すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

セカイノオワリ

2022-12-31 20:08:22 | 社会・現代

 ずっと後になってみれば(というのは、時が経った後に、みることのできる人が存在していれば、の話だが)、2022年は現代文明の終り、ひいては、(人類にとっての)世界の終りの始まりの年だった、ということになるのかもしれない。
 ここで、今年起こったことはどれも、誰もが知っていることなのだから、それを改めて列挙するのは止そう。
 ぼくの友人の一人はついこの間まで、「ぼくたちの孫ぐらいの世代の人たちはかわいそうだ。ぼくたちはこの世界がどんなひどいことになるか知る前にあの世に行ってしまうからいいけれど」とよく言っていた。そのたびにぼくは反発したものだったが、彼はここのところその言い方をぴたりと止めてしまった。
 今年は、これからの事態を知らないまま死んでしまうはずだったぼくたちの世代をも、不安が蔽い始めた年だった。
 食糧とエネルギーの価格はまだ上がり始めたばかりだ。世界の政治状況はまだ流動化し始めたばかりだ。自然災害はまだ明らかになり始めたばかりだ。来年以降、すべてはどこまでも激化するだろう。
 ぼくはあまりにも暗い未来を思い描いてい過ぎるか?

 食料を例にとってみよう。「ロシアのウクライナ侵略で小麦とエネルギーの価格が上がって物価全体に影響している。だから平和になれば物価は再び安定する」と思っている人は多いかもしれない。だが、平和が戻っても、そうはならない。旱魃や水害や戦争のせいで、世界各地で食糧の、特に穀物の生産は滞り始めている。もっと深刻なのは地下水の枯渇だ。穀倉地帯であるアメリカの大平原でも、中国でも、水不足による生産性の低下は始まっている。井戸はどんどん深く掘らなければならず、毎年の降雨によって補充される層の地下水では足りず、もっと深部の「化石帯水層」から汲み上げてどんどん使っている。これは石油や天然ガスと同じく、使い切ったら補充は効かないのだ。まもなくアメリカも中国もインドも、穀物輸入国に転じる。中国はすでに、世界のあちこちで土地の買い占めを始めている。
 世界の穀物が不足すれば、飢餓や戦争はもっとひどくなる。日本は最も深刻な国に転じるだろう。どこの国も、自国民が飢えているのに他国に輸出しようとは思わない。食糧危機と生活難が深刻になれば、日本でも暴動は起きるだろう。およそ百年前の米騒動のような事態はいずれやってくる。その時は、ぼくたちの世代が生きているうちに来るだろう。その方がまだマシかもしれない。「あとは野となれ」はしたくない。ほんの始まりであっても、孫の世代でなくぼくたち自身が、困難と悲惨に直面するべきであるのは、倫理でもある。
 日本は食料自給率を上げなければならない。利潤が揚げられないから止めてしまった二毛作とか、休耕地の再生とかをするには、補助金をつぎ込まなければならないだろう。国による買い上げも必要だろう。
 国を守る第一の要は食料だ。防衛費を倍増するよりも先に、農業に予算を使わなければならない。それで問題が解決するとは思わないが、まずそれだけはしなければならない。

 これから世界は、事態が深刻になるにつれて、暴動と紛争が激化するだろう。国家による統制や弾圧も激しくなるだろう。自由とか平等とか民主主義とか、ぼくたちが普遍的価値と思っていたものは捨て去られるだろう。若者は兵隊に行くだろう。来年は今年よりも、再来年はさらに、暗い年になるだろう。世界はあっという間に終わるのではない。その前に、長い長い混乱と苦しみの時が、そしてその後に絶望と狂気の時が来るだろう。
 ・・こう書いたからといって、ぼくはもう未来を捨ててしまった、わけではない。人類に、ぼくに、何ができるかを考えて、答えが出ない状態にいる。考えただけでも気が重くなる。でも、答えが出なくても、考えることを投げ出さずにいよう。だれでも最低限出来ることは、目を閉じずにいることだ。
 考えながら、暗い時代に直面する覚悟だけはしておこう。

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電車が多摩川を渡る

2022-11-02 12:57:40 | 社会・現代

左岸 古墳側の斜面は
桜が地味な色に紅葉し
河原の禾本科はすべて藁色だ
花咲く緑の野
空を映す広い豊かな水面
そんなものはないけれど
ここにはここの安らぎがある

河川敷の真ん中近く
マウンドのように少し盛り上がったところに
小さな小屋がある
板切れとトタンとブルーシートの小屋だ
川が荒れた時に濁流から護られるように
上流側の茂みの蔭に小さく作られている

