すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

吊り下げられた柱

2019-05-31 20:43:29 | 夢の記
 古い寺の本堂のような広い暗い場所だ。厚いどてら姿の男たちがあぐらをかいてずらりと何列かに並んでいる。どてらはひどく垢じみていて、男たちはその前をひどくはだけていて、毛深い胸や腹が見える。たくましい、しかし困窮したものたちだ。
 向かい合って黙り込んで座っているのは、役人や資本家や大地主たちらしい。こちらはさらに薄暗がりの中に影が薄い。
 暗い明かりがついていて、両者の間の高いところに、両者の間を区切るように、天井から巨大な柱が一本、吊り下げられている。よく見ると柱は、白い幅広い紙テープのようなものを何本もかけて吊り下げられている。いかにも危なそうだ。
 村民たちが役人や資本家たちの肝煎りで進めてきた工事の資金の打ち切りを告げられて団体交渉をしているらしい。
 「ここで金を引き上げられたら、俺たちももう工事は続けられねえ。この話は全部無しだ」「そうだ。そうだ」
 「今ある金で何とかすればいいじゃないか」
 「とんでもねえ。今だってこんなありさまだ」(と、天井を見上げる)。「柱をしっかりと支えるナワさえも足りねえ。死人が出るぞ」
 「そんなことは言わずに、もう少し頑張ってみろ」
 「このままじゃあ、ここはもうお終えだ。俺たちも村を捨てて出ていくしかねえ。女房子供はどうなる?」「そうだ。そうだ」(と、口々に言って、男たちが立ち上がろうとする)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 …これは、目が覚めてひどくびっくりした。今までこんな夢は見たことがなかった。ほとんどが、自分が殺されたりもがいたり行き先がわからず迷ったりしている夢だった。明治時代だろうか? この時代の夢も初めてだと思う。
 いつもなら、多くの夢は自分の心理的状態と考え併せて、何らかの解釈ができそうに思えるのだが、これは自分の意識・無意識とどうつながるのか、どこから出てきたものなのか、見当がつかない。背を向けて、ではないにしても、そっぽを向いているようなぼくのなかにも、いくらかの社会性はある、のかも知れない。
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「世の中を…」

2019-05-29 15:52:57 | つぶやき
 同時代と向き合いながら生きてゆく、その、誰もが持たねばならぬ当然の意欲を、時に失ってしまうような出来事が起こる。このぼくたちの同時代は。
 もっとも、その出来事はもっと深く広範に起きている嵐、あるいは「時代閉塞の現状」の、ひとつの波頭なのかもしれないけれど。
 そしてそれは、いまも、石川啄木の時代も、何時の時代も、形を変えて起きている(いた)のかもしれないけれど。
 そう考えると、ますます、同時代と向き合う意欲が失われる。
 だから、これは個々の特殊な出来事なのだと思う方が楽なのだけれど。

 …ここで、この世から心が離れがちな傾向をいくらかは持ったぼくの、ひどく場違いなつぶやきをふたつ。

 厭離穢土欣求浄土
 世の中を厭(う)しと恥(やさし)と思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
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「浅き春に寄せて」

2019-05-28 22:24:56 | 音楽の楽しみー歌
 きのう曲名だけ挙げた「浅き春に寄せて」の歌詞を書いておきたい。
 詩は太平洋戦争の直前に夭折した立原道造のもので、作曲は「水色のワルツ」でよく知られた高木東六。他にもいろいろな人が曲をつけているようで、いくつかがYoutubeにあるが、全部だめ。肝心の高木東六のものは無いようだ。ぼくは鮫島由美子が歌ったCDを持っている。
 発声の先生のところで練習して発表会にも出したのだが、ほかでは歌う機会がない(伴奏をしてもらうのがなかなか困難。いきなり「お客様も歌えます」に持って行くわけにもいかないし)。
 家でときどきメロディーだけ弾きながら口ずさんでいる。原調はB♭mだが、♭5つは弾くのが困難なので、Amで歌う。
 高木東六にはほかにも立原道造の詩に作曲をした「夢見たものは」がある。曲想は全く違うが、どちらも大好きだ。
 
  浅き春に寄せて

今は 二月 たったそれだけ
あたりには もう春がきこえている 
だけれども たったそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たった一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはいない 
だけれども たった一度だけ
そのひとは 私のために ほほえんだ

そう 花は またひらくであろう
そして鳥は かわらずに啼いて
人びとは春のなかに 笑みかわすだろう

今は 二月 雪の面(も)につづいた 
私の みだれた足跡 それだけ
たったそれだけ 私には
私には

 (立原の原詩は旧かな遣い。旧かなはたいへん味わいのある美しい表記法だと思うが、ここでは高木の曲に合わせて新かなに変更している。また、最後の「私には」の繰り返しは原詩にはない。)
 立原は、高校時代に、中原中也とともに大好きだった(その前は、バイロン、ハイネ)。
立原の詩だから、この歌の「私」は本当は男性だと考えるのが自然だ。立原は自分自身の感情を詩にしたのであって、女性の感情を表現しようとしたものとは思えないので。
 もちろん、女性の歌として歌ってもいっこうに構わないのだが。
 楽譜は、全音楽譜出版の「日本名歌110曲集」の2巻にあります。
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「霧と話した」

