すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

モミジバスズカケノキ

2021-09-30 22:10:18 | 自然・季節

  幹の周囲:約6.3m
  樹高:約26m
  樹齢:120年以上
こいつは驚きだ
こんなにでかく 
醜く皮の剝げた美しいものが
明治より遡らないなんて
額をそって刀を差したおかしな奴らが
ここらをしゃっちょこばって歩いていた頃には
まだここに居なかったのだ
大樹を老賢人に例えることがあるが
これはそんなもんじゃない
ただただ恐るべき巨人だ
足は象より無惨で
小さなモアイ像をぐるりとと貼り付けたよう
これがざわざわ動き出したら
新宿の街はパニックだろう
幹の下部は焦げ茶色に膨れ上がった脈
上に行くにつれて剥がれて斑になり
先端部は殆どハゲ
ハゲたのは年経たせいだろうか
(上に延びていくのだから上の方が古い?)
いや 気が付いてみると 剥がれているのは
日の当たる部分だ
幹の南側 そして横にのびた枝は
上が白く下は暗い陰の色
してみるとこれは 日光が肌に悪いのだ
地面から5mほどの高さに最初の大枝
四方に伸ばした枝はおよそ23歩長

先端は地上すれすれ
モミジに似た五裂の葉の間に
緑褐色の鈴が下がっている
少女の外套の飾りのように
その径およそ3cm
表面は小さな疣々だが痛くはない
割ってみると 綿毛をびっしり詰め固めたような
薄茶の繊維
これが本当に芽を出して
次の世代に続くのだろうか
少し離れてみると 全体は樹というより
無惨に崩落した崖だ
枝は上部ほど激しく分かれていて
空に向かって爆発した玉座だ
この広い芝生の庭園でこのあたりに来る人は殆どいない
見上げる臣下はぼく一人
王は不在
いや王は
天空高い巻雲

 

