すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

立春大吉

2024-02-04 09:47:16 | 近況報告

おいぼれというのはけちなものだ
棒切れに引っかけたぼろ上衣そっくりだ
もしも魂が手を叩いて歌うのでなければ
肉の衣が裂けるたびになお声高く歌うのでなければ
     私の詞華集㊵ W.B.イエイツ「ビザンティウムへの
        船出」より.高松雄一訳
    立 春 大 吉
 高校のころ嵌っていたアイルランドの詩人イエイツに最近また嵌っています。当時は初期の抒情詩だけだったのですが、今は中期の独立運動に関する詩や晩年の詩に共感しています。
 耳が悪くなって歌は断念したぼくの魂が歌うにはどうしたら良いか?
 今のところ、魂が歌い始める場所の幾つかは、遥かに谷を見下ろす稜線の道。山頂の風の中。広い芝生。波打ち際。あるいはこうした場所で友人とたまにする対話(このごろますます一人で歩くことが多くなったけれど)。あとは何冊かの本の中。
 しかし自分の魂だけが歌うので良いのか? 人間社会は、破局に向かっている。いたる所に混乱と破壊と嘆きと絶望が始まっている。それを見ないふりはできない。ただ息を詰めて見つめているだけで良いのか? ぼろ上衣にも何かできることはないのか?
 一人で歩いていて繰り返し心に浮かぶこの問いに答える術がありません。
 「ああ誰か来てわたくしに云へ()明るい世界はかならず来ると」賢治がそう書いてからほぼ100年。私達は明るい世界を実現することはできるか? 人類は、地球はそれまで持ちこたえるか? ぼくはそれまでは待てないけれど、希望だけは捨てないでいいのか?
 皆様方のこの一年のご健康とご多幸をお祈りいたします。

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ぼくはまだ生きていて元気です

2023-04-28 09:15:49 | 近況報告

 複数の友人が、「『悟さんはこの頃ブログを更新しないけど、どうしたのだろう? 具合が悪いのだろうか? もしかして亡くなったのではないか?』と人に訊かれた」と言います。心配してくれる人がいるというのはありがたいことです。ぼくは老化は進んでいるものの悪いところはないし、足腰が弱くなったけどハイキングも行っています。この夏は、コロナでここ数年行かれなかった北アルプスに行きたいと思っています。
 ブログを(したがって、それをコピーしただけのFBも)書かなくなったのは、視力が落ちてきてパソコンの画面を見るのがシンドくなったこと、文章を書くのがめんどくさくなってきたこと、かな? なんせぼくは頭の回転が遅いので手間がかかるのです。こんな文章でもワードで下書きをしたものを紙にプリントアウトして、鉛筆で手直ししてまたワードで清書しなければならない。少しややこしい文章だと二度も三度も。

   まあ、今は気力が落ちて社会への関心が弱くなっている、ということもありますね。毎日のように異常気象だの水害だの山火事だの戦争だののニュースに接していると、この滅びゆく社会を直視するのがシンドい、ということもある。
 またそのうちこの状態を抜け出したら書く気になるかもしれません。

 ところで、ここから別の話。先日、古いノートを探すために段ボール箱を漁っていたら、モノクロの写真が出てきた。自分では懐かしいので披露してみる。
 1は中学生時代。おかしな顔、というか、ファニー・フェイスだね。ぼくはおばあちゃん子だったが、ある日二階から階段を降り始めたら、障子の向こうで祖母が誰かと話している声が聞こた。「次男は男前だけど、長男(ぼく)はねえ・・・かわいそうに」。ぼくはそっとまた階段を登り返した。でもこの表情は、アルカイックスマイルに見えなくもない。ぼくは世界が滅びるのを見届ける役割になるのかも。
 2は初めてアフリカに行った時。ゴリラの撮影隊の通訳兼助手(雑用係)としてコンゴ民主共和国(当時は、ザイール)に滞在した途中、いつ撮ったものかわからないが、ジャングルのそばにEUの紅茶のプランテーションがあって、根拠地として借りていた家の室内? かなり疲れた顔をしているけど、削ぎ落したような感じもあって、本人はこの写真は好きだ。遺影にはこれを使ってもらおうと思う。
 3は「詩学」という雑誌の新人紹介として何人かの詩と短いエッセイと写真が載った時のもの。その雑誌の切り抜きが残っていて、オリジナルは探したけど見つからなかった。粒子が荒いのは切り抜きのコピーだから。自分で言うのもなんだけど、いい表情だよね。オリジナルが見つかったら、こっちが遺影かな?

