仕事にはしていなかったから、アマチュアの視点しかもっていなかった。仕事として歌う、あるいはより一般に表現活動を行う、のであれば、その仕事のうちには、他者と縁をつないでいくことも含まれる。他者の存在がありがたい、という気持ちも自然に生まれる。そのことに気が付かないぼくは、アマちゃんだったというほかはない。
 アマでいるかプロを目指すか、というのは(才能の問題は別にして)どちらを選択してももちろん本人の自由なのだが、立ち位置が違うということを意識しないで物を言ってはならない。
 これも、自戒。
 もっと謙虚でなけらばならない。

 以下に、山之内さんからいただいたコメントをコピーしておきたい。了解は取っていないが、FBは不特定多数にあてられたものなので、かまわないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
 私は、みどりさんともう2人から「Liveを仕事にしてるなら、FBで多少の広報しないのは怠け者」というふうな意味のことを、親身になって強く言われたので、数年前に渋々始めたのですが、その2-3年後から別の喜びに気付きました。私の場合は自己を他人にというより、「今まで知っていた人の日々や考え、感じ方を、味わい深く知ることができて嬉しい」感の方が遥かに強い喜びでした。原則的には面識のない人からの友達申請はスルーさせて貰っており、親しくて尊敬してる人のラインで「おっ」と親近感や共感を覚えた場合にしか新しい人のは受諾しないようにしてます。 繋がったら、自分のを見て貰うだけでなくその相手の投稿も見るのが私の勝手な原則なので、分母ばかり増やしても、とてもフォローできないから。時間がとても足りない。クタクタになってるのを見て、家人は、アホかと思っているようですが、不器用な性分なので、仕方がない。 つまりFB友は相手の生活の時間泥棒でもあるので、私は平均1日1通以上の投稿はしないように自分に制限しています。数日置きに2-3通一遍にというのもその計算内なので可。 樋口さんのもまとめて見ることもよくありますが、けっして見逃さないようにしたい人なので、全部読みたい。それにはちょうどよい頻度なので有難いわ。若い時と違うから、これまでに出会った縁のある人を、丁寧によく知って人生を終えたいと思っています。そういう意味では、私にとってのFBは、とても有難い人生仕舞い時の同伴者となってくれています。
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被承認願望

2019-05-09 12:50:39 | 無いアタマを絞る
 一昨日、「ブログは自己顕示や被承認願望だ」と書いた。これに違和感や反感を持った人がいるかもしれないので、補足しておきたい。
 ぼくは、「だからやめた方がいい」とは書いていない。現にぼくもやめていない。「自己顕示や被承認願望はよくないことだ」とも書いていない。
 (一般には、「承認願望」というようだが、ぼくは「被」をつけておきたい。)
 ついでに断っておくと、池田晶子がぼくの引用した著書「14歳の君へ」で、「ブログが現代ふう自己顕示の典型だ」書いているのは、「個性」について考える中で、「自分らしさ、自分の個性というものは、他人に認められることによって見つけられるものではない」という文脈で書いているのだ。
 被承認願望はそれ自体、人間が生きていくうえで無くてはならないもので、他者との関わりのほとんどあらゆる局面に含まれている。ただし、それが強い人は、日常生活でも他者との軋轢を生んだり、他者に敬遠されたりすることはありうるだろう。また、それがなぜなのか理解できずに悩むことはあるだろう。だから、自分の言動には実はそれが含まれているんだ、ということは知っておいた方が良いと、ぼくは思う。
 とくに、ネット上の事柄についてはそうだ。これが、本人はそうと意識しないまま暴走してしまうのが、たとえば、冷蔵庫に入ってみたり商品のハンバーガーに唾をつけてみたりする映像をネット上に流す行為だ。
 被承認願望と自己顕示欲はどう違うか? 赤ちゃんが親の優しい声掛けを必要とするのは、無意識の被承認願望ではあるが、自己顕示ではない。自己顕示は、被承認願望を満たすためのひとつの手段だと考えている。多かれ少なかれ、攻撃的で強い手段。
 考えてみれば、芸術的表現行為ではほとんどの場合、被承認願望がかなり強く発揮される。演劇、歌、などステージで行われるものがその典型だ。拍手が、ブラボーが、「良かったよ」という言葉が、表現者を幸福にするのは、そのためだ。
 もちろん、表現者は、自分のパフォーマンスがその時点で納得のできるものであった、というところでも幸福感を得る。ただしそれが自己満足ではなく確かに一つの達成であったことを確認するには、人々の声を必要とすることが多い。
 稀に、画家が絵を誰にも見せることなく描き続けていて、亡くなった後で親族や知人や画商などが、「彼はいったいどんな絵をかいていたのだろう」と思ってアトリエを訪ねると、素晴らしい作品群を発見する、ということはあり得る。この場合、画家は被承認願望ではなく、内的動機だけで描き続けていたということは明らかだ。
 彼は一人黙々と描いていて、それで満足だったかもしれない。ただしそれが、ひとりの芸術家として幸福な生涯だったかどうかはわからない。孤独に描き続けるのではなく、周囲の人たちの理解や共感(つまり承認)を感じながら描けた方が、より幸せだっただろう。
 だから、被承認願望自体は、悪いものではない。表現者は、過度にならない程度に、拍手や称賛を求めて良い。それを求める気持ちの中に、被承認願望が含まれていることを知ってさえいれば。
 ちなみに、上記の本の中で池田晶子は、「止したがいいのは『自分探し』だ」と書いている。ぼくの最初のブログのタイトルは、「自分探しのブログ」だった。
 お恥ずかしい限りだ。
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花筏