2019-05-27 19:55:11 | 音楽の楽しみー歌
 マンドリンを弾きながら「宵待草」と「霧と話した」の練習をしている。
 「宵待草」は先日老人クラブでリクエストされて練習していたのだが、「霧と…」は一昨日から急に歌いたくなった。
 中田喜直作曲の日本歌曲の名曲で、女性コーラスなどでも歌われることが多い。男性が歌っている例は少ないと思う。ぼくの手元には米良美一のCDがあるが、さすがに彼の歌唱はなかなか良い(「母の唄」というCDだが、この頃の彼は良かったのではないか。いまは、ちょっとね)。
 男が歌ってはなかなか様にならない、感情を表現するのが難しい歌だと思う(女性が歌っても実は難しい)。
 ゆったりとした抒情あふれるメロディーで、一か所音が高く飛ぶところがあるが、他は技術的には難しくない。でも、簡単に歌えてしまうようでも、聴くもの(例えばぼく)の心を攫む表現にはならない。
 歌詞、メロディ-ともにセンチメンタルなものだが、急にこれが歌いたくなったというのは、三日前、ぼくとしてはかなり頑張った、その反動が来ているのだろう。
 かなり頑張ったり、行動的になったり、攻撃的になったりすると、その後リバウンドが来ることがしばしばある。心が、バランスを取ろうとしているのだろう。それは、良いことだと思う。そういう時は、気の済むまでセンチメンタルになっていいのだ。
 何といってもぼくは、男性というものが嫌で嫌で、自分の中の男性性-攻撃性や怒りや暴力性がたまらなく嫌で、20年近くを女性装で過ごしてしまったくらいなのだから。

 さて、「霧と話した」(鎌田忠良作詞)

わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま

そこはいまでも いたむまま
霧でぬれた ちいさい頬
そこはすこし つめたいが
ふたりはいつも 霧のなか
霧と一緒に 恋をした

霧と一緒に 恋をした
みえないあなたに だかれてた 
だけどそれらが かわいたとき
あなたは あなたなんかじゃない
わたしはやっぱり 泣きました

わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま

 三連目の「それら」はちょっと日本語として良くないと思うが、まあ仕方がない。
 「宵待草」もこれも、マンドリンで弾くのは比較的容易だ。もっとも、ピアノと違い、ぼくは前奏・間奏・後奏ともトップのメロディーを弾くだけだが。
 これが同じようなセンチメンタルな曲でやはり大好きな「さくら貝の歌」や「浅き春に寄せて」だと、ぼくの腕ではとても弾けない。

 こうした歌をうたっていると、自分が少し優しくなれるような気がする。歌の気分に浸っていると、ぼくの生きなかった別の生を少しのあいだでも味わえるような気がする。
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三つ峠山

2019-05-25 20:18:46 | 山歩き
 三日前に、上野の公募展で、知り合いが出品した富士山の絵を見た。丘の上から見ていて、手前の、日当たりの良い丘の斜面には梅が咲き始めていて、その向こうに市街地、その向こうはゴルフ場に虫食いにされた痛々しい山の斜面が広がり、その上に裾野に雲をまとわせて富士がやや左に傾いて浮いていた。手前のゴルフ場が無残なだけになおさら、「悠久の富士」という感じがした…
 富士急行線を三つ峠の駅で降りると、実物が悠然と裾野を引いていた。富士は裾野が良い。左右の傾きがいくらか違うのがまた良い。世界で最も美しい山はペルー・アンデスのアルパマヨ山だという説があるそうだが、これだけ美しい裾野を引く山は、他にあるまい。富士山型の山の写真をいくつか見たことがあるが、富士の裾野のなだらかな美しさがいちばんだ。
 西に向かって歩き始めるとこれから登る三つ峠山が正面に遠く高い。「えー、あそこまで行くのかあ」という気がするが、ちっぽけな人間も偉いもので、ひと足ひと足歩いていけば着いてしまうのだ。
 今日は、トレランシューズの履きならしのつもりで、8時間コースを選んだ。若い頃には12時間13時間ぐらいは平気だったのだが、最近としては8時間はチャレンジだ。
 とはいえ、今日(昨日)は体調があまり良くない。前回山に行って以来約3週間、他に優先事項があって、体調の調整が十分にはできなかった。 
 林道を登ってゆくと、芝草の間に桜などが植えられてベンチまでおいてある気持ちの良さそうな緑地がせせらぎのほとりに続く。何度か、「今日はここで昼寝でもして、本を読んで音楽を聴いてゆっくり過ごして帰ることにしようか」という誘惑にかられる(音源も薄い本も持ってきている)。「ぼくはほんとは、山登りよりそういう方が好きなんだよな」という気さえしてくる。
 それでも、三つ峠山は以前に北口登山道に友人と二人で行って、ぼくだけ暑さで途中放棄したことがあるので、二度目の放棄はしたくない。ゆっくりゆっくり登って、同じ電車で降りた若い三人連れに完全に置いて行かれて、やっと林道を離れて山道に入った。
 「達磨石」のベンチでストックを取り出し、甘いものを食べ、シャツを脱いで気を取り直して歩き始めたのだが、すぐにまたペースが落ちる。さらに落ちる。「このペースでは山頂着が3時くらいになるなあ」と思う。日は長い季節だが、弱気になっているので、「日暮れまでに下りられるだろうか? 引き返した方がいいのではないか?」とちらちら心配になる。
 道は今が新緑の盛りで、すがすがしい。ところどころ、展望の開けた場所では左手に富士山が美しい。三つ峠山の魅力は第一に、間近な富士の展望だ。富士とシジュウカラの鳴き声とヤマツツジの朱赤色に慰められながら登っていく。
 途中、下山してきたおじさん(ぼくよりは若い)に声をかけられる。「きょうは山頂の小屋でお泊りですか?」「いえ、そろそろ引き返そうかと思っています。このペースでは向こうに下りるのが大変そうなので」「ああ、そうですね。気を付けて行ってください」「ありがとうございます」…「え」と「ね」の助詞で思った。よほど疲れた顔をしていたのだろうなあ。
 9時に駅を出て、八十八大師に13時5分に到着。予定より約1時間遅い。富士山に向かい合って、急いでご飯を食べる。
 ここで気を取り直して、やはり山頂を目指すことにする。ここまでくれば、傾斜は緩くなるはずだ。今にも崩れてきそうな山腹をトラヴァースして、屏風岩の大岩壁を見上げながら歩く。ロッククライミングの練習をしている人たちがいる。残置ハーケンも見える。しばし立ち止まって、「あそこまでなら登れそうかな」「あそこに手をかけて左に上がって…」とか、けしてやってはいけないことを夢想した。道が分かれて最後の急登を登ると山頂はすぐそこだ。山頂着14:26。5時間20分かかった。
 山頂直下にはNHKの電波塔が立っていて味気ないが、富士の大展望は素晴らしい。近くの毛無山、黒岳、釈迦ヶ岳などはもちろん、やや霞んではいるが北岳、甲斐駒、八ヶ岳も見える。穂高や槍は残念ながら霞の向こうだ。
 下りは、「下りならば大丈夫だろう」と思い、天上山を経て河口湖までの長い尾根を歩いた。花期の終わりに近いマメザクラの下向きのかわいい花を楽しみながら、黄色のミツバツチグリがいっぱい咲く草原から樹林帯に入る。ツツドリが瓶の口を吹くように啼いている。おおむね緩やかな下りで、シューズが快適だ。河口湖駅着17:42。なんとか、日の暮れる前に着けた。
 今回は歩くので精いっぱいで、時間をかけて花を楽しむ余裕がなかった。そのためにはもう少し軽い山に行った方がいいのだろうが、ロングコースもまた行きたい。
 
