すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

騒ぎから遠くに

2018-12-31 22:48:19 | 無いアタマを絞る
 20年以上も前から1年に1回大晦日に会ってお酒を飲む相手がいたのだが、今年は会わないので淋しい。彼女は今夜はどうしているのだろうか。
 ぼくは紅白歌合戦を見る習慣もないわけだし、だいいち、(居間に行くと家族が見ているので耳に入るのだが)あの騒ぎが、盛り上がろう盛り上がろうとしているわざとらしさが、好きではない。
 ぼくはお祭りが嫌いだ。とくに神輿担ぎが嫌いだ。スポーツ観戦の熱狂も嫌いだ。人混みが、群れが嫌いだ。
 そういうのがニガ手だというのはぼくの性格だから仕方がないのだが。
 ヒトが、生き物の一種として、求めずにはいられないものは安心感だろう。自分がある集団に所属しているという安心感。そこに所属してさえいれば危険は少なく、食べ物も安定して得ることができ、しかも自分の命がその群れの一員としてずっと過去からずっと未来につづいていく流れの中にある、という安心感。
 「承認欲求」という言葉が現代ではしばしば話題になるし、実際いろいろな問題を引き起こしている。心理学では、「承認欲求は人間にとって最も基本的な欲求であって、これが満たされなければ生きていけない」ともいわれるのだが、これは本当はすべての生物の持つ安心欲求の一部なのではないだろうか。人間は、特に現代人は、その一部が肥大化しているのだ。
 家族の中にいる、村落共同体の中にいる、終身雇用の会社組織の中にいる安心感。そういうものを次々にないがしろにして空洞化しまうのと並行して、現代人はスタジアムの熱狂する観客の中の一人、祭りの日だけの神輿の担ぎ手の一人、大晦日やハロウィンの渋谷の雑踏の中の一人、自撮りのアップに熱中するネット空間の中の一人…という、一時的な群れの中に自分を見つけたがる。
 基本的な安心が感じられないから、人は他者に認めてもらいたい気持ちがより強くなる。「ここにいてもいいんだよ」と言ってもらいたなる。一時的な一体感を得たくなる。
 その時その時はそれで満たされたように感じても、ほんとうに持続的な安定的な安心感が持てない限り、欲求は果てしなく続き、かつエスカレートする。
 熱狂の中に自分の居場所を見つけようとするのは、ほどほどにした方が良いと思う。さもないと、いつかぼくたちはとんでもないところにいる自分に気づくことになるのかもしれない。集団の中の安心感を得るために、人は時には個であることを捨てさえしてしまうこともあるのだと、歴史は教えてくれている。
 ひとりで歩くのは好きだ。ときには友人と静かに酒を飲むのも好きだ。個であるぼくと相手との間に流れるおだやかな時間が好きだ。一体感はなくても良い。
 それでは皆さん、良いお年を。
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歩く・歩き回る

2018-12-30 23:11:41 | 老いを生きる
 ここのところ毎日快晴で朝起きるとまぶしいお日様が輝いていて、家を出て歩きまわらずにはいられない。一昨日は高尾山に行ったのだが、ちょっと物足りなかったためか、昨日も今日も歩き回っている。
 音楽の練習も読書もブログを書くことも後回しで歩く。今日は3時ごろ帰ってきて、食事当番の買い出しに行って、調理をして食べて7時ぐらいには疲れてベッドに入ってしまった。それで今頃起き出してこれを書いている。
 なぜこんなに、朝起きると無性に、歩きに出たくなるのだろうか? 胸の中の何かに駆り立てられるようにして歩いている。エサを求めて、あるいは番いの相手を求めて歩き回っていたころの本能の残り火? それとも今のぼくの心が落ち着かなく、じっとしていられないから?
 狭い家の中で楽器の練習をしたり本を読んだりするのはこのごろ苦手になりつつある?
 ヒトは、歩き回っている方が、物が考えられるものだ。
 目黒区はあらかた歩いてしまった。大きな地図で、歩いたところに緑色の線を引く。目黒区と、品川区の目黒寄りはすでに緑の網目になってしまった。毎日山登りに行くのは、交通費とか時間を考えると無理だし、来年は少し都区内や多摩地区の公園緑地や川筋を求めて歩くことにするかなあ。
 ドイツ文学を読むとドイツ人は本当に歩き回る人々だ。徒弟修業の遍歴時代の名残があるのだろうか、村から村へ、町から町へ歩き続ける。ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」も、ヘッセの「知と愛」も「ガラス玉演戯」もケラーの「緑のハインリヒ」も歩く歩く。中でもぼくの愛するのが、ヘッセの「クヌルプ」だ。
 ベートーヴェンもシューベルトも歩き回るのが好きだったらしい。週末になると、近隣の田園や丘や林を、あるいは小川に沿って、あるいは遠くの村の居酒屋や踊り場を求めて、歩き回った。交響曲「田園」は、その中から生まれたものだろう。
 ドイツ人は今でも夏になると徒歩旅行をするのだろうか? ぼくの発声の先生はドイツ滞在が長いのだが、そのことについては知らないようだった。彼らが今でも歩く習慣を失くしてないのなら、いつかはぼくも真似をして南ドイツを歩いてみたいものだ。サンチャゴ・デ・コンポステラに向かうような、四国お遍路のような、宗教的なものでなく、アルプスにつづく山の麓の村々をつないで歩いてみたいものだ。
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ジェンダーのことについて…