2019-04-23 22:07:04 | 無いアタマを絞る
 少し前に見た目黒川の花筏を思い出している。花見客(もしくは通行人)が、「まあ、きれい」とか「素敵ねえ」とか、ウットリした声をあげていた。そういえばTVでも、レポーターが、「美しい言葉ですねえ」とか言っていた。
 この人たちは、言葉と目の前の現実の姿をすり替えて、あるいは、ごちゃ混ぜにして気が付かないでいる。
 「これのどこがきれいなものか」と思った。
 どぶ川のような黒く濁った水に浮かんだ、流れてさえ行かない、汚れた花びらの吹き溜まりに過ぎない。
 言葉は美しくても、その言葉の指すものが現実には美しいとは限らない。、もしくは、現実は美しいとは限らない。
 この言葉がいつ生まれたのか、だれが言い出したのか知らないが、室町時代後期の小唄集「閑吟集」には既にこの語が出て来るそうだから、古くからある言葉だ。
 昔の人達は、美しい水面に浮かんだ美しい花筏を見ていたのだろう。
 どこかに、ぼくの知らないところに、目黒川を見に来る人達の想像できないような、底の小石のくっきりと見えるように澄んだ流れを広がったり集まったりしながら下ってゆく、美しい花筏があるのに違いない。
 今でも、たとえば吉野川の上流に行けば、それが見られるのだろうか? それとも、花を尋ねて山中に分け入っていかなければ見られないだろうか?

 現代は、黒く淀んだ、時には悪臭のする川のようなものだ。
 ぼくたちは、その表面に浮かんだ塵芥のようなものかもしれない。

 …とまで思うのはやめておこう。
 ぼくたちは、塵芥とは違って、生きている。苦しみもし、もがきもするが、感じることはでき、考えることはできる。
 感覚麻痺に陥っていなければ。判断停止に陥っていなければ。
 淀んでいるだけではなく、流れていこうと模索することはできる。
 言葉の上っ面だけの美しさで満足して停まってしまうのは避けよう。現代が、黒く淀んだ川のようなものだということは、忘れないでおこう。
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ノートル・ダム

2019-04-17 21:51:23 | 無いアタマを絞る
 パリのノートル・ダム大聖堂の火災のニュースは大変ショックだった。フランス人たちが受けた衝撃も悲しみも、パリに住んだぼくにはかなり理解できる。あれがいかにかけがえのない文化遺産か、ということももちろん理解できる。
 パリに二年間、そのほかにも何度も行っていて、あの界隈もずいぶん歩いた。パリを訪れる友人を案内したことも多い。塔の上からのセーヌ川と市街の眺めも素晴らしいし、バラ窓も大変美しい、特に光にあふれる晴れた日は美しい。中で聴く音楽も美しい。しかし残念ながら、ぼくにはあれに対して非常に大きな、鷲掴みされるような感激、というのは感じなかった。
 なぜだろう? あの二年間が、ぼくにとって人生でいちばん苦しい時期だったからかもしれない。ぼくは、心のどこかでは救済を求めてあの界隈を歩き回りながら、あのバラ窓から差し込む光のような、宗教による救済を求めることには躊躇っていたからかもしれない。
 あの時ノートル・ダムに縋っていたら、いまのぼくはもっと心の安らぎを得ていたろうか?
 それは今となってはわからない。
 建築や造形芸術などに対する感度が悪い、ということもあるかもしれない(ほかで感度が良いわけではないのだが)。あの頃ぼくはパリ市内を歩き回るよりは、ムードンの森やフォンテーヌブローの森やランブイエの森を歩き回るほうがずっと気が晴れて心が和んだ。
 しかし、パリの南西、列車で一時間ほどのところにあるシャルトルのノートル・ダム大聖堂には感動したではないか?
 列車が町に近づくにつれて、ゆるやかに起伏するボース平野の広大な麦畑の中に、まず尖塔のてっぺんが見え始め、それがだんだん大きくなってゆく。あれがまず感動なのだ。麦が黄色に熟れる、良く晴れたけっこう暑い日だった。坂を上っていくと、平日だからか、ファサードはひっそりしていて、観光客はほとんどいなかった。あれも良かった。ロマネスク様式とゴチック様式と、形が全く違う二つの塔が立っている。ひとつはとがっていて、ひとつは四角い。その片方に登った(どっちだったかは、覚えていない)。列車の中から塔を見たのとは逆に、今度は地平線まであたりいちめんの麦畑を望むことができた。
 驚いたのは、塔のてっぺんの回廊には転落防止の柵がないことだった。「確実に死ねるな」、と一瞬思った。フランスにだって自殺する人は大勢いるのだが、カトリックでは大聖堂から下の石畳に身を投げるようなことは想定していない、ということだろうか(ヒチコックが「めまい」という映画にして有名になったフランスのミステリー「死者の中から」は、これを重要なプロットにしているのだが)。
 内陣の、パリのノートル・ダムと並び称されるステンドグラスも、非常に美しかった。(シャルトル・ブルー、と言われる)青を基調にした窓に光が当たって、「青は聖母マリアの慈愛の色だな」、と改めて思った。
 シャルトルも中世に火災に遭って、上記のように現在は左右が不均衡だ。それでもぼくが感動したのは(そして均整の取れたパリの大聖堂でさほど感動しなかったのは)、あそこではひとり静かに聖堂と向き合うことができたからだろう。広大な平野の中、というのも大きい。
 パリのノートル・ダムにひとり(静かに、というのとは違うけれども)向き合った、そしてあれをこよなく愛した日本人が、高村光太郎だ。「雨にうたるるカテドラル」という詩を、長い作品なのでここでは引用しないが、ぜひ読んでいただきたい。聖堂は、異国からのの旅人にとってさえ、神と、あるいは自己と、ひとり向き合う場所だ。
 マクロンは、「5年で再建する」そうだ。20年かかっても良いのではないか。再建された姿をぼくが見ることはないだろうが、在りし日の姿を映した写真集が近いうちに出たら買おう。それの方が、かつての記憶を合わせて、ぼくは聖堂とより深く向かい合えるかもしれない。
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摂食障害―もうひとつ、お粗末な話