 参考所要時間:三つ峠駅スタート9:05、達磨石10:22、大曲り11:20、馬返し12:06、八十八大師13:03(昼食)、25スタート、三つ峠(開運山)山頂14:26、母の白滝分岐14:55、浅川分岐16:33、天上山17:05、河口湖駅着17:42

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帰国のための荷造り

2019-05-23 21:18:57 | 夢の記
 日本に帰るための荷造りをしている。荷物があまりに多くて、とてもトランクには入りきらない。どうしたらいいのかと困惑している。もう帰国当日で、夕方には飛行機が飛ぶのに、間に合いそうもない。いつもは書籍-百科事典や原書や小説などが多いのだが、今回は生活雑貨や食料品などが多い。アフリカの日本人宿舎らしく、日本人の奥さんたちが何人も手伝いに来てくれる。使えるものは使ってもらうことにする。
 コメを入れた缶のふたを取ると、白いウジ虫が湧いていて、その虫がぞろぞろ出てきて肌を噛もうとする。噛まれるとひどく痛い。必死でつぶしていく。 
 電気屋さん夫婦が腰を下ろして待機している。ぼくが出たら工事をするのだという。「終わるのは真夜中になりそうですよ」と告げる。それでも待つという。
 自然保護の会のKさんから電話が来る。「やめさせられたんか?」と訊かれる。「帰ったら、ミーティングに来い」とも。仕事の世話をしてくれるつもりらしい。しばらくするとまたかかってきて、「もう帰ってきているんか?」と訊く。「まだパリです。着いたら連絡します」と言って切る。向こうとこちらでは時間の進み方が違うようだ。飛行機に乗り遅れてしまう、と焦る。
・・・・・・・・・・・・
 これは反復夢。繰り返し繰り返し見ているが、いつも同じなのは、日本に帰ろうとしていること。日本人宿舎にいること。荷物が多すぎて困っていること。すでに当日で、飛行機に乗り遅れそうなこと。
 帰りたい場所があるのに帰れないで歩き回っている、あるいは乗り物で見知らぬところを走っている、というやはり頻繁に見る反復夢と、根は同じものかもしれない。
 今までは反復部分だけだったように思うが、今回はそれ以外の要素がずいぶん増えている。
 まず、荷物の種類。手伝ってくれる人がいること。白い虫(これは、気色が悪かった)。電気屋。目上の人からの電話。時間の進み方のずれ。
 何よりも、夢の中で「あれ、またこの夢だが、いつもと違う」と感じていること。
 「夢を見ているんだ、と知っている夢は、その夢の中身を変えていくことができれば、現実そのものを変えていくことができる」という説を読んだことがある。「明晰夢」というのだそうだ。
 なぜ、いつもと違う出来事が起きているのかは分からない。
 「ぼくにはまだこなしていない人生の課題がいっぱいあるのだ」と日ごろ心のどこかで感じている、そして「もうあまり時間がない」とも感じているのは確かだ。
 でも今回夢が告げているのは、その、ぼくが課題と思っている、引っかかっているものは、自分で解決しようとしなくても人に託せばよいものか、でなければ、ほとんど既に賞味期限が過ぎてしまっているものか、捨てるべきつまらないものか、有害なものに過ぎない、ということだろうか。
 それにしても不思議なのは、Kさんのことだ。もう30年以上もお会いしていない。
 ひょっとして、亡くなられたのだろうか? ぼくが帰って行く先が向こう側なのなら、時間の流れがこちらと違っていても不思議はないのだが…
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その土地の食べ物