2018-12-27 22:44:23 | つぶやき
 …かつて自分の抱えていた困難を言葉にしてみようかと2日間試みてみたのだが、うまくいかなかった。というか、どんどん気分が低下して、パソコンに向かうだけで憂鬱になってしまった。
 まだこの問題はぼくの中で解決しきってはいないようだ(だいいち、言葉にしてみようかと思うのが、解決しきってはいない証拠ではないか)。このことについては、今はまだ書かない方がいい。書かないままで終わる可能性が高いかもしれない。
 さいわい、明日は山の仲間と高尾山に忘年ハイキングに行くことになっている。気分転換することにしよう。
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四方津の少年・補足

2018-12-25 22:05:17 | 無いアタマを絞る
 長い間、ぼくにとって男性性・女性性は、命がけの大きな問題だった(セクシュアリティーでなく、ジェンダーの問題。念のため)。歳をとって、それはもう自分に関してはどうでもよい事柄になってしまったが、若い人が、特に子供が、ぼくのように苦しんだり試行錯誤したりをできることならしないで生きられたらいいな、と願っている。そのことに人生のエネルギーを食われるよりは、他のことに注いだ方がいい。人は成長する過程で、社会の中で生きていく過程で、いずれにせよ悩み苦しむものだが、そのことではなく別のことで苦しんだ方がいい。
 四方津の少年は、その表情や口調から推測するのだが、自然に、迷いや引け目を感じることなく、女性的なファッションや髪形をしているところにぼくは共感した。  
 スペインの少年と違うところは、向こうは男性・女性に分化する前の単に子供としてのナチュラルであり、四方津の少年は選択的・意志的なナチュラルなのだ
 彼は、自分のファッションが、見た目が、女の子のようであることに気づいていないはずはない。そういうファッションが好きで、選択的にそうしている。そして、そのことで親や学校や周囲とぶつかってはいない。周りの子供たちや大人たちが彼のそういう選択を認めている。それは、彼の態度が、違和を感じさせない気持ち良いものだからだろう。
 トランスジェンダーの子供たちの多くが苦しむ苦しみを彼は背負っていない。彼の、もう一人の少年との接し方、話し方は、ぼくにそう思わせる。これは、すごく幸せなことだ。そしてそれは、通りすがりのぼくをも幸せな気分にする。
 ついでだが、「LGBT」の言葉にはぼくはかなり抵抗がある。それについては、別に書く。
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進化の記憶

2018-12-24 22:33:53 | 無いアタマを絞る
 「ぼくという個を超えた、血の中にある遠い記憶」と書いた。それならば、ぼくたち人間が空に憧れるのはなぜなのだろう。ぼくたちは、森の中で暮らした記憶は持っていても、血液は海と同じ塩分濃度であっても、空で暮らした記憶はないはずだ。
 この間から鳥のことが心に懸かっている。
 中島みゆきの、「時代」や「麦の唄」とともにぼくの大好きな歌「この空を飛べたら」に、

「ああ人は昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい」
とある。
 ヒトが進化の途中で鳥だった時期があるわけはない。それなのになぜこのフレーズは心に沁みるのか?(これは痛切な失恋の歌だが、失恋と思わなくても、心に沁みる。)

 ヒトは、ヒトになるずっと以前に、海で暮らしていた。それから水辺に移動し、しばらくの間は岸と水中の両方で暮らした。そのあと、次第に陸上にあまねく広がっていった。高山を除いては。そして、空に生活を広げるものと、陸に留まるものに分かれた。人は陸に留まるほうを選んだ。だが、進化の過程の中では、空に向かうという選択肢もあったのだ。
 
 個体発生は系統発生を繰り返す、という。胎児は初めのうち、母体の水の中で、魚の赤ちゃんとよく似た形をしている。この、「個体~」は、進化のプロセスを再現するという意味だ。それならば、ぼくたちはみな、生まれる前、進化の選択肢の分かれ目をも通過したのだ。
 空に向かうというのは、ありえたかもしれない、しかし実現しなかった生活だ。
 だから、ぼくたちは空にあこがれるのだろう。
 生物は、進化のプロセスだけでなく、進化の途中の記憶をも、血の中に、無意識の中に、持っている。
 地上の生活が辛く、もしくは空虚に思われるとき、心を十分には満たさないように思われるとき、別の生があり得たように思われるとき、ぼくたちは持つことのなかった翼に憧れるのだ。
 山登りに行くと森があんなに慕わしく懐かしく思える気持ちの中には、森で暮らした祖先の記憶が混じっている。そして山頂に立つと空があんなに慕わしく懐かしく思える気持ちの中には、空で暮らさなかった祖先の「もしも~」が混じっているのだ。
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「地球」