2019-02-04 22:28:25 | 無いアタマを絞る
 実はぼく自身、摂食障害の経験がある。昨日書いた話より、さらに10年以上前の話だ。
 その経緯を、原因と考えられるものや始まったきっかけを、ここで詳しく書くことはしないし、書けない。
 経過だけ簡単に書くと、初めのうちは体が軽い。「食べ物から解放されるって、こういうことなのか」というような高揚感もある。自分が、今までの自分とは違う一段高い存在に移行した感じ。
 高揚感のある間は、食べないことが苦しくない。ジュースぐらいは飲めるが、固形物は食べる気になれない。その高揚感はどれくらい続くか、人によってさまざまだろう。ぼくの場合何日ぐらい続いたのか、もう覚えていない。一か月ぐらいは続いたろうか。
 とにかく、そのあと、非常に苦しい期間がやってくる。体は食べ物を要求しているのに、心はそれを受け付けない。体重はみるみる13キロほど減った。もう、高揚感や解放感なんてものは全く消えて、それでもまだ抵抗を続ける、打ちのめされた自分がいるだけだ。
 でも本当に苦しいのは、その後だ。ある日、抵抗を続けられなくなる時が来る。食べて、それまでのタガが外れたかのように、一気に食べ物を詰め込む。そして吐く。
 これは、不可避のコースだ。誰も、生きて抵抗を続け通すことはできない。続け通すということは、カレン・カーペンターのように死んでしまうということだ。
 だから、拒食は必ず過食に転化する。そして、敗北感に打ちのめされる。食欲に負けた自分の弱さに対する嫌悪感と無価値感。自己処罰のためにまた食べて吐くことの繰り返し。
 それは、自己処罰であると同時にある意味、心地よいものにもなってくる。「やっぱり、これが自分なんだ」と、安心するような。
 ふつうはそのあとに、長い治療期間、あるいは破綻、がやってくる。
 …幸い、ぼくの場合は、フランスにいた時に先生に言われた言葉がその状態から抜け出す転機になった。当時その先生をほとんど崇拝していて、彼の言うことは絶対だった。「歌を続けたいなら、決して吐いてはいけない」という言葉。「吐くということは、胃酸が口まで上がってくるということだ。喉を焼かれるし、歯はボロボロになる。遅かれ早かれ、歌う声は出なくなる。だから、他の何をしてもいいから、吐くことだけはやめなさい」。
 ぼくは、吐くことだけはやめることにした。「ほかのことは、多少不健康や不道徳であっても、まあ仕方がない。吐くのだけはやめる。ただし、完全に止められるかと言ったら、自信がない。またあの苦しいのをはじめからやり直すのだけは御免だ。だから一年に二回だけ、頑張ったご褒美に吐いてもいいことにしよう」…これがまあ、二十か十代ならともかく、五十歳になろうとする男の考えることですかね。
 今考えると恥ずかしい限りだ。だが、これは病だから仕方がない。
 ともかくぼくはそれを実行した。結局、そのあと二回ぐらい吐いたと記憶するが、それだけで済んだ。
 「一年に二回だけは」というのは自分で考えて思いついたのだが、これは大いに有効な方法だと思う。
 ぼくのことだけでなく、一般的に言っても自己処罰感や無価値感が食べて吐く原因だと思うが、これを頑張った自分に対するご褒美に変えてしまうのだから、そうしたネガティヴな感情から解放される可能性がある。
 10年前に、Aさんにもメールで書いた。
 「強い願望があって、それを実現するためにひたむきになることができれば、食べ吐きの輪から脱出することは可能です。大きな選択をすれば、それに反する小さい選択はしなくなるから」と。
 もっとも、今ではぼくから歌はほとんど出て行ってしまったのだが、あの時に、歌うという願望があったおかげで、とにかく生き延びて今ここにいる。
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別離―かぐや姫の物語(5)

