すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「老年を生きることの恩寵」

2018-10-31 10:13:04 | 読書の楽しみ
 梨木香歩の小説「海うそ」を読んでいたら、最後のところでこの言葉に出会った。
 なんて素敵な、うっとり幸福を感じるような言葉だろう!
 昭和初期、若い博物学的研究者の秋野は、かつて修験道の一大聖地であった、今はうっそうとした自然の中に平家の落人だったと言い伝えられる人々の住んでいる、南九州のちいさな島に入り、島の若者と野宿しながら山野を歩き回る。秋野は最近両親を相次いで失くし、婚約者も失くし、深い喪失感を感じている。その喪失感が、かつての隆盛の跡が廃墟となって残っている島自体の感じさせる喪失感と呼応する…
 …これから読むかもしれない人のために、ストーリーを書くのはやめよう。

 人生は、たぶんほとんどの人にとって、失うことの連続だ。親しい人を失い、若い頃の大きな夢やあこがれを失い、歳をとるにつれて体力や能力や健康を失い…にもかかわらず、老年を生きることは恩寵でありうるか?
 失うことの悲しみは、わたしの心の中で、というよりわたしという命の中でゆっくりと溶けて吸収されていく。歳をとるにつれて、わたしはその過程を自分で感じられるようになり、静かに肯定して受け入れることができるようになる。
 
 作者は、「喪失とは、わたしのなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」と書いている(小説の最後の部分では、50年の時が経っている)。
 その通りだと思う。ぼくはまだ喪失感のただなかでもがいて抵抗しようとしているようだが、やがてそういう肯定に達することができたら良いなと思う。

 ところで、梨木香歩はとても好きな作家だが、ぼくより一回り若いはずだ。「海うそ」は2014年刊行だから、55歳くらいでこの小説を書いているはずだ。80を過ぎた老人の心境がこんなに的確に書けるなんて、作家というのはすごいものだ。

 …と思って、しばらくたってから、「あれ、ぼくは一度、過ぎていく時間に対する肯定感って、感じていたことがあったよな? この場合と全然違うものではあるかもしれないけれど」と気が付いた。保土谷の林の中の一軒家に一人で住んでいた時のことだ。そこは、時が非常にゆっくりと流れているような場所だった。あの頃はまだ、いまよりは体力があった。
 ぼくは今、抵抗しようともがいているただ中だが、あの林の中でそのまま老いていくべきではなかったし、そうはできなかったのだ。

 とすれば、梨木香歩がこれから実際に年老いていく中で、どのように思いを変化・深化させていくか、そこから書かれる作品がますます楽しみになってきた。
 残念ながら、ぼくの方が先に地上を離れてしまうが。
(「海うそ」岩波現代文庫)
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金時山

2018-10-29 21:30:35 | 山歩き
 他のことは犠牲にしても、断念しても、体の活性化には努めなければならない。
 ということが、この夏から秋にかけてはっきりした。
 体が活性化すれば、体力は回復するので、断念したり犠牲にしたり縮小したほかのことも、また回復できるかもしれない。と思おう。

 というわけで、昨日は今月4回目のハイキング。
 この頃もっぱら中央沿線方面に出かけているので、箱根は久しぶりだ。12年6月以降の記録しか見当たらないがそこにはないので、たぶん7,8年ぶりだ。
 金時山自体は、5回ぐらいは行っているはずだ。3月に行ったときにはすごく寒くて、山頂付近の樹木に氷がびっしりついて美しかった。
 「おじいちゃんが若い頃金時娘にあこがれて通った山なので行ってみたい」という若い娘さんを案内したこともある。箱根駅伝の日に登ったこともある。
 昨日は、よくグループで一緒に行く、でも二人ではあまり行ったことがない女性と一緒だった。
 仙石までバスで行って、そこから南面を登る。溝状にえぐれたやや陰気な道を20分も登ると、尾根に出て空が広がり、展望の良い明るい道になる。
 登山口から地図上の所要時間1時間30分ぐらいのところを、2時間かけて、花を楽しんだり写真を撮ったりしながらゆっくり登る。もう秋の花も終わる頃かと思っていたが、野菊類やあざみ類や、特にリンドウがずっと続いていてうれしい。こんなにたくさんのリンドウを見たのは初めてだ。
 相棒は花の名をいっぱい知っていて教えてくれる。ぼくは面倒くさがりで、葉の形は、茎は、枝分かれの仕方は、とかいうことを丁寧に調べたりこまめに図鑑をめくったりを省略してしまうので、なかなか覚えられない。山にはよき友がありがたい。
 昨日は日曜でもあり、登山日和でもあり、すごい数の人が登っていた。
 山頂で例によってパンとチーズと、相棒の持ってきてくれたソーセージを食べ、ワインを飲んだ。
 一日良い天気の予報だったのにだんだん曇ってきて、お昼を食べている頃には厚い怪しい雲が広がってきたので、北に抜ける予定だったが変更して乙女峠から仙石に戻った。
 紅葉は、バス道ではまだだが山頂付近ではもう終わっていて、中腹がちょうど見頃だった。
 箱根はちょっと遠いけど、また行こう。

