すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

塞外

2023-06-10 09:39:50 | 詩集「黎明」

僕は出て行く
この崩れかけた城塞の向こうへ
僕は出て行く
ここから西は茫洋として何百里
道は無く 馬は嘶かず
ただ砂の嵐だけが終日
大地を空に吹き上げている
それこそ僕の望むところだ

幾日目かの終わりに
髭と髪にこわばった砂を払い落とし
古代の井戸で僕は飲むだろう
文明が滅んだあと 幻が消え去ったあとの
星に還った静寂を

嵐は止んで
うずくまった僕の影の上に
夜は軽々と覆い広げるだろう
聴く者もいない何万年もの夢を

この崩れかけた城塞のほとりまで来ても
まだ風は生暖かい
腐った都市のざわめきが流れてきては
ここで最後の澱みを作る
僕はもう
人間の音楽には心を惹かれなくなってしまった

今ちょうど望楼の矢狭間の向こうから
落日が一文字に僕の目を射抜いた
それが出発の合図だ
僕の渇きはもう
人間の唇では癒せない

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井戸 2

2022-09-25 17:21:37 | 詩集「黎明」

大地が闇と溶け合うところまで
枯草の疎らにへばりついた砂地が続く
井戸がただひとつ これを掘った部族は
古代史にさえ知られていない

折れた跳ね釣瓶に燐の月光
覗きこむ体が力を失ってそのまま落ちていきそうな深淵
叫んでみる声が自分の耳にさえ聞こえない

水は吸い込まれてしまったのだ 大地の底に
テントも集落も都市国家も
髪飾りの珠をきらめかせた娘たちも 昼も
吸い込まれてしまったのだ この虚空の奥に
以来 夜ばかりの悠久の時

銀河は氾濫して空を覆い尽し
その光の乱反射で
折れた跳ね釣瓶が井戸の周囲にあいまいな影を描く

何時 水は再び湧き出してくるか
何時 井戸は溢れ 大地は水で覆われ
銀河の氾濫を映して輝くか

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井戸

2022-09-24 10:35:03 | 詩集「黎明」

待ち続けていればいいのだ
古い井戸の傍らで
羊の皮を広げて
静かに座っていればいい
印を結ぶ必要はない
結跏するにも及ばない
ゆったりと楽にしているのが良い
いつまで待つかは分からないのだ

何ヵ月に一度か何十年に一度
疲れた旅人が水を求めてやってくるだろう
首を振って示してやればいい その井戸は
旅人のたどって来た丘が
まだそこになかった頃から枯れていることを
旅人は足を引きずって立ち去っていく
砂の上の足跡が消えてしまったら
また次の何十年かが過ぎる
北極星が幾たびか廻る
そのうちに君は
旅人がまったく来なくなったことすら忘れてしまうだろう

終日 風が荒れて
砂も雲も太陽も吹き消し
昼の光という光を吹き消してしまったあとで
君は聴くだろう
宇宙を埋め尽くしている
微かな通奏低音を
星々の生まれてくる源を
それは降りてきて大地を包み込んでしまう
この星が再び生まれるために

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2022-03-03 06:58:37 | 詩集「黎明」

都市が滅びてから数百年の後
森の外れの巨大な樫の木の下で
老人は一人の子供に出会った

その子供とは昔
まだ動物たちが地上に現れる前
確かに会ったことがある 
生命をはぐくみ始めた海が
厚い雲の下で逆巻いていた頃

その時 子供は振り向いて
驚いたように手を止め
美しい眉をひそめ
身を翻して立ち去っていった
子供の去ったあとに
芽生えたばかりの小さな木があった

それから幾度か
老人はその子供の夢を見た
羊歯の密林を巨大な足の生き物が
獲物を求めてさまよう夜や
やっと農耕を覚えたばかりの人間が
焚火を囲んで寒さに震えていた雨の夜に

呼びかけようと手を伸ばすたびに
もう子供の後姿は消えていた
目覚めてから老人は気付くのだった
自分が何かを尋ねようとしていたことに
その問いが何かは分からなかったが

今 森の中で廃墟は
蔓草に覆い尽くされ
少しずつ土に還っていく
子供は初めて立ち止まり
老人に微笑みかけた

永い間の思いを問いにしようとすれば
自分の見てきたものを残らず
一瞬にして伝える術を知らねばならない
言葉というものの記憶を
やっとたぐり寄せながら
老人は縺れた重い唇を開いた
――お前なら知っているかもしれない
この地上にこれから
どのような生き物が栄えては滅んでいくのか
その繰り返しはまだ永く続くのか
この惑星はこれから
どのような闇の中を落ちていくのか
人間を滅ぼしてしまったのは
お前の残酷な意思だったのか
いったいこの次 いつどこで
お前と出会うことになるのか――

