すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「はるにれ」四月~十二月

2021-04-28 17:34:58 | 詩集「黎明」

 連作「はるにれ」は、植物写真家である友人、姉崎一馬さんのカレンダーの写真に詩をつけたものです。と言っても、そのカレンダーは姉崎さんの写真に串田孫一氏が8行詩を合わせたものでした。
 もともとは福音館書店から出た絵本「はるにれ」(原野に一本だけ立つハルニレの木を写した写真集)が名作と評判になり、カレンダーの企画が出たものでしょう。
 その詩を読んで、「もう少し良いものが付けられるのではないか」と思い、同じ形式で勝手に書いたものです。元のカレンダーは2か月毎で2年分、つまり季節を2回りで12枚でしたが、ぼくのは1月から12月までの月毎に変えてあります。
 串田氏には断りの手紙を添えてその詩を送ったのですが、返事はいただけませんでした。
 そういうわけで、人の土俵で相撲を取ったわけではありますし、ずいぶん前に書いたものですが、自分では今でもかなり気に入っているものです。(ぼくに書くことができたもので一番良いのではないか、と思っています。姉崎さんに、あらためて感謝です。)
 「一月」から、1カ月にひとつづつ投稿させていただくつもりだったのですが、できればまとまったテーマの連作として読んでほしいので、予定を変更して、ここに「四月」から「十二月」までを一括して載せておきます。
 なお、同じ理由で、すでに載せた一月~三月も末尾に再掲いたします。
 (カレンダーの方はどうかわかりませんが、絵本「はるにれ」は今でもネットで購入できます。ぜったい、おすすめです。
           

   四 月

霧の中に微かにプレリュードが響き始め
太陽の金の指揮棒が上がるにつれて
空と大地の間に広がっていく
樹が見てきたもののすべて 草の戯れや鳥の死や
雲のかがやきや それを見上げる小動物の哀しみが
溶けあったまま樹液の中で永いまどろみを続け
今 枝先のヴィブラートから解き放たれていく
すべてが再び始まろうとしているこの薄明の中で


   五 月

風が梢のざわめきによって自分を描くように
大地は炎のように伸びる枝々によって
いつも変わらぬ 空へのあこがれを描く
動物の血液が潮の濃度を覚えているように
樹も体内に原初の海の記憶をひそませている
夏が近づくたびに大地のあこがれは海の記憶の中を
梢に降りそそぐ光に向ってのぼっていく
光に溶けて噴水となって広がるところ いっせいに新緑が弾ける


   六 月

靄に包まれて何も見えない
樹は見えない彼方を夢想している
いったい靄は自分だけを包んでいるのか
それとも どこまで行っても靄なのか
足元の草は濡れて光りながら
白い帳(とばり)の中に消えていく
辿るべき方向はない 靄を洩れてとどく
陽のほの明るみ――前に進むほかには

  
   七 月

いまは 束の間の豊穣の季節
ここは ちいさな生き物が思い思いの雅歌を歌う大地
黄色い花の綾織りのあいだで
野兎たちは団欒の夢をかじっている
樹は静かな憂いに枝を重くする
自分だけが 流れ去り行くことのできぬものだ
花たちの生命を見守りながら
陽を浴びた自分の影の大きさに驚きながら


   八 月

丘はいつからそこにあったのか
生まれ死ぬ草や小動物を樹が繰り返し見てきたように
いくつもの樹の芽生えと枯死とを見守ってきたのか
それとも樹は 丘がまだ無かった頃から
梢の先高く 巻雲を舞わせ続けてきたのか
野の彼方に谺(こだま)のように立っているもうひとつの樹は
永い孤独の果てに樹がよびよせたのか
いやもしかしたらそれは この樹の生み出した自分の影なのか


   九 月

叫び続けられるだけ叫ぶがいい
空と大地がひしめき合う騒擾の中で
お前は不抜の意志の姿だ
力弱い草は倒れ おびえた野ねずみはその下に息をひそませ
おまえは蓄えてきた力のすべてで
押し寄せる嵐に立ち向かっている
やがて暗雲は去り大地は静寂にもどる その時こそ
誇らかに歌え「私は生きてきた 今歌うために」と


   十 月

落日の荘厳を覆い隠し 冬を告げ知らせるために
雲の帯は地平近くに下りていく
すでにまどろみ始めた大地から
夜は樹のなかばまでのぼってきた
梢の先の残照の中に行く手を望む番いの鳥
空はまだ明るいが 次の宿営地は雲の中に見えない
今日はもう旅を急ぐな この樹に塒をかりて
ほんの小さな夢のぬくもりを分けてやるがいい


