すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ウイルス

2022-01-29 14:04:14 | 社会・現代

 「ぼくは、感染拡大、というより爆発、にもかかわらず、人類はコロナを克服しつつある、と思う」と書いた。そう思う根拠は、「オミクロンは重症化しなさそうだから大丈夫」とか「急速にピークアウトしそうだから」というような単なる推測ではない。
 今からほぼ2年前の4月の、最初の緊急事態宣言の時と比較してみればよい。
 あの時、ぼくたちはそれこそ、見えない恐怖におびえ、息をひそめていた。スーパーの棚からは食料品が消え、学校は閉鎖になり、喫茶店や飲食店や図書館や映画館など人の集まるところはすべて閉まり、人々はマスクを求めてドラッグストアを梯子して、それでも手に入らないのでいらだっていた。コロナは、得体の知れない、感染すると肺がやられて呼吸困難になって苦しみながら死に至る恐ろしいウイルスで、しかもどこに潜んでいるのかわからなかった。治療法もわからず、重症化したらECMOに繋ぐしか手がなかった。
 あれから二年。医療関係者みなさんの懸命の努力で、コロナがどのような感染症なのかはかなり解明されてきた。治療薬も出始めたし、ワクチンも開発された。何よりも、研究と経験の蓄積によって、基本的には、どのように対処すれば感染を防いだり(リスクを下げたり)治療したりできるのか、さらに、なるべく経済を止めないためにはどうすればよいのか、などが分かりつつある。社会は、試行錯誤しながらも、出口に向かって着実に進みつつある、と考えてよい。
 もちろん、油断はできない。さらに変異が進む中で、殺人的変異種が出現することがありうるかもしれない。だからなるべく変異の機会を与えないように、慎重に行動しよう。

 ところで、問題はむしろその先にある。人類は、「生息域を拡げ、環境を制圧し、繁栄を手に入れた」、と考えるそのたびに、ウイルスとの遭遇を繰り返してきた。
 横道にそれるが、ぼくはいつもエボラウイルスのことを思い出す。今から40年以上前、1975年に、子供の頃からの憧れの地だったアフリカに初めて行った。ザイール(現在のコンゴ民主共和国)東部のジャングルを中心に11カ月暮らした。帰国した翌年、スーダン南部とザイール北部で「エボラ出血熱」がアウトブレークした。感染すると全身が侵され、体中の穴から出血して死ぬ、致死率80~90%の恐ろしい感染症だった。「一年早く発生していたら…」と恐ろしかった。さらに翌年に計画されていた再訪は、当然中止された。
 あとで分かったことだが、エボラウイルスは免役機能を破壊してすり抜ける特性を持っており、ものすごい感染力がある。ただし、症状が急激に進みすぎて、感染者が人と接触する前に死んでしまうことが多いので、何度か小爆発を繰り返したものの、大爆発には至っていない。あれが、逆にもう少し緩やかに症状が進むものだったら、人類はすでに危機に瀕していたかもしれない。
 宿主はやはりコウモリの一種だった。当時、アフリカやアマゾンのジャングルの奥地には人類にとって未知のウイルスがいくらでもいる、と言われていた。人類が活動領域を広げるたびに新しいウイルスに遭遇する危険がある、と。コロナは、そのようにして人類が出会った新しいウイルスのひとつだったようだ。
 先日TVで見たのだが、地球温暖化でシベリアの永久凍土はどんどん解凍が進んでいるのだそうだ。融けた土の中からはすでに、これまで冷凍保存されていた、人類が遭遇したことのないウイルスが複数発見されているのだと。温暖化が止まらなければ、それらはいずれ人類と遭遇する。
 ウイルスは、現代文明の問題でもある。人類はコロナを克服した後、さらに危険なウイルスと闘わなければならないかもしれない。そのことを含めて、ぼくたちは文明の在り方を考える必要がある。