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墓参り

2021-09-27 21:36:30 | 老いを生きる

 足元がふらついて山登りに行けないので、思いついて墓参りに行った。駅から寺まではタクシーで行けるので、用心のためにストックさえあれば大丈夫だ。そう遠くはないのだが、コロナ禍で一昨年の秋以来の墓参だ。
 菩提寺は、武田信玄の墓と夢窓国師の庭があるので今ではすっかり観光寺になってしまった、山梨県の塩山の恵林寺というところ。信玄にも夢窓国師にも関心はないのだが、墓地に行く道の杉木立の間から真正面に乾徳山が見える。ここから見る乾徳山はスッキリと三角に高く、まことに美しい。山号が「乾徳山恵林寺」というのが肯ける。乾徳山はぼくの「ふるさとの山」だ。
 墓地は奥の中央部が石段で小高い平地になっていて、その正面に歴代の住職の墓(「無縫塔」という玉子型の墓)が並び、その左手が樋口の墓。場所だけはなかなか格式のある墓なのだ、エヘン。昔はここはぐるりと林に囲まれていてうっそうと暗く、夏の夜には子供たちの「キモ試し」に最適の場所だった(と思う。臆病なぼくはいちども参加しなかったから)。寺が林を切り払って墓地を拡大してしまったので、昔の森閑とした雰囲気は全く失われ、明るい平凡な場所になった。山が見えるのを良しとしよう。
 墓は二年間ほったらかしになっていたので、前半分はセイタカアワダチソウなどの雑草が茂り放題になっている。そんなことになっているとは知らず、鎌など持って行かなかったので、軍手をはめて引き抜こうとしたら、しっかり根が大きくなっていて、小石を敷いた上に薄くコンクリートを流しているそのコンクリごと抜けてしまう。仕方がないので枯れ茎をなるべく根元から折りとった。後ろ半分は納骨室の平石の後ろに戦国時代からの小さな石塔がごちゃごちゃあるのだが、隣の墓地から侵入した蔓草で地面はすっかり覆われ、蔓は平石にも石塔にも這い登ろうとしている。剝がせるだけは剝がした。年明けには母の七回忌なので、それまでに改めて来て手入れをしなければな。
 うちの墓は、正面中央に明治時代、日本での飛行機の開発期にテスト飛行中に墜落死した大叔父のための大きな石塔が立っている。明治天皇からの下賜金で建てたのだそうだ。「樋口家先祖代々の墓」のほうはその左に小さくなっている。
 右には大きな切り株がある。半分以上はウロになってコンクリが詰めてある。大きな桜の切り株だ。ぼくが子供の頃はこの木はまだ生きていて、といってもさらにずっと前に落雷に遭って幹の半分以上が焼けこげてなくなり、残りの部分でかろうじて生きていて、それでも毎年季節になると花を咲かせていた。その半分だけの姿が無惨で、でも子供心にもけなげに思えて美しかった。
 しかしさすがにだんだん生命力は衰え、枯れ枝が落ちてきて危ないというので、寺からの要請もあって20年ほど前に根元から切ってしまった。そのあと、ぼくはここに来て切り株を見て、故郷との縁が終わってしまったように感じたものだ。
 …さて、うちの墓はぼくの兄弟たちがみんな死んでしまったら跡を継ぐ人はいない。だからまた雑草や蔓草に覆われるだろう。その先は、掘り返されて遺骨は永代供養塔に収められて、土地は更地になってまたどこかの家の墓になることだろう。それを残念なこととは思わない。ただ、骨壺からは出して欲しいな。永遠に閉じ込められるのは嫌だ。
 「死んだらぼくという存在の一切は終わりになる」とふだん思っているぼくの、これは不合理なセンチメンタリズムだろうか? 人は生きている限り、さまざま矛盾した感情を持つ。自分の死のことなどを考えるときは、ますます矛盾した感情を待つ。
 フランス東部のいくつかの礼拝堂の地下墓地で、ペストで死んだ中世の人々の無数の骸骨が積み上げられているのを見た。あれはあれで良い。あれの方が、壺に閉じ込められているのよりは小気味よい。せめてそれくらいは思っても良いだろう。
 境内の池のほとりの精進料理屋でお昼にしたかったが、閉まっていた。この店の売店の草餅はでかくてうまいのだが、そこも閉まっていた。昔はここは寺の経営する幼稚園で、朝は厨子から出された観音様に手を合わせることから始まった。ぼくは胃腸が弱くて町の病院に通わねばならないので中退した。池はその頃は冬には氷が張って、靴でスケートをした。
 タクシーを待つ間、ベンチに腰かけて物思いをした。腹が悪いので十分に食べられず、この寺の参道で祖母に手を引かれて、食べ物のことばかり考えていたのを思い出した。

 

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冴えない話

2021-09-25 11:05:26 | 近況報告

 緊急事態宣言が解除されそうだ。
 これから山は紅葉の季節だ。

 一週間ほど前からなぜか目まいがして足元がふらつき、歩くと千鳥足のようになる。あくびがとめどなく出て、それに伴って胸がむかついている。
 一昨日、少し収まったような気がして「山を歩いてみよう」と思い、高尾山口の駅まで行ったのだが、駅の階段を降りるのに手摺りつかまらねば降りられず、やっと改札口を出たところで断念して引き返した。京王線の電車の出発を待つ間、緑の山を見ていたら無念の涙が出てしまった。

 かかりつけ医に行ったら、「取り合えず目まいの薬を出しておくから、頸動脈の手術をした脳神経外科に相談するように」と言われた。10月7日が3か月検診だったのだが、一週間繰り上げて9月30日に診てもらうことにした(担当の先生の診察日が木曜だけなので)。そこから検査とかいろいろあると考えると、ほぼ、年内は高い山・瘦せ尾根や岩場のあるところは行けないと思われる。林道歩きがせいぜいだろう。

 昨年は10月に那須連峰と山形の朝日連峰のふもと周辺で紅葉を楽しんだのだが、そして今年は緊急事態が明けたら谷川岳と鬼怒沼湿原と金峰山と・・・と夢が広がっていたのだが、どうやらすべて不可能のようだ。
 来年、体調が良くなってまた山に行けるようになることを祈っている。