2018-12-23 20:45:15 | 
 若い頃、一昨日のように冬の陽だまりの山歩きをしていて、幻のように空に浮かんだ昼の月を見て書いた詩。そのときぼくには、その白く美しい月が、人が住まなくなった後の地球のように、そして自分がいま立っている陽の暖かな大地の方が、幻影のように思えたのだ。

  地球         

青空に
地球が白く浮かんでいる

あれはすでに亡んだ星だから
乾ききった骨のように軽い

ぼくたちはかげろうの立つ落葉樹林に
冬芽の薄紫をさがし
枯れ草の間に
ちいさな青いイヌノフグリをさがす

空は光に満ちて澄み
ここの陽射しは明るい
ぼくたちの体は
陽に解けていきそうに希薄だ

あそこに地球が浮かんでいる
今はもうほんとうは亡んでしまった
ぼくたちの地球

ここにぼくたちが立っている
今はもうほんとうは亡んでしまった
ぼくたちの意識と肉体

こう感じているのは束の間だけ残った
ぼくたちの思いのかけらで
このおだやかな陽射しも林も草も
亡びる前に思い浮かべたものの
消え去るまでの残像で

青空に
乾いた骨が浮かんでいる
人間から解放されて
白く軽く浮かんだ地球

池の岸にイヌノフグリの咲いていた
冬の終わりの一日のまま

 …これも昔、月の地平から上る地球の写真の美しさに息を呑んだことがある。ぼくと同じように感じた人は多いのじゃないだろうか。
 「これはなんとしても護らなければならない」と。
 初めて宇宙から地球を見たガガーリンは、「地球は青かった」と空から送信してきた。今は空にいる彼は、「かつて地球は青かった」と思っているかも知れない。
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四方津の少年(扇山登山の続き)

2018-12-22 16:48:52 | 山歩き
 鳥沢駅から舗装道路を1時間歩いて、登山口の「梨の木平」につく。ここから2時間弱の登りだ。登山地図には1h20と書いてあるが、道標は1h50になっている。標高差が550mあるので、道標の方が実際に近いはずだ。ここは、クマ出没注意だ。実際に熊を見た人もいる。鈴を鳴らしながらゆっくり登る。
 途中、「山の神」の水場がある。夏場のように「うー冷たい。美味い!」という感じではないが、かえって味わい深いまろやかな水だ。さらに登りながら見上げると、尾根が近づいて、明るい林がさらに明るさを増して、空がさらに広がってくる。もう少しだ。尾根にたどり着いたら、なだらかな道をすぐだ。
 山頂の上の空は真っ青なのだが、残念ながら、周囲の山並みは薄雲が広がってぼやけている。朝はあんなにくっきりと見えていたのに。山頂の広場を取り巻く樹林は育っていて、葉の茂る季節なら展望は得にくいかもしれない。ただ富士山の方向だけは切り開かれていて、ベンチ代わりに置いてある枯れ木の幹に腰掛けると真正面に大きく、ごく薄い雲に取り囲まれようとしている姿が輝いている。
 山頂の広々とした快さと展望の良さでは、隣の百蔵山の方が勝るかもしれない。ただし、百蔵から扇に来る道はいったん大きく下って登り返すので、なかなか手ごわい。
 太陽に向かって座ってお昼を食べていると、薄い登山ズボンの膝が熱いくらいに暖かい。一年でいちばん日暮れの早い時期だし、風が冷たくならないうちに下山することにする。
 「君恋温泉」という美しい名前の温泉があって、そちらに下山する人が多いようだが、犬目丸を通って降りるコースも展望が開けた、なだらかな良い道だ。今日はついでだから、大野貯水池に冬鳥が来てないか見ながら、四方津駅に降りることにする。けっこう長い道だ。
 …残念ながら、オオバンの群れが44羽、キンクロハジロが8羽、しか確認できなかった。オオバンは一年中いるだろうから、ここもまだ冬鳥の飛来には早いということだろう。暖冬でもあるし、地球温暖化で、繁殖地でそのまま越冬する鳥も増えて来るのかも知れない。