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ぼくはクマ

2022-01-28 20:05:23 | 心にうつりゆくよしなし事

 また、ハイキング自粛の日々になってしまった。自粛要請が出ているわけではないが、ここのところの新規感染者数を見ていると、家族の意向に逆らって出かけるわけにもいかない。ぼくは、感染拡大、というより爆発、にもかかわらず、人類はコロナを克服しつつある、と思うが、とりあえず、三回目の接種を受けるまでは自主自粛(こんな変な言葉はないが、自粛要請の対立概念としてはあるだろう)せざるを得ない。
 体を動かさないわけにはいかないから、今は毎日、仕方なく住宅街を歩く。歩きながらぼくは子供の頃の田舎の野山や、特に田んぼの畦道や、走り回るのが大好きだったワイン工場や蔵の屋根の上や、さらにその上の、入道雲の湧く青い空を思い出している。
 散歩に出かける手頃な場所がない。住宅街を歩いても少しも心が弾まないし、必ずどこかで環七や目黒通りなどのうっとおしい通りを越さなければならない。(ここのところ急速に、車のたくさん走る通りが厭わしくなっている。耳が遠くなってからいっそう、逆のようだが、耳障りな物音が苛立たしくなった。)
 林試の森や自然教育園は飽きてしまった。それに林試は犬の散歩が多すぎる。教育園は歩き回れるところが少なすぎる。新宿御苑や小石川植物園は悪くないが、電車で行かなければならない。行くまでも音が煩い。水元公園や舞岡谷戸はさらに遠い。
 住宅街を歩き回るにしても、日本・東京はちょっと立ち寄れるテラス席のあるカフェが少なすぎる(ほぼ、無い)。パリの街はぼくは好きではないが(田舎が好きだ)、ゆっくりぼんやり物を考えられるカフェは沢山あった。リュクサンブール公園の入り口のエドモンド・ロスタン広場とメディシス通りの角のカフェに坐ってプラタナスの並木やその下を通って公園に出入りする若者や子供やお年寄りを眺めながらノートに思いの断片を書くゆっくりした時間が好きだった。もっとも、今度行くならフィンランドかスコットランドか南ドイツに行きたい。やはり都会ではなく、緑の豊かな所に。ドイツ人は今でも徒歩旅行をするのだろうか? 若山牧水の歩き回った旅の道が、例えば六里ヶ原や草津や吾妻や八ケ岳山麓などが今は殆ど舗装道路になってしまっているのだから、ドイツ人の旅のスタイルも変わってしまったのだろうな。
 ・・・住宅街を歩きながら、ぼくのとりとめのない思い、もしくは妄想は広がる。昨秋山の中でクマに遭遇したが、考えてみればぼく自身が、檻の中のクマのようだ。自然の中のクマは、時には人間に怖がられたり追い払われたりするが、それでもうらやましくもある。もっとも、ぼくは厳しい自然環境や生存競争の中で生き抜く強さは持ち合わせていないから、ばかげた考えだが。
 檻の中のクマはぐるぐる歩き回りながら、だんだん心を病むのではないか? 現代の日本で理解しがたい暴力事件や犯罪が頻発するのは、ぼくたちが檻の中のクマと似た状況にいるからではないだろうか?
 これは、ぼくの個人の問題であるとともに、文明の在り方の問題でもあるだろう。