   十一月

青白く血の気の失せた闇の底では
樹さえも月の光に捕らえられてしまう
大地の呪縛が解かれ そのかわりに
見えない糸で空から操られる人形のように
樹はぎこちなく歩き始めるかも知れない
もうすぐに 月が天頂にのぼったら
枝々の先端の静脈の煙るあたりから少しずつ
樹は夜の大気に溶けこんで消えてゆくかも知れない


   十二月

星が誕生し滅んでゆく夜の永さに比べれば
老樹もまた 束の間の季節の移ろいに過ぎない
宇宙は時折 自分の生み出した生き物を愛おしむように
大地に送りとどける 水と光との澄んだ結晶を
それは 星と星との間の冷たい闇から音も無く降りてくる
樹の姿をさらに凛然と輝かせるために
そして消える あらかじめ知らせるために
樹もまた 陽に溶けて空と大地に還っていくことを

―――――――――――――――――――――

   一月

終日 平原は吹雪の乱舞に覆い尽くされた
平原には果てがなかった 果てのない平原を呑みこんで
風は白い大地を空へ投げ返した
生命あるものは何もなかった ただ大樹が一本
全身を引き絞って踏みとどまっていた
樹は平原のまんなかに立っていた いや
樹があるからこそ そこが平原のまんなかだった だから
吹雪が止むと静寂は枝々の先から四方にひろがっていった


   二月

訪れるもののいない雪原に独り
樹は帆を広げて朝の太陽を孕んでいる
光の粒子は空を渡り 音もなく枝々に満ち
なおも零れ落ちてさざ波を描く
白い広がりに足跡をつけようとのぞむ冒険者がいても
向こう岸に着かないうちに呑みこまれて沈んでしまうだろう
彼は知らないのだ 自然そのものが海なのだということを
足跡はやがて消え去って 染みひとつ残らない


   三 月

虚空に投げ上げた網いちめんに
樹は幾億の芽をふかせた
吹雪に鞣された幹のなかで
樹液は新しい季節への鼓動を打ちはじめた
最初は誰の耳にも聞こえぬほど微かに
年ごとに幼い生命をはぐくみ
みずからの懐に無数の飛翔と死とを準備しながら
樹はまたひとつ 成熟への歩みを進ませた

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ミカンの花咲く、海の見える山

2021-04-26 20:55:01 | 山歩き

 退院後2回目のハイキング。久しぶりに山上から海の見えるところに行きたい。下山してから浜辺にも行ってみたい。とすると、今のぼくの体力から言って、大磯の湘南平か三浦半島だ。それで、友人二人と一緒に、三浦富士-武山のコースに行った。最高点の砲台山で204mの低山だ。40年ぶりくらいだ。
 津久井浜駅からミカン畑の中の舗装道路をゆるゆると登ってゆく。ミカンの花が咲いている。ノイバラの垣根もある。