 昔からの仲間で、ぼくより遥かに体力も経験も山のノウハウも自然の知識もある友人がここ数年、不整脈で苦しんでいる。9月初めに手術のためにこちらに出てきたので会ったのだが、一緒にそこらを歩いていて、「気の毒だなあ。ぼくも4月に手術を受けたが順調に治ったようなので、彼も早く治ると良いな」ぐらいに思っていた。人は、他人の無念さにはなかなか気付けない、ということに今回改めて気付いた気がした。情けないことに。

 出かけられないので、山の本を読みまくっている。岩稜歩きのあと温泉のハシゴ…夢が広がるというよりは、妄想が膨らむ。

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高峰山

2021-09-11 08:56:08 | つぶやき

ここの 佐久平を見下ろす斜面の
マツムシソウとアザミとリンドウの群落
ヒトの世界はあんなに遠く小さい

この片隅にこっそりと
ほんの少しだけでいい
海にはぼくを撒かないでくれ

暗い海底に沈んで
プランクトンからやり直すなんて
まっぴらだ

もう次は 
人間にはならなくていい
動物でさえないほうがいい

果てしない競争や喰い合いでない
静かな充足が好ましい
紫の秋の花が良い

この日当たりの草地の
一茎のアザミの花になれたら
言うことはない

次のサイクルでは
日光を思う存分に浴びて
光合成で生きたいのだ

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英連邦墓地

2021-09-04 14:15:54 | 近況報告

 友人と久しぶりにランチを共にして(上野毛の「神戸屋レストラン」、落ち着いていて明るくて良い店だ。美味しいパンは食べ放題だし)、「車でどこかに行こうか」というので、ぼくの大好きな場所、保土谷の英連邦墓地に誘った。第三京浜に乗ればすぐだ。
 あそこは、舞岡の谷戸と並んで横浜でぼくの最も好きな場所だ。そして、ここよりも美しい静かなたたずまいの墓地は日本には無いのではないかと思われる(あったら教えてほしい)。
 山手の外人墓地とは違う。あそこはお墓がごちゃごちゃとあって、観光客がたくさんいて、また行こうという気にはなれない場所だ。英連邦墓地は時々訪れたくなる。心を静けさでいっぱいにするために。
 ぼくが描写するより、写真を見てほしい。ぼくには墓標の傍らの赤いバラの一株の美しささえ書き表す力はない。

 

 (写真は7月初めのもの。いまは薔薇はやや枯れている。)

 主に第二次大戦の時に日本で亡くなったイギリス連邦軍の兵士が埋葬されている。といっても、ほとんどは戦闘ではなく捕虜収容所で亡くなったものらしい。
 入ってすぐに一番広い墓所。その奥とその右手に少し離れて2つずつ小さめの墓所。出身地域によって分かれているようだ。すぐ東を横横道路が通っているのだが、周囲の森に音が吸収されるのかほとんど気にならない。まるで別世界のようだ。芝生は普段から手入れが行き届いているが、昨日は雨に濡れていっそうみずみずしく美しかった。
 墓石の金属板には、階級、氏名、所属部隊名、死亡時の年齢と、部隊のシンボルと思われる紋章が刻まれている。主に20代前半。いちばん若いものは19歳。
 一番下に、すべてにではないが、死者に手向けた遺族の言葉。そのうちの一つだけを紹介する。初めて来たときは、これらの言葉を読んでいるうちに思わず泣いてしまった。

 A BEAUTIFUL STAR SHINES OVER THE GRAVE OF ONE WE LOVED BUT COULD NOT SAVE. 

 いつもここに来るとフォスター美しい四重唱曲「わが恋人の眠るところに」が心の中で鳴るのだが、昨日はなぜかアズナブールの「青春という宝」が鳴っていた、友人はアイルランド民謡の「ダニー・ボーイ」が鳴っていたようだ。「また、四季折々に来たいね」と言っていた。

 この場所については長い長い文章がが書けそうな気がするが、センチメンタルになるからやめておこう。

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