すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

南高尾

2021-11-30 18:06:32 | 山歩き

 先日クマに遭遇して、歩きはじめたばかりで逃げ帰ってきてしまったので、気持ちがもやもや落ち着かないので、今日は南高尾を歩いてきた。あそこなら人がいないということはないし、高尾本山よりはずっと静かだ。高尾山口駅から大垂水峠まで、休憩を含めてちょうど4h30。まだ今日はいくらでも歩けそうな気がしたが、一日3本のバスがちょうど来たから相模湖駅に下りた。歩きはじめてから30分ほどの尾根道に山つつじが咲いていた。そこ一か所だけだったから、狂い咲きだろう。黄葉をバックに美しかったのだが、うまく撮れなかった
 山に来ると気が清々する。街を歩き回っても全然そういう気分にはならない。でもそのことは別途書こう。
 帰りの電車(行きは寝ていたから)で、「クマにあったらどうするか」という本を読んだ。アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師の姉崎等という人の談話の聞き書きだ。読むペースが遅いのでまだ途中で、まだ直接クマの生態に関する部分ではなくて、彼が猟師になった初めのころからの、猟師の知恵の話だが、すでにたいへん面白い。

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「この空を飛べたら」

2021-11-29 08:05:52 | 

 昨日書いた「つぶやき」はあまりに拙い。削除したいところだが、一度載せたものを削除すると、今後次々に削除したくなるに決まっているから、やめておく。読み返して恥ずかしく思うほうがマシだ。
 ここで、気分直しに、よく知られた作品をいくつか掲げておきたい。

    故國      
           テオドオル・オオバネル 
          (上田敏訳「海潮音」より)
小鳥でさへも巣は戀し
まして青空、わが國よ、
うまれの里の、波羅葦増雲
          (波羅葦増雲(ハライソウ)= 天国


   (空の青さをみつめていると)
          谷川俊太郎「六十二のソネット」より
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない(以下略)
          (谷川俊太郎には他に多数)


    飛行機
             石川啄木
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。


    この空を飛べたら
              中島みゆき
(・・・)
ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい

 

    ひこうき雲
            荒井由美
(・・・)
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

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空が青い-2

2021-11-28 21:20:54 | つぶやき

魂というものが
もしあるとしたら
そしてそれはぼくが死んだら
もと居た場所に帰って行く
のだとしたら

空の高みのいちばん奥
青さえ無くなるあたり

あそこがその場所なのだと
魂がぼくに言う

  または

魂というものは
きっとあるのだろう
青空を見上げていると
こんなに胸が迫るのは
魂があそこへ
帰りたがっているからだ

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クマに遭遇!