2019-05-22 21:45:03 | 自然・季節
 外国に行くと、その土地の食べ物が美味しい。ふだん口にすることのない高級食材とかでなく、外国人用の高級ホテルのレストランのフランス料理とかでなく、その土地のごく普通の、庶民の食べているものが美味しい。例えばコンゴに行くと、ウガリが美味しい。
 ウガリはコンゴ東部では主にマニオク(キャッサバ)をさらして毒抜きをして粉末にしたものからつくられる。大きなたらいに熱湯を用意し、それに粉をぶち込み、女性がそのたらいを両足で挟んで、大きなしゃもじのようなへらでかき回す。粉は粘りが出て、団子状になる。これを山盛りにテーブルの真ん中に置き、テーブルを囲んだめいめいが手でちぎって自分の皿にとってスープにつけて食べる。
 スープは、タンガニイカ湖で捕れる魚を干したものと、玉ねぎとトマトと、「ピリピリ」をと言ういかにも辛そうな名前の小さな丸い唐辛子とで作る。ぼくはこのウガリが大好物だった。食用バナナからつくった、アルコール度の低いどぶろく「カシキシ」も好物だった。
 首都キンシャサの大きな市場で、あるいは東部の小都市ブカブの市場で、おやつに揚げ菓子や果物を食べるのも好きだった。
 アルジェリアでは、プラント建設や操業の現場にいたので、日本人宿舎で生活して日本から来たコックさんの作る日本食を主に食べていたのだが、コックさんが休みを取る週末、町に出て裏通りの安食堂に行って、炭で焼いた羊の焼き肉や、お祝いの日用でないふだんのクスクスを食べるのが楽しみだった(羊の脳みそだけは、匂いが強すぎて食べられなかった)。
 市場で地中海の魚を買ってきて仲間と焼いたり刺身にしたり(刺身は器用な仲間がこしらえてくれた)もした。ナツメヤシやイチジクやオリーブやオレンジもおいしかった。オレンジは1キロ100円ぐらいで、山のように食べた。
 ギニアでは、海岸の漁師の村を回った。彼らが丸木舟で釣ってきて浜辺で燻製にする魚も美味しかった。川で獲れるナマズも美味しかった。退化した脚のある、ウナギのような細長い原始的な魚も美味しかった(残念ながら、名前を聞いたがメモをなくした)。
 ぼくがアフリカに行くたびに太って帰ってくるので、家族はあきれていた。
 …今日、朝から川崎の歯医者に行って、午後は上野に知り合いが出品している公募展を見に行った。お昼にファミレスでランチを食べた。「全然おいしくないな」と思いつつ仕方なく食べていて、外国の土地土地の食べ物を思い出した。
 ファミレスだけではない。ふだん家で食べる人参もトマトもジャガイモも牛乳も卵も、味が薄く、香りも薄く、たとえばフランスの市場で買うそれらの食品の味わいと比較にならない。
 …タシケントで食べる食材は、一口齧れば口の中に香りが広がって嬉しくなるような、お日様をいっぱい受けて育った野菜や果物本来の豊かな味がするのだろうな。
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タシケント

2019-05-21 21:57:29 | 社会・現代
 以前神奈川県ユーラシア協会でお世話になったIさんから連絡をいただいた。Iさんは長いことウズベキスタン共和国のタシケントで暮らしていたが、数年前に日本に戻ってきていて、今度またタシケントに戻るとのこと。
 一部を紹介したい。

  お久しぶりです。今年、タシケントに戻ります。向こうで、終活する準備です、日本は、そこが抜けたので、もう十分です、、、
  タシケントで元気なうちに、ゆっくり過します。タシケントなら、毎晩、オペラ、バレエを見ても破産しません。庭付きの家で、野菜をつくったり、果樹を植えようと思っています。