 四方津駅のホームの椅子にザックを置いて電車を待っている時、すぐそばの席に小学校3,4年生ぐらいと思われる少女がいた。初詣のパンフレットを熱心に見ていた。ちらりと見た顔が、大変美しかった。真赤な地に黒のヒョウ柄のパンツに、白いニットを着ている。そこへ、もう少し年長と思われる運動選手タイプの少年が来て、少女を見つけてうれしそうに顔を寄せて後ろからチラシを覗き込んだ。相手が気が付かないので、肩に手をかけた。驚いて振り向いた子が一瞬にしてうれしそうににっこりして、なんだか話し出した。その顔が、また非常に美しかった。
 ぼくはびっくりした。
 話の内容は聞き取れないのだが、口調からして、座っていた子は少年だったのだ。
 そばに怪しいおじさんがいるのに気が付いたのか、二人は肩を寄せてホームの端の方に離れていった。
 外国で、たとえばアルジェリアとかスペインで、非常に美しい少年や少女を見かけることはある。陳腐な形容だが、「天使のような」。その子たちは、男と女に分かれる前の、中性的な美しさだ。四方津の少年のような、女の子的な美しさの少年は、初めて見たかもしれない。あの口調と衣服と、もう一人の少年とのごく自然な親密ぶりから見て、彼は自分のジェンダー・アイデンテティーに悩んだりはしていないと思われる。それは素晴らしいことだ。悩んだりすることなく、そのまま成長して欲しいものだ。
 …これは間違い。
 あの子に比ぶべくもないが、ぼくはかつてあの子の歳ぐらいまで持っていたはずの、とっくに失くしてしまった幸福感を思い出す。いまだに、その失くしてしまった後の空虚を何かで埋められたら、と思っている自分を思い出す。
 あの子も、他の誰でも、成長する途中で必ず悩み事を抱え、苦しむことになるだろう。ジェンダーの問題で、ということでなく、様々なことで。
 そこからなるべく早く、なるべくまっすぐに、抜け出してほしいものだ。姿も心も無垢なままで。
 そう、この老人は祈る。
 反対側の電車が来た。
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オオカミの血・トラの夢

2018-12-21 22:23:57 | 山歩き
 まず、昨日の記事の訂正。
山を登るのに必要な筋力の衰えや心肺機能の低下は、山に登ってみれば自分ですぐわかる。たいした急登でもないのに登るのがきつい、すぐに息が上がる、これは紛れもない事実として受け止めざるを得ない。
 これに対して、発声は、自分の声を客観的に聞くことは不可能だから、自分がどういう状態にあるかは、感覚的に推測することしかできない。先生がはっきりと言おうとしないだけかもしれないのだ。だから、ひとつひとつ丁寧に直されるということは、声をつかさどる筋肉の力および柔軟性が落ちていると考えて、もっと危機感を持った方がいいのだ。
 広瀬さんのアドヴァイスはやはり正しいのだと思った方が良い。

 …ということに気が付いたのは、今日ほぼ一か月ぶりに山登りに行ったからだ。中央沿線の扇山1138m。標高差800mほどの、比較的楽な登りのはずなのに、以前に登った時よりだいぶきつく感じた。
 幸い、暖かな快晴で気分は最高に良かった。春から夏は、木々の緑や様々な花に惹かれて山に登る。秋は紅葉に惹かれて登る。葉が落ちてしまって花もない冬の間は、暖かな日の光を求めて登るのだ。これは格別に心地よいものだ。歩いている間も、山頂でお弁当を食べる間も。だから冬の山登りは、晴れた日に限る―わけではないけれど、できる限り、晴れた日に登りたい。
 一か月ぶりに登っていると、今まで滞っていた血が体の中を再び巡り始める。気持ちが盛り上がらず何となくテンションの低い日々を過ごしていたのが、再び、本来の居場所に帰ってきた気がする。
 むろん、現代人のぼくの生活の場所は、本来も何もなく都会なのだが、ぼくたちの血の中には(最近では、「遺伝子の中」とか「DNAの中」とかの言い方の方が正確なのかもしれないが、「血の中」という方がぴったりくる気がする)、自然の中で暮らした遠い記憶があるのだろう。子供の頃、という意味でなく、もっと遥かな、ぼくという個を越えた記憶(子供の頃、ということだったら、農村に行けばよいわけだ)。
 この間、ご近所の奥さんと立ち話をしたら、「寒くなると犬がてきめん元気になるのよね。雪なんか降るともう大騒ぎだけど、そうでなくても寒いだけで元気。夏の間はダメみたい」と言っていた。現代の犬がみんなそうかどうかはわからないが、そういえば「犬は喜び庭かけまわり、猫はこたつで丸くなる」という歌があった。
犬も猫も、ぼくたちと同じように、血の中に遠い記憶があるのだろう。犬は雪の中を走りながら、自分の中に湧き上がるオオカミの血を感じているのかもしれない。猫はうつらうつら、トラだったころの夢を見ているかもしれない。
 ぼくたちは?
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ヴォイス・トレーニング