2021-11-26 18:52:21 | 山歩き

 先日道が良く分からなくて挫折した(11/09「秋山の・・・」)浅間峠から先の尾根を歩こうと思い、今日は正しいバスに乗り、「新山王橋」で降りた。登山客は何人かいたが、そこで降りたのはぼく一人だった。バス停の前は道が複雑に分かれていて道標はないので、2万5千分の1地図とにらめっこして見当をつけ、歩きはじめたら10分ほどで古い木の道標を見つけた。
 「うん、合っている。今日は大丈夫」と気を良くして進むと、さらに10分ほどで車道は大きく左にカーブし、使われていなさそうな林道がまっすぐに沢沿いに入っている。これが登山道の入り口なら、ここには道標が欲しいところだ。ちょっとためらったが、地図上の道は沢沿いについているし、車道をたどれば大回りをして「甲武トンネル」を抜けて奥多摩側に出てしまうので、その林道に入ることにした。
 「やれやれ、やはりこの間の二の舞かな?」と思いながら更に5分ぐらい行ったところで、「クマ鈴をつけなくちゃな」と思い出した。いつもは歩きはじめる前につけるのだが、今日は最初から道の判断に気を取られていたのでまだだったのだ。
 リュックを下ろし、鈴とストック一本を取り出し、ついでに何か食べておこうと思い、鈴はザックの肩ベルトに取り付けたペットボトル・ホルダーの紐につけるので、背負ってからつけるつもりで右手に持ったまま、まずお茶を一口飲み、草餅を取り出して一口食べ、食べながら前方を見たら、30mほど先の谷側の茂みが一か所だけ揺れている。他は揺れていないから、風ではない。
 「もしや?」と思い、右手の鈴を大きく鳴らしてみたら、その茂みからクマが頭を出した。その鈴の音で「何事だろう?」と警戒したのだろうか? それともその前に、食べ物の匂いに気が付いて出てこようとしたから茂みが揺れたのだろうか?
 この時期のクマは冬眠の前で餌を探している。餅を狙って襲われてはかなわない。大急ぎで残りを頬張り、かたわらに置いておいたストックを取り上げ、ピックのプロテクターを外して構え(襲われたらこんなもの役に立たないだろうが、何もないよりは威嚇になるからマシかもしれない)、セオリー通りクマを見つめながらゆっくり後ずさりした。クマの頭は再び茂みに隠れた。襲ってくるだろうか? それとも断念したのだろうか?
 道の曲がり角までそのままゆっくり後ずさりし、それから前を向いて急いで下った。追いかけてはこないようだ。車道まで戻れば、木の道標のあった手前に3軒ほどの家がある。そこまではすぐだ。
 家のところに着いた。クマの出没を知らせるべきだろうが、人はいないようだ。バス停から少し上野原寄りに郵便局のあったのを思い出した。そこまで戻り、クマに遭遇したことを知らせた。近隣には局から情報が行くだろう。
 郵便局を出たらホッとして力が抜けた。もう今日は道を変えて登る気はしない。戻るバスの時刻表を見たら、幸い午前中たった一便だけのバスが40分後に通る。そうでなければ上野原の駅まで歩き通さなければならないところだ。空は真っ青で陽はうららかで、あたりの山は終わりはじめの黄葉でまだ美しい。30分ほど歩き、途中から乗った。まだ朝の10時半なので、せめて高尾山にでも回ろうかな、とも思ったが、あのほんの短い間の出来事でひどく疲れた。バスと電車で眠り続けて帰宅した。
 この時期、人のあまり通らない道を独りで登るのは避けるべきかもしれない。ぼくはラッキーだったと言えるだろう。あの時立ち止まって鈴を取り出していなかったら、もっと至近距離で突然の遭遇をしていた可能性は高い。
 あと、この時期はクマ避けスプレーを携行したほうが良いだろうな。強烈な唐辛子スプレーだそうなので、クマも迷惑だろうが、やむを得ない。