ミカンの花は種類がいっぱいあるのだろうが、それは分からない。

ノイバラ。シューベルトやウエルナーの歌に出てくる赤い野ばらとは別種。

 白い花は好きだ。でも道はかなり長い。前に来た時には駅からほどなくして尾根に取り付いて海が見えたと思うのだが、あれは隣の京急長沢駅からの道だったろうか? 記憶があいまいになっている。
 45分ほどで山道になって、あっという間に二人の友人との間に差がついた。ストックを出し、ゆっくり上る。三浦富士の山頂の手前の階段ですっかり息が上がって、心臓がバクバクする。こんなに体力が落ちているとは思わなかった。下りてきた人に「大丈夫ですか?」と心配される。やっと息を整えて上がる。標高わずか183mだ。岩場の上に祠があってここからはやっと海が見える。西に相模湾。その向こうに雲か陸かと思うように伸びる伊豆半島。富士は霞んで見えない。東には東京湾を挟んで房総半島。南には大島が見えるはずだが、これも今日(昨日)は霞んでいる。この山頂はもっと狭かったように思うが、刈り払ったのだろうか? 手入れの作業をしている人がいた。
 道を続ける。三浦半島は高尾山あたりとは植生が違って照葉樹林帯なので、新緑と言う感じはあまりしないはずなのだが、それでもこの季節は葉が柔らかく輝いていて、落葉樹林帯よりは緑が濃く、これはこれで感じが良いし、懐かしい気がする。
 この季節、自然は一年でいちばん人間に優しいのだ。ぼくたちが安らぎを求めて懐に入っていくと、優しく受け入れて抱擁してくれるような気がする。照葉樹林は日本列島のこのあたりの本来の植生で、300年も放っておくとこの種の森に覆われるのだそうだから、おのずと包容力があるのかもしれない。人間の側も、縄文時代以来この自然の中で過ごしてきた長い無意識の記憶があるのだ。いわば日本人のゆりかごだ。母性と幼年のようなものだろうか。
 途中から道は広がり、平らになり、小型トラックがいくつか来る。作業の人もトラックについてくる。濃い茂みが開けて陽当りのよい展望スペースがあり、眼下にミカン畑と海が広がる。先客がいたのでもう少し進んでわき道に入り、巨大な砲台跡の石組みの穴のそばの草地でお昼にした。
 分岐に戻り、道を続ける。いったん下り、20分ほどで長い階段が現れる。友人たちの姿はすぐに見えなくなり、上の方からはしゃいだ子供の声が聞こえる。山頂は明るい日が射しているらしい。でも天国はぼくには遠い。何度も立ち止まって、荒い息を100回ついて50歩進む。それからまた100回息をして50歩進む。やっと展望台の下に着いた。友人が待っていてくれた。展望台は二段になっていて、あとについて登ろうとしたが、一段目で目が回ってそれ以上登れなかった。気持ちが悪くなったので何とかこらえる。森と畑の向こうに海が広がり、すぐ下にはつつじが咲いているが、楽しんでいる余裕がない。
 帰りは急な坂道だった。逆コースをとっていたら登り切らなかったかもしれない。
駅に戻って海岸に出た。広い石段に腰かけてウイスキーのお湯割りを飲んだ。ウインドサーフィンをしている人たちが大勢いる。あれは気持ちよさそうだが、すごい体力が要るだろうな。子供のころ「ツバメ号とアマゾン号」に出会っていたら、ぼくも山ではなくて海に向かっていただろうかな、と考えた。ヨットは、アルジェリアで少しだけ習ったことがある。
 とりあえず、いまは山登りの体力復活を目指さなければ。このぶんでは夏までにアルプスに行く体力を取り戻すのは大抵のことじゃない。

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「チボー家の人々」

2021-04-23 08:56:05 | 読書の楽しみ

 新宿の朝日カルチャーに野崎歓先生の「原語で楽しむフランス文学」という講座を受講しに行った。月一回、一年間でロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」の名場面のいくつかを読む、というものだ。昨日開講だったのだが、手術とその予後がどうなるのかが分からなかったから、受講できるかどうかもわからなかった。受けられて幸いだった。
 「チボー家」は一昨年2回続けて読んで、原語版も入手したのだが、「ぼくの語学力ではこれを読みだしたら一生かかる」と思い、早い段階で断念していた。今回ちょうどこの講座ができてうれしい。原語で、と言ってもおよそ2500ページもある大作のうち、せいぜい読めるのは100ページぐらいだろうが、それでも原作に触れた気にはなるし、いろいろ解説していただけるのもうれしい。
 板書の文字が読めないと困るので一番前の席に座ったから、後ろの方の受講生はよくわからなかったが、ほとんど女性で、年配の方が多いようだ。主人公の兄弟のうち弟のジャックは純粋だがかなりアブナっかしく、女性本能を刺激されるタイプだし、兄のアントワーヌは優秀な医師で優しく、女にもてるタイプだからなあ。講義が終わってから先生と熱心に話していた方は、「1947年ごろに初めて読んで…」というようなことを言っていた(ぼくの生まれた年!)から、80代の後半だろうか。「チボー家」は戦後、若者たちに熱狂されて、心の拠り所になった時代があったと聞いているから、彼女もその一人なのだろうな。
 それにしても、現在ではこの大河小説はほとんど顧みられていないように見えるのはどうしてだろう。世界がひどく不安定になっている今、あちこちで戦争や紛争や暴力が起き、疫病が蔓延している今、これはもっと読まれるべき小説だと思う。
 「チボー家」は、途中で構想が一変している。かなりバランスを欠いた作品に思われる。そのことが今はあまり顧みられない原因だろうか。でもこの変貌は高く評価したい。
 前半は家父長制度、宗教的価値観、ブルジョワ社会、に対する若者の反抗の物語、家庭小説と言うか、一種の成長小説と思われるが、中ほどの第一次大戦開戦直前の部分から一気に反戦平和を希求する社会小説に変貌する。弟のジャックが反戦行動に倒れた後、前線で毒ガスを吸って死を待つ身となった兄のアントワーヌはウイルソンの国際連盟構想に世界平和の実現を希求しながら果てる。
 ぼくたちはそのウイルソンの構想がけっきょく破綻し、その後第二次大戦が起きたことを知っている。1940年にこの大作を書き終えたマルタン・デュ・ガール自身もそのことは知って、かつ戦争の足音も聞いていた。それだけでなく世界もそのことを予感していた。だからこの作品は1937年にノーベル文学賞を受賞している。そしてぼくたちは今、社会制度の変革について、戦争や疫病との戦いについて、今一度熟慮すべき時に生きている。
 なお、今回のコロナでカミュの「ペスト」が再び脚光を浴びたが、野崎先生も言っていたが、「ペスト」と「チボー家」には共通点がある。主人公が医者であること。つまり社会の問題と闘う最前線に医学の役割があるということ。片方は疫病と、もう一方は戦争と、であるが、全力をもってそれと闘おうと意思し、行動する人間たちが、その過程の中で生きることの意味を見つけて成長していくこと。
 その戦いは「ペスト」では勝利と希望に、「チボー家」では暗澹たる敗北に終わるのではあるが。
 ついでながら、アントワーヌとジャックのそれぞれをめぐる恋愛模様も、たいへん豊かな、読み応えのあるものです。特に、アントワーヌとラシェル、ジャックとジェンニーの恋は。
 …退院2日後の12日に申し込みに行った時には新宿から住友ビルまで杖を突いて歩くのがやっと、だったのだが、昨日は並木道の新緑を楽しんで帰りは遠回りをする余裕があった。