子供は何も答えず
ただ さわやかな声で笑った
そして紅い唇を拭いながら
樫の木の上の空を指さした

いつのまにか暮れた空に
星が暗く耀く
その瞬間に老人は知った すべての星が
この地から無限に遠ざかっていくのを
幾百億光年の彼方では
光の速さに達した星が
叫び声もあげずに消え去っていくのを
                  (旧作)

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「はるにれ」四月~十二月

2021-04-28 17:34:58 | 詩集「黎明」

 連作「はるにれ」は、植物写真家である友人、姉崎一馬さんのカレンダーの写真に詩をつけたものです。と言っても、そのカレンダーは姉崎さんの写真に串田孫一氏が8行詩を合わせたものでした。
 もともとは福音館書店から出た絵本「はるにれ」(原野に一本だけ立つハルニレの木を写した写真集)が名作と評判になり、カレンダーの企画が出たものでしょう。
 その詩を読んで、「もう少し良いものが付けられるのではないか」と思い、同じ形式で勝手に書いたものです。元のカレンダーは2か月毎で2年分、つまり季節を2回りで12枚でしたが、ぼくのは1月から12月までの月毎に変えてあります。
 串田氏には断りの手紙を添えてその詩を送ったのですが、返事はいただけませんでした。
 そういうわけで、人の土俵で相撲を取ったわけではありますし、ずいぶん前に書いたものですが、自分では今でもかなり気に入っているものです。(ぼくに書くことができたもので一番良いのではないか、と思っています。姉崎さんに、あらためて感謝です。)
 「一月」から、1カ月にひとつづつ投稿させていただくつもりだったのですが、できればまとまったテーマの連作として読んでほしいので、予定を変更して、ここに「四月」から「十二月」までを一括して載せておきます。
 なお、同じ理由で、すでに載せた一月~三月も末尾に再掲いたします。
 (カレンダーの方はどうかわかりませんが、絵本「はるにれ」は今でもネットで購入できます。ぜったい、おすすめです。
           

   四 月

霧の中に微かにプレリュードが響き始め
太陽の金の指揮棒が上がるにつれて
空と大地の間に広がっていく
樹が見てきたもののすべて 草の戯れや鳥の死や
雲のかがやきや それを見上げる小動物の哀しみが
溶けあったまま樹液の中で永いまどろみを続け
今 枝先のヴィブラートから解き放たれていく
すべてが再び始まろうとしているこの薄明の中で


   五 月

風が梢のざわめきによって自分を描くように
大地は炎のように伸びる枝々によって
いつも変わらぬ 空へのあこがれを描く
動物の血液が潮の濃度を覚えているように
樹も体内に原初の海の記憶をひそませている
夏が近づくたびに大地のあこがれは海の記憶の中を
梢に降りそそぐ光に向ってのぼっていく
光に溶けて噴水となって広がるところ いっせいに新緑が弾ける


   六 月

靄に包まれて何も見えない
樹は見えない彼方を夢想している
いったい靄は自分だけを包んでいるのか
それとも どこまで行っても靄なのか
足元の草は濡れて光りながら
白い帳(とばり)の中に消えていく
辿るべき方向はない 靄を洩れてとどく
陽のほの明るみ――前に進むほかには

  
   七 月

いまは 束の間の豊穣の季節
ここは ちいさな生き物が思い思いの雅歌を歌う大地
黄色い花の綾織りのあいだで
野兎たちは団欒の夢をかじっている
樹は静かな憂いに枝を重くする
自分だけが 流れ去り行くことのできぬものだ
花たちの生命を見守りながら
陽を浴びた自分の影の大きさに驚きながら


   八 月

丘はいつからそこにあったのか
生まれ死ぬ草や小動物を樹が繰り返し見てきたように
いくつもの樹の芽生えと枯死とを見守ってきたのか
それとも樹は 丘がまだ無かった頃から
梢の先高く 巻雲を舞わせ続けてきたのか
野の彼方に谺(こだま)のように立っているもうひとつの樹は
永い孤独の果てに樹がよびよせたのか
いやもしかしたらそれは この樹の生み出した自分の影なのか


   九 月

叫び続けられるだけ叫ぶがいい
空と大地がひしめき合う騒擾の中で
お前は不抜の意志の姿だ
力弱い草は倒れ おびえた野ねずみはその下に息をひそませ
おまえは蓄えてきた力のすべてで
押し寄せる嵐に立ち向かっている
やがて暗雲は去り大地は静寂にもどる その時こそ
誇らかに歌え「私は生きてきた 今歌うために」と