 ところで、2月末に仕事をやめて、今年は山登りの目標24回だったのだが、夏の間の体調不良や天候不順であまりいけず、昨日のはまだ15回目。これから年末まで毎週行かねば予定を達成しない。
 ひどい冷え性なので、ここ数年、冬の間は山に行かずにコンサートなのだが、どうなることか。体の活性化優先だしねえ。
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自然教育園

2018-10-25 22:48:00 | 自然・季節
 夏の間中行かなかったから、白金に行くのは半年ぶりくらいだろうか。
 家からは林試の森を抜けてお不動様を抜けて目黒川を渡って行人坂を登って駅前を通って片道約1時間。園内をゆっくり散策して1時間。帰り1時間。最近、散歩コースとしてはいささかきつくなってしまった。
 今日は思いついて、行き帰り目黒までバスを利用することにした。家から歩くのにこだわらないでもっと早く気が付けばよかった。
 (山登りなんかときどき行くが、家の中では階段を上るのに「ため息つかないでよ」と家族に言われる始末。そういえばいつか、開店の準備をしていたら歌い手さんに「呻きながら仕事しないでくださいよ」と言われたこともあるから、ぼくは日ごろ呻いたり溜息をついたりしながら生きているらしい。)
 野草たちにとっては、もう秋の終わりだ。大きな群れを成して咲いているシロヨメナや花びらがところどころ取れてしまったように咲いている(これが常態)シラヤマギクやうす紫色の美しいユウガギク、黄色のアワコガネギクは名前の通り泡の集まりのように咲く。野菊の仲間は今が花盛りだ。
 小学校で習った、いまとなっては少し教訓臭く感じないでもない、だが懐かしい「野菊」という歌に歌われているのは、ヨメナだろうか。
 ほかに咲いていたのは、名前も姿も消えてしまいそうに可憐なマツカゼソウ、派手な紫の斑点模様のホトトギス、水辺には赤紫のツリフネソウ、これには白い花が2輪だけ混じっていた(そっちの方が美しい)。茎に細かい逆毛がびっしりついていて、よくぞこの名をつけたものだと感心するアキノウナギツカミ、青紫のヤマハッカなど。
 池のほとりのベンチでお茶を飲んだ。植物は、もうすぐ枯れてゆく前の、最後の息吹をしている。「人は死んでゆくけれど自然は春になると甦る」というのは、おおざっぱに見ればそうだが、多年草や木本類はそうだが、一年草は今年死んだものは甦らない。来年は同じ種類の別の個体が生きるのだ。
 帰ろうとしたら池の近くで尾の長い小さな鳥エナガの群れが見られたのは幸いだった。冬になるとシジュウカラやコガラなどと大きな混群を作って移動するのが見ものなのだが、まだこの時期は単独の群れなのだろうか。10羽以上はいた。小さな可憐な生き物に出会うとほっと心が癒される。
 動物ではないが、季節も初夏だが、与謝蕪村の、
   愁ひつつ岡に上れば花茨
というのも似た感情だろうか。蕪村の憂いは何ゆえか知らないが。
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正常性バイアス