今年は無事に過ぎたのだ

4年前には氾濫で
すべて流されてしまった
荒れ放題の地が整備され
茂みに引っ掛かった流木は除けられ
そこに雑草が戻り
いくつかの小屋が戻り

すべてを失った人たちの何人かが
また住み始めたのだ

あの時は生きた心地もしなかったろうが
生き延びることができてよかった

故郷はあるだろうに
帰れない事情があるのだな
何も力にはなれないが
こんどそこまで行ってみよう
そしてせめて祈ろう
無事でいろよ

嵐の季節は去ったが
また 極寒の冬がやってくる

 

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世界は苦しんでいる

2022-10-09 11:24:32 | 社会・現代

 世界は苦しんでいる。ウクライナで、ソマリアで、パキスタンで、アフガニスタンで、人々は戦争で殺され、飢えと栄養失調で死に、洪水に続く疫病に倒れ、人間として生きる権利と自由を奪われて苦しんでいる。そしてこれだけでなく世界中いたるところに、貧困や差別や暴力は蔓延している。
 ブリジット・フォンテーヌはすでに1969年に代表作「ラジオのように」で歌っている:

 ・・・この瞬間に、何千匹もの猫が道路で引き裂かれている。この瞬間にアル中の医者が若い娘の上に屈みこんで「くたばるんじゃないだろうな、このアバズレめ」と罵っている。・・・この瞬間に何万人もの人が「生きることは耐え難い」と思って泣いている。この瞬間に二人の警官が救急車に乗り込み、頭に怪我をした若い男を川に放り込んでいる。・・・
 ・・・世界は寒い。人々は気付き始めた。世界があまりに寒いので、あちこちで火災が発生している。・・・

 あの頃ぼくはこれを聴いていて、世界全体が夜の闇に包まれ、その中で音もなく燃え広がっている真っ赤な炎を、ありありと思い浮かべたものだ。

 宮沢賢治は宣言している:

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)

 それならば、世界が苦しんでいる今、ぼくたちの個人の幸福はあり得ないのではないか? ぼくたちも苦しまなければならないのではないか? 少なくとも、世界の苦しみを自分自身の苦悩として引き受けるべきではないか?(賢治は引き受けようとした。)
 これが、ここのところずっと、ぼくの心に棘のように刺さっている問題だ。