 2 

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8月中書かなかったブログ

2022-09-06 10:13:47 | 近況報告

 数日前の夜、友人Aから久しぶりの電話がかかってきた。ぼくが7月26日を最後にひと月以上ブログの記事を書いていないので、奥さんと二人、「どうしたんだろう? 病気でもしているんだろうか?」と心配して電話をくれたのだそうだ。あらためて、友達というのはありがたいものだ。
 ぼくらの年代になると久しぶりの電話と言えば、「その後体調はどう?」「うーん、あっちは良くなったがこっちは悪くなった」「体力はどんどん落ちてるね」「友人Bはどこが悪くてCはどこが悪いらしい」という話になるのだが、幸いAもぼくも、まあそこそこ苦労しながらも夏を乗り切ったようだ。秋になったらまた会おう、と約束した。
 ここ数年、夏になると「この夏は無事乗り切れるだろうか?」と思い、冬になると「この冬は・・・」と思う。だが今年の夏は特に厳しかった。体調が、ということではない。
 戦争、水害、山火事、旱魃、食糧危機・・・猛暑に加えて、世界は苦しみに満ち、TVも新聞も暗い報道に満ちていた。暑いから外出せずにそういうニュースを見続けていると、どんどん気持ちが落ち込んで閉塞感に押しつぶされそうになる。
 それで、ぼくはブログを書く気になれなかった(むろん、無気力なのは世界のせいだけではなくて、ぼく自身の問題であるのだが)。
 ぼくはブログに、原則として、何処に出かけて誰と会って、何を食べた、と言うような記事を書かない。その時自分が何をどう感じ、どう考えたか、を忘れないために、文字として残しておきたいから書く。ただでさえも日常考えることの暗い傾向にあるぼくが、この8月に記事を書いたら、暗い暗い、底無しに暗いものになっていただろう。
 だが、Aからの電話の翌日、気を取り直して「背の高い娘」を書いた(決して明るくはないが)。
 これから、気を取り直して、暗いものを躊躇わずに書くことにしよう。
 暗いものを書く人間がいることは必要だ。世界は現実に苦しみに満ちているのに、なるべくそちらは見ないようにして生きて行こうとする人が多いのだから。そして実は、そういう人だって大きなストレスは受けているのだから。
 ただまあ、苦しみに満ちた世界の中で、問題解決の希望の糸がいくらかでも辿れないか、を考えることも必要だ。
 すこしはものを考えやすい季節になりそうだし、ぼくも無気力にばかり陥っていないで、もう一度考えることにしよう。
 現代文明は、これまでに滅びた幾多の文明と同じく、滅びることは免れないと思うが、滅びる過程がなるべく悲惨なものにならないよう、考えることは必要だ。