2019-01-29 13:29:35 | 無いアタマを絞る
 八月十五夜が近づいてくる(むろん、満月だから旧暦だ。今年なら、9月13日)。
 「かぐや姫の物語」の姫は、御門が去った後、泉殿で月を見上げては泣くようになった。「竹取」では、御門と心を通わすようになってから3年ほど経った春の初めから。
 そのわけを姫が話し始めると、どちらの翁も仰天し、激しく反発する。それに対し、「かぐや…」での姫は、「もう何もかも遅すぎるのです」と繰り返して嘆くだけだ。彼女は、運命をそのままに、悲しみのうちに受け入れようとしているように思われる。行かねばならぬことの悲しみ。
 「竹取」の姫は育ての親と別れなければならぬ悲しみを繰り返し、心細やかに表現する。ここの部分の、翁・媼に掛ける姫の言葉は(思いは)まことにやさしく温かく、読む者の心を打つ。
 貴公子の求婚に対する拒絶までの姫は、あんなに冷たくそっけなく、彼女が月に世界から来たことをあらかじめ(昔話などで)知っている読者は、「月に世界には悲しみや憂いは無いのだそうだが、姫には温かい感情というものすらないのではないか」と思っていたのだが。
 ここの言葉がどれほど思いに満ちたものか、そのいくつかを見ておこう。

 「これまでかけていただいた御情愛の数々をかみしめることもできずにお別れしなければならないのが残念です」
 「お二人のお世話をほんの少しもいたしませんままに帰らなければならない道は、心残りで辛い道でしょう」
 「お二人のお心ばかりを苦しめて去ってゆくことが悲しく耐えがたく…」
 そして、極めつけ。
 「(月の世界には老いがないといいますが、それすらも嬉しくはありません。)お二人が年老いて体も衰えて行かれる、その姿を見守ってお世話して差し上げられないことがいちばん心残りで、(月の世界に帰ってからもいっそう)お二人を恋しく思うことでしょう」 
 この情愛の表明は、「かぐや…」の方にも欲しかった。
 
 この情愛とは別に、「竹取」でひとつ注目すべき点がある。姫が「月の世界に父母がいます」と言うこと。
 姫の彼の地での身分の高さ(迎えに来た天人の中の王と思われる存在が、姫に敬語を使っている!)から考えて、養い親ではなく、血の繋がった親だろう。とすれば、彼の地でも人は成長し、結婚し、子を産み、育てる。
 ということは、姫の「老いもなく憂いもありません」という言葉にもかかわらず、天人も老いるということだ。  (憂いについては、あとで考える。)
 迎えに来た天人がどんな様子をしているか、「衣装の美しいこと、比べるものとてない」としかわからないが、「かぐや姫の物語」を仮に参考にすると、“天の王”に相当すると思われるものは、無表情で、如来像のようで、なんだか不気味な存在だ。「天には感情がない」ことの象徴のようだ。
 ぼくたちが思い出しておくべきは、“天”は、仏教徒が憧れるこの世とは別の彼方の地、極楽浄土、とは違う、ということだ。人間界を含めた六界、六道輪廻のめぐりあわせの中にある。天人も老い、滅ぶのだ(「天人五衰」)。そのことについては、この世との違いは時間の長さに過ぎない。
 姫がこの世の恩愛や喜び悲しみのすべてを捨てて帰らねばならないのは、そのようなところだ。虚無の不毛の空間ではないにしても。
 
 さて、姫は羽衣を着せようとする天人をおし留め、翁と媼に手紙と衣装を残し、先に書いたように御門に手紙と不老不死の薬を残して去っていく。
 「かぐや…」では、月に向かう雲の上から、彼女はいちど振り返る。彼方に青く美しい地球が浮かんでいる。姫は、何かを思い出そうとしているように見える。このラストは、大変美しい。

 ぼくは、「竹取」と「かぐや…」を通してみて、前半は「かぐや…」に、後半は「竹取」に、心を惹かれる。ラストは、上記のシーンのため、再び「かぐや…」に軍配を上げたい。
 だが、もう少しだけ、付け加えるべきことがある。(明日はハイキングなので、明後日。)

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心の通い合い―かぐや姫の物語(4)

2019-01-27 21:54:28 | 無いアタマを絞る
 ここまでのところ、ぼくが「竹取」より「かぐや姫の物語」を圧倒的に好んでいるように思われるかもしれない。ここからは…そうとは限らない。