   十 月

落日の荘厳を覆い隠し 冬を告げ知らせるために
雲の帯は地平近くに下りていく
すでにまどろみ始めた大地から
夜は樹のなかばまでのぼってきた
梢の先の残照の中に行く手を望む番いの鳥
空はまだ明るいが 次の宿営地は雲の中に見えない
今日はもう旅を急ぐな この樹に塒をかりて
ほんの小さな夢のぬくもりを分けてやるがいい


   十一月

青白く血の気の失せた闇の底では
樹さえも月の光に捕らえられてしまう
大地の呪縛が解かれ そのかわりに
見えない糸で空から操られる人形のように
樹はぎこちなく歩き始めるかも知れない
もうすぐに 月が天頂にのぼったら
枝々の先端の静脈の煙るあたりから少しずつ
樹は夜の大気に溶けこんで消えてゆくかも知れない


   十二月

星が誕生し滅んでゆく夜の永さに比べれば
老樹もまた 束の間の季節の移ろいに過ぎない
宇宙は時折 自分の生み出した生き物を愛おしむように
大地に送りとどける 水と光との澄んだ結晶を
それは 星と星との間の冷たい闇から音も無く降りてくる
樹の姿をさらに凛然と輝かせるために
そして消える あらかじめ知らせるために
樹もまた 陽に溶けて空と大地に還っていくことを

―――――――――――――――――――――

   一月

終日 平原は吹雪の乱舞に覆い尽くされた
平原には果てがなかった 果てのない平原を呑みこんで
風は白い大地を空へ投げ返した
生命あるものは何もなかった ただ大樹が一本
全身を引き絞って踏みとどまっていた
樹は平原のまんなかに立っていた いや
樹があるからこそ そこが平原のまんなかだった だから
吹雪が止むと静寂は枝々の先から四方にひろがっていった


   二月

訪れるもののいない雪原に独り
樹は帆を広げて朝の太陽を孕んでいる
光の粒子は空を渡り 音もなく枝々に満ち
なおも零れ落ちてさざ波を描く
白い広がりに足跡をつけようとのぞむ冒険者がいても
向こう岸に着かないうちに呑みこまれて沈んでしまうだろう
彼は知らないのだ 自然そのものが海なのだということを
足跡はやがて消え去って 染みひとつ残らない


   三 月

虚空に投げ上げた網いちめんに
樹は幾億の芽をふかせた
吹雪に鞣された幹のなかで
樹液は新しい季節への鼓動を打ちはじめた
最初は誰の耳にも聞こえぬほど微かに
年ごとに幼い生命をはぐくみ
みずからの懐に無数の飛翔と死とを準備しながら
樹はまたひとつ 成熟への歩みを進ませた

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鎮魂歌

2021-03-31 17:25:10 | 詩集「黎明」

 明日からしばらく(たぶん2週間ぐらい)ブログが書けなくなる(つまり、パソコンが使えなくなる)。方法はあるのかもしれないが、面倒くさいことは考えないことにしている(年取ったせいか、このごろこの傾向が特に強い)。せっかくの機会だから、しばし浮世から離れてのんびりしてこよう。
 友人の一人が言ってくれた「それはあなた、いま見つかって良かったわよ!」(ガンではない―念のため)。その通りだと思う。じつはこれまでにも、体調のことだけではなく、生活習慣や生き方のことについてまで、何度か転換点を経験している。それをぼくは、「天があらかじめサインを出してくれているのだ」と考えている。
 出所したら、体力をつけ直さねばなるまい。去年新調したままコロナやなんやらでけっきょく一度も張ることがなかったテント一式を、今年の夏は張りに行きたい―まずは上高地の徳澤園あたりに。
 昨日に続いて旧作をひとつ載せる。このごろ書き散らしている行分けのつぶやきは、昔書いたものに比べて全然物足りない。もっと集中すればそのうちに気に入ったものが書けるようになるだろうか?
 今日、載せるのにふさわしくはないものかも知れないし、ナルシズムかもしれないが。

   鎮魂歌

光の波が寄せてくる 呼吸につれて
閉ざされているはずのまぶたを通り
光は眼窩にあふれる

あたりが見える
ぼくの横たわる窪地は草にまみれ
太陽は薄靄の中でみどりに燻ゆる
葉を落とした雑木林の丘で
子供等が遠くを呼んでいる 叫んでいる

その唇までが分かるのに
声は少しも聞こえない
子供らの胸を透かして
山々は雪を冠って続いている

太陽が燻ゆるにつれて
靄は広がり
みどりの香気がぼくの腕を湿らす
ぼくの腿を湿らす
それなのにぼくの肩は冷たい
草地の空は冷たい

すべては明るく静まり返っている

「目を開けても ぼくの体はあるだろうか?
「ぼくはひとつの普遍 溶けて縺れた靄ではないか?

