すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

入笠山の花・他 8月27日

2021-08-30 17:28:58 | 自然・季節

 

レンゲショウマ      エゾリンドウ

 

マルバダケブキ      エゾカワラナデシコ

 

キキョウ         シシウド

 

ハクサンフウロ      ヤマトリカブト

 

山頂           大阿原湿原

コメント (3)
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明日には・・・

2021-08-26 11:21:14 | つぶやき

「緊急事態」宣言下とは言え
人間は自然と離れて生きられない
この頃ぼくの考えることは
内に籠って鬱々と暗く
少しも伸びやかな明るさがない
おまけにひどく疲れている                                  
出かけることは不要不急ではない
喫緊欠くべからざるものだ

明日は早朝の列車に乗って
久しぶりに森を歩きに行こう
カンカン照りの空の下
草原の中に

釣鐘人参 
松虫草
水引

もう咲き始めた秋の花たちと
旧交を温めに行こう

本当は山小屋に泊まって
この時期は宵の空に
もう高く上がっているはずの
天の川を見られたら良いのだが・・・
まあそれは諦めておこう

風通しの良い木陰に
できれば流れの傍らに座って
魔法瓶のコーヒーを飲もう
クルミとブドウのパンをかじろう

明日にはきっと・・・

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「夏の終り」

2021-08-24 13:21:55 | 

 ぼくは若い頃、頭の回転はすごく遅くて、仲間たちの議論や会話についていけないことがしょっちゅうだったが、暗記力だけはあった。平家物語の「大原御幸」の段や白楽天の「長恨歌」や陶淵明の「帰去来の辞」などは暗誦していた。フランス語も、当時の教科書MAUGER(Bleu)の本文を電車で丸暗記して覚えた。
 今はもう、全然ダメ。歌の文句でさえ口ずさもうとすると忘れていたりごちゃ混ぜになったりする。きのう挙げたうち、「悲しくて…」の方はともかく、伊東静雄の「夏の終り」の方は、繰り返し読んでいるはずなのに、思い出そうとしてみたら最初の3行しか出て来ない。
 それで、家に帰って読み直してみた。改めて心に沁みた。

夜来の台風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳は
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷く眼差のやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずつとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる

 (ぼくはワードで行間に振り仮名をつけることができない。つけようとすると行間の幅が変わって不揃いになってしまう。今までは漢字のすぐ後にカッコつきで入れていたが、おおぜいで歌う歌集なんかならともかく、詩の場合はそれではひどく醜いし、作者の意図にも反する。それで、今後、必要があったら、本文の後にまとめてつけることにする。)

 もともとついていた送り仮名(原ルビ):翳→かげ、水田→みづた、面→おもて
 ぼくが勝手につけた送り仮名(勝手ルビ):頷く→うなづく、眼差→まなざし

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新宿御苑・緑と青

2021-08-23 10:38:48 | 自然・季節

 ふと思いついて、久しぶりに新宿御苑に行った。これまで桜の季節とか紅葉の季節とかにしか行ったことがなかったように思う。人出の多いところ、という印象だったのだが、コロナによる外出自粛のせいか、夏の日盛りに行くところではない、と思われているのか、予想よりずっと人は少ない。広大な芝生の所々の日陰に散らばっているだけで、静かな雰囲気だった。
 日本庭園とかにはほとんど関心がないのだが、よく手入れされた芝生は美しく、その上を向こうの端まで歩けるのはうれしい。「母と子の森」も武蔵野の自然らしくて小さいながらも好ましい。草の花の種類は白金の自然教育園の方がずっと多いが、あそこにはこれだけの解放感はない。NTTのビルだけが森の上ににょっきりと目障りだが、そっちはなるべく見ないことにしよう。
 歩き回ってくたびれたので、ぼくも木陰にレジャーシートを敷いてザックを枕に空を見上げた。ひつじ雲が広がっている。ところどころ青空が見えている程度。分類としてはかろうじて晴れだろうか。あまり暑くはなく、体を伸ばしているだけでのんびりと気持ちが良い。雲は微かに分かる程度に少しずつ変化をしていて、いつまでも見ていられる感じ。
 「白い雲は流れ流れて/今日も夢はもつれ…」という歌があったな(フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」サトウハチロー詞)。ぼくはいま悲しくもわびしくもないけれど、白い雲を見て思い浮かべるのはいつも、この歌と、昭和前期の詩人伊藤静雄が戦後すぐに書いた詩「夏の終り」だ。
 一時間ほども見上げている間にも、雲は少しずつ広がり、青い部分を侵食してふさいでゆき、初めはほんの少しだけだった雲の下部の灰色の影がだんだんあちこちに現れ、それが集まって次第に大きな厚い黒っぽい影になってゆく。
 魔法瓶の熱いコーヒーを飲む。家を出るときに冷蔵庫に氷がなかったのでやむを得ず熱いのにしたのだが、炎天下でなければコーヒーは熱いほうが美味い。
 比較的近くに若いカップルがシートを広げて話し始めたので、芝生をもう一往復して帰ることにした。
 緑と青、といえば2日前の夢の、暗いモノトーンの中でそこだけ鮮烈に原色だった稲田と空の色がまだ心に引っ掛かっているのだが、もしかしたらそれが無意識の底の方にあって、ぼくはここに来たのかもしれない。それならそれで良いことにしよう。
 帰りに受付で年間パスを買った。広い芝生の広がり、といえば葛飾の水元公園か立川の昭和記念公園も時々行くが、ここの方がずっと近い。家から約一時間。貧乏人のぼくはここなら交通費がタダで来られるので、有難い。