2018-10-19 22:01:25 | 社会・現代
 今朝の朝日新聞で、この言葉を目にした。久しぶりに目にした気がする。東日本大震災の津波被害のあと、一時は注目の言葉だったのだが。
 ぼくたちが「正常性バイアス」という言葉を意識しなくなっていること自体、正常性バイアスがかかっているのかもしれない。
 「正常性バイアス」とは、危険な緊急の事態が発生したときに、それに直面した人が、「そんなことが起こるはずがない」とか、「自分は大丈夫だ」とか思いこんでしまうことによって、その事態から目を背けてしまい、普段通りのままにふるまおうとする心の働きのことだ。
 (宮沢賢治は、こんな言葉は知らなかったはずだけれど、「感ずることのあまり新鮮にすぎるとき/それをがいねん化することは/きちがいにならないための/生物体の一つの自衛作用だけれども/いつまでもまもつてばかりゐてはいけない」と書いた。)
 大地震が起きたにもかかわらず、多くの人が、実際に津波が押し寄せてくるまで逃げようとしなかった。大川小学校の場合もそうだ。
 今朝の朝日の記事の筆者は、富田林署から脱走した男が、なぜ49日も逃げることができたのか、彼に接触した人々はなぜ見抜けなかったのか、ということをこの概念を用いて説明しているのだが、なるほど、この言葉は心理学の用語だけでなく、災害の時などだけでなく、もっと広範囲に、いま起きている事柄を理解するために使えるのだ。
 「正常性バイアス」は、現代のぼくたちの直面している状況を理解するキーワードになりうる。
 なぜ、この国は1000兆円を超える国債を抱えているだけでなく、さらに増やそうとさえしているのか?
 なぜ、地震と火山噴火の頻発する国土に原発がありうるのか? 次々に再稼働させようとするのか?
 なぜ、これほどの異常気象なのに、温暖化についての警告が繰り返し発せられているのに、経済成長を目指し続けるのか?
 なぜ、教員の半数以上が過労死レベルを超えて働いているのに改善されないのか?
 なぜ、いじめにあって自殺する子供、虐待を受けて死ぬ子供が絶えないのか?
 …まだいくらでも挙げられるだろう。なぜ?なぜ?なぜ?
 それはこの国の政治家も企業も個人も、事態を正視しようとしないからだ。
 ダグラス・ラミス氏の「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(平凡社ライブラリー)の言葉を借りていえば、ぼくたちは地球というタイタニック号に乗っている。そして行く手に氷山が迫っているのをすでに知っている。なのに乗組員はエンジンを止めようとしないし、乗客はダンスをしている…
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北横岳

2018-10-18 14:08:28 | 山歩き
 白駒池周辺は苔むした原生林が美しい。観光客に人気のコースと別れて麦草峠に向かうとすぐ、岩とシャクナゲの別天地、白駒の奥庭。板道に霜が降りていて、昨日の転倒の二の舞はすまいと、足どりが慎重になる。樹林が切れると草原状に展望が開けて、名前も美しい麦草峠だ。「メルヘン街道」と名付けられた道の傍らに赤い屋根の「麦草ヒュッテ」があり、正面に茶臼山。何かほっとするところだ。麦草ヒュッテはいつも通過点だが、いちど泊まってみるのもいいかもしれない。
 ここから茶臼山、縞枯山を越えて雨山峠までは2時間半ばかり、毎度思うのだが、ゴロゴロした石の上を延々と歩かされる、足首をひねりそうな、ひどく急ではないがくたびれる嫌な道だ。途中、二か所の展望台からの絶景に気を取りなおす。
 ここはむしろ、積雪期にアイゼンを効かせて歩いた方がずっと快適だろう。雪山登山の初級コースなのだ。
 雨山峠で、レーズンのぎっしり入った黒パンに、塩分のあまり強くはないブルーチーズをたっぷりのせて齧り、コーヒーを飲む。山でのぼくのお気に入りの行動食だ(ワインがあればもっと良いのだが、酔うと足元が危うくなるので持ち歩かない)。
 岩場の海のような三ツ岳を通るつもりだったが、昨日の雨でまだ滑るかもしれないので、ロープウエイ駅に近い観光スポットの坪庭経由で北横岳に向かう。
 北横岳とはぼくはどうも相性が悪い。北八つにはもう10回ぐらいは来ているのだが、北横岳には、ロープウエイ駅から登り1時間の近距離であるにもかかわらず、若い頃、赤岳から蓼科山まで八ヶ岳のほぼ全山縦走をしたときに一度通過しただけだ。
 その時は、前日泊った夏沢峠の小屋の主人に酒に誘われて(客はぼく一人だったのだ)、「今年はもう小屋を閉めるから一本持って行け」と一升瓶をいただいてザックに入れて、蓼科山を越えて16時間半の道のりを12時間半で歩いたのだ。ぼくの一番強かった時だ。今から考えると夢のようだ。
 それ以降はいつも、天気が悪かったり体調が悪かったりして行っていない。一昨年は友人と二人、縞枯山で降られて断念した。その前年は一人で来たが体がひどくだるくて断念した。今回は大丈夫だ。
 40分ほど登ると三ツ岳からの道と合流し、なだらかになった道をたどって北横岳ヒュッテの前に荷物を置き、そこからは10分ちょっとで山頂だ。
 展望絶景だった。近くの赤岳や硫黄岳や天狗岳はもちろん、北岳に甲斐駒に仙丈ケ岳、木曽駒ケ岳、巨大な御嶽山、乗鞍岳、北アルプスも大キレットを挟んで右に槍ヶ岳、左に北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳。もう仙丈も木曽駒も赤岳も、山頂付近はどれも白い。山の冬が来たのだ。
 展望を楽しんだ後、足取りも軽く下山した。これだけ大展望と好天に恵まれたからには、相性の悪さも今生の行いの悪さの報いも解消だ。
 ロープウエイから見る山腹は、広大な斜面のシラビソの黄葉が陽を受けて輝いていた。