 五人の貴公子が失敗した後、御門が登場する。「かぐや…」で姫に言い寄る御門は、自信過剰でナルシストで、顎ばかりが長い、まことに嫌味な男だ。この国の女はすべて、自分が口説きさえすれば喜んで身を任せるものと思い込んでいる。そして、口説きに失敗したのちはさっさと帰ってしまってそれきりだ。
 「竹取」を見てみよう。
 御門は同じように部屋に忍び込んで突然抱きすくめたりはするが、アニメの方ほど嫌味な性格ではない。そして彼は姫のもとを立ち去りがたくぐずぐずためらうが、けっきょく姫に歌を残す。姫もそれに応える。こうして、二人の交流が始まる。
 姫は御門の求愛をこそ拒絶はするが、(相手が最高権力者だということもあっただろうが)これまでとは違って丁寧な、心のこもった応答をする。彼女は「竹取」の全体を通してはじめて、翁・媼以外の人に心を開くのだ。二人の間ではかなりの頻度で(少なくとも四季折々)、情を込めた歌のやり取りが続くのだ。それは姫が月に帰るまで3年のあいだ続く。
 さらに注目すべきなのは、迎えが来て月に帰る間際になって、それを着るとすべてを忘れてしまうという羽衣を着せようとする天人を押しとどめて、御門に手紙を書くことだ。求婚を拒絶したまま立ち去ることの心残りを書き、「羽衣を着るときになってあなたへの思慕の情をしみじみと感じます」と書き、不老不死の薬さえ手紙に添える。
 姫が、相手が最高権力者だからという理由だけで文をかわしていたのなら、最後はさっさと立ち去ってしまえばいいわけだ。最後の手紙と不死の薬は、姫の御門との心の通い合いが儀礼的なものでなく本物であったことの証拠だ。
 アニメ版はこの御門との交流のエピソードを取り上げて深めて欲しかったと思う。その理由はあとで書く。
 アニメ版で代わりにあるのは、幼な馴染みの捨丸との逃避行の幻想だ。高畑監督は、月の世界に帰るという必然の制約の中で、姫に最後にこの地上での最高度の幸福感を味合わせてやりたかったのだろうか。
 でもそれは幻想にすぎない。姫は、自分がけっきょく宿命から逃れられないことを知っている(とちゅうで思い出す)。それに捨丸はこの時点ではすでに妻も子もいる、一緒に逃げることなどはできない相手なのだ。
 「竹取」では、姫がいつ自分の運命を知ったのかは書かれてはいない。「かぐや…」では、「御門に抱きすくめられた時、思わず月に助けを求めて心の中で叫んでしまった」と言っている。月に帰る直接のきっかけになった出来事を示そうと思ったら、御門は上記のような扱いにせざるを得ないだろう。
 だが、さっき書いたように、むしろ御門との心の絆を描いてしかも深めてほしかった。
 なにしろ「竹取」ではこの部分で姫は初めて、求愛とか男と女とかいうものから離れて、また、親子の情愛とも違う、他者との相互理解を得ることができたのだ。
 そして前回書いたように、「かぐや…」が、生きづらさに苦しむ若い女性を描いた物語という現代的意味を持つ作品であるとすれば、その彼女が月の世界に帰らずにすむ、すなわちこの世界に留まってここで幸福に生きることのできる、唯一の可能性は、他者と心の触れ合いを得ることができ、そこから信頼関係を築くことができ、そこで心の底からの安心を実感することができる、というところにあるはずだからだ。
 月に世界に帰るという物語の前提は崩せないにしても、救済の方向性ぐらいは示せたのではないだろうか。
 なんなら相手は別に御門でなくてもいい。原作にない人物でもいい。それとも、捨丸がそれだというのだろうか? それはヴァーチャルすぎるだろう。
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母性―かぐや姫の物語(3)

2019-01-26 14:17:15 | 無いアタマを絞る
 「竹取」では、媼はほとんど何の役目もしていない。
 翁が姫を家に持ち帰って、「妻の媼にあずけて養なわせる」とあり、あべの右大臣が皮衣を持ってきた時に「『今度はきっと姫が結婚を承諾するだろう』と媼も考えた」、とある。いちばん詳しく出て来るのは、御門の使者の来訪の場面だ。ここは媼が使者に応対し、姫に取り次ぎ、 姫の拒否を聞いて「『自分のお腹を痛めた子のように思っているのに、なんてそっけない』と思うけれど、強制もできないのでそのまま使者に伝える。あとは、天人たちが来る時に「かぐや姫を抱いて納戸に隠れた」とあり、納戸がひとりでに開いて姫が出た時、「止めようがないので仰ぎ見て泣いた」とあるだけだ。
 「かぐや姫の物語」の媼は、はるかに重要な働きをする。姫を育て、悲しむ彼女を繰り返し繰り返しそっと抱いて慰めてやり、心の拠りどころになり、一緒に喜んだり悲しんだりし、姫の心がわからない夫を非難したりする。
 ここは、アニメが「竹取」と大きく異なるもうひとつの点だ。全編を通して、姫がこの地上で生きてゆくのに不可欠な母性の役割を媼は務めきる。
 もう少し詳しく見て見よう。
 そのことが一番よく示されているのが、初めの部分だ。彼女は、「育てるのは私です」「この子は私に育ててもらいたいのですよ」と翁に宣言し、あまつさえ、育てるために体さえ変化してお乳が出るようになる! 
 都に出てからは、心に沿わない生活を強いられる姫に機織りや糸紬ぎなど、昔からの女たちの、ある意味心の休まる手仕事を教え、「自分が貴公子たちを死なせたり不幸にしたりした」と嘆き悔やむ姫を「あなたのせいではありませんよ」と抱いて慰める。御門から求婚があったと有頂天になる夫には、「いい加減にしてくださいな、あなた」「あなたにはまだわからないのですか、姫の気持ちが」と非難する。ここはこの物語で唯一、媼が厳しい表情を見せるところでもある。
 また、姫が、月の世界に帰らなければならぬ、と告白することができないまま苦しむ場面では、姫を抱いて、「わたしにも打ち明けられないことなの?」とやさしく問う。これは、自分ならわかってあげられるはず、という信念がなければできないことだ。そう促されて初めて、姫は自分の運命を打ち明け始める。
 翁が姫を奪われないための手立てをはじめ、姫は悲しみに沈むときに、媼は姫に糸の輪を手渡し、自分はしずかに歌いながらその糸を巻き始める。これはぼくたちの年代ならたいていの人は母や祖母とやったことがあると思う、懐かしい行為だ。二人でなければできない、心通い合う、心休まる行為だ。
 さらに、「もう一度帰りたい」という姫の叫びを聞いて、媼はひそかに車を準備させる。姫が子供の頃を楽しく遊び暮らした、あの野山に帰らせるために。
 そのつどそのつど、我が子が苦しみ悩むときに、どうすれば最善かを、母性はちゃんと知っている。
 …それにもかかわらず、媼の母性は結局は報われない。姫はその宿命から逃れられず、翁と媼のもとを去ってゆく。
 これは、報われることのない母性の物語でもある。
 去らねばならぬ人の悲しみと、慈しみ育てた対象に去られてしまう人の悲しみ。
 …ここで身も蓋もないことをひとつ書く。 
 現代では、かぐや姫の物語は、この世界に生きにくさを感じて苦しむ多感な少女が、けっきょくはそこから完全に逃避してしまう、あるいは自らの人生を終わらせてしまう、そのアレゴリーの物語かもしれない。
 当人の苦しみは例えようもなく深いが、残されたものの悲しみも同じように深い。
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ジェンダー、生きにくさ―かぐや姫の物語(2)