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空が青い

2021-11-25 11:03:17 | つぶやき

空が青いということ以外
何もいらない一日

でも
ぼくがあの青の中でなく
ここに この地上に
この街の中に
生きていなければならないことが
とても悲しい一日

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百蔵山

2021-11-19 13:42:09 | 山歩き

 猿橋駅北口に出ると、正面やや右手に百蔵山がどっしりと立ち、左右に裾を引いて山頂部分が平らで、大げさに言えば富士山の形だ。その右、いったんどっと下ってから長い尾根線を引いて立つのは扇山だ。同じくらいの高さに見えるが、向こうの方が130mほど高い。百蔵から下って扇に登る縦走路があるが、下りは急降下で登りは長く、つらい道だ。百蔵山の左手には、大月駅からなら正面に聳える大岩壁がほぼ真横から見え、後頭部の禿げた頭のようだ。その左は独立峰のように見える存在感のある滝子山だ。
 歩き始めてすぐに渡る桂川は、深い渓谷だ。欄干から川面を見下ろす。水ぎわは岩畳みになっている。大丈夫。跳び降りたくなるような衝動はもう感じることはない。続いて葛野川の渓谷を渡る。
 坂にかかると南西に富士山がすでに白く輝く姿を現し、その右は三ツ峠山、本社ヶ丸。左は杓子岳、御正体山、大室山、蛭ヶ岳など、道志と丹沢の山並。いちばん手前、桂川を挟んですぐ近くは神楽山。その向こうはたぶん九鬼山から高畑山に向かう尾根。どれもみな以前に登った、懐かしい山々だ。
 百蔵山は駅から歩くと舗装道路の登りが、歩きはじめの身体には結構つらい。暑い時期にはさらにきつい。今頃の季節は大丈夫。ゆっくり一歩ずつ歩いて行けば、山道が始まる頃には体が慣れる。
 登路は西コースと東コースの二つに分かれ、西が一般的だが、今日は東を行くことにする。西はなだらかだが植林帯の中の暗い感じの道が長く、東は頂上直下に30分ほどの急登があるが、ほぼ二次林の中を行くので林相はずっと感じが良い。特にこの季節はこっちが美しい。
 浄水場の後ろからやっと山道に入る。はじめのうちは真っ赤なモミジの色が目立つ林だが、ほどなく赤い色が無くなり、コナラの黄葉の林になる。黄葉はやや盛りを過ぎて、枯葉色が混じっている。それが黄色の単色ではない様々なグラデーションを作り、陽光に映えて美しい。枯葉を踏みながら登って行く。
 日本の紅葉の美しさはなんと言っても鮮やかな赤である、ということに異存はないが、ぼくは同じくらい黄葉が好きだ(これは何度か書いたが)。紅葉はぼくを讃嘆者に、すなわち鑑賞者にする。紅葉は眺めて楽しむ対象であり、ぼくはあくまでもこちら側にいて、客観していて、その下を歩いていても、その中には入って行かない。観光客と風光との間には画然とした区別がある。黄葉の林の方にぼくはより親近感を持つ。一体感、と言っても良いかもしれない。
 落ち葉を踏んで山道を歩きながら、自分もその自然の中の一員であると感じることができるのがうれしい。魂がふらふらと憧れ出る、ような感覚。いつまでもそこにいて酔ってていたいような感覚。
 右手に扇山が再び姿を現し、縦走路の深い落ち込みが見え始めると、いよいよ急登だ。前にここを下った時はかなり怖かった。ずるずる滑って落ちて行きそうになるのだ。今回は登りだから苦しいだけで危険はないが、下山者とすれ違う時は気を付けなければならない。小石が落ちてくることがあるし、人間だって降ってくるかもしれない。すれ違うときは登り優先、ということになっているが、こういうところでは早めに木の陰のような安全なところに避けて、「どうぞお先に。休みたいのでゆっくりどうぞ」と声をかける。実際、息が上がって、立ち止まるのが嬉しいのだ。
 30分ほどで急登は終わり、頂上の一角に出る。あとは、下から見えた平らな部分を快適に飛ばして5分で、刈り込んだ芝草の陽当りのよい、広場のような山頂に出る。下から見えた山々が目の前にドーンと広がる。
 草にシートを広げてお昼ご飯。そしてそのまま寝ころがって日向ぼっこ。あー、最高!

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恩寵の光

2021-11-16 09:13:15 | 自然・季節

冬枯れの高原から下るバスは
黄金の秋の中へ入って行く
カラマツに朝の陽光がきらめいて
君の昨日の言葉を借りれば
まるで恩寵のしるしのようだ

日陰にもう雪の残る
荒涼の散策路をたどりながら
谷を隔てた北方の山並
おそらく草津白根あたりの
鞍部のひとところだけ
重い雲の下に光る青空を指して
君はそう言ったのだ

そのほんの少し前 同じ空を見て
ぼくは世の終りか何かの
禍々しい予兆のように
感じたのだったが

フロントガラスの広い大型バスは
今日はぼくたちで貸し切りだ
いちばん前の席に並んで 動き出すとすぐ
感嘆の声を上げていた君は
ひと晩の眠りではまだ疲れが取れないのか
たちまちまたうとうとと眠ってしまった
君は気付かないが
恩寵の光が
君とぼくをも包んでいる