 ・・・帰宅してからいつもの通り漫然とガイドブックを見ていて、愕然とした。北横岳は、なんせ40年前にいちど行ったきりなのですっかり忘れていたのだが、ぼくの登ったのは南峰だったのだ。北峰はそれより8m高く、そこからは浅間や火打など別の山々が見える! 北八つはよく知っているつもりで地図を見なかったし、あまりの展望に気を取られて北に寄ってみなかったので気が付かなかったのだ。
 北横岳はやはり相性が悪い。そして今生の行いの報いも?(10月16日)
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賽の河原

2018-10-17 10:45:58 | 山歩き
 茅野駅で降りたら小雨が顔に当たった。バスは美しく紅葉した山道を登りながら、ずっとワイパーを動かしていた。
 渋の湯ではまだ小雨。傘をさして片手だけトレッキング・ポールをついて歩きだしてすぐ、濡れた木道でスリップした。沢になったところへ1mほど転げ落ちて右手の甲と左ひざの内側に青あざを作った。すぐに傘をしまって上下の雨具を着て、そこからは慎重に歩いた。樹林が切れて賽の河原と呼ばれる大石のゴロゴロしたところに出ると雨足が強くなった。巨大な一つ目小僧の目玉のような目印をたどりながら、喘ぎながら登った。
 今年は本当に山登りの天候に恵まれず、何度も中止したり雨に会ったりしていて、妹に「よほど前世の行いが悪かったんじゃないの」と言われるくらいだったのを、「前世が悪ければ人間には生まれてないはずだから、今生の行いのせいかもね」などと冗談を言ったのを、賽の河原を辿り乍ら思い出した。
 幸い、尾根が近づくころ雨は上がり、今登って来た谷がはるか下の方まで見えた。上から見ると岩と樹林のコントラストの美しい谷だ。尾根上の高見石の岩場によじ登ると、風花が舞った。南から来た人が、「天狗岳では雪になっている」と言った。
 中央アルプスの三ノ沢岳に行く予定だったのだが、天候が不安だったので比較的何度も歩いていて、山小屋も多くてエスケープルートもある北八ヶ岳に変更したのだった。三ノ沢は天狗よりも200m、高見石よりは600m高い。ぼくの脚で片道3時間ぐらいの往復の間、おそらく人にもほとんど会わないだろう。行かなくてよかった。
 白駒池に降りた。池畔の紅葉はもう終わっていた。白駒荘の新館は2年前にできたばかりで、美しく、気持ちが良い。山小屋風ではないし、宿泊費も高いが、濡れた体にはありがたい。池を真正面に見る個室だ。
 夜、池の上に美しい星々が出ていた。もうぼくは老眼で昔のようには星座を楽しむことができないが、ペガサスの秋の大四辺形は何とか分かった。(10月15日)
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ローラ・ソングブック