2019-01-24 13:13:55 | 無いアタマを絞る
 姫の都での生活は、押しつけとそれに対する反抗から始まる。翁は、「都に上がって高貴の姫君となり、貴公子に見初められることこそが姫の幸せ」と信じ切っており、彼としては良かれと思って姫に押し付けることが姫を苦しめる。翁の考えは平安朝時代の貴族社会が持っていた女性の幸せについての固定観念の受け売りだ。固定観念の押し付けが強固であるほど、それを受け入れられない女性は苦しむことになる。
 躾と教養を教える係として雇われた女性「相模」も、「高貴の姫君は~するものではありません」と繰り返す。口を開けて笑ってはいけない。走ってはいけない。汗をかくようなはしたない真似はいけない…これは翁よりもっと具体的に、ジェンダー(社会的文化的な性差、男女の役割の差別)・バイアスとして、姫の生き方・行動・感じ方までを縛ろうとするものだ。
 姫は走り、笑い、圧力に対しては反抗し、怒る。そして一方で、媼と一緒に糸を紡いだり機を織ったりという、高貴な女のすることでない、女の昔からの日常的な営みに安らぎを得ようとする。
 彼女が断固拒否しようとするのが、眉を抜くことと鉄漿(おはぐろ)をつけることだ。彼女は、「高貴な姫君だって汗をかくし、時にはげらげら笑いたいことだってあるはずよ」「涙が止まらないことだって、怒鳴りたくなることだってあるわ」と言う。高貴な姫君について言ってはいるが、じつは男とか女とか、高貴とか庶民とかにかかわらず、人間ならば誰しもに共通な人間性の主張だ。人は感情を殺しては生きられないという主張だ。
 この、ひと続きに言われる前半と後半の語尾の差は重要だ。前半の「あるはずよ」は一般的な想像として言っている。後半の「あるわ」は、姫自身のこと、心の叫びだ。
 このあと、相模の「高貴の姫君はそんなことはしない」という言葉にたいして、「高貴の姫君は人間ではないのね」と叫ぶ。
 女だからという理由で時に非人間的な生き方を押し付けられる、あるいは、男性社会の価値観に服従・屈服させられて生きることの理不尽さ。それは、平安朝だけでなく、現代でもぼくらの周りにいたるところにあることだ。とくにこの国には(日本は、男女間格差の是正について、世界で最も遅れた国のひとつなのだそうだ)。
 「竹取」には、こういう場面は全く出てこない。「竹取」の姫は自分の境遇を受け入れているようだ。これは一昨日書いたことに並んで、「竹取」とアニメの最も違うところだ。
 「かぐや姫の物語」は、ここに光を当てることで、フェミニズムをテーマにした物語、単なるおとぎ話でなくきわめて現代的な物語でもある。