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三月

2021-03-30 17:36:17 | 詩集「黎明」

虚空に投げ上げた網いちめんに
樹は幾億の芽をふかせた
吹雪に鞣された幹のなかで
樹液は新しい季節への鼓動を打ちはじめた
最初は誰の耳にも聞こえぬほど微かに
年ごとに幼い生命をはぐくみ
みずからの懐に無数の飛翔と死とを準備しながら
樹はまたひとつ 成熟への歩みを進ませた

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夜明けの鳥

2021-03-19 10:46:55 | 詩集「黎明」

夜の白む前
彼らはいっせいに鳴きはじめる
闇に沈んだ
花盛りのアーモンドの木のあたり

裏庭から野につづく窓を開けると
湿った冷気が部屋に流れ込む

雨の夜を彼らは
どこでどのように過ごすのか
夜明けの近いことを
何によって知るのか

飛ぶために食べ続けなければならず
食べるために飛び続けなければならない
羽毛に護られた42℃の体温と
空洞になった骨

昨日の雨と今日の雨の
わずかな時の間に
彼らは鳴きかわし 餌を探し

アーモンドが花から葉へ移る
わずかな時の間に
人は番い ささやかな巣をつくる

ぼくはもう 空を飛ぶすべを
身につけることはないだろう

夜が明ける
また今日の雨が始まる
鳴き声が止む
彼らはもう その枝にはいない

ボロ布をまるめたボールを蹴る少年
素焼きの壺に水を運ぶ
裸足の少女

生まれることのない
ぼくの子供たちを残して
今日ぼくはここを発つ

 アーモンドの花で思い出した。ある時、半年間滞在したアルジェリアを発つ前の晩に書いた詩。自分が昔書いた詩の中では好きなものの一つだ。

 

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二月

2021-02-26 13:57:34 | 詩集「黎明」

訪れるもののいない雪原に独り
樹は帆を広げて朝の太陽を孕んでいる
光の粒子は空を渡り 音もなく枝々に満ち
なおも零れ落ちてさざ波を描く
白い広がりに足跡をつけようとのぞむ冒険者がいても
向こう岸に着かないうちに呑みこまれて沈んでしまうだろう
彼は知らないのだ 自然そのものが海なのだということを
足跡はやがて消え去って 染みひとつ残らない
           (連作「はるにれ」のうち 二月)

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一月

2021-01-29 20:18:12 | 詩集「黎明」

終日 平原は吹雪の乱舞に覆い尽くされた
平原には果てがなかった 果てのない平原を呑みこんで
風は白い大地を空へ投げ返した
生命あるものは何もなかった ただ大樹が一本
全身を引き絞って踏みとどまっていた
樹は平原のまんなかに立っていた いや
樹があるからこそ そこが平原のまんなかだった だから
吹雪が止むと静寂は枝々の先から四方にひろがっていった
          (連作「はるにれ」のうち 一月)

 

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「止水」

2021-01-15 22:04:56 | 詩集「黎明」

沢の本流から離れて
水はひっそりと目覚めている
小さな崖の陰
さざ波も走らなければ
砂を動かす底流もない
片隅に雑木林が映っていなければ
水が在ることさえわからないだろう
浅い水底に沈んだ枯葉
ミズキ コナラ サルトリイバラ…
虫に喰われ ところどころ欠けた鋸歯
今は役目を果たさなくなった葉脈
木にあったときよりも鮮明な毛細管の網目が
生命のなまあたたかさを捨てて
澄み切った水のなかで凝結している
指を入れ 一枚の葉を拾い上げ
また離してやると
束の間の波紋のあと
ゆっくりともとの静止に戻る
滅び去ったものの曇りの無さ
呼吸を止めたものの静謐
朽ち果てるまでの凍りついた時間
時折り水辺に近づく足音だけが
水のおもてを微かにふるわす

 若い頃、自費出版の詩集を二冊出した。だがそのあと、ぼくのライフスタイルは180度変わってしまって、それに伴ってぼくの関心は歌の方に行って、詩を書くことはおろか、読むこともほとんどなくなった。再び読み始めたのは、仕事を辞めてからだ。
 最近このブログの記事を行分けで書くことが多くなっている。それは、詩を書きたいというより、ある程度まとまった文章を書くのがだんだんシンドくなってきたからだ。歩きながら切れ切れにものを考える。それを考えたときのまゝに近い形で言葉にすれば、行分けの形になる。
 それは推敲や彫琢をしていないから、詩と呼べる程度のものになっていない。だから「つぶやき」と呼んでいる。これも、山登りと同じに、若い頃の集中にとても及ばないものだ。でも、(山登りと同じに、)できればもう少し力を取り戻したいとは思っている。
 これも、「やれやれ どっこいしょ」だ。
 新しく力をつけるまでの間、古いものも時々ここに書かせてもらうことにしよう。

 

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