2018-10-14 10:47:15 | 音楽の楽しみ
 アメリカから本が届いた。TVドラマ・シリーズにもなった「大草原の小さな家」は、お父さんがヴァイオリンを弾いてみんなが歌う一家団欒の場面がたびたび出てきて楽しい(ぼくは本は読んでいるがドラマは見ていないので、ドラマで実際に演奏されていたかは知らない)のだが、その歌が楽譜集として出ていることを知り、注文したのだ。
 実は、日本語訳もあって、しばらく前に手に入れていたのだが、原語の英語歌詞が載っていない。そして、日本語訳詞が物足りない。歌の人ではなく、キリスト教の人が訳しているようだが、この歌詞で歌う気にはなれないし、歌ってみて少しも心が弾まない。それで、原語歌詞だけのためにもう一冊手に入れるのももったいないので放っておいたのだが、メロディーは素朴で美しいものが多く、見捨ててしまうのはもっともったいないので、アメリカに注文することにしたのだ。
 届いた本は、手入れが悪く、カヴァーにセロハン紙がべったり糊付けしてあって、はがそうにもはがせないし、表紙裏の紙が破られている(付属のCDでも剥がしたのだろうか?)し、ページを開くと異臭がする、というひどいものだった。
 アメリカと日本では、古本の扱いが全然違う、ということなのだろうか。日本ではネットで1円の本を買っても、けっこう状態は良い。日本の良いところだ。(けっこう高かったのだ。)
 だが、肝心の原語歌詞は悪くない。これならメロディーの美しさが十分に生きる。つまり、歌として楽しむことができる。
 もともと、以前にも書いたことがあるが、ひとつの音符に原則として1子音と1母音しか乗らない日本語は歌として大変不利だ。欧米語は、ひとつの音符の中でも、子音の連鎖ができるから、跳ねたり捲いたり詰まったり破裂したり、表現の可能性が複雑に広がる。日本語はベタになってしまう(この点では、日本語詞訳者は気の毒だともいえる)。
 内容は、まあ、アーリー・アメリカン的な、素朴な郷愁や陽気さや信仰心のものが多く、名高いスティーブン・コリンズ・フォスターの他にもそんな感じの作者がたくさんいたのだと思えばよい。
 愛唱歌として良く知られた、「旅愁」とか「故郷の廃家」とか「谷間のともしび」を思い出してもらうとよい。
 異臭がするので、コピーして使うことにしよう。
 (初期アメリカの宗教心については、今現在トランプ政権のもとで大きな問題があると思うが、それは別途書くことがあるかもしれない。)
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セレナーデ

2018-10-11 23:26:21 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 先日、某学校のマンドリン・コンサートを聴きに行った。中等部、高校、大学、OB会のそれぞれのステージに、合同ステージまであって、某大ホールで行われる大掛かりなものだった。
 合同ステージの「ウエストサイド物語メドレー」はなかなか楽しかったが、ほかの、主にクラシックの名曲たちはどれもあまり心に届かなかった。
 ぼくは最近、聴力がだいぶ落ちているので、コンサートは前の方で聴ことにしていて、今回も前から7列目で聴いたのだが、物足りない感じだった。後ろの人を気にしながら、部分的に耳に手を当てて聞いてみたのだが、やはり物足りなかった。
 マンドリンはあまり音量の出ない楽器なので、大ホールでの演奏会はしない方が良いと思った。
 それに、ヴァイオリンを中心とする普通のオーケストラの演奏する曲を演奏しても仕方がないのではないか。表現力から言っても、マンドリン族はヴァイオリン族には太刀打ちできない。
 マンドリンの教則本としていちばん有名なものを書いているオデル自身が、「マンドリンは表現能力が割合に少ない」と言っている。
 以前、バラライカ、ドムラを中心とするロシア民族楽器についても同じことを思ったのだが、演奏者はことさらヴァイオリンの、あるいはオーケストラの名曲・難曲を演奏したがるようだが、太刀打ちできることを示したいのだろうが、聞く方は、ヴァイオリンや通常のオケで聴いた方が心に届く。
 マンドリンにはマンドリンに向いた演奏形態や曲があるはずだ。叙情的な可憐な独特の音色を持っているのだから(これも、ロシアの楽器も同じ)。恋人の窓辺でセレナーデを弾くか、ホームコンサートか、せいぜいサロンコンサートぐらいの規模でやった方が良い。その方が人を感動させることができるはずだ。
 昔の吟遊詩人が街角で弾いている絵を見たことがある。吟遊詩人の楽器は竪琴と思い込んでいたが、イタリアではマンドリンも使われていたのだろう。その場合も、窓辺のセレナーデも、どちらも歌を伴っていたに違いない。
 今はそういうことをするミュージシャンはいないのだろうか? マンドリン専門店イケガクで尋ねてみたが、そのような音源も楽譜もないそうだ。
 ぼくが今18か25くらいだったら、音源も楽譜もなくても、そういう勉強を一から手探りでしてみたいものだが、この歳でそもそも初心者では、せめて何らかの手掛かりか、あるいは先生がいなければどうにもならないね。メロディーを弾きながら一緒に歌うだけでは、ボランティアぐらいはできても、そこから先には行けない。残念なことだが。
 自分の歌う、あるいは人の歌う、歌の伴奏をどのようにしたらよいのか、わからないまま過ごしている。
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山は登っているうちに強くなる

