枯葉
ジャック・プレヴェール:詩
思い出してほしい
二人が愛し合っていたあの幸せの日々を。
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと燃えていた。
枯葉がシャベルで集められる。
ねえ ぼくは忘れてはいないよ。
枯葉がシャベルで集められる。
思い出と悔恨もまた。
そして北風がそれを
忘却の冷たい夜へと運び去る。
ねえ ぼくは忘れてはいないよ
君の歌っていたあの歌を。
ぼくたち二人のことのようなあの歌。
君はぼくを愛していた。
ぼくは君を愛していた。
二人は固く結ばれて生きていた。
ぼくを愛していた君と
君を愛していたぼくと。
でも 人生は愛し合う二人を引き裂く。
ゆっくりと 音も立てずに。
そして海は消してゆく 砂の上の
別れた恋人たちの足跡を。
枯葉がシャベルで集められる。
思い出と悔恨もまた。
でも ぼくの静かな変わらぬ愛は
いつも微笑んで 人生に感謝する。
ぼくはあんなに君を愛した 君はあんなに美しかった。
どうして君は 忘れて欲しいなんていうの?
あの頃 人生はもっと美しく
太陽はもっと輝いていた。
君はぼくのいちばん優しい恋人だった。
でも今のぼくには 後悔しか残されていない。
そして君の歌ったあの歌を
いつまでもいつまでも ぼくは思い出すだろう。
ぼくたち二人のことのようなあの歌。
君はぼくを愛していた。
ぼくは君を愛していた。
二人は固く結ばれて生きていた。
ぼくを愛していた君と
君を愛していたぼくと。
でも 人生は愛し合う二人を引き裂く。
ゆっくりと 音も立てずに。
そして海は消してゆく 砂の上の
別れた恋人たちの足跡を。 (樋口悟 直訳)
秋になると必ず繰り返し暗誦したくなる詩が、とりあえず二つある。ひとつがこれで、もうひとつはライナー・マリア・リルケの「秋の日」。
「枯葉」は以前にブログに書いているが、また書いておきたい。ただしぼくのは直訳であって、歌うことはできないし、みんなに歌われている「あれは遠い思い出~」の名訳に比べるといかにも散文的だ。だが、シャンソンを日本語の歌詞にすると、通常、とても情緒的にセンチメンタルになってしまうので、原詩の言っていることを直訳で丸ごと伝えることはそれなりに意味がある、と思う。
日本で普通歌われているのは、一番分と繰り返ししかないし、英語の「枯葉」は繰り返しの部分しかない。
よく見ると、一番で使われた歌詞の一部が、二番でバラバラに繰り返されている。メロディーもそれにあわせて低く変えられている。
シドレ シドレ シレドラ → #ソラシ #ソラシ #ソシラ#ファ のように。
作曲者ジョセフ・コスマの、精妙なテクニック。そして、この繰り返しと微妙なトーンダウンが、ハラハラと散り行く落ち葉の様を見事に表現している。この名曲の、ここを見過ごすのはもったいない。