すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「インシャッラー」

2019-01-17 22:44:11 | 音楽の楽しみー歌
 友人からアダモの歌「インシャッラー」の意味について訊かれた。よく知られている日本語訳で勘違いしている人が多いと思うので、書いておきたい。
 まず、ぼくの直訳から。

夜空に浮かぶオリオン座を見た。
月がかかって(アラブの)旗のように見えた。
ぼくは四行詩でその輝きを
世界に向かって歌おうと思った。
でも、エルサレムを
岩の上のヒナゲシの花を見たとき
そしてその上にかがみ込んだとき
ぼくにはレクイエムが聞こえたのだ。
  地上の平和をつぶやく
  粗末な礼拝堂よ
  お前には見えないのか
  「危険・国境」の炎の文字が。
    道は泉に続いている。
    桶を満たしたいだろうが
    行くな マリー・マドレーヌ。
    彼らにはお前の体は
    水一杯にも値しない。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

オリーブの木は自分の影を
優しい妻や恋人を思って泣く。
彼女は敵地に捕らわれ
瓦礫の下で眠るのだ。
  有刺鉄線の刺の上で
  蝶がバラを見ている。
  人々はあまりに能天気で
  ぼくが話しかけてもそっぽを向くだけ。
    地獄の神か天の神か知らないが
    お前は居心地の良さそうなところにしかいない。
    このイスラエルの地で
    子供たちは震えているのに。
    インシャッラー インシャッラー
    インシャッラー インシャッラー

嵐の中で女が倒れる。
血は明日には洗い流されるだろう。
道は女たちの勇気によってつくられる。
舗石ひとつに一人の女。
  そう ぼくは見た エルサレムよ。
  岩の上のヒナゲシの花よ。
  そしてその上にかがみこむと
  常にレクイエムが聞こえる。
    祀られるべき霊廟を持たない
    六百万の魂のためのレクイエム。
    その魂が 流れる砂の上に
    六百万本の樹を茂らせたのだ。
    インシャッラー インシャッラー 
    インシャッラー インシャッラー

 非常に強い語調で書かれているのに驚かれるかもしれない。ぼくの訳の語調が強いのではなく、アダモの元の詞が強いのだ。
 そして、これは反戦歌ではない。完全にイスラエル側に立った、いわば戦意高揚歌なのだ。そのため、中東戦争の時にはアラブ各国で放送禁止になったと聞く。
 「インシャッラー」はアラブ語で「アッラーの神の御心のままに」という意味だが、アラブ諸国でさえ、むしろ「わたしのせいではない。成るようにしかならない」という意味で使われる。例えばぼくの体験。アルジェリアを旅行していて、長距離バスを待っている。定刻になっても、何時まで経っても来ない。窓口に訊きに行くと係員が「インシャッラー」。ホテルで風呂のお湯が出ない。フロントに行くと「インシャッラー」。
 ぼくもシャンソンを始めたときにこの歌を習ったことがあるが、先生に「このインシャッラーはもっと祈りの気持ちを込めて歌いなさい」と言われた。とんでもない。イスラエル人がインシャッラーと祈るわけがない。アダモはこ こで皮肉を込めて、あるいは批判を込めてこの言葉を繰り返している。
あまりに一方的な歌だと思う。歌うのならそうと知ったうえで歌ってもらいたいものだ。
 ついでにいくつか補足:
「六百万」は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の数。それだけの犠牲の上にイスラエルは建国されたのだと言っている。
「マリー・マドレーヌ」は、イスラエルでは一般的な名前。ここで、マグダラのマリアを喚起しているかどうかはわからない。
 水の少ない中近東やアフリカを旅すると、水桶を頭に載せた女たちや子供たちをよく見かける。水汲みは彼女らの日常生活を支える大事な仕事だ。ここでは、敵に捕まったら簡単に犯されて殺されてしまうよ、と言っている。 
 I Sなどに関するニュースを耳にすると、これがぴったりであるような気がしてしまうが、あれはイスラムの中でも原理主義的過激派の一部であって、イスラム一般ではないと信じている。
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