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試し歩き

2021-10-12 21:12:56 | 近況報告

 目眩がやや収まってきて、何とか歩けそうなので、山歩きの友人を誘って栄区の「横浜自然観察の森」に試し歩きに行ってきた(昨日)。
 大船駅で待ち合わせ。緑ヶ丘住宅までバスで行って、いつもはここから瀬上池に下って尾根に登り返すのだが、この登り返しが急登なので今回はパス。馬の背の尾根を直接登って円海山から鎌倉の天園に向かうハイキングコースに出る。ほとんど平らな道。もう落ち葉を踏みながらの陽だまり散歩は気持ちが良い。左側は大岡川の源流になっている深い森で、右側は眼下に迫る住宅街の向こうに箱根の山並み。その向こうにやや霞んで富士山。足もとには白菊が咲き乱れる。縦走路を逸れて階段道を急登して、横浜市の最高峰、大丸山157m。ゆっくり歩いてここまででちょうど一時間。
 眼下に八景島と海を見下ろす、気持ちの良い草地。空は真っ青。日陰にテントシートを敷いてここでお昼。おにぎりと、紅茶にウイスキーを数滴。この頃ぼくはすっかり紅茶党だ。フランス流の濃いコーヒーばかりだったのだが、これも体調の変わり目だろうか。
 歩くのは何とか大丈夫そうだ。まっすぐ前方になら歩ける。用心のためストックを突いているが、上下左右後方を見るときにだけいったん立ち止まって、また正面に向き直ってから足を出せば、千鳥足にはならないようだ。厄介なことだが、しばらくはこんな感じかもしれない。山道が何とか歩けるのはうれしい。
 一時間ほど休んでまた歩く。天園に行く縦走路と別れて右に下れば、自然観察の森。こちらは鼬(いたち)川の源流域で、雑木林の森や原っぱや野鳥の観察舎やホタルの生息する湿地など、自然観察が楽しめるように整備してある。自然観察センターや宿泊施設もあり、以前に男声合唱の合宿に来たことがある(飲み会に終わったが)。広々とのんびりしたまことに良いところだ。こんなところが家の近くにあったら良いのだが、残念ながら高尾山に行くよりもやや遠い。
 草地はセイタカアワダチソウの大群落。沢沿いにはツリフネソウの鮮やかな赤いシャンデリア。ゆっくり下ってバス停まで約1時間。今日の足慣らしはわずか歩行2時間で終了。物足りない気持ちもあるが、試し歩きとしては上々。
 今年は4月の手術のあと徐々に体を作ってきたつもりだったが、せっかくコロナ感染が下火になったと思ったら、また一から作り直しだ。焦っても仕方がないから、ぼちぼちやるさ。
 大船の駅のバスセンターの前の新しいビルでケーキセットで話をした。これも久しぶりのことだ。
 ついでに書くと、ぼくの目眩は検査の結果、重大な問題やこれからずっと、というような問題ではなく、あと一か月ぐらいすれば治るでしょうとのことだ。
 もう山登りには行かれないのだろうか、と心配だったのだが、そうではないそうで、ほっとしている。お医者様も山好きらしく、「いきなり槍ヶ岳とか行かないで、高尾山から始めてくださいね」と楽しそうに言っていた。

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冴えない話

2021-09-25 11:05:26 | 近況報告

 緊急事態宣言が解除されそうだ。
 これから山は紅葉の季節だ。

 一週間ほど前からなぜか目まいがして足元がふらつき、歩くと千鳥足のようになる。あくびがとめどなく出て、それに伴って胸がむかついている。
 一昨日、少し収まったような気がして「山を歩いてみよう」と思い、高尾山口の駅まで行ったのだが、駅の階段を降りるのに手摺りつかまらねば降りられず、やっと改札口を出たところで断念して引き返した。京王線の電車の出発を待つ間、緑の山を見ていたら無念の涙が出てしまった。

 かかりつけ医に行ったら、「取り合えず目まいの薬を出しておくから、頸動脈の手術をした脳神経外科に相談するように」と言われた。10月7日が3か月検診だったのだが、一週間繰り上げて9月30日に診てもらうことにした(担当の先生の診察日が木曜だけなので)。そこから検査とかいろいろあると考えると、ほぼ、年内は高い山・瘦せ尾根や岩場のあるところは行けないと思われる。林道歩きがせいぜいだろう。

 昨年は10月に那須連峰と山形の朝日連峰のふもと周辺で紅葉を楽しんだのだが、そして今年は緊急事態が明けたら谷川岳と鬼怒沼湿原と金峰山と・・・と夢が広がっていたのだが、どうやらすべて不可能のようだ。
 来年、体調が良くなってまた山に行けるようになることを祈っている。

 昔からの仲間で、ぼくより遥かに体力も経験も山のノウハウも自然の知識もある友人がここ数年、不整脈で苦しんでいる。9月初めに手術のためにこちらに出てきたので会ったのだが、一緒にそこらを歩いていて、「気の毒だなあ。ぼくも4月に手術を受けたが順調に治ったようなので、彼も早く治ると良いな」ぐらいに思っていた。人は、他人の無念さにはなかなか気付けない、ということに今回改めて気付いた気がした。情けないことに。