ゆっくり眠るがいい 
ぼくの方が間違っていた
君が今 この柔らかな光の中で
安らいでいるのだから
世界はまだ
当分は終わらない

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添い寝

2021-11-14 17:12:41 | 老いを生きる

部屋が狭くて布団がくっつくので
少しずらして間を空けて
それでも枕が近いのは緊張するので
互い違いに寝ころんで
若い頃の思い出話なんかしているうちに
昔の悪友 君は
すやすやと寝息を立て始めた

先に眠ってしまうというのは
望まぬ事態を避けつつ
気まずい空気にならないための
女の作戦なのだと聞いたことがあるが
もともとぼくにはもうそんな気はないから
要らぬ用心というものだが
たぶんただ安心して寝てしまったのだろう
(安心できる相手だというのは素直にうれしい)

それにしてもどうだろう この
おだやかな寝顔は
「温泉にゆっくり浸かってゆっくり休みたい」
と言っていたが
コロナ禍中の仕事で疲れ切っていたんだな

ぼくはと言えばいつものことながら
枕が変わると寝付けない癖で
(しかも今日は山を歩き回ったわけじゃなく)
明かりを暗くしてウイスキーを
ちびりちびり飲む

あんまり寝顔を見ていると
目の前の浴衣から延びた足を見ていると
案外の気持ちが起きるかもしれないので
暗い天井を見上げながら
二人で仕出かした無鉄砲などを
懐かしく遠く思い出しながら