 …向こうを終の棲家と決められたのだろうか。大病をされてリハビリ中なのだそうだが、それでも、底の抜けたこの国を終の棲家かとするしかないぼくとしては、うらやましく思えてしまう。
 ウズベキスタンがどんな国なのか、タシケントでの人々の暮らしがどんななのか、ぼくは知らない。百科事典によれば、Iさんの愛する音楽が中央アジアで最も豊かな国らしい(Iさん自身も素晴らしい美声の持ち主だ)。
 それでも、政情はどうなのだろうか? 治安はどうなのだろうか? 宗教や文化の違いもあるだろうし、いろいろ不便な点もあるだろう。
 だからぼくは、毎晩オペラが見られて庭に果樹や野菜が育てられることを、安易に「ここよりずっと幸せそうだ」と思ってしまうのは止そう。
 でも、この国の、とくに都会で、ぼくたちがやむなくしている暮らし方よりもずっとゆとりのある、豊かな暮らし方をしている人たちは、ぼくの狭い実体験の中でさえ、世界のあちこちにいっぱいいるということは確かだ。
 たとえば、フランスの田舎で、パリ郊外の都市で、パリ市内でさえ。また、アルジェリアで、ラオスで、コンゴでさえ。
 (これも行ったことのない場所なのだが、梨木香歩の「春になったら苺を摘みに」を読むたびに、イギリスの丘陵地帯の生活はなんと自然豊かでまた心豊かなのだろう、とため息の出る思いをする。)
 だからおそらく、タシケントでの暮らしも、人が老いを迎えるのにここよりはずっと楽なのだろうと思う。
 そこはここほどは商品に囲まれていないかもしれない。ここほどは移動が簡単ではないかもしれない。ここほどは情報があふれていないかもしれない。
 ここほどは、お金を出してサービスを受けるときに、へりくだった丁寧な応対が当たり前ではないかもしれない(ここでは、同じ人間が、サービスを提供する立場になったときに、へりくだらなければならない。時には、非人間的なまでに。)
 でも、ここよりはずっと、人々は心の余裕があり、時間のゆとりがあり、家族や友人や隣人との交流を味わうことができるだろう。
 ここよりはずっと、空気をいっぱいに吸うことができるだろう。
 そして何よりも、ここよりは人々が疲れていないに違いない。
 タシケントは雨の少ない土地らしい。ぼくも、乾いた土地に憧れていた時代があった。
 Iさん、お元気で。
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五月は夢の季節

2019-05-20 08:37:19 | 夢の記
 五月は夢の季節だ。
 美しいとか、素晴らしいとか、希望に満ちた、とかいう意味でなく、夜見る夢。
 ここのところ続けて夢を見るので、ふと思いついて、過去に夢を記録したノートを見たら、四月末から六月初めにかけてのものが特徴的に多い。継続的に夢を記録しているわけではないので(一時、カウンセラーに言われてそうしていたことがあるが、大変しんどいので止めてしまっている)、統計的に、でなく、傾向的にしか言えないが、この時期に多い。
 この時期に植物たちは芽を出し新緑を広げ、花を咲かせ、受精し、どんどん光合成を進める。変化と成長と更新の季節だ。動物たちも冬眠から目覚め、卵からかえり、番いを作り、子を育てる。やはり変化と成長と更新の季節だ。どちらも、世代交代の季節でもある(ユズリハのように)。この時期は本能の働きが強くなる、ということもあるだろう。
 人間も動物であって、生き物であって、自然や季節を超越して生きるところまでは進化(?)していないから、やはり一年のうちで今時がいちばん体調の変化する季節なのだと思う。
 意識の層がふだんより薄くなって、無意識の働きが表に出やすい。
 無意識の力が強くなると、夢を見やすい。
 夢は、自分が気付かないまま今おかれている心の状態、あるいは体の状態、子供時代や若い頃に解決しておくべきだったのにまだ解決できていない問題、すなわちこれからの自分が乗り越えるべき課題、などを教えてくれる。
 一方で、無意識の働きが強すぎると、意識の側の自分が制御できない方向へ連れ去られてしまう恐れもある。
 だから夢は豊かな手がかりでもあり、危険性をも孕む。
 いわゆる「五月病」というのは、就職や引っ越しや単身での生活など、生活環境の急な変化が主な原因と言われているようだが、上に書いたような、生物としての人間のこの時期の体や心の奥深くでの変化も関係しているのではないだろうか? そちらが主因、ということでなく、表層部分での生活環境の変化と、深層部分での心/体の変化との相互的な作用。
 これはぼくなどの素人の手におえるものではないから、誰か専門家が研究してくれたらいいのにと思う。
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三人の老婦人

2019-05-18 22:08:17 | 夢の記
 続けて三人の老婦人と知り合いになる。三人とも、物静かで教養豊かで、話していて心の和む人だ。三人はお互いに親しいようだ。
 そのうちの一人と、お墓参りに行く。ぼくの家のお墓のようだ。この機会にぼくの自慢の手作りのラーメンを食べていただきたい、と思うのだが、ひとつひとつ作るとゆであがるのに時間差ができてしまって、一緒には食べられないので、どうしようか、と考えあぐねている。けっきょく、老舗のお蕎麦屋さんでいっしょにおそばを食べる。
(場面変わる)
 三人は、今は参道の傍らの家に一緒に住んでいる。会いに行きたいと思うが、なかなか行けない。
(場面変わる)
 ある日、寺に行くと、途中で上の方から群衆が叫びながら走って逃げてくる。口々に「~だ」「~が出たぞ」と恐怖の声を上げている。伝染病をうつす蚊が次々に人々を刺しているらしい。ぼくも人混みに呑み込まれて流されて下りていく。とちゅうで三人の住む家の前を通るが、戸は閉ざされている。三人が和服を着て静かに座っているのが、曇りガラス越しにわかる。雨が土砂降りにふって来た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 かなり大事なものを含んでいると思われるので、紹介してみた。
 三人の女性のうち二人は心当たりがあるように思うが、二人とももう他界している。もう一人はわからない。そうすると、ぼくがお墓参りに出かけたのは、この三番目の女性とだろうか。
 いずれにしてもこの三人は、ぼくの求めている、心の安らぎとか叡智とかの象徴だろう。三人というのは重要で、三つが集まって大きな一つの全体を構成する。そういう意味でも、これは本来ぼくの魂の導き手になるべき存在だ。
 「ぼくは三人に会いに行きたいと思うがなかなか行けない」、というのは、ぼくがまだ導かれて魂の高い段階に至るような準備ができていない、ということだ。また、人々の間でパニックが発生した時、下る途中で彼女らの家の前を通るのだから、ぼくは「会いに行きたい」と言いながら実は、今のところ彼女らの前を素通りしている、ということだ。
 