 出かけられないので、山の本を読みまくっている。岩稜歩きのあと温泉のハシゴ…夢が広がるというよりは、妄想が膨らむ。

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英連邦墓地

2021-09-04 14:15:54 | 近況報告

 友人と久しぶりにランチを共にして(上野毛の「神戸屋レストラン」、落ち着いていて明るくて良い店だ。美味しいパンは食べ放題だし)、「車でどこかに行こうか」というので、ぼくの大好きな場所、保土谷の英連邦墓地に誘った。第三京浜に乗ればすぐだ。
 あそこは、舞岡の谷戸と並んで横浜でぼくの最も好きな場所だ。そして、ここよりも美しい静かなたたずまいの墓地は日本には無いのではないかと思われる(あったら教えてほしい)。
 山手の外人墓地とは違う。あそこはお墓がごちゃごちゃとあって、観光客がたくさんいて、また行こうという気にはなれない場所だ。英連邦墓地は時々訪れたくなる。心を静けさでいっぱいにするために。
 ぼくが描写するより、写真を見てほしい。ぼくには墓標の傍らの赤いバラの一株の美しささえ書き表す力はない。

 

 (写真は7月初めのもの。いまは薔薇はやや枯れている。)

 主に第二次大戦の時に日本で亡くなったイギリス連邦軍の兵士が埋葬されている。といっても、ほとんどは戦闘ではなく捕虜収容所で亡くなったものらしい。
 入ってすぐに一番広い墓所。その奥とその右手に少し離れて2つずつ小さめの墓所。出身地域によって分かれているようだ。すぐ東を横横道路が通っているのだが、周囲の森に音が吸収されるのかほとんど気にならない。まるで別世界のようだ。芝生は普段から手入れが行き届いているが、昨日は雨に濡れていっそうみずみずしく美しかった。
 墓石の金属板には、階級、氏名、所属部隊名、死亡時の年齢と、部隊のシンボルと思われる紋章が刻まれている。主に20代前半。いちばん若いものは19歳。
 一番下に、すべてにではないが、死者に手向けた遺族の言葉。そのうちの一つだけを紹介する。初めて来たときは、これらの言葉を読んでいるうちに思わず泣いてしまった。

 A BEAUTIFUL STAR SHINES OVER THE GRAVE OF ONE WE LOVED BUT COULD NOT SAVE. 

 いつもここに来るとフォスター美しい四重唱曲「わが恋人の眠るところに」が心の中で鳴るのだが、昨日はなぜかアズナブールの「青春という宝」が鳴っていた、友人はアイルランド民謡の「ダニー・ボーイ」が鳴っていたようだ。「また、四季折々に来たいね」と言っていた。

 この場所については長い長い文章がが書けそうな気がするが、センチメンタルになるからやめておこう。

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からたちの花

2021-04-18 20:12:52 | 近況報告

通りがかりの女性二人が「何かしらねえ?」と言っているから、「カラタチですよ」と言ったら、「ああ、歌にあったわねえ。島倉千代子の」。ぼくもお千代さん嫌いじゃないけど(少なくとも美空ひばりよりは)、日本歌曲の方も思い出してほしいなあ。

舞岡公園・中の丸広場。ここでお弁当を食べるのが好きだが、週末は先客がいることが多い。

ナガミヒナゲシ:ケシの仲間。アヘンの原料にはならないが、農地に広がっている要注意帰化植物。

 

 …なんか、なかなか調子が出ませんねえ。と言っても、まだ退院8日目だが、5日目ぐらいまでの方が調子が良かった。その感じだと今頃はハイキング再開、かと思ったのだが、けっこう体力は落ちているかもしれない。5000歩ぐらい歩くと息が上がってどこかで休みたくなる。で、うちに帰ってきてひと眠りしてまた出かける。家族に、「なんか、歩いちゃ寝ちゃの繰り返しだね」と言われた。寝続けているよりはましだと思うことにしよう。
 左脳に行く血液は今までよりぐんと増えている(断面積でいえば3倍になった)はずなのに、ものを考えるのがかったるい。食欲は大いにあるから、食べて歩いて寝て、体が慣れたら考えられるようになることと思おう。