2018-12-20 20:42:31 | 音楽の楽しみー歌
 半年ぶりに先生のところに行った。「人前で歌うのをやめたし、歌うのを楽しむというだけなら、もう自己流でいいかな」と思っていたのだが、この頃ちゃんと練習しなかったせいか、自分の声がどんどん出なくなってきているのが自分でわかった。このまま衰えていってしまうのは、まだちょっと残念な気がした。
 先日、広瀬敏郎さんにお会いした時に、「練習してますか? 5日練習しないと声は落ちますよ。続けた方がいいですよ」と言われたのが心に懸かってもいた。
 今は、フルパワーでの練習が、少ししにくい環境で暮らしている。以前、保土ヶ谷の林の中の一軒家に住んでいた時は、声は出し放題にしていたのだが。(林の中、と言ってもお隣さんはいるわけで、何時だったかバス停で会ったときに、「ご迷惑をおかけしていませんか?」と訊いたら、ケラケラと笑って、「あら、いいのよ。犬の散歩に行くから」と言われた。「そうか、ぼくが練習を始めると犬の散歩なのか」と思った。)
 今の所は、小さい防音室を作ってもらったはずなのに、構造上ドアはスライド式ではなく開き戸で、したがって上下に隙間があって、ご近所よりは家族に気を使わねばならない。隙間テープをびっしり張っているが、それでも気になる。ぼくだけそういう部屋を作ってもらっているのだけでもありがたい限りなのだが。
 というわけで、いつの間にかだんだん声を出すのが少なくなっている。ある日、自分の声が響きが豊かではなく、固く痩せてしまっていることに気づく。またすぐ嗄れもする。 
 先生のところで声を出してみたら、うちで出すのよりはずっと楽に出る。ぼくの先生はご自身は声楽家ではないが、素晴らしい音感の持ち主で、生徒の声をひとつひとつ正しい出し方の方へ誘導してくれる。
 また、先生はいわゆる“褒めて伸ばす”タイプで、今日も「全然落ちてないよ」と言ってくれるが、その言葉とは裏腹に、今日は特に丁寧に根気よく直される。これだけ根気よく直されるということは、実際にはかなり落ちているということだ。
 それでも、先生のところでなら声が出る、ということは、まだ、声を出すための筋肉自体が衰えてしまった段階までは行っていなくて、その筋肉をコントロールして声を出すやり方を忘れてしまっている、ということだろう。まだ、間に合うかもしれない。
 「曲を出してごらん」と言われたが、いまさらオペラのアリアやフランス歌曲を練習しても仕方がないので、ニューミュージック系の「時代」と「いい日旅立ち」と「群青」と「島唄」を見てもらった。前の二つは、とても声が出しにくい。あとの二つの方が、ずっと楽に歌える。先生にもそう言われるし、それは自分でもはっきりとそう感じる。前の二つは、気持ちを入れようとすると、息を無意識にコントロールして押さえてしまおうとするのだろう。
 半年ぶり、でなく、月一回ぐらいは見てもらって、前の二つもちゃんと思う存分に体を使って、しかも優しさをこめて、歌えるようになりたいものだ。
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渡り鳥、鮭

2018-12-19 22:51:01 | 無いアタマを絞る
 渡り鳥の生はそれこそ命がけのものだろうし、苦しみに満ちたものだろう。でも彼らは遺伝子とか本能とか、自分の体内に組み込まれた何者かに突き動かされてその生を生きる。そして、その中に苦しみだけではなく喜びだってあるに違いない。その喜びは、ぼくらの日々のちっぽけな喜びや悲しみに比べて、突き動かされているだけ大きなものかもしれない。
 鮭は自分の生まれた川の水のにおいを記憶していて、広い海洋から戻ってくるという。途中で死んでしまってたどり着けないのでなければ、その生まれ故郷の川で種としての義務を果たして力尽きて死ぬためにだけ。彼らは、死ぬために戻る代わりに海洋を泳ぎ回って生き延びることをしない。それだけ、彼らの最後のエネルギーの放出は強い喜びとして組み込まれているのだろう。
 鮭の回帰の本能と鳥の渡りの本能は全く違うものだし、ぼくは彼らの生がうらやましいと思っているわけではない。自分は何かに憧れているのだが、何にあこがれているのかよくわからない。これは鳥の渡りの衝動に似ているかもしれないと、ふと思ったのだ。
 目的地にたどりつけない夢をよく見るぼくは、故郷の川にたどり着けないまま生を終える鮭に似ているかもしれないと、ふと思ったのだ。
 それでもぼくは、生き急ぐことなく日々のちっぽけな感情を生きている。その方がましかもしれないし、そうではないかもしれない。
 人というものは、憧れずにはいられない生き物だ。ただし、それだけでなく、もう少し理想というようなものが持てたらよいのだが。
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「枯葉」