 ぼくはいまだに、一方では静かな調和を求めていて、一方では大混乱を抱えている。あるいは、簡単に大混乱に陥るような心の状態にある。土砂降りの雨は、困難な状況をいっそう困難にするものとして、ぼくの夢によくあらわれる。
 そして、そのような大混乱の中では、調和や叡智は扉を閉ざしている。ただ、曇りガラスの向こうではあるが、そのようなぼくに背を向けているわけではなく、こちらを向いてくれているように思う。
 …ところで、ユングのいわゆる「元型」のなかに「老賢者」というのはあるが、あれは男性像であって、女性像がないのはどうしてだろう?「グレート・マザー」はこの夢の三人に当てはまらないと思うのだが。
 ラーメン(笑)が何のことかわからないが、夢の全部を無理に解釈する必要はないだろう。自分にとって意味のあるところを汲み取ればそれでよい。
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二度寝しながら…

2019-05-16 13:58:45 | いのち
 山に行くためにうんと早起きするつもりで、うんと早く寝たのだが、1時過ぎに目が覚めてしまって、それからうまく寝られなかった。
 で、結局、(こんなにいい天気なのに、しかも来週は雨が多いらしいのに)今日は山はあきらめて、朝ごはんの後、二度寝をした。これはこれで、大変いい気持だ。
 窓を少し開けて寝ていると、さわやかな風が少しだけ入ってくる。「あーあ、怠惰は良いなあ」と思いながら枕に頭をこすりつけ、寝返りを打ってダウンを襟もとに寄せる。
 ぼくの理想の死に方は、木陰で爽やかな5月の微風に吹かれながら午睡をし、そのまま目覚めない…というものなのだが…アマすぎるだろうか。
 死ぬこと自体は嫌ではないが、きっと、家族や看護師さんたちに散々お世話になって、そのうえで病院で、いろいろ器具をつけられて、鎮痛剤で朦朧としながら、になるのだろうな。
 それならむしろ、山で遭難して…いや、これはたくさんの人に迷惑をかけるから避けたい。
 とりあえず、シーツの上でのんびりと欠伸をする。
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グリーン スリーヴス

2019-05-14 10:24:28 | 音楽の楽しみ
 五月の森に最も合う音楽―というような断定はできないが、少なくともその一つは、イギリス民謡の「グリーン スリーヴス」だろう。
 これは古風な6/8拍子で、リコーダーでもギターでもほかの楽器でも歌でも、悲しみを湛えて美しい。リコーダーなら、だれでも簡単に自分で吹けて気分に浸ることはできるだろう。聴くと遠いいにしえから響いてくるような物静かなゆったりとしたメロディーに思えるが、歌おうとすると意外に難しい。息を継ぐべきところで短い繋ぎの音が入るので、どう息継ぎをしていいかわからず、たちまち苦しくなってしまうのだ。
 標準的なホ短調(Em)でいうと、フレーズの終わりのレの付点八分音符からスラーでミの十六分音符で受けて、次のフレーズの頭の#ファにつなげている。これでは息継ぎができないから、次のフレーズの終わりまで我慢するしかない。これが何回も出て来るので、ますます苦しくなってくる。
 これを解決するために、ブラザーズ・フォーは3/4拍子にして、速度を落として、しかも繋ぎの音を省いて歌っている。
 元の歌の滑らかな素早いつなぎはこの歌の優美な美しさの源泉のように思うのだが、ブラザーズ・フォーの歌はそれをやめて、でも歌の美しさも古風な悲しみの味わいも少しも損なわれていない。かえって、元の優美な悲しみの代わりに、もっと素朴な、というか、朴訥とした悲しみを感じさせてくれる。
 イギリス民謡としていちばん有名な曲で、CMやBGMとしても繰り返し使われているし、器楽としても歌としても無数のカヴァーがある。今ぼくの手元に6種類の音源がある。
 イギリスの男性アカペラ・コーラス・グループである、キングズ・シンガーズのもの。同じくイギリスのアカペラ・・グループでこちらははソプラノが入った、スコラーズのもの。ソプラノの波多野睦美がリュートの伴奏で歌っているもの。ギターの村治佳織のもの。さっき上げたアメリカのなつかしいフォークグループ、ブラザーズ・フォーのもの。ぼくが最初に聞いたのはこれだ。
 それぞれが美しいが、スコラーズのものだけは、ややアレンジが騒々しい。
 そして、映画に挿入された断片でしかないが、女優のデビ―・レイノルズが「牧場の我が家」のタイトルで歌っているもの。これはぼくが高校生の頃、日本でもヒットした。後年、ぼくはこれが聴きたくて映画「西部開拓史」のDVDを買った。映画は、西部劇の総集編みたいな、できの良くないものだが、レイノルズの歌は良い。この6種のうちで一番好きかもしれない。断片しかないからかもしれないが。
 このほかに、リコーダーと通奏低音(チェンバロ)の演奏の「グリーン スリーヴスによる変奏曲」のCDがあったはずなのだが、見つからなかった。引っ越しをするたびにいろいろなものが亡くなっていく(もうしないだろうが)。
 …ところで、通例に従って「グリーン スリーヴス」と書いたが、sleeveの複数形だから[ズ]なのではないだろうか? 古英語では[ス]だったのだろうか? 6種の中で唯一、スコラーズのものは「―ヴズ」になっている。歌は、そこの音を呑み込んでしまっているから、ぼくの精妙でない耳には、スなのかズなのか聞き取れない。どなたか、英語に詳しい人、教えていただけないだろうか。
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笛(2)