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2021-08-20 18:07:52 | 夢の記

小さな駅の小さな待合室の
二列に並んだ古い木のベンチに
赤ちゃんの首が並んでいる

首は白い産着にくるまれて
泣くでもなく
てんでばらばらな方向を
黙って向いている

乗客が忘れて行ったものか
それとも置いて行ったものか

ベンチにはまばらに人も坐っている
誰も赤ちゃんの首を気にしていない
彼らには見えないのか
見て見ぬ振りをしているようではない

彼らは何処に行くのか
ここは何処の駅なのか

あたりには水田が広がり
緑の稲穂が美しい
両側は低い山並み
その上に雲ひとつない空

ぼくはいったい 何処から来て
何処に行こうとしているのか

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牧野富太郎

2021-08-10 11:06:20 | 自然・季節

 練馬区大泉学園にある牧野記念庭園に行った(5日)。昭和の始めから30年ほど牧野が亡くなるまで住んだ住居跡で、60m×40mほどの小さい施設だ。駅から暑い道を5分ほど行ったところにある。
 住居の門をそのまま再現したのだろうか、落ち着いた感じの良い門を入ると、右に管理室と休憩室(研修室)の棟。左奥に胸像。武蔵野の林を残した庭はいくつかの小道で区切られ、林床にはキツネノカミソリとヤブランがたくさん咲いてゐる。小さな庭だが、当時は庭の外の周り中が武蔵野の自然の中だったのだろう。
 庭の奥に真新しい展示室。その右奥にコンクリートの建屋の中に保護された、書斎と書庫の建物。書斎は3畳。障子一枚隔てた書庫は8畳(書庫は3つあったうちのひとつ)。古い和室で、当時は棚も畳も資料や標本が足の踏み場もないほど積み重ねられていたのだろう(彼はその標本の山の中のどこに何があるかすべて記憶していたそうだ)。書斎の坐り机は小さく、ひどく低い。ここで何時間も、あるいは幾晩も、背を屈めて研究していたのだろう。
 展示棟は彼の生涯をコンパクトにまとめた常設展示室とその奥の企画展示室。そちらでは船崎光治郎という画家の南樺太の植物画展をやっていた。
 常設室で、若い男性が学芸員の女性に質問していた。「彼は研究のためとはいえ、親の財産を食いつぶし、妻や子にひどい貧困生活をさせ、なぜ勘当も離縁もされず、勝手放題をできたのですか?」というようなことを。学芸員は「彼の研究が素晴らしいものだということを家族は理解していたからでしょうか」というようなことを、躊躇いながら答えていた。
 その質問の仕方に腹が立って、呼び止めて話をしようかと思い声をかけたのだが、ぼくの声が尖っていたためだろうか、彼は振り向きもせずに出て行ってしまった。ぼくの言いたかったのは、以下のようなことだと思う。
 牧野がものすごく真摯で研究一筋であれば、そして誰もがその人柄を愛さずにはいないような人物であれば、彼の生きていた時代ならば、酷い苦労の中で時には反発もあったにしても、家族は彼を理解することができ、支えることができた、ということはあり得たのではないだろうか? 家族の人たちは、そういう選択をしたのだ。今の時代ではどうか分からないが。