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病室

2021-04-12 17:21:13 | 近況報告

 一昨日、無事退院いたしました。たいへん順調、とのことです。ドクターに、「普段鍛えている人は回復も早いですね」と言われました。鍛えているどころか、時々山登りに行くだけで、普段ぐうたらしているのですが、ぼくの場合、大病をしたというわけではなく、予防的な手術なので、回復も早いのだろうと思います。
 それでも、きのうは近所の公園に行って5000歩ほど歩いたら、目が回るほど草臥れました。まあ、ぼちぼち体調アップです。

    病 室

花が散る
ガラス窓のさざ波の向こうを
一枚の花片が
屈折した幾つもの光の反映となって
明るい午後を落ちて行く

花が散る
見えない空のどこかから
ステンドグラスの聖者伝の向こうを
一枚の花片が
次々に幾つもの色に染まりながら
舞い上がり 翻り 落ちて行く

花が散る
数知れぬ花片の数知れぬ光の反映と
色の移ろい
揺らめきながら通っていく人も
歪んだ屋根も壁もしだいに
降りしきる花片のうしろに消えてゆく

屋根も壁も人も 空も
外の世界全体が
ひび割れ崩れ 数知れぬ花片となって
降り始める

降りしきる海雪(マリンスノウ)の中を
窓は冷え冷えと
音のない深海へ沈んでゆく

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頭の血の巡り

2021-02-21 13:15:26 | 近況報告

 脳の血管の状態の検査に、一泊で行ってきた。
 長年の不摂生で頸動脈にこびりついたプラーク(血管壁内のコレステロールの塊)の除去手術を受けなければならないのだが、これを除去すると血管の断面積が急に3倍になる(じつは正常に戻るだけなのだが)ので、血流が急に増えることになる。脳内の血管が脆くなっていると破れて脳内がじゃぶじゃぶになるので、そういう危険性がないかどうか調べる検査。
 血管を拡張させる放射性物質を静脈注射して写真を撮るのだが、それ自体危険が全くないわけではないので、検査のあと一泊して経過観察、というわけ。
 結果としては問題なし。血管の弾力は十分。手術 OK、でした。
 先日、心臓のCT検査を受けたときも、「血流の状態・冠動脈の状態ともに全く問題なく、頸動脈に問題のある人で心臓がこんなにきれいな人はむしろ珍しい」と言われたから、今回も同じようなことだろう。
 ならばどうして頸動脈だけ汚れが溜まったのだろうな? ぼくは心がきれいでも頭のなかがきれいでもないのにな。
 手術を受けたら血の巡りが良くなってもう少し頭が良くなるといいな。なんせぼくはものすごく血の巡りが遅いので。
 でも、元に戻るだけだから、物忘れが減るぐらいかもしれないな。

 病棟は清潔で静かで看護師さんも懇切丁寧で居心地は良かった。3:30頃検査が終了した後の体調も悪くなく、のんびり時間を過ごした。
 昨年暮れに読んだ斎藤幸平の「人新世の『資本論』」を読み直した。易しく書いてある本だが、ぼくは繰り返し読まないと頭に入らないので。
 これは今、ぼくに限らず誰もが繰り返し読むべき本だと思う(新書大賞を先日受賞した)。

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舞岡・リハビリ

2020-11-19 19:54:42 | 近況報告

 舞岡八幡の裏から尾根の遊歩道に上がるほんの数分だけですでに息切れがした。林試の森を別にすれば、ほぼ3週間ぶりの散策だ。中央沿線の山に行こうかと迷ったのだが、舞岡にしておいてよかった。体がすっかりなまっている。ここは尾根に出てしまえば、ほぼ平らだ。ゆっくりと、再び山道を歩けることの嬉しさをかみしめながら歩く。大げさなようだが、もう10年もすればたびたびこんな感じになるのかもしれない。
 1時間足らずで、気持ちの良い開けた草地、「中丸の丘」につく。ここでお昼ご飯、と思っていたのだが、テーブルのあるベンチは先客がいるし、まだ10時なので、もう少し歩くことにする。下ったところは、舞岡谷戸の入り口に近い、懐かしいぼくらの昔の田んぼの跡だ。(前に何度か書いているので、ここは省略。19/04/10,20/05/27)