2019-05-11 22:14:44 | 音楽の楽しみ
 林試の森に散歩に行ったら、フルートを吹いている若い男性がいた。林試の森で楽器の練習をしているのには初めて出会った。
 音大の学生だろうか。譜面台を立てて、でもそこには楽譜は乗っていなくて、ウオーミングアップの指の練習だろうか、しばらく立ち止まって聴いていたのだが、非常に速いパッセージを繰り返し繰り返し練習していた。
 音楽に詳しい人なら、ぼくが「非常に速い」と書くところを、「速度は♩=これこれ位で、誰それの練習曲」みたいに言えるのだろうが、ぼくには言えない。ぼくに言えるのは、「五月の森には笛の音がよく合う」ということぐらいだ。そういえば笛の音は、やはり五月の山の森で聞こえるウグイスやカッコウたちの囀りに似て清々しい。
 パリの郊外のクラマールという町に住んでいた頃、新緑のムードンの森を歩いていたら、森の中の小さな空き地で民族衣装を身に着けてバグパイプの練習をしている人に出会った。しばらく立ち止まって聴いていた。翌日、同じ人が同じ格好でパリ・オペラ座の前で演奏しているのに出会って驚いた。地下鉄の階段を上ったらそこにいた。 「やあ」と声をかけたかったが、吹いている最中だったのでやめた。手だけ振ったら、ちょっと頭を下げてくれた。前日森で会ったぼくを覚えていたようだ。
 パリから南東に鉄道で一時間ほどのフォンテーヌブローの森は好きな場所で、よく行った。アルジェリアに派遣で行っていたころ、一週間のパリ休暇をもらうとパリは素通りしてフォンテーヌブローに行って、駅前の旅館に投宿して、5日間ぐらい毎日森を歩き回った。
 ある時、六月の始めだったが、やはり新緑の森を歩いていたら、すこし窪地になっている藪蔭から、姿は見えないがリコーダー(フリュート・ア・ベック)の音が聞こえてきた。
 宿泊した旅館の裏手から森に入って、30分ほど歩いたあたりだった。
 フルートもバグパイプも五月の森に合うが、やはり一番合うのは、リコーダーだろう。それも、古風なバロック曲が良い。
 リコーダーは、小学校でも習うが、誰でもすぐに鳴ってしまうので、かえって息のコントロールが難しい、なかなかサマにならない楽器だと思う。その時の吹き手はすごく上手かった。
 笛の音は、囀るように、誘惑するように、聴く者を魔法にかけるように、歌い続けていた。
 どんな人が吹いているのか、藪の向こうに下りて行ってみたい気もしたが、わざわざ藪陰で吹いているのを見に行っては悪いだろうし、ひょっとして好奇心が災いして、罰に小動物かなんかに変えられてしまうかもしれない、という怖いような気も(マジで)少ししたので、道端で聴くにとどめた。
 反対側のバルビゾンの村までそこから2時間ほどかけて行って、お昼を食べてまた歩いて帰ってきたのだが、さすがにさっきの場所に笛の音は聞こえなかった。ちょっと、藪陰に行かないで惜しかったかな、と思った。
 (「笛」(1)は、18/11/13に書いています。)
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他者から受け取る

2019-05-10 19:30:28 | 無いアタマを絞る
 山之内重美さんからFBの方にコメントをいただいた。読みながら、「ん、これは大事だぞ」と思った。そして考えてみたら、自分の頭の中には視点の欠落が二つあるのに気が付いた。これから先のぼくの生き方にとって、このブログの今後にとっても、これは大きい。山之内さんに感謝したい。
 それにしても、こんなことにこれまで気づいていなかったなんて。
 ひとつは、他者から受け取る、ということ。
 山之内さんや、内海宣子さんや石井みどりさんの生が豊かなのは、他者からたくさんのものを受け取ることができ、しかもそれを味わっているからだ。
 ぼくは、自然が、本が、音楽が、たくさんの豊かさをもたらしてくれることを知っているし、受け取れることに感謝もしている。しかし、もともと他者(人)との関係性について淡白だから(つまり孤独志向が強いから)そこから受け取れるものの豊かさについて、受け取ることの喜びについて、あまり意識したことがなかったかもしれない。
 だからかえって、山之内さんたちのように他→自でなく、自→他ということに、つまり自分が何を言うか、何を発信するかの方に関心がいくのだろう。そのくせ他者がどう感じるかが気になるから、被承認願望とかを意識する。
 昨日、「自分の言動には実はそれが含まれているんだ、ということは知っておいた方が良い」と書いたのは、自戒の言葉であるべきだったのだ。
 もう一つは、プロの視点、ということ。
 ぼくは歌を仕事にはしていなかったから、アマチュアの視点しかもっていなかった。仕事として歌う、あるいはより一般に表現活動を行う、のであれば、その仕事のうちには、他者と縁をつないでいくことも含まれる。他者の存在がありがたい、という気持ちも自然に生まれる。そのことに気が付かないぼくは、アマちゃんだったというほかはない。
 アマでいるかプロを目指すか、というのは(才能の問題は別にして)どちらを選択してももちろん本人の自由なのだが、立ち位置が違うということを意識しないで物を言ってはならない。
 これも、自戒。
 もっと謙虚でなけらばならない。

