すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

山茶花

2022-11-26 10:19:16 | 自然・季節

枯れ残ったカエデの葉が
風に揺れる枝の下に
山茶花が咲いている

歌いながらあやす腕に
守られて
花はひっそりと白い

最後の葉が花の上に落ち
花もやがて根元の土に消えたら
自然は乾いた眠りにつく

この土地は開発計画があるそうだ

・・・時が流れ
新緑が 盛夏が廻り・・・

いつかまた この季節に
ぼくはここを訪れるだろうか

あるいは

ぼくが地上を去った後に
ぼくの想いや影だけが
ここを歩き回るだろうか

もうしばらくの間は
この場所はこのまま
在り続けなければならない

影が 失われた花を探して
さまよわぬように

せめて

骨のかけらが土に還るくらいの時間
思い出が消えるくらいの時間
亡霊の心が鎮まるくらいの時間

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白い月

2022-11-10 11:10:20 | 音楽の楽しみー歌

 月はやはり白く輝くほうが良い。一昨日の晩、ぼくと同じように感じた人は多かったのではないだろうか。だんだん欠けて行くのを見ている間は、確かに興味深かったのだが、皆既月食になった後のあの赤黒い月には、何か禍々しいものを感じた。人は古代から皆既日食には凶事の予兆を読み取っていたようだが、月食にも同じことを感じる。
 それでも双眼鏡で見ると、赤い円の縁のあたりは真珠の光沢のようなものがないではなかった。だが、皆既が終わって再び白く輝きだした時、ほっと安堵を覚えた。だんだん大きくなり満月に戻って行く光を眺めながら、安心感と共に嬉しさが込み上げてきた。
 やはり月は、ことに秋の月は、白く煌々と輝いていなければならない。440年ぶりだかの見ものは、マスコミが言うような「この天体ショーを見逃しては損」などというものではない。かぐや姫が今でも住んでいそうな澄みきった月が良い。
 戻った白い光を見ながら、三木露風作詞・本居長世作曲の名歌曲を思い出した。

    白月

 照る月の 影みちて
 雁がねの さおも見えずよ
 わが思う 果も知らずよ
 ただ白し 秋の月夜は

 吹く風の 音さえて
 秋草の 虫がすだくぞ
 何やらん 心も泣くぞ
 泣きあかせ 秋の月夜は

 旋律を載せられないのは残念だ。動画をご覧ください、と言いたいところだが、動画でもあまり良いのは無いように思う。大変難しい曲なのだ。出だしの「照る」の高音で躓いてしまう。抑えて出すことができずに耳障りな大声になるか、感情過多になるかだ。これはむしろ、月を眺めながら口ずさむか、心の中で歌うのが良い。
 秋の月の歌というと、滝廉太郎作詞・作曲の「秋の月」という名曲もあるが、詩だけだと平凡で(月並みで)、「白月」の方がずっと味わいが深いように思う。なお、「荒城の月」は冬の月の歌なのでここでは取り上げない。

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Vocation

2022-11-08 14:23:46 | いのち

 三ッ池公園の池のほとりのベンチで友人と話し込んだ。イチョウとカエデがそれぞれあざやかな黄と赤の影を水に映す、静かで美しい一日だった。彼女は今年、瀕死の大病から奇跡的な快復を果たしたのだった。
 「生きながらえさせてもらった命だから、もう少し元気になったら、社会に少しでも恩返しができるような活動がしたい」と言っていた。
 帰宅してから彼女から届いたメール(の一部)と、ぼくの返信(の一部)。
 
「私は、これからの人生に役目があるのなら、それとは自然に巡り合うのだと思いました。
 やりたいことがあれば、まず元気でいること、身近なことを大切にすること。」

 「vocationというフランス語が好きです。英語でも同じvocationまたはcalling。
これからの人生に自分の役目が見つかるとしたら、それは天が(ぼくはキリスト教ではないから「神」とは言わず、「天」なのですが、たぶん同じものだと思います)自分に役目を与えてくれた、そのことをするように呼んでいる、のだと思います。
 呼ばれたときにその呼び声に応じられるように、心と体を整えておかなければならない。
 ・・・いま気がついたのですが、vocalも同じ語源ですね。」

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風立ちぬ

2022-11-06 13:00:01 | 山歩き

登山道を離れて
ほとんど葉を落としたカラマツ林の
踏み跡を登ると
枯れたカヤトの小丘に出た

昔の小学校の机と椅子が
ポツンと置かれている
風に飛ばされないように
脚に石を乗せてある

誰かがここまで担ぎ上げたのだ
ずいぶん年月が経っているようだ
その人は毎日
こんな人知れぬ場所に来て
山々を眺めたのだろうか

南西にもう雪の色を見せる高い峰々
東に日陰になって暗く
凄絶な絶壁を立てた岩山
北の広い谷のずっと先に
西に流れる川
この丘は穏やかな陽だまりだ

机の上げ蓋を開けると
A5ほどの紙の束と
文鎮と鉛筆があった
一枚目に一行だけ
「もういちど生き直せたら・・・」

紙の裏にはオーケストラ用の
スコアと思われるものの一部
この人は音楽を断念した後
練習していた譜を裏紙にして
思いを綴ろうとしていたのだろうか

とつぜん激しい風が起こり
紙を空高く巻き上げ
太陽の方向に散らしていった
申し訳ないことをしたかな
でもこれでかえって
彼の想いは解放されたのかもしれない

明るい広い空に向かって
太陽に向かって

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電車が多摩川を渡る

2022-11-02 12:57:40 | 社会・現代

左岸 古墳側の斜面は
桜が地味な色に紅葉し
河原の禾本科はすべて藁色だ
花咲く緑の野
空を映す広い豊かな水面
そんなものはないけれど
ここにはここの安らぎがある

河川敷の真ん中近く
マウンドのように少し盛り上がったところに
小さな小屋がある
板切れとトタンとブルーシートの小屋だ
川が荒れた時に濁流から護られるように
上流側の茂みの蔭に小さく作られている

今年は無事に過ぎたのだ

4年前には氾濫で
すべて流されてしまった
荒れ放題の地が整備され
茂みに引っ掛かった流木は除けられ
そこに雑草が戻り
いくつかの小屋が戻り

すべてを失った人たちの何人かが
また住み始めたのだ

あの時は生きた心地もしなかったろうが
生き延びることができてよかった

故郷はあるだろうに
帰れない事情があるのだな
何も力にはなれないが
こんどそこまで行ってみよう
そしてせめて祈ろう
無事でいろよ

嵐の季節は去ったが
また 極寒の冬がやってくる

 

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