 左側が田んぼになった緩い上り道を進み、谷戸の一番奥まで行き、別の道を通って池まで下る。左手の急斜面は昔、雪の降った翌朝に何度か、子供たちを誘って遊びに来て、段ボールをソリ代わりに夢中で滑った。ここも懐かしい思い出の場所だが、うっそうとした茂みに戻って、今は立ち入り禁止になっている。
 

同じ道を登り返し、見事な紅葉のモミジの広場を通って「ばらの丸の丘」に。ここは昔…


 …感傷にふけるのはやめよう(懐かしい場所に来るとつい、三好達治の詩「艸千里濱」の一節を思い出してしまう)。ここのテーブルで崎陽軒の「横浜チャーハン」を食べ、電話で友達を戸塚駅に呼び出すことにする。
 子供たちが「おべんとうの木」と名付けたミズキの大木の横を通り帰りかけたら、向こうから大きな声で歌を歌いながら来るおじさんに出会った。「いい声ですねえ」と声を掛けたら、話が弾んだ。86歳。横浜市のカラオケ大会で3位入賞したのだそうだ。ちなみに1位と2位は音大出の若い女性とのこと。家で歌うとうるさがられるからここに来るのらしい。「ここは富士山も見えるんだよ」という話から、「富士山見たら」を一緒に歌った。(「ちょっとメロディーが違うんじゃないか?」と思ったが、家に帰って楽譜を見たら違っていたのはぼくの方だった。)
 通りがかりの二人連れのご婦人が「いい声ですねえ」と立ち止まったので、すっかりうれしくなったらしく「サンタルチア」を歌い始めたおじさんをお任せしてぼくは帰った。
 戸塚のカフェで友人と話すこと2時間半、地球温暖化やエネルギー問題や貧困や疫病やアメリカや日本の政治や…議論しまくって満足した。「人間が苦手」などとふだん書いているが、ぼくはこの3週間、話すことに飢えていたのだな。
 良いリハビリの一日だった。体も心もすぐに元気に戻るだろう。

「お弁当の木」:子供たちはこの上に腰かけてお弁当を食べるのが好きだった。35年前はもう少し小さかったが、今は登るのが大変かもしれない。

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久しぶりの良い天気!

2020-11-13 12:05:34 | 近況報告

 朝からあまり寒くもなく、久しぶりの良い天気だ。久しぶりに林試の森に来て、お気に入りのベンチに座る。二週間ぶりだろうか。その二週間の間に、芝生広場を囲むヒカンザクラもケヤキも色を変えてしまった。大きなお兄さんのようなクスノキを除いては。
 「久しぶりの」、と書いたが、その間にも良い天気は何日かあったのかもしれない。ぼくが外に出なかっただけだ。風邪をこじらせて、引きこもりの日々を送ってしまった。と言っても、熱は平熱、35.7℃のまま。大したことはなかったのだが、小心者のぼくは、ちょっと具合が悪いと外に出るのが怖いのだ。
 10月24日に朝日連峰から帰ってきて、向こうでは雨の中を歩き回ったのだが絶好調で、でも気付かないところで疲労していたのだろうか。29日高尾山に行って、絶好調の続きで駆けるように歩いて(稲荷山コースの下り、所要時間目安80分のところを45分で下りた。現在のぼくとしては記録的)、大汗をかいて、「速乾性の肌着だから、着ているうちに乾くだろう」と思い、ビールを飲んで京王線に乗って寝込んでしまったら、新宿につく前に寒くて目を覚ました。夏なら上にシャツさえ着ていれば十分乾くのだが、この時期では大きな油断というものだ。翌日から喉と鼻がやられてしまった。
 高尾山はまだほとんど紅葉が始まっていなくて、「年中登っていて何時行っても飽きない高尾山」、のはずだったのだが、那須と朝日を歩いた後では、「なんか、高尾山って、物足りないな」と感じてしまったので、天狗様の怒りを買ったのかもしれない。
 美しい季節だ。引きこもって無為に過ごしている間に、たった2週間で、季節は進み、大統領選挙でトランプが(やっと)去ることになり、コロナの第3波が始まりかかっている。季節も世の中も、年寄りを置いてどんどん動いていく。
 立ち上がって帰らなければならない。今日は午後、脳の検査が待っている。手術ではなく「経過観察」ということになるのだろうが、明日から気を取り直して、「風立ちぬ。いざ生きめやも」としたい。
 (あ、心配してくださる方がいるかもしれませんが、ぼくは、山の記録でもそうですが、大したことでないことを大げさに書くのが得意なので、心配は御無用です。)