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こわごわハイキング

2021-04-21 12:44:36 | 山歩き

 ドクターに、「山登りして構いませんよ。転んでも患部さえ強打しなければ大丈夫です」と言われているので、昨日は高尾山に行ってきた。いい天気で、新緑の美しい、ハイキングに最適の季節だ(もうすぐまた緊急事態宣言が出そうだが)。
 まだ歩くと疲れるので、行きも帰りもリフトに乗ることにした。
 ケーブルカーと違ってリフトに乗るには、まず急な石段を上がらなければならない。手摺りにつかまりながらのったり登っていたら、後ろからやはりのったり登ってきた同年配らしい人に、「リフトに乗るだけでも大変ですよね」と声をかけられた。「病み上がりなもので」と笑ったら、「ぼくもそうなんです」と言う。
 意気投合してしばらく一緒に歩いた。向こうはぼくよりもはるかに大変で、前立腺ガンが見つかって、手術はできないといわれて、ホルモン療法を受けていたのだが、奇跡的にガンが消えて、体力を確かめに高尾山に来たのだという。
 そう、高尾山は自分の現在の体力を知るのに良いのだよね。
 「いやあ、でも、体力ってあっという間に落ちますよね」「頑張って来なければね」などと話しながら歩いて、分岐で彼はそのまま舗装道路を登るというので、ぼくはそれは嫌だから4号路を行きます、と別れた。    
 4号路はシャガが群生し、スミレが群生し、何よりも新緑がさわやかで気持ちが良い。ただし、いつもならなんでもない登りがキツい。途中で目が回ったので休んで、ストックを出してゆっくり上った。コースタイムに45分とある道に1時間10分かかった。山頂について広場をさがしたらさっきの男性がアイスをかじっていたので座ってさらに話をした。勤めを再開していま週に5日働いている、じつは先週もここに来たという。すごい人だなあ、と感心した。オラも頑張らねばな。
 下りは3号路を取った。単調で飽きる、と言う人もいるが、人が少なくて静かに歩ける道だ。「思索の道」と名付けても良いくらいだ。でも何も考えずに、足元を見ながら歩く。
 体が慣れてきたためか下りは体調が良く、このまま病院坂を下れるかな、とも思ったが、行きにリフトの往復券を買ってあったので楽ちんをした。
 ハイキングとは言えないくらいのイージーな歩きだったが、退院10日目だからまあこれで良い。暑くなったらもっと高いところに行かねばならないから、今のうちに低山にどんどん通うことにしよう。
 思索、のかわりに、ふと、「ぼくらはみんな生きている」なんて歌が口から出た。

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からたちの花

2021-04-18 20:12:52 | 近況報告

通りがかりの女性二人が「何かしらねえ?」と言っているから、「カラタチですよ」と言ったら、「ああ、歌にあったわねえ。島倉千代子の」。ぼくもお千代さん嫌いじゃないけど(少なくとも美空ひばりよりは)、日本歌曲の方も思い出してほしいなあ。