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北高尾山稜縦走

2022-01-19 11:10:31 | 山歩き

 
 5:54の始発のバスで出かける。この時間なら、バスも電車も、新宿駅での乗り換えもまだ空いている。7:30に高尾駅に着き、八王子城跡までタクシーに乗る。1500円。管理棟
 今日も誰にも会わない。月曜日だからもあるが、ここはいつでも、静かな山歩きが堪能できる。ただしぼくはここ数年、このコースに4回来ているが、いちども歩き通したことがない。ぼくのような体力のない高齢者にはきついコースなのだ。夏はもちろん、初夏や秋口でも、「まあ、行けるとこまで行こう」と思って来る。今日は、長距離にいちばん向いている季節だし、日の短いのが難点だが、最後まで歩くのを目標にしよう。
 本丸跡8:30。ここからは急なアップダウンが延々と続く。それにしても、山城というものはどこも多かれ少なかれそうなのだろうが、昔の兵というものはこんなところを駆け回らされて守る方も攻める方も、さぞ苦しかったことだろうな。しかも命がけで。
 富士見台9:20。ここまではコースタイム通りだ。ここまでコースタイム通りに来たのは初めてだ。ぼくの実力としてはペースが速すぎるかもしれない。ここで10分ほど休む。富士が美しい。このコースは最後の陣馬山を除いては、唯一の富士ビューポイントだ。富士の方角だけスギ林を切り開いてあるのだが、それが額縁になってひときわ美しい。
 ここからさらにきつくなる。杉沢の頭、高ドッケ、板当山と、そのほか名もないものも加えて上り下りを繰り返し、林道にぶつかると狐塚峠。ついつい、左の小下沢に下りたくなってしまうところだ。暑い時にはとくに、小下沢の水場の冷たい水が無性に飲みたくなる。ここはこらえて道を続ける。
 最初の小ピークもきつい。続いて杉の丸、黒ドッケ。ここは右に夕焼け小焼けの里におりたくなるところだ。黒ドッケの先のちょっとした岩っぽい場所を越えると、やっとなだらかな陽当りの良い広めの尾根道になり、ほっとする。カラの群れでもいると良いのになあ。ここでゆっくりコーヒーを飲む。北方に大岳山や御前山が見える。さらに大嵐山、三本松山を過ぎると、関場峠。ここで時間的にはコースのちょうど中間。4時間の予定のところ40分ほど余計にかかっているが、この先アップダウンは緩くなるから安心だ。
 堂所山への登りは緩急はあるが下って登り直しというのでないから体調に合わせてこちらも緩急行きさえすればいい。なぜか今日は「サクランボの実る頃」や「ムーランルージュ」や「詩人の魂」など古いシャンソンが歌いたくなる。山頂近くは道が小広くなって両側に笹が続き、春になるとモミジイチゴの白い花が下向きにいっぱい咲く、初夏になるとその黄色い実がいっぱいに実るところだ。
 堂所山の山頂で、皮手袋の片方を落としていることに気が付いた。関場峠の手前でスパッツを外したりおやつを食べたりしたときに毛糸の帽子の上からポケットに突っ込んだのを忘れていたのだ。安心して気が緩んだのだ。うーん、残念。あれは父の形見の手袋だったのだ。もう古いものだが手の甲の側には皮の上に細かいチェックの生地が張ってある、ちょっとおしゃれなものだった。うーん、取りに戻ると2時間弱…諦めることにした。
 ちょっと気分が沈んで、緩やかな道を陣馬山へ。山頂着14:22。もう夕方が近い感じだ。富士山も暗い靄の中だ。富士見茶屋で山菜うどんを食べて元気を取り戻した。ここはいつでもやっているのでうれしい。今まで通ったことがなかった栃谷尾根を下り、一時間ほどで舗装道路へ出る。さらに一時間ほどで16:48分に藤野駅に到着。約9時間かかった。
 通勤ラッシュに巻き込まれたくないので京王線は鈍行に乗ってゆっくり。帰宅したら「13都県蔓延防止等対策要請へ」のニュースをやっていた。

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激しい雨

2022-01-14 10:48:45 | 社会・現代

(…)
雷の轟きを聞いた 警告を発していた
波の咆哮を聞いた 世界を吞み込みそうだった
一万人の囁きを聞いた 誰も耳を傾けていなかった
一人が飢えているのを聞いた 大勢がそれを笑っていた
詩人が歌うのを聞いた 彼は排水溝で死んだ
(…)
そして激しい 激しい 激しい 激しい
激しい雨が降ろうとしている
(…)
ぼくはそれを話し 考え 告げ 呼吸しよう
山にこだまさせ すべての魂に届けよう
沈み始めるまで渚に立とう
そして激しい~ (以下略)

 (私の詞華集37 ボブ・ディラン「激しい雨が降ろうとしている」)

 いつも年頭などの季節のご挨拶には「私の詞華集」として詩(またはその一部)を紹介しています。今年はご挨拶自体をしなかったので、遅ればせながら詩の方だけを掲げておきます。念頭には比較的明るめのを、と心がけているのだけれど、「おめでたい」気分には程遠いので、今年はどうしてもこれを載せたいです。