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セカイノオワリ(2)-気候危機

2022-09-11 10:00:47 | 社会・現代

 「気候変動」という言葉は、すでに今地球規模で起こっていることを表わすのに全然足りなくなっているのだそうだ。言葉が現実に置いて行かれてしまった。今の現実は、「気候危機」、あるいは、「気候崩壊」と呼ばねばならないのだそうだ。
 この夏、少しでも日本の、世界の自然災害のニュースに耳を傾けた者の多くは不安を感じ、危機や崩壊が迫ってくるのを目の当たりにする思いがしただろう。現時点では、それは都会に住む我々が直面する問題ではないように見える。人々の多くは「何とかなるさ」と思っているかもしれないし、不快ではあるが差し迫った問題ではない、と感じていられるかもしれない。だが、たちまち、自分自身の生活にも大きな困難をもたらす問題になることは間違いない。
 気候危機は、現代の東京に暮らすぼくたちにも、水害や山火事という形ではなくても、大きな苦難をもたらす。ぼくたちにいちばん直接的にかかわる問題の一つは、食糧の確保の問題、当面は食糧価格の高騰だ。だが価格高騰に留まらず、そう遠からず、食料が手に入らない、というところまで事態は進む。食べることができる者とできない者に分断され、社会全体が不安定化し、暴動が起きる時代はそう遠くはない。
 現在の食料品とエネルギーの価格の高騰はロシアのウクライナ侵攻が原因の一時的な事態であって、いずれ戦争が終結すれば元に戻る——ということではない。いったんは下がるかもしれないが又すぐに上がる。そして将来は、一年で2倍、3倍になる。日本のように食料自給率の低い国では、輸入できる食料が減れば、当然そういうことになる。買いたい国がいっぱいあれば競争になるから高い金を出さなければならなくもなる。中国やインドが食糧確保は自国民優先、となれば、何倍の価格でも手に入らなくなるだろう。
 食料がなぜ問題なのか? あれは、異常気象に見舞われた今年だけの問題ではないのか? もちろん、そうではない。なぜなら、気候危機によって、世界の農作物の、特に、主食である小麦、米、トウモロコシの生産は減少の一途をたどるからだ。このことの一部は、少し考えてみればすぐに分かる。
 世界はあちこちで、旱魃と水害に見舞われている。見舞われているのはいずれも、大食糧生産地だ。旱魃や水害に見舞われた土地は、食糧の生産ができない。一度見舞われれば数年はできない。そして旱魃と水害は年々繰り返され、年々ひどくなっている。
 干ばつや水害だけでなく、世界の食糧生産地は水不足という深刻で長期的な問題に悩まされている。アラル海はほとんど乾上ってしまった。サブサハラ(サハラ砂漠南縁の地方・国々)では砂漠の拡大に苦しんでいる。いちばん深刻なのは中国だろう。
 ぼくの友人数人が、マリ共和国の内陸部の砂漠化を食い止める活動に従事していた。灌漑施設を作り、農業指導をし、遊牧民の定住を図る運動だ。だが、灌漑をして作物を育て始めると、土中の塩分が上昇してきて作物は塩害を起こしてしまう。また、民族対立が激しくなり、活動は停止している。ここでは穀物の不足は民族対立・宗教対立の原因にもなっている。北部の遊牧民はアラブ人でイスラム教徒だし、南部の農耕民は黒人でキリスト教徒もしくは民俗信仰だからだ。
 これと同じ現象は、もっと過激な形でスーダンで起きている。こちらはアラブの遊牧民、黒人の農耕民、どちらもイスラム教徒だ。そして、食糧争奪のための民族紛争や戦争は、穀物不足が深刻になるにつれてさらに世界のあちこちで起こるだろう。
 気候危機による水不足は氷河の消失という形でも起こる。インドと中国の農業生産は、ヒマラヤ(と、チベット高原)の氷河という水源に大きく依存している。どちらも、氷河が融けるのにつれて水量はどんどん減っている。黄河は近年たびたび枯渇している。ロッキー山脈とアンデス山脈でも同じことが起きている。
 温暖化と、もう一つは増え続ける人口による水不足を解消しようと、各国は井戸を掘って水を汲み上げている。井戸はどんどん深くなっている。降雨による地下水では足りないので、さらに深くの「化石帯水層」からのくみ上げが行われている。これは石油や天然ガスと同じく、これから回復することは無いので、使い切ってしまえばおしまいだ。すでにサウジアラビアでは使い切ってしまい、穀物は全面的に輸入することにした。
 人口が急速に増え続けるインドでも、穀物生産は落ちている。アメリカの大穀倉地帯「グレート・プレーンズ」でも、化石帯水層はどんどん減少しているという。
 中国やインドやアメリカが穀物輸入国に転落する事態になれば、日本は遥かにひどい食糧不足に見舞われる。日本人は性格が温和な国民だそうだが(?)、深刻な食糧不足となれば別だ。歴史で習った「米騒動」のような暴動が起きるかもしれない。そしてそれは、セカイノオワリの悲惨のほんの始まりなのだ。

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セカイノオワリ

2022-09-10 10:54:34 | 社会・現代

 人類は滅亡するか?
 長い間この自問に、「然り」と答えてきた。
 最近、そうではないだろう、と考えている。現象としてはほとんど同じことだが、どこを重大視するかが違う。
 現代文明は遠からず崩壊する。これは間違いない。ただそれは人類という種の滅亡ではない。黙示録の時代を耐えて生き延びる、数少ない人たちがいるに違いない。その人たちが、放射能から身を護るためのシェルターの中に閉じこもって自然から切り離されてテクノロジーの夢を見続けることができるか、あるいは「風の谷」のような、とりあえず汚染を免れて、だがいつも不安には曝されている小さな土地で、中世風のささやかな耕作の生活を営むことになるか、それは分かりようがない。
 いずれにしてもその時、人類は自らを「絶滅危惧種」と認めるだろう。
 ところで、ぼくの関心は、人類が生き延びるか否か、ではない。自分の老いと死が現実のものとなってくるにつれて、最初の自問の答えも変わってきた。
 いまぼくは自分の死は少しも怖くはない。その時が来たら受け入れるだけだ。だが、そこにいたるまでに長い激しい苦痛に耐えなければならないというのは恐ろしいし、嫌だ。(このことについて深く、執拗に考え続けたのは、大河小説「チボー家の人々」でノーベル賞を受賞したフランスの作家ロジェ・マルタン・デュ・ガールだが、ここでは話が逸れるので、別の機会に触れたい。)
 現代文明が崩壊する過程で、その過程の中を生きねばならない人たちが、どれだけ過酷な悲惨な現実を突き付けられることになるか、それは自分の死の苦痛どころではない、目が眩むほど恐ろしいことだ。
 そしてそれは、すでに世界のあちこちで始まっている。食べ物が無くて餓死する人たち、疫病にかかって非衛生的な環境で薬もなく死んでいく人たち、戦争で殺される人たち。
 これからぼくたちは、ぼくたちより後の世代はなおさら、どのような悲惨に直面しなければならないか? このことは今やぼくの強迫観念のようになっているから、これから繰り返し考え、考えるために書くことになると思うが、はじめに、気候変動について少しだけか触れてみたい。
(長く考えるのが苦手になっているので、この項続く)