2018-10-09 09:39:05 | 山歩き
 京王線に乗って地図を確認しようと思ったら、無い。
 行き先を家族に知らせておこうと地図をコピーして、コピー機にオリジナルを置き忘れてしまったのだ。
 昨日、神楽山から九鬼山までのハイキングに行こうと思って家を出たのだが、仕方ないので勝手知ったる高尾山・城山に行った。六号路から登って本山を越えた辺りから霧雨っぽくなってきたのだが、高尾なら雨にあっても何とかなるので安心だ。
 城山の茶屋でビールを飲んで、同じ道を引き返した。山頂でお酒を飲むのは、帰りがきつくなるのでふだんしないが、高尾ではそれも楽しみのひとつだ。
 高尾も先日の台風で樹が倒れて、一部通行止め回り道になっている。でも、先週の杓子山のようでは全然ない。山の管理ができているかいないかの差だろう。まあ、山仕事は大変でかつ採算が取れないそうなので仕方がないのではあるが。
 本山に戻ったらものすごい人出だったので、リフトでほろ酔いで下る楽しみはあきらめて、やはり6号路を下った。
 昨日はかなり体調は良かった。歩きなれた高尾山とはいえ、快適に歩けたし、今日はベッドで過ごしてもいない。
 山は、全くの初心者でも、高齢者でも、自分の体力に合わせて、思い思いのペースで楽しむことができる良いスポーツだ。競争する必要もない。歩きながらものを考える時間もたっぷりある。
 そして、山は登っているうちにだんだん強くなる。普通、月に2回ほど登っていると登るのが楽になると言われている。ぼくも、先週よりは、そしてその前よりはかなり楽だ。
 来週は、天候が良ければ、中央アルプスの三の沢岳に行くつもりでいる。山小屋泊まりで高い山に行くのは、今年はあと1、2回だろうか。
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マグノリアの谷(再録)

2018-10-06 21:08:35 | 自分を考える
 困難を感じるときに、繰り返し読んで、力をもらう文章や詩句がいくつかある。その中でもいちばん繰り返して読み、いちばん力をもらっているのは、見田宗介氏の「宮沢賢治‐存在の祭りの中へ」の最後の部分だ。ただ力をもらっているだけでなく、毎回、読むたびに感動している。
 この部分だけ取り出しても、何のことだかわからないかもしれないのだが、今は説明なしの引用だけさせていただく(最初の『 』部分は見田氏による、賢治の短編「マグノリアの木」の引用。諒安はその主人公)。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 『もしもほんの少しのはり合いで霧を泳いでいくことができたら一つの峯から次の巌へずゐぶん雑作もなく行けるのだが私はやっぱりこの意地悪い大きな彫刻の表面に沿ってけはしい処ではからだが燃えるやうになり少しの平らなところではほっと息をつきながら地面を這はなければならないと諒安は思ひました。(略)
 何べんも何べんも霧がふっと明るくなりまたうすくらくなりました。』

 あるところの「すこし黄金いろ」の枯草のひとつの頂上に立って、諒安がうしろをふりかえってみると、『そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いているのでした。』 マグノリアの花は至福の花である。
 マグノリアはかなたの峯に咲くのではない。道のゆく先に咲くのではない。それは諒安が必死に歩いてきた峠の上り下りのそのひとつひとつに、一面に咲いているのだ。
 宮沢賢治はその生涯を、病熱をおしてひとりの農民の肥料相談に殉じるというかたちで閉じた。このとき賢治の社会構想も、銀河系宇宙いっぱいの夢の数々も、この一点の行為のうちにこめられていた。(略)いまここにあるこの刻(とき)の行動の中に、どのような彼方も先取りされてあるのだ。
 (略)
 あれから賢治はその生涯を歩きつづけて、いくらか陰気な郵便脚夫のようにその生涯を急ぎつづけて、このでこぼこの道のかなたに明るく巨きな場所があるようにみえるのは<屈折率>のために他ならないということ、このでこぼこの道のかなたにはほんとうはなにもないこと、このでこぼこの道のほかには彼方などありはしないのだということをあきらかに知る。
 それは同時に、このでこぼこ道だけが彼方なのであり、この意地悪い大きな彫刻の表面に沿って歩きつづけることではじめて、その道程の刻みいちめんにマグノリアの花は咲くのだということでもある。
(見田宗介「宮沢賢治‐存在の祭りの中へ」第4章「舞い下りる翼」四.マグノリアの谷‐現在が永遠である)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以上は、8年ほど前に書いた文章の再録。昨日の記事にブログ上およびFB上でいくつかコメントをいただいたのだが、上記の文を返信に代えさせていただきます。)
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それにしても・・・