 コロナは間もなく乗り越えられるだろう。もう一回か二回、大混乱がやって来ても、やがて遠からず、インフルエンザと同じようなものになるに違いない。でも、ぼくたちがもっと大きなアポリアに、解決の糸口のない数々の難問に直面していることも、間違いない。地球温暖化と資本主義の行き詰まり、この二つに伴う諸問題(水害、日照り、食糧難、貧困、格差の拡大、紛争、難民…挙げればきりがない。それどころか、現代社会は崩壊の危機に瀕している、あるいは、崩壊の過程はすでに始まっている。
 ぼくは未来を予測できない。まして明るい未来は。ぼくの子孫たちの時代はどうなるだろう?(ぼくには直接の子孫はいないが。)
 ぼくはいま、世界人口70数億人の中でずいぶん恵まれた方にいると思うが、これは数々の矛盾の上に成り立っている。そのことに倫理的な疑問を感じないではいられないが、だからと言って問題を解決するにはどうすればよいのかはわからない。
 せめて、とりあえず、しっかり目を開けていよう。耳を傾けよう。危機に直面していることを意識していよう。そして、それを話し、考え、告げ、呼吸しよう。沈み始めるまで渚に立つ覚悟をしよう。

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2022-01-09 09:15:42 | 山歩き

 

 (7日)家の周りの雪掻きをしてから出かけようと思ったのだが、カチカチで歯が立たない。外の水道も凍っていて水は出ない。気温が上がるのを待っていては山の雪もどんどん融けてしまう。一昨日山に行ったばかりなのに、と呆れる家族を気にしながら、一昨日の荷物をザックに詰め直して家を出る。出遅れた感はあるが、6:30。
 凍った道を仕事に出かける人がこわごわ歩いている。なんだか、済まないことをしているような気になる。でもぼくはもう仕事は終えたのだからいいのだ、と考えることにする。「おれたちゃ町には住めないからに」とか「止めてくれるな弟妹よ」なんて古臭いセリフが頭に浮かぶ。ぼくたちの世代はそういう青春だったのだ。すなわち、全共闘世代。もっともぼくは大学のシュプレヒコールを隣の公園で聞きながらジャケットのボタンに薔薇の花を挿したトニオ・クレエゲルだったのだが。
 相模湖駅からバスに乗り、千木良で降りる。登り口にあるベンチでスパッツとチェーン・スパイクをつける。9:30出発。手軽に雪の上を歩きたい時は、この道は高尾山よりは人が少ないので良い。一昨年の一月にも、やはり雪の翌朝に友人を誘ってこの道を登った。その友人を誘えなくなってしまったのが寂しい。
 その時よりも今日の方が雪はずっと少ない。あの時はさらに遅く、11:00近くのスタートだった。道の両側の杉の植林の枝から融けた雪が雨のように絶え間なく落ちて、途中から雨具を着て登ったのだが、今日はそういうこともない。
 今日ぼくの前にここを通ったのは一人だけ。足跡がひとつだけ登っている。ぼくの靴より小さいから、女性だろう。八ヶ岳の山岳救助隊員に、「君は背丈の割に足が小さいし偏平足だから、本格的な山はやらないほうがいい」と言われたことがある。バランスが悪くてしかも疲れやすいのだそうだ。彼の言う「本格的」は大学山岳部のレベルだろうが、ぼくは体育会的集団は大嫌いだったから、やる機会はなかったけどね。