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2022-06-24 10:21:01 | 社会・現代

老人はたった一人で生きてきた
都市が滅び去るのを目にしてから
もう何百年かが過ぎていた
何も食べようとは思わなかった 森の
巨大な樫の木の根元に
泉が湧いていて
時折その泉に口をつけては飲んだ

廃墟がその後どうなっているか
見に行こうとも思わなかった たぶん
蔓草に覆い尽くされ
風化して土に戻りきるには
まだ何千年かかかるだろう
削り取られた丘陵が
ふたたび盛り上がるには
何万年かかかるだろう
大地はやっと
再生への長い道のりを始めたのだ

もう何も考えたくはなかった
ただ老人の悔恨といえば
自分から離れていったものたちが
あのように滅び去るのを
止めようもなかったことだ
自分にできたのはただ
人間たちの滅亡を顔を背けずに
直視していることだけだった
自分の無力さに
眠れぬ夜を過ごすことが幾度かあった

ある夜老人は夢を見た
樫の木の根元で
泉に指先をひたして
美しい子供が午睡していた
老人はそっとかがみこんで
子供の夢の中をのぞいてみた
そこでは銀河が生まれ
太陽が耀き始め
海と大地が分かれていくところだった

老人の夢の中で子供が眠り
子供の夢の中で老人は見ていた
海が生命をはぐくみ
何億年かの時が流れるのを
人間の出現も
氷河期の繰り返しも
それを見続けてきた老人自身も
子供の午睡の夢のひとかけらに過ぎなかった

都市が聳え文明が栄え
やがて崩壊する日がやってくる
悪い夢におびえて
泉にひたした指がぴくりと動き
子供は目を覚ました
それが すべてのものの
本当の終焉だった
森も廃墟も大地も銀河系も
その瞬間に消えてしまった
もちろん老人も消えてしまった 老人は
子供の夢の中の存在に過ぎなかったから
そして子供も 子供のもたれかかった樫の木も
指をひたした泉も消えてしまった
それは老人の夢の中の出来事に過ぎなかったから

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2022-06-14 21:20:24 | 社会・現代

戦場から逃れ出て
身を潜めた洞窟の
光の射さぬ暗い壁に
俺が殺した村人の
とりわけあの娘の
目の無い顔が浮かび上がる
・・あの引き鉄の感触が
今でも指に残っている

銃弾が至近距離で
高速度写真のように
ゆっくりと胸に食い込んでいった
迸った返り血が
俺の指や戦闘服を染めた
それが青黒い染みになって
指から拭い取れない

娘の開かぬままの唇が言う
ここにいてはならない
この入り口は間もなく岩に埋まる
このままお前が後悔の中で死ぬことも
懺悔に安らぎを得て死ぬことも
絶対に許さない

出て行くがいい
私はお前を許さないが
出て行くことは許可しよう
善き人々に混じって
外の明るい世界で
闇を抱えて独り
苦しみ抜くがいい

私の無念はお前の生きている限り
その額に罪の印として
刻まれていると思え
たとえお前自身には見えなくとも

死ぬ時が近付いたら
残る力を振り絞って
私を呼べ
お前の額の印を消すかどうか
その時に決めよう
その時を慄きながら待て

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緑の森

2022-05-30 21:29:00 | 社会・現代

ここに来てこの美味い空気を吸え
君は
呼吸するってことがどういうことか
知るだろう
君が今まで都会で
じつは息ができていなかったのを
知るだろう

ここに来てこの岩の上から
見渡す限りを見ろ
これが世界だ

君が都会のニュースで見聞きすること
そのすべては「今の世の仮の姿」に過ぎない
それらが 敵も味方もすべて滅びたとしても
ここから見える緑の森が
これが世界だ
失ってはいけないものだ