 以下に、山之内さんからいただいたコメントをコピーしておきたい。了解は取っていないが、FBは不特定多数にあてられたものなので、かまわないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
 私は、みどりさんともう2人から「Liveを仕事にしてるなら、FBで多少の広報しないのは怠け者」というふうな意味のことを、親身になって強く言われたので、数年前に渋々始めたのですが、その2-3年後から別の喜びに気付きました。私の場合は自己を他人にというより、「今まで知っていた人の日々や考え、感じ方を、味わい深く知ることができて嬉しい」感の方が遥かに強い喜びでした。原則的には面識のない人からの友達申請はスルーさせて貰っており、親しくて尊敬してる人のラインで「おっ」と親近感や共感を覚えた場合にしか新しい人のは受諾しないようにしてます。 繋がったら、自分のを見て貰うだけでなくその相手の投稿も見るのが私の勝手な原則なので、分母ばかり増やしても、とてもフォローできないから。時間がとても足りない。クタクタになってるのを見て、家人は、アホかと思っているようですが、不器用な性分なので、仕方がない。 つまりFB友は相手の生活の時間泥棒でもあるので、私は平均1日1通以上の投稿はしないように自分に制限しています。数日置きに2-3通一遍にというのもその計算内なので可。 樋口さんのもまとめて見ることもよくありますが、けっして見逃さないようにしたい人なので、全部読みたい。それにはちょうどよい頻度なので有難いわ。若い時と違うから、これまでに出会った縁のある人を、丁寧によく知って人生を終えたいと思っています。そういう意味では、私にとってのFBは、とても有難い人生仕舞い時の同伴者となってくれています。
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被承認願望

2019-05-09 12:50:39 | 無いアタマを絞る
 一昨日、「ブログは自己顕示や被承認願望だ」と書いた。これに違和感や反感を持った人がいるかもしれないので、補足しておきたい。
 ぼくは、「だからやめた方がいい」とは書いていない。現にぼくもやめていない。「自己顕示や被承認願望はよくないことだ」とも書いていない。
 (一般には、「承認願望」というようだが、ぼくは「被」をつけておきたい。)
 ついでに断っておくと、池田晶子がぼくの引用した著書「14歳の君へ」で、「ブログが現代ふう自己顕示の典型だ」書いているのは、「個性」について考える中で、「自分らしさ、自分の個性というものは、他人に認められることによって見つけられるものではない」という文脈で書いているのだ。
 被承認願望はそれ自体、人間が生きていくうえで無くてはならないもので、他者との関わりのほとんどあらゆる局面に含まれている。ただし、それが強い人は、日常生活でも他者との軋轢を生んだり、他者に敬遠されたりすることはありうるだろう。また、それがなぜなのか理解できずに悩むことはあるだろう。だから、自分の言動には実はそれが含まれているんだ、ということは知っておいた方が良いと、ぼくは思う。
 とくに、ネット上の事柄についてはそうだ。これが、本人はそうと意識しないまま暴走してしまうのが、たとえば、冷蔵庫に入ってみたり商品のハンバーガーに唾をつけてみたりする映像をネット上に流す行為だ。
 被承認願望と自己顕示欲はどう違うか? 赤ちゃんが親の優しい声掛けを必要とするのは、無意識の被承認願望ではあるが、自己顕示ではない。自己顕示は、被承認願望を満たすためのひとつの手段だと考えている。多かれ少なかれ、攻撃的で強い手段。
 考えてみれば、芸術的表現行為ではほとんどの場合、被承認願望がかなり強く発揮される。演劇、歌、などステージで行われるものがその典型だ。拍手が、ブラボーが、「良かったよ」という言葉が、表現者を幸福にするのは、そのためだ。
 もちろん、表現者は、自分のパフォーマンスがその時点で納得のできるものであった、というところでも幸福感を得る。ただしそれが自己満足ではなく確かに一つの達成であったことを確認するには、人々の声を必要とすることが多い。
 稀に、画家が絵を誰にも見せることなく描き続けていて、亡くなった後で親族や知人や画商などが、「彼はいったいどんな絵をかいていたのだろう」と思ってアトリエを訪ねると、素晴らしい作品群を発見する、ということはあり得る。この場合、画家は被承認願望ではなく、内的動機だけで描き続けていたということは明らかだ。
 彼は一人黙々と描いていて、それで満足だったかもしれない。ただしそれが、ひとりの芸術家として幸福な生涯だったかどうかはわからない。孤独に描き続けるのではなく、周囲の人たちの理解や共感(つまり承認)を感じながら描けた方が、より幸せだっただろう。
 だから、被承認願望自体は、悪いものではない。表現者は、過度にならない程度に、拍手や称賛を求めて良い。それを求める気持ちの中に、被承認願望が含まれていることを知ってさえいれば。
 ちなみに、上記の本の中で池田晶子は、「止したがいいのは『自分探し』だ」と書いている。ぼくの最初のブログのタイトルは、「自分探しのブログ」だった。
 お恥ずかしい限りだ。
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