舞岡公園・中の丸広場。ここでお弁当を食べるのが好きだが、週末は先客がいることが多い。

ナガミヒナゲシ:ケシの仲間。アヘンの原料にはならないが、農地に広がっている要注意帰化植物。

 

 …なんか、なかなか調子が出ませんねえ。と言っても、まだ退院8日目だが、5日目ぐらいまでの方が調子が良かった。その感じだと今頃はハイキング再開、かと思ったのだが、けっこう体力は落ちているかもしれない。5000歩ぐらい歩くと息が上がってどこかで休みたくなる。で、うちに帰ってきてひと眠りしてまた出かける。家族に、「なんか、歩いちゃ寝ちゃの繰り返しだね」と言われた。寝続けているよりはましだと思うことにしよう。
 左脳に行く血液は今までよりぐんと増えている(断面積でいえば3倍になった)はずなのに、ものを考えるのがかったるい。食欲は大いにあるから、食べて歩いて寝て、体が慣れたら考えられるようになることと思おう。

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感傷的散策

2021-04-15 17:49:00 | 自然・季節

ちかごろどうも
ぼくの記憶はかなりあいまいになっているようで
君とこの丘を歩いたのを
こんなにありありと思い出すのに
そんなはずはないよな とも思うのは
記憶違いだろうか?

それともあれは
いつか知らぬ前の世のこと
だったろうか?

あの時はたしか春まだ浅く
タンポポが咲き始めだったが
今はもう半分以上が綿毛になって
ヒメオドリコソウに押されている
実れなかったサクランボの赤ちゃんが
ベンチに無数に散っている
生垣にカラタチが美しい

あのとき君は大病のあとで
ぼくたちはゆっくりゆっくり
君の体調を気遣いながら
歩いたつもりだったが
君はじつはこんな感じだったのだな

今日はぼくが病み上がりで
息切れやめまいと相談しながら
ゆっくりゆっくり歩く

今はかたわらにいない君に
話しかけながら

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2時から6時まで

2021-04-13 13:16:12 | 夢の記

底のない闇の中を
沈み続けていた
激しくむせ返って
目を覚ました
黒い影が(看護士だと思うが)
やって来て
「苦しいですか?
今2時なので
6時にお迎えに来ます」
と優しい声で言った
ふたたび底のない闇に
沈んで行った
中学の林間学校の
那須湯本で撮った記念写真の
仲間たちが呼んでいた
ぼくもそこに写っているはずなのに
いなかった
そこにいるはずのない父と母が
一緒に呼んでいた
「苦しいから行きたくない」
と思った
激しくむせ返って
目を覚ました
黒い影がやって来て
「苦しいですか?
今2時なので
6時にお迎えに来ます」
と言った
底のない闇に
沈んで行った
林間学校の仲間たちが
父母と一緒に呼んでいた
激しくむせ返って
目を覚ました
黒い影が
「今2時なので
と言った
底のない闇に沈んだ

何度それを繰り返しただろう?

激しくむせ返って目を覚ました
看護士がやって来て額を撫でてくれた
今何時か訊いたら
「朝の7時です
もう大丈夫ですよ」
と答えた。

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病室

2021-04-12 17:21:13 | 近況報告

 一昨日、無事退院いたしました。たいへん順調、とのことです。ドクターに、「普段鍛えている人は回復も早いですね」と言われました。鍛えているどころか、時々山登りに行くだけで、普段ぐうたらしているのですが、ぼくの場合、大病をしたというわけではなく、予防的な手術なので、回復も早いのだろうと思います。
 それでも、きのうは近所の公園に行って5000歩ほど歩いたら、目が回るほど草臥れました。まあ、ぼちぼち体調アップです。

    病 室

花が散る
ガラス窓のさざ波の向こうを
一枚の花片が
屈折した幾つもの光の反映となって
明るい午後を落ちて行く

花が散る
見えない空のどこかから
ステンドグラスの聖者伝の向こうを
一枚の花片が
次々に幾つもの色に染まりながら
舞い上がり 翻り 落ちて行く

花が散る
数知れぬ花片の数知れぬ光の反映と
色の移ろい
揺らめきながら通っていく人も
歪んだ屋根も壁もしだいに
降りしきる花片のうしろに消えてゆく

屋根も壁も人も 空も
外の世界全体が
ひび割れ崩れ 数知れぬ花片となって
降り始める

降りしきる海雪(マリンスノウ)の中を
窓は冷え冷えと
音のない深海へ沈んでゆく

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