2018-10-05 10:53:13 | 老いを生きる
 それにしても、この夏の間に体力が大いに落ちた。前半の猛暑と後半の悪天候で予定していたほどは山に行けなかったせいもあり、家にこもって楽器の練習をする引きこもりのような生活をしていたせいもある。近くの体育館がオリンピックのための大改修工事で閉鎖してしまい、トレーニングに通えなくなってしまったせいもある。
 だが一番に考えるべきは、この歳になったら、意識的に運動量を確保しないのでなかったら、体力は自然にどんどん落ちる、ということだろう。
 3日前に山登りに行って、一昨日はほとんど、ベッドで本を読んで過ごしてしまった。普段から、山登りの翌日は、高尾山か陣馬山でない限り、次にどこに行くかガイドブックや山地図をあれこれめくるなどして、ぼんやり過ごすことが多いのだが、ベッドに横になって過ごすのはあまり記憶にない。
 しかも、微熱まで出してしまった。
 まあ、一日で退いたから、まだ絶望的とか、山はもうやめた方が、とかではないので、これから少し挽回を心がけることにしよう。
 また、ぼくは山は緑であってこそ、と思っているので、ここ数年、冬の間は山登りはせずにクラシックのコンサートに行っているのだが、今度の冬は久しぶりに冬も低山歩きをすることにしよう。
 ここ数年の経験で、春から始動したのでは、高山植物の一番美しい7月の時期に北や南アルプスに行く体力が間に合わないことが分かっている。だから冬の間も、体力の維持程度には行っておかねばならない。
 若い頃ピレネー山脈のふもとのポーの町で買ったピッケルを、いまから20年以上前に友人に「ぼくはもう使わないからあげるよ」と渡したのだが、このあいだ会ったら「あれまだあるよ。使うなら返すよ」と言われた。ピッケルを使うようなところにはいかないだろうが、返してもらって手元に置いておいても良いかな。(放置されたマンドリンのようになっているかもしれないが。)
 あと、優先順位の問題がある。
 現在のぼくには、残念ながら、2つや3つのことを並行して達成することは困難だということがこの夏はっきりしてしまった。それならば、体力の維持、ということを優先順位の一番にせざるを得ない。
 ほかのことは、できる範囲で、遠くを見ずに少しづつ、ということになる。すごく残念なことだが。
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杓子山

2018-10-04 20:45:29 | 山歩き
 一昨日、友人2人と山中湖の北の杓子山に登りに行った。南西の鳥居地峠から歩きの予定だったのだが、倒木で通行止めになっていたので、峠の1キロほど手前で駐車して歩いた。そこからは、林道も登山道も無数の倒木で、乗り越え、下をくぐり、藪をこいで迂回し、の連続だった。下部では太い幹の途中から無残に引き裂かれたものが多く、岩場の混じる上部では表層土をつけたまま根っこからえぐり取られるように倒れたものが多かった。
 もともと、倒木の多いコースらしく、頂上で居合わせた登山客のグループが、「一昨年も来たけど、倒木がやたら増えているな」「一昨日の台風のせいだよ」という会話をしていた。
 前日月曜日に家の近くの「林試の森」に行ったらやはり大木が何本も倒れていて驚いたのだが、自然の猛威を改めて感じた。
 一昨日は台風の通り過ぎたあとで天気は良く、黒々とした富士も見え、途中には明るく日差しを受けた見晴らしの良い茅場の原もあり、岩場もあり、赤土のすごい急斜面のスリリングな上り下りもあり、林内にはトリカブトの大群落もあり、くたびれたけど楽しかった。
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