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秋山の・・・

2021-11-09 13:06:23 | 山歩き

 いつの間にか道は細く細く、かろうじて片方の靴の幅ほどになってしまった。急斜面の二次林の山腹をトラバースするようになり、急な登りではないがかなり危なっかしく、その細い道が所どころ谷側に踏み外したか踏み外しそうになったのか崩れていて、通過するのに緊張を強いられる。枯葉の積もった柔らかい斜面なので、転落したら木にぶつかって止まることは止まるだろうが、登り返そうとしたら大変な労力を強いられるだろう。骨折でもしたらなおさらだ。九月からひと月ほど続いた目まい以来、バランス感覚に自信がない。若い頃からバランスだけは人に負けないと思っていたのに、何たることか。そもそも、尾根道を歩いていたはずなのにこの状況になっているのは、バランスに自信がないから足元ばかりを注視していて、うっかり道を外したのかもしれない。
 いったいこれは登山道だろうか?けもの道だろうか?崩れた跡は登山靴のものではないと思われるが、けものの足跡も見当たらない。時々振り返って自分の通ってきた後を見てみても、道かどうかの見分けはつきにくい。ただ斜面にそれと見分けられるか否かの細い筋が付いているだけだ。この道を下りてくる人があったら、途中で「これは無理に進むべきではない」と考えて引き返すだろう。
 それにしても周りの景色は美しい。クヌギ・コナラ林だから紅い色には乏しいが、所どころ常緑樹の混じった黄葉の林は大好きだ。先日ブログに引用した「秋山の黄葉を茂み・・・」がつい心に浮かぶ。いやいや、こんな何でもない山でそんなに簡単にそっちに引かれてはもったいない。せめて奥日光ぐらいでなければ…
 そもそもこんな状況になっているのは、ちょっとした判断の安易さが原因だ。まず、上野原の駅で乗り換え時間がタイトだったので慌てて乗り込んだバスが間違えだったのだ。前日に行く先を確認していなかったのがいけない。同時刻に発車が2台あるとは思わなかったので、ちょうど来たバスに乗ったのだが、すぐ後にもう一台来た。「あれれ、あっちだったかな?」と思ったのだが、「まあいいや、予定外の道を歩くのも楽しいものさ。終点から適当に歩けば良いや」と思い、運転手さんに尋ねもしなかったのだ。
 終点の「井戸」バス停で降りた。持っていた2万5千分の一地図の右下隅ぎりぎりだ。生藤山に登るハイカー数人がいたが、へそ曲がりなぼくはそっちには行かず、山の中としてはひどく立派な舗装道路をさらに進み、どこか登れそうなところを見つけて山に入るつもりだった。ところが取り付けそうなところはなく、道は南西にどんどん下り、山からは遠ざかってゆく。ついで北西にゆっくり登り、ゴルフ場があり、道なりに北東に向かうとバス停からは3キロほどのところに、沢沿いに入る道が分かれ、「浅間峠・熊倉山」の小さな表示があった。
 歩いてきた広い道をさらに西に2キロほど進むと、トンネルを抜けて本来乗るはずだったバスの路線、降りるはずだったバス停に出るはずだが、今さらそれも馬鹿らしい。北に向かう道は地図では2キロ半ほど林道になっているが、その先には道がない。でも表示板があるのだから行けないはずはない。これこそ、手軽な冒険心をくすぐるお誂え向きの道ではないか。
 …と思ったのもまた間違い。林道の終点からは小さな谷にブルドーザーで開かれた道が始まり、両側の斜面は見渡す限り、切り倒されたまま四方八方を向いて放置された累々たるスギの無残な骸。間伐はしているのだしブルは入っているのだから最低限の管理はされているのだろうが、それにしてもこの荒れようは何だろう? コロナで管理が止まってしまったためか?
 ブル道が終わり、山腹をうねうね上る細い道。それでも青空が見えるから尾根はすぐだ。
 やっと尾根の上に出た。浅間峠にほど近い879mピークから南に延びる支尾根だろう。「馬頭観音」の表示がある。これで後は、気持ちの良い尾根道をたどるだけだ…
 だが道は深い落ち葉に埋もれて、その落ち葉がぐちゃぐちゃした土に混じって、海岸の砂地を歩いているように歩きにくい。目まいから後、観光旅行に走っていたので体が鈍っていて足取りが重い。馬頭観音はすぐのはずだがな、と思いながら足元に集中して歩いていたら、いつの間にか最初に書いた危うい道になっていた。
 支尾根に出てから40分ほどしてやっと目指す浅間尾根に出た。今来た道は、案の定、入り口に木を数本倒して塞いで、入りこまないようにしてある。今は廃道になっているのだ。浅間峠は尾根の北を巻いていけばすぐそこだ。結局、1h30の予定が倍の3時間かかってしまった。今日は浅間峠を出発点に北西に三頭山方面に向かう予定だったのだが、緊張でバテたのでここから秋川側に下山することにする。美しい秋の山を愛でながら、鼻歌を歌って。

 

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日光 補足 +いつかの二人のこと

2021-11-05 13:59:45 | 心にうつりゆくよしなし事

 11/03の「日光」について、人生の先達として尊敬している二人の方からFB上でコメントをいただいた。おふたりとも、さまざまな社会活動をしている、前向きで行動的で優しい方だ。いただいたコメントは共に、ぼくの心の状態を心配してくださってのものと思う(このごろ書くものが暗いからね)。感謝です。返信はしたのだが、そのことをもう少し考えてみたい。
 ついでに、東武日光駅で会った二人のことについても、少し詳しく考えてみたい。
 お二人(仮にAさん、Bさんとする)のコメントは以下の通り。