これさえあれば
やり直すことができる

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戦争と平和

2022-03-13 09:55:43 | 社会・現代

ロシア語では
「平和」と「世界」は
同じ一つの単語ⅯИР(ミール)
なのだそうだ
だからトルストイの「戦争と平和」は
「戦争と世界」でもあるのだそうだ

世界と平和とを同義と考えた
ロシアの民衆を
ぼくは尊重したい

愚かな皇帝や取り巻きたちの妄執や妄想が
兵士に武器を持って殺すことを命じる
だが民衆の素朴な意志の力が
歴史を作ることだってできる

ぼくたちはそれを応援し
信じ 祈ろう

プーチンは侵略を開始したと同時に
平和も世界も失ったのだ

ウクライナの野は
今はまだ雪の中だ
だがもうすぐ 畑を起こし
麦の種を蒔く季節がやってくる

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ウクライナ

2022-03-09 20:22:03 | 社会・現代

 舞踊家ニジンスキーはウクライナのキエフで1890年にポーランド人の両親のもとに生まれた。ただし、そのころウクライナという国はなかった。
 キエフ公国は13世紀にタタール人に侵攻によって崩壊し、その後は他国の支配と独立運動との繰り返しの長い苦難の時代が続いた。現在のウクライナが共和国として独立したのは1917年。22年にソ連に加盟。1991年に「ウクライナ」として再独立。苦難の歴史がやっと終わって平和が訪れたかに思われた。独立時は世界3位の核保有国だったが、その後完全に廃棄した。
 急いで書いておくが、ぼくはもちろん、「プーチンの言うことにも一理ある」などと主張したいわけではない。ロシアは直ちに無条件に侵略を止めて兵を引かなければならない。
 ウクライナは、ほかの東欧・中欧諸国同様、周辺の国々の力関係の綱引きの中で、繰り返し侵略・併合・分割されることを余儀なくされてきた。歴史上有名な「ポーランド分割」で悲劇の国とされたポーランドでさえ、ウクライナ西部を支配していた時代が長い。ニジンスキーがキエフで生まれた、というのもそのためだろう。彼が生まれたとき、キエフはロシア帝国に支配されていた。
 そうした歴史の中でやっと勝ち得た独立は、そして核廃棄にみられる平和への意志は、何よりも尊重されなければならない。

 今回のロシアの暴挙の報道の中で繰り返し映し出されるウクライナの国旗を見て、小麦畑あるいはヒマワリ畑と青い空、よりも先にぼくがすぐに思い浮かべたのは、「風の谷のナウシカ」だった。

  (樹々を愛で 虫と語り 風をまねく鳥の人)
  その者 青き衣をまといて
  金色(こんじき)の野におりたつべし

 あってはならないことだが、もし仮に、ウクライナが今いちどしばらくの間、ロシア帝国主義に膝を屈する事態になった場合も、ぼくたちはあの青と黄色の国旗を、平和を希求する不屈の意志の象徴の色として心に刻み込むことにしよう。

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ウイルス

2022-01-29 14:04:14 | 社会・現代

 「ぼくは、感染拡大、というより爆発、にもかかわらず、人類はコロナを克服しつつある、と思う」と書いた。そう思う根拠は、「オミクロンは重症化しなさそうだから大丈夫」とか「急速にピークアウトしそうだから」というような単なる推測ではない。
 今からほぼ2年前の4月の、最初の緊急事態宣言の時と比較してみればよい。
 あの時、ぼくたちはそれこそ、見えない恐怖におびえ、息をひそめていた。スーパーの棚からは食料品が消え、学校は閉鎖になり、喫茶店や飲食店や図書館や映画館など人の集まるところはすべて閉まり、人々はマスクを求めてドラッグストアを梯子して、それでも手に入らないのでいらだっていた。コロナは、得体の知れない、感染すると肺がやられて呼吸困難になって苦しみながら死に至る恐ろしいウイルスで、しかもどこに潜んでいるのかわからなかった。治療法もわからず、重症化したらECMOに繋ぐしか手がなかった。
 あれから二年。医療関係者みなさんの懸命の努力で、コロナがどのような感染症なのかはかなり解明されてきた。治療薬も出始めたし、ワクチンも開発された。何よりも、研究と経験の蓄積によって、基本的には、どのように対処すれば感染を防いだり(リスクを下げたり)治療したりできるのか、さらに、なるべく経済を止めないためにはどうすればよいのか、などが分かりつつある。社会は、試行錯誤しながらも、出口に向かって着実に進みつつある、と考えてよい。
 もちろん、油断はできない。さらに変異が進む中で、殺人的変異種が出現することがありうるかもしれない。だからなるべく変異の機会を与えないように、慎重に行動しよう。