 この後に、5人の貴公子の求婚の話が来る。
 ここは「竹取」では全体の半分以上を占め、しかも5人のそれぞれには実在の人物を思わせる名をつけており、貴族の男たちの失敗とその滑稽さが作者の最も描きたかったところかもしれないのだが、アニメの方は上記のフェミニズムの視点を補い、裏打ちする部分と理解することができる。
 五人の貴公子のうち、「竹取」といちばん違うのは石つくりの皇子だ。原作ではいちばん初めに、いちばん軽く、どうでもいいように扱われている。
 アニメでは4番目に登場する。先の3人が金にまかせて、あるいは武力にまかせて目的を達しようとするのに、彼は言葉で篭絡しようとする。いちばんイケメンでもあり、プレイボーイでもあり、甘言に巧みだ。姫は一瞬その甘言に惑わされそうになる(「一緒に逃げましょう、ここではないどこかへ。花咲き乱れ、鳥が歌う、緑豊かな地へ」という言葉に惹かれたのだろう)が、媼の機転によって危機を脱する。
 フェミニズムの観点からは、ここは女性に自覚を促す部分だ。権力や財産の圧力は跳ね返せても、それだけではまだ危うい。女性が男性社会で従属的でなく自律的に生きるためには、かしこくなければならない。
 この後、5人目のいそのかみの中納言の死の知らせが届く。ここに至って姫は、初めて激しく自分の生き方を反省することになる、「みんな不幸になった。私のせいで。偽物の私のせいで。こんなことになるなんて思ってもみなかった」と。
 …生きづらさを感じている人は時に、「“ここではないどこか”に、自分がもっと幸福に生きられる場所がある」と考えてしまう。このように生きている自分というものを否定したくなってしまう。あるいは逆に、この世界が間違っていて、自分はこんな世界に苦しみながら生きていくような存在ではない、と思ってしまう。貴種流離感もここから始まる。
 ぼくもかつて、そのように思っていたことがある。でもいまでは、それは正しくないと思う。
 生き方を変えることはできる。住む場所を変えることもできる。社会をより良いものにしようと努めることはできる。それでも自分の境遇はなかなか変わらないだろう。でも、今のこの生とは別の生があるわけではない。ぼくたちはこの生のうちで、心を閉ざさないで、より良い生き方を考えながら生き続けていくしかない。喜びも悲しみも、ここにしかない。
 もしかしたらかぐや姫はこの時に、月の世界を呼び込んでしまったのかもしれない。
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流離―「かぐや姫の物語」(1)

2019-01-22 21:49:09 | 無いアタマを絞る
 この間から気になっていたので、ジブリのアニメ「かぐや姫の物語」のⅮⅤⅮを借りてきて見直してみた。あらためて心に沁みた。少し泣いてしまった。どうもぼくは、かぐや姫には思い入れが強すぎるようだ。
 何回かに分けて、思うことを書いておきたい。

 日本文学の古典「竹取物語」といちばん大きく異なる点は、アニメでは姫の都に出るまでの成長の過程、赤ちゃん時代、野山で木地師の子供たちと遊びまわる時代、を詳しく(およそ30分に渡って)情感豊かに描いていることだろう。ここがアニメの物語の肝でもある(「竹取」では「3か月で成人ほどの大きさになった」としか書かれていない)。
 ここがあることによって、翁と媼の姫に対する情愛も十分に描かれる(たとえば媼は、姫を育てるために乳さえ出るようになる)し、野山で思い切り笑い、遊びまわる姫の幸福感も十分に描かれる。ここがあるからこそ、都に出てからの姫の悲しみが胸を打つものになる。ここはまた、自然が美しい。季節が美しい。
 梅が咲き、鶯が鳴き、椿、タンポポが咲き、蝶が羽化し、コブシ、藤、ツツジが咲き、鳥が雛を育て、タケノコが育ち、ウリ坊(イノシシの赤ちゃん)が親のあとを走り、露草、アザミが咲き、梅の実が実り、ヤマセミが魚を捕り、セミが鳴き、ウリが実り、秋の虫が鳴き、満月が冴え、アケビが熟れ、枯葉が落ち、ヤマブドウが熟し、キジが飛び、キノコが採れる。アニメならではの美しい自然が移り行く中で、幼い子供であるかぐや姫は五感の全部で感じ、仲間を得、成長してゆく。
 「竹取」のかぐや姫は月に帰らなければならないと知るまでは悲しみを知らない。石上の中納言が死んだと聞いた時にわずかにあわれと感じるだけだ。情感は薄い人ではないかと思えてしまう。
 「竹取」は、いわゆる「貴種流離譚」で、これは古今東西の羽衣伝説、御伽草紙の「鉢かつぎ」、アンデルセンの「野の白鳥」や「人魚姫」、「みにくいアヒルの子」…などなど世界中に流布する、この世を生きる人間の生きるゆえの悲しみを表現した説話だが、アニメの「かぐや姫の物語」では、姫は二重の流離を生きなければならない。
 ひとつは月の世界から地上への流離だが、それ以前に、豊かな自然の中での何の曇りもない生活、仲間、子供の時の完全な幸福感からの流離。彼女が都に上がって、成人してまず味わうのはこの流離感だ。
 都で暮らすようになっても、男である翁は、そういう気持ちを全く感じていない。媼は、夫には黙って従うものの、屋敷の奥に小さな庭を持ち、土間を持ち、糸を紡いで機を織って、かつての暮らしを忘れないようにしている。姫はその庭に鳥や虫を見つけ、ミニチュアの自然をこしらえたりするが、それだけでは心を満たすことができない。
 だから、翁が貴人たちを招いて催したお披露目の宴の途中で癇癪を起こし、発作的に田舎に帰る(夢を見る)が、そこに見出すのは、かつての家には別の人が住み、懐かしい人たちは立ち去った後の、冬枯れの自然だ。   
 かつてそこで梅の咲く頃からキノコの実るまでの季節(その間に彼女は赤ちゃんから少女までを経験した)だけを過ごした彼女は、炭焼きに教えられるまで、春が再びめぐりくることすら知らない。そして、今はすべてが枯れてしまった季節だと知った時、失意のまま、都に帰って行き、いったんはそこでの生活を受け入れようとする。
 都での生活、季節など意に介さない人たちの中での生活自体が、流離だ。ここで思う。彼女の流離の悲しみがぼくたちの心を打つのは、それがぼくたち自身も知っていたはずの感情、あるいは、ぼくたちの心のどこかに無意識のうちに引っかかる感情だからではないかと。
 現代の都会に住むぼくたち、貴種ではないぼくたちも、自分をはぐくむ基盤であるはずの自然から離れ、幼年期の全的な充足感・幸福感から離れ、姫と同じに流離を生きているのではないかと。  
 彼女の悲しみは、それを感じる心さえあれば、ぼくたちの悲しみでもあるのではないかと。
 この物語はここで、ぼくがこのブログでたびたび書いていること(そこにこだわりすぎているかもしれないこと)とぴったり一致するのだ。
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騒ぎから遠くに