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近況報告

2020-08-08 10:51:06 | 近況報告
 Facebookに誕生日のメッセージをくださった皆さん、ありがとうございます。ぼくは誕生日を祝うという習慣を持たないので、皆さんの誕生日にメッセージを送ることは致しませんが、ここで日頃のご厚情に感謝を述べさせていただきます。

 昨日はまたまた、高尾山・城山に行ってきました。遠くに行くのにためらいを感じるので、高尾山域専門になりつつありますが、この猛暑の時期、比較的歩きやすいのは六号路ほかわずかです。
 毎夏、城山茶屋のかき氷を楽しみにしているのですが、昨日はお休みでがっかりしました。ここのところ土日しか開いていないのは分かっていたのですが、土日は人が多いから避けたいし、夏休みだからやっているのではないか…というアマい期待はかないませんでした。帰りの炎天下の尾根道はしんどかったです。
 去年はこの時期は北岳に行っていました(頂上までいけませんでしたが)。お盆の時期が終わったら、北アルプスあたりに行きたいなあ、と思っています。
 ここのところ、遠くへ行けないせいか、山に行かない日も近場を歩きまわっています。常盤台の林の中に住んでいたころはずっと家にいても安心していられたのですが、いまはウロウロ落ち着きなく緑を、というか、緑陰を求めています。
 歩きまわってくたびれて帰ってきて長い昼寝をして本を読んで、という、老人にふさわしい生活です。
 この夏は音楽が遠くなりました。ほとんど消えてしまいそうなほど。
 歳を取ったらいろんなことができなくなるから、山に登れるうちは登って、本を読んで、途切れ途切れにものを考えて、でまあ、仕方がないかな、と思っています。

 長い梅雨と突然の猛暑、コロナ感染拡大。皆様くれぐれもお体を大切にお過ごしください。
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大笑い

2020-06-18 21:09:23 | 近況報告
 お弁当を食べている間に、歩く同好会のようなものだと思うが、大人数の団体が来てぼくらの後ろでわいわいがやがや大賑わいで(密集で)お昼を始めて、ちょっとびっくりした。この人たち大丈夫かな、と少々気になった。
 ぼくたちはその後、ふたたびNさんの車で湘南平へ。
 湘南平とその東に続く高麗山の尾根は、大磯の駅から南側を登る山道があり、初めてのハイキングのような人を誘ってくるのに良いコースで、何度か歩いたことがあるが、北側からは山頂直下まで立派な車道がついている。桜の季節には大渋滞するのだそうだ。
 山頂の下に車を停めて階段状の道を登る。様々な種類のアジサイが植えられていて今が花の盛り。中にすごく鮮やかな濃い青のガクアジサイが数株あり、その色の美しさに息を呑んだ。アジサイなら家の近所にも山路にも当たり前にあるが、こんなに美しいのは見たことがない。
 展望塔から江の島や遠く大島も見える広大な、水平線の丸い海の眺めを楽しんだ後、茶店のベンチに腰を下ろしてソフトクリームを舐め、丹沢の大山を正面に見ながら話をした。そして笑った笑った。茶店のメニューに「軽食・飲み物・おつまみ・南京錠」とあるのを見ながら大笑い、看板に「I湘南」とある、ハートのマークが消えかかっているのを見ながらまた大笑い、テーブルに「元祖おでんラーメン」という宣伝があるのを見ながらさらに大笑い。
 何がそんなに、と思うが、「箸が転んでもおかしい年頃」とでもいうように、とにかくおかしくて、と言うより、嬉しくて大笑い(もちろん、横並びに同じ方を向いて、だが)。
 さっきの人達の大賑わいが理解できた。きっと彼らも、何か月かの不安な暗い籠城生活のあとで再びお日様の光の下に出て、心地良い風に吹かれながら仲間たちと過ごすのがうれしくてうれしくて仕方ないのだ。生きているのって、良いなあ(でも用心はしなけりゃね)。
 Nさん、Uさん、素晴らしい時間をありがとうございました。
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「なんにも愛さなくなったら」