 ところで、問題はむしろその先にある。人類は、「生息域を拡げ、環境を制圧し、繁栄を手に入れた」、と考えるそのたびに、ウイルスとの遭遇を繰り返してきた。
 横道にそれるが、ぼくはいつもエボラウイルスのことを思い出す。今から40年以上前、1975年に、子供の頃からの憧れの地だったアフリカに初めて行った。ザイール(現在のコンゴ民主共和国)東部のジャングルを中心に11カ月暮らした。帰国した翌年、スーダン南部とザイール北部で「エボラ出血熱」がアウトブレークした。感染すると全身が侵され、体中の穴から出血して死ぬ、致死率80~90%の恐ろしい感染症だった。「一年早く発生していたら…」と恐ろしかった。さらに翌年に計画されていた再訪は、当然中止された。
 あとで分かったことだが、エボラウイルスは免役機能を破壊してすり抜ける特性を持っており、ものすごい感染力がある。ただし、症状が急激に進みすぎて、感染者が人と接触する前に死んでしまうことが多いので、何度か小爆発を繰り返したものの、大爆発には至っていない。あれが、逆にもう少し緩やかに症状が進むものだったら、人類はすでに危機に瀕していたかもしれない。
 宿主はやはりコウモリの一種だった。当時、アフリカやアマゾンのジャングルの奥地には人類にとって未知のウイルスがいくらでもいる、と言われていた。人類が活動領域を広げるたびに新しいウイルスに遭遇する危険がある、と。コロナは、そのようにして人類が出会った新しいウイルスのひとつだったようだ。
 先日TVで見たのだが、地球温暖化でシベリアの永久凍土はどんどん解凍が進んでいるのだそうだ。融けた土の中からはすでに、これまで冷凍保存されていた、人類が遭遇したことのないウイルスが複数発見されているのだと。温暖化が止まらなければ、それらはいずれ人類と遭遇する。
 ウイルスは、現代文明の問題でもある。人類はコロナを克服した後、さらに危険なウイルスと闘わなければならないかもしれない。そのことを含めて、ぼくたちは文明の在り方を考える必要がある。

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激しい雨

2022-01-14 10:48:45 | 社会・現代

(…)
雷の轟きを聞いた 警告を発していた
波の咆哮を聞いた 世界を吞み込みそうだった
一万人の囁きを聞いた 誰も耳を傾けていなかった
一人が飢えているのを聞いた 大勢がそれを笑っていた
詩人が歌うのを聞いた 彼は排水溝で死んだ
(…)
そして激しい 激しい 激しい 激しい
激しい雨が降ろうとしている
(…)
ぼくはそれを話し 考え 告げ 呼吸しよう
山にこだまさせ すべての魂に届けよう
沈み始めるまで渚に立とう
そして激しい~ (以下略)

 (私の詞華集37 ボブ・ディラン「激しい雨が降ろうとしている」)

 いつも年頭などの季節のご挨拶には「私の詞華集」として詩(またはその一部)を紹介しています。今年はご挨拶自体をしなかったので、遅ればせながら詩の方だけを掲げておきます。念頭には比較的明るめのを、と心がけているのだけれど、「おめでたい」気分には程遠いので、今年はどうしてもこれを載せたいです。