2018-12-31 22:48:19 | 無いアタマを絞る
 20年以上も前から1年に1回大晦日に会ってお酒を飲む相手がいたのだが、今年は会わないので淋しい。彼女は今夜はどうしているのだろうか。
 ぼくは紅白歌合戦を見る習慣もないわけだし、だいいち、(居間に行くと家族が見ているので耳に入るのだが)あの騒ぎが、盛り上がろう盛り上がろうとしているわざとらしさが、好きではない。
 ぼくはお祭りが嫌いだ。とくに神輿担ぎが嫌いだ。スポーツ観戦の熱狂も嫌いだ。人混みが、群れが嫌いだ。
 そういうのがニガ手だというのはぼくの性格だから仕方がないのだが。
 ヒトが、生き物の一種として、求めずにはいられないものは安心感だろう。自分がある集団に所属しているという安心感。そこに所属してさえいれば危険は少なく、食べ物も安定して得ることができ、しかも自分の命がその群れの一員としてずっと過去からずっと未来につづいていく流れの中にある、という安心感。
 「承認欲求」という言葉が現代ではしばしば話題になるし、実際いろいろな問題を引き起こしている。心理学では、「承認欲求は人間にとって最も基本的な欲求であって、これが満たされなければ生きていけない」ともいわれるのだが、これは本当はすべての生物の持つ安心欲求の一部なのではないだろうか。人間は、特に現代人は、その一部が肥大化しているのだ。
 家族の中にいる、村落共同体の中にいる、終身雇用の会社組織の中にいる安心感。そういうものを次々にないがしろにして空洞化しまうのと並行して、現代人はスタジアムの熱狂する観客の中の一人、祭りの日だけの神輿の担ぎ手の一人、大晦日やハロウィンの渋谷の雑踏の中の一人、自撮りのアップに熱中するネット空間の中の一人…という、一時的な群れの中に自分を見つけたがる。
 基本的な安心が感じられないから、人は他者に認めてもらいたい気持ちがより強くなる。「ここにいてもいいんだよ」と言ってもらいたなる。一時的な一体感を得たくなる。
 その時その時はそれで満たされたように感じても、ほんとうに持続的な安定的な安心感が持てない限り、欲求は果てしなく続き、かつエスカレートする。
 熱狂の中に自分の居場所を見つけようとするのは、ほどほどにした方が良いと思う。さもないと、いつかぼくたちはとんでもないところにいる自分に気づくことになるのかもしれない。集団の中の安心感を得るために、人は時には個であることを捨てさえしてしまうこともあるのだと、歴史は教えてくれている。
 ひとりで歩くのは好きだ。ときには友人と静かに酒を飲むのも好きだ。個であるぼくと相手との間に流れるおだやかな時間が好きだ。一体感はなくても良い。
 それでは皆さん、良いお年を。
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四方津の少年・補足

2018-12-25 22:05:17 | 無いアタマを絞る
 長い間、ぼくにとって男性性・女性性は、命がけの大きな問題だった(セクシュアリティーでなく、ジェンダーの問題。念のため)。歳をとって、それはもう自分に関してはどうでもよい事柄になってしまったが、若い人が、特に子供が、ぼくのように苦しんだり試行錯誤したりをできることならしないで生きられたらいいな、と願っている。そのことに人生のエネルギーを食われるよりは、他のことに注いだ方がいい。人は成長する過程で、社会の中で生きていく過程で、いずれにせよ悩み苦しむものだが、そのことではなく別のことで苦しんだ方がいい。
 四方津の少年は、その表情や口調から推測するのだが、自然に、迷いや引け目を感じることなく、女性的なファッションや髪形をしているところにぼくは共感した。  
 スペインの少年と違うところは、向こうは男性・女性に分化する前の単に子供としてのナチュラルであり、四方津の少年は選択的・意志的なナチュラルなのだ
 彼は、自分のファッションが、見た目が、女の子のようであることに気づいていないはずはない。そういうファッションが好きで、選択的にそうしている。そして、そのことで親や学校や周囲とぶつかってはいない。周りの子供たちや大人たちが彼のそういう選択を認めている。それは、彼の態度が、違和を感じさせない気持ち良いものだからだろう。
 トランスジェンダーの子供たちの多くが苦しむ苦しみを彼は背負っていない。彼の、もう一人の少年との接し方、話し方は、ぼくにそう思わせる。これは、すごく幸せなことだ。そしてそれは、通りすがりのぼくをも幸せな気分にする。
 ついでだが、「LGBT」の言葉にはぼくはかなり抵抗がある。それについては、別に書く。
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