 Aさん:なんだかね。光の素足を思い出しました。悟氏お元気でよかったですね♪
 Bさん:「いいね」とか
     出来ませんでした・・・

 Bさんは思ったことを率直に言ってくださる方で、彼女の言葉はシンプルだが重い意味を持つ。単にあのFBの記事に「いいね」できないということでなく、死やあるいは自殺などのことを想起しがちなぼくのこのごろの心の状態について、「賛成できません」ということだろう。そう思うのはある意味当然で、自分自身でも気になってはいる。しかもセンチメンタルに安易にそちらに惹かれがちな傾向は感心できない(と、人ごとのような言い方をするが)。そういうことを考えるのなら、情緒的にではなくもっと、なんと言ったらよいか、哲学的に、というか、生と死について深く真剣に考えるべきだろう(それはぼくの能力を超えるが)。そこのところを自戒しよう。
 じつは、ブログに書いていることは、かなり薄めて上澄み的なことを書いている。考えることをそのまま書いたら、誰も読もうとしない暗いブログになるだろう。それは残念だし、書くことによって自分の感情を自分で増幅するスパイラルに陥りかねない。それだけは避けなければならない。若い頃、詩の合評会に参加していたことがあって、ぼくはそういう傾向の人たちに「それだけは止めようよ」と言って反発を買っていた。自分がそうなってはいけない、ということは自覚しているので、ブログではそうならないようには心掛けている。感情の薄い行分け文で表現する、という今の形は、そういう意味ではぼくの心のブレーキとして役には立っている、と思ってもらえるとありがたい。もちろん、だからと言って賛成できないものは賛成できないと言っていただくのはさらにありがたい。

 さて、Aさんの言う「光の素足」というのは、宮沢賢治の童話だ。二人の子供が嵐の雪山で遭難し、地獄のようなところに連れて行かれるが、それは自分の迷いが生み出した幻で、実はそこは極楽であって、二人の子供のうち弟はそこに留まり(つまり死に)、兄はこの世に帰ってくる、という話だ。ぼくはじつはこの話が好きではない。賢治の童話の中には彼の仏教信仰が生(なま)なまま表出されているものと、それが芸術的昇華に達しているものとあって、「光の素足」は前者だ。同じく子供が吹雪の山で遭難する童話に「水仙月の四日」がある。これはもう、雪や氷の結晶のような透明な美しい作品だ。
 ただし、「水仙月の四日」には、ぼくの書いた「日光」と繋がるようなものは何一つない。Aさんが「光の素足」を連想した、というのは、心優しい彼女には悲惨な話と思えた「日光」の二人を、救済の方に転轍してくださろうとしたのだろう。そのことに感謝したい。

 ぼく自身が連想していたのは、それに以前からこの季節になると何かにつけ連想するのは、万葉集巻第二、挽歌、の柿本人麻呂のあの有名な一首だ。   

秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
   (黄葉:もみち、妹:いも=妻、山道:やまぢ)

「萬葉集釋注」という大著のある伊藤博の現代語訳を揚げさせていただくと、

 秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んでしまったいとおしい子、あの子を探し求めようにもその道さえわからない。

 この歌は、「離れて暮らしていた愛しい妻が死んでしまったとの使いが届いたので、信じられなくて、探し求めて市に出てみて名を呼んでみたが、姿は見えす声も聞こえない」、という内容の長歌のあとに歌われている。
 古代人は、「死んだ人はこの自分の生きている世界からはいなくなってしまったが、本当は山の中で今も暮らしている」、という信仰を持っていたそうだ。同じような感覚の歌でやはり大好きな歌が同じ巻にある。

山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく

 また、この感覚は近代にも続いていて、竹久夢二に「かへらぬひと」という詩がある。

  花をたづねてゆきしまま
  かへらぬひとのこひしさに
  岡にのぼりて名をよべど
  幾山河は白雲の
  かなしや山彦かへりきぬ。
(山河:やまかは、白雲:しらくも→知らぬげに、との掛け言葉)
(山彦:こだま→亡くなった恋人の名前は彦乃(ひこの)だった。それで山彦の字を充てていると思われる)

 このような歌や詩に親しんでいると、死というものがぼくの今の生との断絶ではないように思えてくる。ぼくの見方はあまりにロマンチックでかつセンチメンタルで、なんとしても生きつづけていくことの大切さを第一に考える人たちには受け入れられないかもしれないが、ぼくはこうした見方のおかげで、少なくとも死の恐怖というものは感じずにいる。