 コロナは間もなく乗り越えられるだろう。もう一回か二回、大混乱がやって来ても、やがて遠からず、インフルエンザと同じようなものになるに違いない。でも、ぼくたちがもっと大きなアポリアに、解決の糸口のない数々の難問に直面していることも、間違いない。地球温暖化と資本主義の行き詰まり、この二つに伴う諸問題(水害、日照り、食糧難、貧困、格差の拡大、紛争、難民…挙げればきりがない。それどころか、現代社会は崩壊の危機に瀕している、あるいは、崩壊の過程はすでに始まっている。
 ぼくは未来を予測できない。まして明るい未来は。ぼくの子孫たちの時代はどうなるだろう?(ぼくには直接の子孫はいないが。)
 ぼくはいま、世界人口70数億人の中でずいぶん恵まれた方にいると思うが、これは数々の矛盾の上に成り立っている。そのことに倫理的な疑問を感じないではいられないが、だからと言って問題を解決するにはどうすればよいのかはわからない。
 せめて、とりあえず、しっかり目を開けていよう。耳を傾けよう。危機に直面していることを意識していよう。そして、それを話し、考え、告げ、呼吸しよう。沈み始めるまで渚に立つ覚悟をしよう。

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歳末

2021-12-18 12:57:34 | 社会・現代

 駅前の舗道にこの頃、国境なき医師団も世界食糧計画も難民高等弁務官事務所もユニセフも、この時期にはよく見かける救世軍もいない。一年でいちばん、困窮した人たちのことを思いやったり思い出したりする季節なのに。
 今日は駅ビルの前に自転車一台も停められていない。排除通知の貼り紙が二枚、鉄のバリケードにつけられている。昨日、処分が行われたのだ(ここらあたりは駐輪場が全く足りないので、ぼくもたまに停めることがある)。
 空っぽの、きれいさっぱりとした舗道。
 寄付を呼び掛けていた人たちも排除されたのだろうか? あの人たちを排除して、どうしようというのだろうか? 今さらクリスマスや年越しのイルミネーションではないだろう。
 「道行く人たちの邪魔や事故のもとにならないように」だろうか? 「街の美化運動」だろうか? 「さっぱりとした新年を迎えたい」のだろうか? 困っている人たちの力になりたい人たちを排除して?
 助け合うべき、あるいは連帯すべき、あるいはせめて共感すべき人々は、お互いにそっぽを向いて歩いている。他人にはなるべく目線を合わせないように(ぼくも、そのうちの一人だ)。
 (山で野生の猿に出会ったら、決して目を合わせてはいけないのだそうだ。)
 現代社会が終わろうとしているのに、ぼくは何をどうしたらよいかわからない。
 だからぼくはふさぎ込み、むかっ腹を立て、それにもかかわらず、退屈までしている。

 

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「アレクセイと泉」

2021-01-13 10:37:30 | 社会・現代

 映画はほとんど見ない。頭の回転が遅いので、ストーリーだけは頭に入っても、画面の情景を味わっている余裕がないからだ。その点、DVDで鑑賞するのは、何度でも静止画像にしたり戻したりできるので好都合だ。でも、レンタルはほとんどしない。棚にはほとんど、最近のヒット作しか並んでいないからだ。それらは全然見る気になれない。

 友人に勧められて、「アレクセイと泉」を見た。その友人の勧めるものなら何度も見るだろうと思い、中古を買った。送料込みで千円だった。
 チェルノブイリ原発の北東180Kmに位置する、プジシチェ村に残った村人たちの生活を一年間、淡々と記録したものだ。
 ベラルーシは原発の爆発で甚大な被害を受け、ブジシチェも立ち退きを迫られた。6000人の村人のうち、老人55人とただ一人の若者アレクセイだけが村に残ることを選択した。
 彼らが主食とするジャガイモの畑をはじめとして、村は放射線に汚染されている。キノコを採取したり薪を切り出したりする森は特に高い。村に水道はなく、村人の生活の中心になっているのは泉だ。不思議なことに、この泉の水からは放射能は検出されなかった。
 村人は水を汲み、二つのバケツを振り分けにして天秤棒で担いで運ぶ。重さ30キロだ。水を運ぶアレクセイの足取りはややぎこちない。放射能の影響だろうか。爆発の起こった時、彼は10代の前半だったはずだ。
 だが映画は今時の報道のようには、事故のことに喧しく触れない。村人の日々の生活を、静かに記録し続ける。ジャガイモ掘りを、草刈りを、洗濯を、キノコ狩りを、糸紡ぎを、馬や豚や鶏の世話を、泉の木枠の修理のための伐採を。収穫の祭りを、ダンスを、男たちのウオッカを、女たちの歌を、老夫婦の愛情(と、そこにある男と女のわずかな気持ちのずれを)。そして祈りを。 