2018-12-16 23:00:39 | 音楽の楽しみー歌
 久し振りにロシア歌謡を聴いて、「あ、いいなあ」と思った。歌い手の力によるところが大きいと思うが。
 昨夜、デュモンに山之内重美さんのライヴを聴きに行った。
 さすが、女優だけあって、歌の演技力が素晴らしい。もともと、ドラマティックな、パセティックなと言ってもいい声の持ち主なのだが、その声を駆使して「郵便馬車の御者だった頃」も「赤い月」も「長い道(悲しき天使)」も、そしてもちろん「鶴」も、そのほかの歌も歌われる。そしてその歌の持つドラマが、彼女の抑揚と表情と身振りで余すところなく表現される。素晴らしかった。
 ぼくもロシアの歌に近かった時期があるのだが、ぼくに関心があったのは日本でロシア民謡と言われている一群の歌と、帝政ロシア時代に都市や農村で歌われていた「ロシア・ロマンス」というジャンルのものが主で、ソ連時代の歌はオクジャワのものぐらいしか自分では勉強しなかった。それもごく浅く。昨夜、山之内さんの歌を久し振りに聞いて、改めて新鮮な発見をした思いだった。
 自分でもう一度勉強する気はないから、また彼女の歌を聴きに行くことにしよう。お話ができたのもうれしかったし、大変に美しい花のお裾分けもいただいた。

 ところで、お客さんから「枯葉」というリクエストが出ていたが、レパートリーにしている人はいなかったようだ。「ぼくも昔フランス語で歌っていたなあ」と懐かしかった。もうぼくは、ライトを浴びて人前で歌うことからは降りてしまったが。
 以下に、樋口悟の直訳を書いておきたい。

思い出してほしい
二人が愛し合っていたあの幸せの日々を
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと燃えていた
枯葉がシャベルで集められる
ねえ ぼくは忘れてはいないよ
枯葉がシャベルで集められる
思い出と悔恨もまた
そして北風がそれを
忘却の冷たい夜へと運び去る
ねえ ぼくは忘れてはいないよ
君の歌っていたあの歌を
 *ぼくたち二人のことのようなあの歌
  君はぼくを愛していた
  ぼくは君を愛していた
  二人は固く結ばれて生きていた
  ぼくを愛していた君と
  君を愛していたぼくと
  でも 人生は愛し合う二人を引き裂く
  ゆっくりと 音も立てずに
  そして海は消してゆく 砂の上の
  別れた恋人たちの足跡を

枯葉がシャベルで集められる
思い出と悔恨もまた
でも ぼくの静かな変わらぬ愛は
いつも微笑んで 人生に感謝する
ぼくはあんなに君を愛した 君はあんなに美しかった
どうして君は 忘れて欲しいなんていうの?
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと燃えていた
君はぼくの生涯のいちばん優しい恋人だった
でも今のぼくには 後悔しか残されていない
そして 君の歌ったあの歌を
いつまでもいつまでも ぼくは聴くだろう
 *ぼくたち二人のことのようなあの歌
  君はぼくを愛していた
  ぼくは君を愛していた
  二人は固く結ばれて生きていた
  ぼくを愛していた君と
  君を愛していたぼくと
  でも 人生は愛し合う二人を引き裂く
  ゆっくりと 音も立てずに
  そして海は消してゆく 砂の上の
  別れた恋人たちの足跡を
(作詞:ジャック・プレヴェール、作曲:ジョセフ・コスマ)

 ふつう歌われている岩谷時子訳の「枯葉」(あれは遠い思い出~)は、シンプルで美しく、シャンソンの日本語歌詞としては大変良いものだが、一般的にシャンソンを日本語の歌詞にするととても情緒的にセンチメンタルなものになってしまうことが多いので、直訳を掲げることは意味があると考えている。
 日本語で普通歌われるのは、一番とルフランだけしかないし。
 よく見ると、一番で使われた歌詞が、二番でところどころ繰り返されている。メロディーもそれに合わせて低く変えられている。
 シドレ シドレ シレドラ → ♯ソラシ ♯ソラシ ♯ソシラ♯ファ 
 シレド シレド シレドラ → ♯ソシラ ♯ソシラ ♯ソシラ♯ファ のように。
 そして、この繰り返しと低い音への変更が、ハラハラと散り行く落ち葉のさまを見事に表現している。たいへん凝った造りの曲だ。
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古い古い概念

2018-12-15 11:09:37 | 社会・現代
 踏みにじる側には、踏みにじられる側の痛みや苦しみや無念はわからない。少しの想像力と思いやる優しさがあれば、相手が苦しんでいるのだな、ということぐらいはわかってもいいはずなのだが。
 自分が政治的な思惑や計算で動いていると、訴えている相手もそうだ、と思い込んでしまうのだろうか。醜いことだ。
 辺野古のこと、技能実習生のこと、徴用工のこと、貧困のこと、その他のことを言っている。
 「植民地」や「奴隷制」などという古い概念を思い出すと、起こっている事態が理解しやすい。言い換えれば、それらのことはいまだに現実としてあるのだ。
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ちがう土地・違う生