(いつかの二人について考えようと思ったが、長くなりすぎたのでまた別途。)

 

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わたらせ渓谷

2021-11-04 17:40:08 | 自然・季節

(11/01)
 昨夜うまく寝付けなかったので久しぶりの早朝がしんどい。5:54の始発のバスで出発。品川と東京で友人と合流。小山着8:32、桐生着9:48。この経路はかなり時間がかかるが、仕方ないか。桐生発10:05。トロッコ列車ではない普通車だが、これで十分。わたらせ鉄道沿線はまだ紅葉は始まったばかり。ピークは下旬くらいだろうか。渓谷そのものは美しい。新緑の頃にもまた来たいものだ。神戸であまりおいしくない舞茸定食を食べ、バスで富弘美術館へ。草木湖岸の、素晴らしい場所に立っている。都会の美術館と違い、ここを訪ねる観光客は、ここに来ただけでも安らぎと幸福に包まれるだろう。
 星野富弘は、頚椎を損傷して手足が動かなくなって、口に絵筆を咥えて絵を描き続けているというその生涯は驚嘆に値するし、その絵は静かな美しさに満ちている。しかし、些細なことでジタバタ生きている、暗い指向のぼくには、彼が画面に綴る短い詩は、なんだか救済の世界に行ってしまった、縁遠い人のようにも思えてしまうのだ。彼は洗礼を受け、信仰に心の安らぎを見出した。彼の言葉は多くの人たちにはそれこそ生きる指針、導きの言葉のようなものなのだろうが、ぼくは同じ信仰の場所に心の安らぎを見出したくはない。ぼくが恩寵のようなものを見出すとしたら、それはむしろ湖岸の風光の中だろう。
 展示ホールの壁に書かれている、したがって彼の深く愛しているだろういくつかの詩、丸山薫の「北の春」や三好達治の「甃(いし)のうえ」や、特に彼と同じ敬虔なクリスチャンであった八木重吉の「素朴な琴」、ぼくも大好きなこれらの詩には教訓や人生の指針のようなものは全く含まれていない。そういうものをもしぼく自身が書くとしたらむしろ、苦悩や孤独を書くほうを選ぶだろう。
 草木湖はちょうど紅葉が美しい。今度またここに来たらここのカフェでお茶を飲み、この湖畔の散策路を歩こう。
 美術館を出て、草木ダム・不動の滝を経由し、小中駅近くの東陽館まで歩いた。
 ここは古い、しかし女将さんとご主人の心配りの行き届いた良い宿だ。別世界に来たように静かだ。女将さんは気立て優しく暖かく丁寧で美人だし、ご主人も物腰落ち着いて控えめながら性格の温厚さはすぐに感じられる人だ。食事も心のこもった工夫がしてあって美味しい。特に「虹鱒の東陽館風」と舞茸の天ぷらの美味しいこと! これで7300円! 先週泊まった高峰高原の宿の半額以下だ。またぜひ来よう。というより、一週間ぐらい静かに物を考えに、あるいは逃避に、滞在したらよいかもしれない。
 食後TVで選挙後の報道を見ながらうつらうつらしてしまったら、その後(いつものことながら)寝付けなくなって、友人のいびきを聞きながらウイスキーをちびりちびり飲んでいた。