 泉は生活の支えであるとともに、祈りをささげる場だ。放射能から彼らを護ってくれた奇跡の泉なのだ。十字架を立て、イコンを置き、司祭が聖なる水として村人たちに振りかける。村人たちは「百年の泉」と呼ぶ。
 ただ一か所、泉のかたわらの洗濯場の足場の修理の場面の最後に、ナレーションを担当したアレクセイがとつとつと語る一言が、彼らの生活の後ろにある事実を告げている。「これが最後の修理だろう」と。
 映画の撮影の時点でチェルノブイリの事故から15年が経っている。村人たちがさらに年老いて、村を離れた息子や娘たちに引き取られるか、あるいはこの世を去ってしまえば、洗濯をする者はいなくなるのだ。
 撮影からすでに20年がたっている。村は今どうなっているだろう。今も住む人がいるのだろうか?
 映像は非常に美しい。ただし、この村が特に美しい場所だった、という事ではないのだろう。世界中の沢山の場所に、美しい村はある。そして、消えつつある。
 福島原発の事故の後、神奈川ユーラシア協会の企画の現地訪問で福島から飯館・浪江に行ったことがある。マイクロバスが通行止めのゲートをくぐって、人が住めなくなってしまった地域に入った時、その土地の美しさに心を打たれかつ痛めたことがある。山桜が咲いて、あたり一面の芽吹きが始まる季節だった。「ここはこんなにも美しい土地だったのだ!」(あれは何年だったろうか。日記をつけないぼくには思い出せないことがいっぱいある。)
 ぼくたち現代の都会に生きている者たちは、決定的に失ってしまったものがそこにはある。ぼくは、そのような暮らしがしたいとは言いだせない。洗濯ひとつ、ジャガイモ掘りひとつとっても、つらい苦しい作業だ。だが、都会に生きるものとしても、せめて人々や自然への共感と祈りとを取り戻すことはできないだろうか? もうすこし、静かな生活のよろこびを取り戻すことはできないだろうか?
 そして、唐突かもしれないが、泉の水(水道)、たきぎ(電気などエネルギー)など、生活に欠かせないものの共有を目指すことはできないものだろうか?
 この映画は、本橋成一監督をはじめとする日本人が撮ったもので、2001年冬から02年冬まで撮影された。02年にはサンクトペテルブルグ映画祭でグランプリを獲得している。坂本龍一の音楽も美しい。撮影の時点では、スタッフの誰一人、10年後に福島であんなことが起きると思わなかったはずだ。
 福島の事故の後、日本各地で繰り返し上映会が行われているのだそうだ。友人に勧めてもらってよかった。この記事を読んだ人にも見てほしい。手に入りにくかったら、ぼくのをお貸ししますよ。

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緊急事態

2021-01-07 10:54:32 | 社会・現代

 一昨日、「想像力が欠けていたのだ」と書いた。それにしても、ぼくは想像力が欠けすぎていたな、と思う。
 10年前にとつぜん津波に襲われた人々、原発事故に見舞われた人々のことを、いつの間にかほとんど忘れていた。
 あの時、それまでの生活を、日々の幸福を、とつぜん断ち切られた人たちの悲嘆と不安と困窮は、今のコロナのための不安や悲しみと比べられるようなものじゃないのだった。それに、あの時ですら、当事者でないぼくは間接的にしか心を痛めることがなかった。
 そして今、目に見えないコロナにおびえている。「生きていることがうれしい」、などと言っている。いくらかは当事者なわけだ。
 コロナは目に見えないから、何処にいるのかわからないから不安だ。でも放射能はさらに目に見えない。そしていくつもの町や村を住めなくし、人々をばらばらにしてなすすべもなく異郷に追い立てる。
 ぼくたちにはまだ自分の今いるここに住み続けることができる。こまめに手を洗い、消毒し、人混みを避け、会話を控える、健康の維持に努める、などの対策を取ることができる。
 「いくらかは当事者」と書いたが、これ自体、想像力にかけている。必死で働いている医療従事者、職を失って困窮している人々、何時倒産するかわからない飲食店や中小の企業の経営者や従業員、希望の光の見えない人たちに対する痛みの共感が欠けている。
 今日、緊急事態宣言が出される。多くの人が感じていると思うが、手ぬるいものだ。これで抑え込めるのか?と疑う。
 だが、ともかくできることをしよう。そして、家にいる機会の多くなるこの時に、今起きていることを、今苦境にある人たちのことを、そしてそれと同時に、ちょうど10年になるあの出来事とその人たちのことを、もう一度深く考えることにしよう。

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