2018-12-14 22:31:46 | 無いアタマを絞る
 もう山に三週間行っていない。急な寒さで膝の古傷が痛んだり天気に恵まれなかったりで、その間に植物園とか野鳥公園とかには行っているのだが、それだけでは空隙が埋まらない感じ。
 ところで、寒い時期はあまり高くない中央沿線の山に行くことが多くて、とりあえず行けばそれで満足なのだが、でも本当は、もっと別の場所かもしれないのだ、ぼくの行きたい場所、生きたい土地は。
 北アルプスのようなもっと高い山? 大雪山のようなまだ見ぬ北の山? ベン・ネヴィス(スコットランドにある、イギリス最高峰1344m)? 
 それは、山でさえないかもしれない。
 自然に包まれる喜び、陽の光や空の青さや木々のざわめきや小さな花々や大展望や風のさわやかさや…そういうものを求める気持ちと同時に、それと重なって、もっと別のものを求めている。その時だけの幸福感だけでないものを。
 こことは違う場所、いまとは違う生。
 ひょっとして、もう一度アフリカに行くことができたら…「来たかったのは此処ではなかった」と、思うに違いない。そういうことを繰り返してきた気がする。
 ぼくはそういう土地や生が現実にどういうものでありうるかを知らないし、それを現実に求める力を(目標や体力や資金を)もはや持たない。だから、これから先も、この地上に生きるあいだ中、そういう場所そういう生にあこがれ続けることだろう。
 目的の場所にたどり着けない夢、帰るべき場所に帰りつけない夢、を頻繁に見る。
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東京港野鳥公園

2018-12-12 23:18:01 | 自然・季節
 羽田空港には殆んど行くことがない。ここ数年で、母を連れた家族旅行で2回利用しただけだ。そのせいか、一人でモノレールに乗って浜松町駅を出ると、それだけでなんだかどこかの国に旅行にでも出かけるような、奇妙な気持ちになる。車内の座席の配列やたくさんのスーツケースのせいもあるかもしれない。ぼくはザックに双眼鏡と図鑑とコーヒーとおにぎりだけが荷物なのだ。延々と続くビル群も、延々と続く工事現場のクレーン群も、ひっそりと屋形船を係留した運河も、視角が変わるせいもあるだろうが、非日常的な、少し違う世界に来たような感じがする。ここを毎日通勤する人には、見慣れた風景だろうが。
 羽田には行かずに、3つ目の「流通センター」駅で降りる。野鳥公園へは、ここからコンテナトラックのひっきりなしに続く騒々しい道沿いに20分ほど歩かねばならない。
 以前、横浜に住んでいた(若い)頃は、相模川の河口で冬鳥の観察会をしていた。と言ってもぼくが教えるのでなく、子供たちを連れて行って、日本野鳥の会のボランティアの人に教えてもらっていた(ぼくが教えることができたのは星座の観察ぐらいなものだ。昔は目が良かったし、渋谷のプラネタリウムにはずいぶん通ったのだ)。
 相模川河口はかつては広い砂浜と湿地があったのだが、砂防堰堤工事のせいだとかで、砂浜も湿地も数年のうちにみるみる痩せて小さくなってしまって、それから行かなくなってしまった。今はどうなっているだろうか?
 野鳥公園に来るのも30年ぶりぐらいだろうか。すっかり整備されてきれいになっている。受付の先、干潟に向かう途中の林で、たくさんの鳥が騒がしく啼いている。上空を、小さな鳥が横切っていく。水辺の鳥と違って、林の中の鳥はまず姿を見つけるのが難しい。ヒヨドリだけはすぐわかるが、あとは姿が見えない。カラ類の混群だろうか。ここにしばらくとどまっていればだんだん見えてくるのだが、今日は目的は水辺なので、先に行くことにする。
 平日の午前中のためか、ほとんど人がいない、たまに、ボランティアだろうか、胸に名札を付けた人とすれ違い、あいさつをする。外の音がなければ、大変感じの良い静かな場所なのだろうが、なんせ車の音、飛行機の音が絶え間ない。隣は大田市場で、近くには空港だ。
 観察広場につく。鳥を驚かさないようにブラインドになっている、望遠鏡がいくつも備え付けてある。ブラインドに開けられたスリットから池を泳ぐ鳥に焦点を合わせる。
 嘴が冬モードに黄色くなったダイサギが池の向こうの草地に一羽いる。池の上には、頭が赤茶色のホシハジロとお腹の白いキンクロハジロがいる。他にはいない。久しぶりの水鳥との対面で、しばらく息をつめるように観察してから、その先のネイチャーセンターの建物に向かう。真新しい、木の床の美しい建物で、暖房が効いている。ボランティアと思われる人が一人カウンターの中にいるだけで、観察している人はだれもいない。
 全面ガラス張りの窓の外には、「潮入りの池」という広大な池が広がっているのだが、水鳥はほとんど見えない。すぐ近くに、額から嘴にかけてがくっきりと白いオオバンが10羽ほど、もう少し遠くに光沢のある鮮やかな緑色の頭をしたマガモの番い(どれもオスの特徴)。ずっと遠く、望遠鏡でも判別ができない距離に、あまり大きくない群れ。それだけだ。
 カウンターの人に日曜日の観察会のことを訪ね、ポケット図鑑を買う。薄くて持ち運びが容易でうれしい。ぼくの持っているのは、詳しいがかなり重たいものだ。
 蜂蜜入りのコーヒーを飲み、再び屋外に出る。先端にある観察小屋と観察デッキに向かう。残念ながらカルガモしかいない。人もいず、冬鳥もいず、水面が広がっているだけの静謐な場所だ。外の騒音さえなければ。
 ここは以前は「大井野鳥公園」という名だった。観察用のブラインドの他はほとんど整備されていず、そのかわりもっと勝手に歩き回れたと記憶する。今はほとんど一本道の観察用通路の他は立ち入り禁止だ。もちろん、鳥類の保護にはその方が良いのだが。
 冬鳥がたくさん見られるのはもう少し後、一月の下旬から二月にかけてだと思う。ただし、ここは昔来た時も鳥の数はそんなに多くなかった。相模川河口では、ガン・カモ類の他にカモメ類やシギ・チドリ類も多数見られた。残念なことだ。
 今度、多摩川の河口に行ってみようか。川崎大師近くの河原も、確か冬鳥の観察に向いた場所だったはずだ。いつだったか、正月の3日に行ったら初詣の人混みに呑み込まれて閉口したことがあったなあ。
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オデル