(11/02)
 6時前くらいに起き、朝食まで一時間ほど上流へ向かって散歩。気持ちの良い朝! ここは袈裟丸山への登山口でもある。来年でも登りに来ようか。朝食も美味しい。お弁当を作ってもらって、小中駅発8:32で上流へ。草木湖岸の長いトンネルを抜けてからがわたらせ渓谷の一番美しいところだ。深い青緑の水。白い石の河原が時に広がり、時に狭まる。紅葉の盛りはさぞ美しいだろうな。終点の間藤駅に9:13着。
 上流の三沢合流点にある銅(あかがね)親水公園まで、一時間ほどの道のりの静かな舗装道路を、足尾銅山の史跡などを見ながら二時間ほどかけてゆっくり歩く。特に本山精錬所跡とその付属の大煙突(高さ47m)は見ものだ。
 道の両岸は、特に渡良瀬川対岸は、ひどく荒涼としていて崩れかけたような荒々しい岩壁に丈の低い植生の混じる、一種異様な風景だ。途中、精錬所跡を対岸に見る民家の奥さんと立ち話をした。昔はこのあたり一帯は亜硫酸ガスで一木一草もない禿げ山で、今の状態に修復されるまでに何十年もかかった。小学校も、「煙が来るぞ」と声が上がると全員が教室の中に避難して震えていたのだそうだ。山が異様な感じがしたのは、草木が枯れて土壌の保持力が失われて崩壊が進んだせいだろう。
 日本最初の公害の地。ここが閉山したのは水俣のチッソの工場の操業停止(1968年)よりも遅い73年。日本のGNPが世界第二位になったのが1968年。ぼくたちが繁栄を享受している間も、ここは田中正造の時代から、いや、江戸時代から、鉱毒・煙害に苦しんでいたのだ。
 途中、道路の端を下ってくるニホンザル一頭とすれ違った。顔を合わせないように緊張しながら歩いたが、向うも緊張しているのか、速度を上げて一気に下って行った。
 砂防ダムの堰堤下の公園で昼食。宿の心のこもったおにぎり弁当。ウイスキー入りの紅茶を少々。暖かくてうららかな青空だ。公園の芝生は、カモシカのフンがいっぱいだ。
 間藤駅まで戻り、鉄道で帰る友人二人と別れてぼくは一人でバスで日光に抜ける。間藤から上流はまさに紅葉の真っ盛り。沿道に続く山々全体が陽に輝く錦繍だ。峠の長いトンネルを抜けると日光。東照宮手前からやや観光渋滞。
 東武日光駅に来るといつも、いつかの二人のことを思い出す。もう30年以上前のことなのだが今でも、あの二人はあの後どうしたろうか、と思う。
 駅前の金谷ホテルの経営のカフェでチーズケーキと紅茶のセット。東武線の車内でもしきりにあの二人のことを思った。ただの行きずりの出会いなのだが。その後、幸福になっているだろうか。そうではないような気がするが。
 車中で俵万智の「牧水の恋」を読み終えた。

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日光

2021-11-03 14:37:04 | つぶやき

紅葉の山を下って
東武日光の駅に着いたら
駅舎の入り口に若いカップルがいて
「どこまで行かれるのですか?」と訊くので
「浅草です」と答えた

「株式優待の乗車券が二枚あって
どなたかに差し上げたいのですが
使っていただけますか?」
「ありがたいのですが乗車券なら
別の日に使えるのじゃありませんか?」
「いいえ 私たちにはもう必要ありませんので」

山の費用を少しでも浮かしたいぼく達は
大喜びで頂戴したが
どういうことだろうか?
列車が動き出してから気になった

あの二人は あれからどうしたのだろう?
若い美しい 物静かな二人だった

あれから数日間
もしかして と
新聞を開いていたが

幸せいっぱい というのでなく
悲しみに沈んだ というのでもなく
何事かを決めたような
さっぱりした表情に見えたのは
あとからそう思っただけかもしれない

足尾から峠を越えるバスの中で
あの日に勝る光溢れる紅葉を
独り眺めながら
あの二人をまた思い出した
(日光に来るたびに思い出す)

寄り添って立っていた若い美しい二人

あの二人はもしかしたら
今でもまだこの紅葉の山を
彷徨っているのかもしれない

そう思うのはもしかしたら
ぼくの勝手な願望だろうか?

それとも そうしたかったのは
本当はぼくの方?

 

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