2020-04-13 21:30:57 | 近況報告
 今日は一日冷たい雨。机の上を整理したり片付け物をしたりして、のんびり過ごす。
 山登りは“不要不急”だし、4月から改修オープンするはずだった区立体育館のジムも休館のままなので、ここのところ毎朝、足首に重りを巻いて、リュックに水の入ったポリタンを背負って、近くの林試の森を、なるべくアップダウンのあるところを選んで一時間半ほど歩いている(家族に、「バカじゃね?」とか言われている)。
 今のところ合わせて10キロぐらいだが、夏までには15キロで3時間、には持って行きたい。ぼくの今の体力から言うと、かなり遠い目標だ。
 実際、今はそれだけ歩いただけで、家に帰ると汗びっしょり。汗を拭いて着替えて一時間半ほど朝寝。これで午前中が終わってしまう、という状態だ。
 とちゅう、芝生の広場のベンチで一休みする。お茶を飲みながら樹々の上の青空を見上げる。その美しさに思わずため息が漏れる。
 月並みな言い方だが、「あこがれが空を駆けて」行きそうだ。山では樹々が新緑に輝き始めているに違いない。

 今週は思い切って、高尾山・城山ぐらいには行くことにしよう。4時半に起きて武蔵小山駅発5時20分の電車に乗れば、高尾山口駅に6時40分ぐらいに着く。1時か2時ぐらいに下山すれば、行きも帰りもほとんど電車はガラ空きのはずだ。人に迷惑をかけることも、感染の可能性も極少のはずだ。山歩き自体は、ほとんど濃厚接触のない、オープンエアの安全なスポーツだ。
 ぼくのこの考えは危険だろうか? 外出自粛破り、と非難されるだろうか?

 いまこの状況の中で大いに読まれているというカミュの「ペスト」の中にこういう一節がある。終わりに近いあたり、主人公二人が夜の海で水泳をする(じつは水泳は、当局によって禁止されている)、この小説の最も美しい場面の直前だ

「海水浴をしよう。(略)ペストのなかだけで生きているなんて、つまらないからね。もちろん、犠牲者たちのために戦う必要はある。でも、ほかになんにも愛さなくなったら、戦うことに何の意味がある?」 
(新潮文庫の訳ではなく、「100分で名著」の中の訳。この方が好きだ。)

 …もちろんぼくは「ペスト」の登場人物たちのようにはコロナに対して何も戦ってはいない。一般市民用の防護服なんてないし予防注射もないから、彼らのように志願の保健隊に参加することもできない。自粛することしかできない。
 でも、困難の中で投げやりになったり無感覚になったりせずに、新鮮な感情を持ち続けること、人を・自然を愛するのを止めないこと、それは、たぶん、ぼくたちにもできる、そしてしなければならない、大切なことだと思う。
 
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光・光・光

2020-01-01 11:53:40 | 近況報告
(私の詞華集 32 黒田三郎詩集「もっと高く」より「紙風船」)

落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように

  謹 賀 新 年

 昨日は夜の高尾山・城山を歩いてきました。風はなく、暖かでした。
 若い頃、始めて夜の山を一人で歩いた時、臆病なぼくは、ヘッドランプの光の外側に魔が潜んでこちらをうかがっているような、気を抜くとそちらに引き込まれてしまうような、恐ろしさを感じたのですが、昨夜はそのランプの光の外、人のいない山の自然全体に、不思議な親和感のようなものを持ちました。ぼくがそこから来て、また帰っていく場所のような。
 50年かけて辿り着いた、心境の変化でしょうか。
 尾根筋から見える、とくに城山の山頂から見える、町の夜景の小さなまた大きな、明るいまた微かな、光の粒にも親和感を持ちました。ぼくのライトに反応して光る、茂みの中の小動物(ウサギ?)の赤い目の光にも。
 街の灯りと明るい三日月で、視力の落ちたぼくには星はあまり見えなかったけれど、カシオペア座のWの形はかすかにわかり、それを辿って北極星もわかりました。
 今年は、遠くを見る専用の眼鏡を(そういうものがあったら)買おう。

  今年一年の、皆様の健康と幸福を祈ります。
コメント
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