 雪が浅くて、しかも昨日までからからに乾いていたはずの枯葉がじっとり水を吸っているから、スパイクの底面がすぐに団子状態になって歩きにくい。少し歩いては靴を地面や木の幹に打ち付けて団子を落とす、を繰り返す。右ひざの古傷が最近悪化していて、インサイドキックで幹を蹴ったら激痛が走った。幸い、かかとや爪先を打ち付けるのは痛くない。もっとたくさん積もった雪の上なら快適だろうな。以前から使っているアイゼンは、湿った雪で団子になりやすいのだ。しかもアイゼン自体が重い。チェーンの方が着脱もずっと簡単だ。早く、雲取山あたりでこれをフルに使いたいものだ。固く閉まった雪をアイゼンやスパイクで歩くと、夏道よりもスピードが出て快適に歩けるものだ。
 けものの足跡が雪の上にずっと続いている。図鑑で知っているどのケモノとも違う。何だろうと思いつつ登るが、山頂近くなって閃いた。先行する女性が犬を連れているのに違いない。何だ、つまらない(撮った写真はあとで消した)。
 一昨日の疲れがまだ残っている。一日おいて山に行くなど、初めてのことだ(もっとも、アルプスの縦走などの時は4日も5日も連続して歩くのだから、こんな程度で疲れていては困るのだが)。一時間半かかって城山山頂に着いた。
 茶屋のベンチの乾いていそうなのに腰を下ろしてお昼にする。といっても、カロリーメイトとコーヒーだ。ここ3回ほど、冬の装備を持つために他の荷物を軽くしたいので、お昼は試しにカロメとコーヒーだけで済ませている。家族は「馬鹿じゃね?」と言っていたが、全然問題ないようだ。完全栄養食だし、飲み込みにくい時はコーヒーで流し込めばよいし、時間の節約になるし、一箱で400カロリーある。二箱半、1000カロリー分食べた。多すぎるかも知れない。
 たべていると、目の前のテーブルにあった雪解け水がみるみる乾いて小さくなって消えて行く。太陽の熱ってすごいなあ、とあらためて感嘆する。ぼくの背中もその恩恵を受けて暖かい。熱いくらいだ。こんなに気持ちの良いことはそうない。名残惜しいが道を続けることにする。
 (長すぎるので、以下、とばして書く。)ここから先は雪はさらに少ないだろうから、スパイクを外そうか迷うが、雪を踏みに来たのだから、先月シモバシラの霜華がたくさん見られた北側の巻き道を通りたいし、高尾山からの下山にはやはり北側の四号路を通るつもりだから、このまま行くことにする。
 一丁平の手前の展望台は絶好の富士山ビューイングだ。高尾山頂には、やはり雪に惹かれてきたのだろう、そこそこ人がいる。四号路は入り口に「滑りやすい道、注意」の文字とイラストの掲示がある。結局この日はこの四号路の通過が一番楽しかった。凍った吊り橋も美しかった。病院坂を下る前に、もうここからは雪はないものと思い、スパイクを外した。確かにぜんぜん無かった。だが、最後に琵琶滝側に下りたら、滝行場の階段が凍っていた。ぼくの前におっかなびっくり下りる人がいる。ぼくと同年配の男性だ。ぼくもそろりそろり下りた。その人が道を譲ってくれるために下で待っていて、にこにこしながら「ご無事で」と言う。「お互いに」と答えたら、「いのちがあって良かった」という。二人でワハハと笑って「じぁ、またどこかで」と別れたが、実はそこから駅までが道が凍っていて一番怖かった。
 高尾蕎麦の名店「高橋屋」で今日のご褒美に天ぷらそばを食べた。電車に乗って、持参した焼酎を3口飲んで、新宿まで爆睡して帰った。