2018-12-10 10:27:03 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 そう、ぼくは2年間受けていたブルーグラスのレッスンをやめてしまった。
 そのことは当然ある種の断念に違いないのだが、やめて良かった。ここのところ、もうイヤイヤ練習をしていて、気分が悪かった。
 「わらの中の七面鳥」みたいな、どれも同じような練習曲を、ゆっくりの速度から始める。トレモロ奏法はほとんど使わず、アップダウン奏法で弾く。先生が一緒に弾いてくれて、メロディーとコードのパートを入れ替える。その速度で弾けるようになったら、だんだん上げていく。延々これの繰り返しで、2年間を過ごしてしまった。
 プロの演奏を聴くと、ものすごい高速で弾いている。高速で弾くのが、ブルーグラスマンドリンの持ち味らしい。元のゆっくりしたメロディーを高速で装飾して弾くというのは、言わば、演歌のこぶしのようなものだと思う。こぶしがいかに上手くなっても、それだけで歌が心に伝わるわけではない。と僕は思う。昨夜のプロのマンドリンも、聴いていて面白いと思わなかった。
 もっと抒情的な音楽がしたい。心を伝えられる音楽がしたい。
 ぼくが、高速で弾けるようにはならなかった、というのは事実なのだが。

 それで今は、普通のラウンド・バックのマンドリン用の、代表的な教則本である「オデル」を練習している。先日、「イケガク」のサイトで、青山忠氏がオデルの最初の53の練習曲を模範演奏しているDVDがあるのを知った。早速購入した。
 それが、いつ止めようかと思っていたブルーグラスをやめる転機になった。
 今、一日に1時間半ぐらいオデルを練習して、もっと時間の取れるときにはいろんな歌を弾き語りで一人で歌っている。オデルは、練習曲でも美しくて、弾いていて楽しい。部屋の外に漏れる音で、妹が「前のよりずっと気持ちいいね。前のは、またか、という感じだったけど」と言っている。
 53の練習曲だけは、一昨日53番目まで到達した(以前から、時々気になって試し引きしていたので、一気に全部こなしたわけではない)。ちゃんと弾けるというわけではないし、ましてデュエットできるわけではない(オデルのこの部分は、先生の伴奏で合奏するように書かれている)。でも、とりあえずそこまで行ってみようと思ったのだから、今はこれでよいことにする。これからはじめに戻る。
 これは、上下2巻あるオデルの1巻目のまだ前半だ。ここから先は(ここまでのところも)、誰かに指導してもらわなければ進めないだろうと思う。
 ぼくは、(ラウンドは腰が痛くなるので)フラット・マンドリンを弾いているので、先生を見つけるのは至難だろう。すでに、問い合わせてみたところは断られている。
 この2年間、最初からオデルをやっていれば、今頃は下巻の方に入っていたかもね、と思わないでもない。まあ、仕方がないけどね。

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