 記念庭園を出て、歩き足りないので、隣の駅で降りて石神井公園の池をのんびり回って帰って来た。暑い日ながら、池の畔の散策のあいだ、彼の小さな庭園の与えてくれたさわやかな思いにぼくは包まれていた。

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オーケストラ

2021-08-09 14:39:49 | 音楽の楽しみ

 昨日は久しぶりにコンサートを聴きに行った。こんな時期だからどうしようか、というためらいもあったのだが、音楽会は観客が声を出さないし、コンサートホールは天井の高い広い空間だし、直行直帰ならワクチンも接種したから大丈夫だろう、と判断した。
 場所はミューザ川崎。演奏は昭和音大の学生と卒業生のオーケストラ。演目はベートーヴェンの「コリオラン」序曲と交響曲第8番と、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、他小品。料金は全席指定でなんとすべて1000円。
 学生のオケだし、そこそこのものが聴かれたらそれで良いだろう、ぐらいのつもりでいたが、素晴らしかった。いつものお昼寝をしないで出かけて、15時開演だから、眠らないようにしなきゃな、と思ったのだが、「コリオラン」の始めから、ゆるい音は少しもなく(とかいうようなことを音楽知らずのぼくが書くのも滑稽だが)、さわやかな集中と緊張と力強さと伸びやかさで第8番も終わり、休憩後の後半の、とくに「火の鳥」はさらに素晴らしかった。みんなものすごく上手いが、中でもピッコロと木琴は格別音がクリアできれいだなと思った。
 久しぶりに、音楽で豊かな興奮の時をもらった。1000円でこれだけのものが聴かれるのだったら、これから少し学生オケにハマってみるのも良い。11月から12月にかけて音楽大学オーケストラ・フェスティバルというのもあるようだし、ぼくのようなアマは聴く側に回ったほうがずっと豊かかも知れない。
 ところで大人数のオケだけれども、彼らはこののちどう進むのだろうか。全員が音楽家の道に進むことができるのだろうか。
 彼らのうち何人かは、それぞれの楽器でコンクールに挑むのだろう。そこでは、アスリートと同じに「難易度Hの大技、15.30点!」とかいう世界を体験するだろう。でも、それはそれとして、何十人が現在という時間を共有して、一つの管弦楽曲を美しく響かせるために集中する、ということは同等以上に素晴らしいことだろう、と思う。たとえ音楽の道に進まなくても、それは最高に貴重な体験に違いない。ぼくは、アスリートよりもこっちに関心があるかな。

 ミューザ川崎は螺旋形にゆったりと空間配置がしてあって、心地良いホールだ。席を離れると、戻るときにちょっと迷うが(笑)。

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ヒトノ形

2021-08-08 08:21:17 | つぶやき

 FBで誕生日のメールをくださった皆さん、ありがとうございます。個別の返信に替えて、この場でお礼を述べさせていただきます。
 ぼく個人は誕生日がめでたい(語源は「愛で甚い」だそうです)ものだとは感じていませんが、なぜかケーキを食べる日ではあります。昨日は自由が丘「モンブラン」のモンブランを久しぶりにいただきました。
 この頃ほとんど投稿をしていませんが、パソコンの画面が見にくくなって辛いのが主な理由です。
 ついでに、耳も遠くなりつつあって、音程がとりづらいので、音楽からも遠ざかっています。山登りと読書です(これも、どんどん遅くなっていますが)。
 その山が越境自粛で行きにくくなったのが残念です(先週は北アルプス、燕岳から常念岳へのミニ縦走の予定でしたが、断念しました)が、まあ、めげずに歩き回って、元気で生きています。
 皆様のご健康をお祈りいたします。

 さて…
 コノ頃フト気ガツクト
 ジブンガカツテ何ダツタカヲ
 思ヒ出サウトシテイルコトガアル
 思ヒ出セル訳ガナイ
 ジブンニハ形ガ無カツタノダカラ

 ソノ形ノ無イモノガ
 ナツカシク思ハレルノハ
 何故ダラウ?

 今ノジブンノ形カラ
 抜ケ出シタイノダラウカ?

 ソノ時ハジブンソノモノモ
 無クナツテシマウノダガ
 何レドノミチ然ウナルコトダ

  ワタシハ時々
  形ノ無カツタ頃ノ
  夢ヲ見テイル

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