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滝子山

2022-01-06 14:31:10 | 山歩き

      謹 賀 新 年
 ここ数年、年賀状をやめて二月の始めに「立春大吉」として出しています。年賀状をくださった皆様、ありがとうございました。この一年のご健康を祈ります。念頭に思うことはあるのですが、それは後日とさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて、昨日、今年の初ハイキングに滝子山1620mに登ってきた。雪が少しあるところが良いな、と思って、北斜面の鶴ヶ鳥屋山に登るつもりだったのだけど、ぜんぜん無さそうなので、250m高い滝子山なら、南斜面だけれど最後は北に回り込むので確率は高いかなと考えたのだ。けっきょく山頂直下の鎮西ヶ池のあたりに少しあっただけだった。
 (これを書いている今、窓の外は雪が降っている。積もり始めている。やっぱり雪の中を歩くには、南岸低気圧が通るのを待たなければならなかったのだ。明日もう一度、家族のひんしゅくは買うだろうが、高尾山あたりにでも出かけようかな。)
 滝子山には岩場混じりの急登の南稜を上がるのが好きなのだが、岩が凍っていると怖いし、時間のかかるルートなので、笹子駅からの通常ルートを登ることにした。新緑や紅葉は美しいルートだが、沢沿いの道はやや悪いところがある。何年ぶりだろうか?
 長い車道歩きの後、沢沿いの道に入る。この沢は以前、友人と遡行したことがある。初心者に手頃な沢だ。今は滝が一部凍って美しい。左岸の山腹を登り、右岸に移る手前に、そのまま山腹を登る踏み跡を見つけた。少し辿ってみた。道とは言えないようだ。このまま進むと、たぶん山頂の南東の浜立山まで直接行ってしまうだろう。浜立山は一般ルートはないが、いつか行ってみたいと思っていたところだ。だがこのまま山腹の急斜面を詰めていくのは時間がかかりすぎる。戻ることにした。
 通常ルートで沢に下りる手前は落ち葉のものすごい吹き溜まりになっている。ひどいところでは膝小僧まで落ち葉に埋まる。地面は全く見えない。しかも左側は崖だ。深雪の中をラッセルするような感じで強引に進んだ。沢を渡るとその先は荒れた急登だ。手がかりの虎ロープが何か所も張ってある。ふだんロープには捉まらない主義だったのだが、足元が落ち葉で見えないのではしょうがない。あっさり主義は捨てた。どうもこの道はあまり人が通らなくなっているのではないだろうか? 落ち葉が深く積もっているのも人があまり通らないせいだろうし、道自体が細くなっている気がする。慎重に通過しなければ滑落しそうな個所も多い。
 沢沿いの難路と高巻き道を分ける分岐に着く。以前は難路を通ったが、今日はここも安全ルートの方を行く。こちらもなかなかきつい。
 駅を8:40にスタートして、12:00に、曲沢峠への分岐に着いた。これでひと安心。ここから沢沿いに戻るが、ここからは何の心配もない緩やかな道だ。あとは時間との競争だ。ここまで、道草をしたせいもあるが、2時間40分の予定の道を3時間20分も掛かっている。ここから登り1時間半。山頂から景徳院までの下り2時間半。合計4時間。山の中では4:30には暗くなるだろう。ヘッドランプや簡易テントは持っているが、この歳では暗い中を歩きたくはないし、ましてこの季節に山中で夜を過ごしたくはない。下りを飛ばすことにして、ともかく山頂に向かう。
 鼻歌を歌いたくなるような快適な道だ。仲間内で「砂金沢」と呼んでいる、浅いきれいな水の流れる沢を渡る。水中の白い砂地に金粉のようなきらきら光るものがいっぱい沈んでいて美しい。あれは何だろうか? 誰か教えて欲しい。沢を渡ると広い防火線帯の登り。霜柱が凍ってバリバリと音を立てる。大谷ヶ丸1644mが左手に高い。ウヘェ、まだあるなあ、と思う。滝子山と高さはほぼ同じなのだ。大菩薩方面に向かう縦走路の分岐を過ぎると道は北斜面になり、やっと雪がちらほら見え出した。道に雪が現れたのはやっと頂上直下の鎮西ヶ池の周辺だけ。それもすぐ消えて、最後の急登、といっても大したことはない。山頂着13:15。予定通り。山頂には誰もいない。360°の大展望。富士山のちょうど真上に太陽。風がなく、陽差しが心良い。誰かと共有したいような時間。だが、下りを考えたら長居はできない。15分だけいて、下りに向かう。
 下りは、登りよりも落ち葉が怖い。道の凹凸や滑りやすさなどが分からないし、道を急ぐから。何度滑ったことだろう。だが落ち葉だから滑っても怪我はしない。崖沿いだけ気を付ければいい。曲がり沢分岐に戻り、朝来た道は戻りたくないので甲斐大和方面に向かう。この道も落ち葉に埋まっているが、危険な道ではない。尾根には動物の足跡がいっぱい残っている。新しいものではないようで、やや不鮮明だが。ウサギとシカははっきりわかるが、タヌキかキツネかクマかはっきりしない、肉球のある足跡もいっぱい。秋にクマと遭遇したので、鈴を盛大に鳴らしながら下る。最近は温暖化で、冬眠しないクマも増えているのだそうだ。
 景徳院着16:02。ここは立派な寺だ。下の道路に出たら、軽トラックで通りかかった親切な人が声をかけてくれ、駅まで送ってくれた。景徳院にはこの地で滅びた武田勝頼夫妻の墓があるのだそうだ。郷里の英雄だから、今度来たらお参りしよう。
 今日は笹子を出てから景徳院まで、登山客2人にしか出会わなかった。もったいないことだ。
 今年は体調に気を付けて、去年・一昨年の分まで山登りに励もう。まずは、明日。

 

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