すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

2022-10-23 20:07:43 | 老いを生きる

すでに骨ばかりになった林の
枯草の急斜面を
止まり戻り
右に左に揺れ

ためらいながらのように
恐れながらのように
少しずつ少しずつ
影が
進んでゆく
二本の杖を支えに

本体はどこにあるのか
もちろんここにある これは疲れて
意識の薄れかけた
ぼくの影だ

だが
ぼくの肉体が消えても
照りつける日光に
射られて
影は在り続けるだろう

動くことのできるのは
幸いなことだ
石に永遠に刻まれ
そこを離れることのできない
影でなく

影は動いて
何処へ行くのか
あの遥か下に見える
青い水面まで

失われた
肉体を探して

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登山バス

2022-10-17 21:42:07 | 老いを生きる

すぐ前に中年女性が二人いて
あとから一人が合流した
乗車する時にその三人目が
「どうぞお先に」と言うので
一瞬たじろいだ

「あ、いえ」
「先にいらしてたのですから、どうぞ」

ああそうか
老人なので席を譲られた
と思ったのだ

おかしなことだ
このごろ電車でもバスでも
大きな顔をしてシルバー席に座るのに
つまり老人を自認しているのに

人からそう見られると
動揺するなんて
譲られると動揺するなんて

バスは峠に上がって行く
窓外の森は
初夏の瑞々しさも
夏の勢いと落ち着きも失って
ついでに自信も失くしたようだ

もうすぐだ もうすぐだ
もう少し待て
木々の葉のひとつひとつが
地上を離れる前に
(あるいは 地に帰る前に)
思い思いの色に
燃え輝く時は

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舞岡散策

2022-09-29 15:18:12 | 老いを生きる

 今年は大病をした、あるいは大手術を受けた、友人が多い。ぼくより若い人もいるが、同年配が多い。そういう歳なのだ、と改めて思う。
(「健康寿命」とやら言う概念があるのだそうで、詳しい定義は知らないが、日常生活を支障なく送れる限界年齢、の平均は男は72.64歳なのだとか。ぼくもすでにそれを超えている。もちろん、寿命があるのなら「健康余命」というものもあって、もう少し長いのだろうが。まあ、誰でも、寿命が尽きるまではなるべく健康で生きたいものだ。)
さて、昨日ひさしぶりに会ったのは、7月に心臓の大手術を受けた同じ年の男性Aと、半周りほど年下の女性B。二人とも山の仲間、というよりは、近年はすっかりハイキングの仲間だ。Bも足やら首やら腰やらにトラブルを抱えている。前回三人で一緒にハイキングしたのは梅の花の季節だ。
 今回は、再会を兼ねてAの足慣らしということで、戸塚区の舞岡谷戸の散策にした。ぼくとA には、三十数年前、今のように公園として整備される前に、仲間たちと田んぼを借りて稲を作っていた、思い出のいっぱい詰まった場所だ。ぼくも去年、頸動脈の手術を受けた後、足慣らしの初めにここに来た。
 地下鉄舞岡駅で待ち合わせ。思ったよりもずっと元気そうだ。顔色がいい。酒好きのAはさっそくコンビニにビールを買いに行く。40日間断酒をしたそうだ。 
野道を歩く。ふだんは八幡神社の裏手から登って尾根道を行くのだが、Aはまだ上り坂は苦しいので舞岡川のせせらぎ沿いに行く。昔はここは田んぼの脇の素朴な小川だったのだが、公園の整備と一緒に川床と岸は石で固められ、道には石畳が敷かれ、誰でも楽しく安全に歩ける遊歩道になっている(昔の野道が懐かしくもあるが)。ムラサキツメクサとツユクサが続いている。
 ゆっくりゆっくり歩いて30分ほど、住宅地を通り抜けて「坂下口」バス停を過ぎ、かつて「舞岡水と緑の会」の事務局だった家の前を過ぎると道は右折して農道になる。ここまで駅から約1km。さらに200mほど行くと車止め。右手に公園関係車の駐車場があり、入り口左右の垣根に枳殻(カラタチ)が、春には白い花が咲くが、今はゴルフボールの大きさぐらいの黄色い実をいっぱいつけている。
 さらに500mほど入ると北門。門の手前を右に急登。Aは辛そうだ。休みながら登って行くと草地が広がる。「中丸の丘」だ。ここのテーブルでお昼にする。
(舞岡については以前に何度も書いているので、ここがどんなに気持ち良いところか、とかは省略。)
 例によって、病気の話で盛り上がる。あとは、山の思い出話、これから行けそうな山の話。最近、仲間が奥穂高岳に登ってきたので、これが話のハイライト。あとは、どうしても、前日の“国葬”の話題と、これからこの国と世界はどうなる?という暗い話になってしまう。
 お昼を食べて丘を下ると、北門の先はぼくたちが最初に田んぼをやった思い出の場所だ(これも前に書いたから省略)。ネムノキ(?)がからからに干からびた大きな豆をつけ、クサギガ濃い瑠璃色の実を、カラスウリが赤い実をつけている。田んぼには案山子がいくつも立てられている。稲刈りが始まった時期で、週末には子供や大人の歓声でにぎやかなのだろう。稲架も作られている。
かつて農機具小屋があって、脱穀や餅つきをした小丘の先で、道は少し急になる。その辺で引き返すことにして、谷戸の田んぼの反対側を通ってバス停に戻って戸塚駅に出て、「カナール」で美味しいコーヒーを飲んで分かれた。
 時間をかけて体力をつけ直して(これはBもぼくも一緒)、紅葉の頃にはもう少し遠くに行こう。来年になったら高原に泊まりに行こう。山登りも再開しよう。
 

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三渓園散策

2022-09-22 15:16:13 | 老いを生きる

 大病を克服した友達と、「久しぶりに外を歩いてみよう、でもまだハイキングではなく」、ということで、本牧三渓園に行った。先月末に半年ぶりに会っているのだが、その時もびっくりするくらい元気になっていたのだが、一か月たってさらに元気になって体力も回復しているようだ。
 三渓園の一番好きなのは、正門を入るとすぐに眼前に大池の広々とした開放的な水面が広がるところだ。内苑の重要文化財指定の建築が狭い谷戸に並ぶ日本庭園より、こちらの方がはるかに解放感がある、繁りに繁った蓮池と睡蓮池に沿って、大池を左手に眺めながら明るい歩道を歩くと、また一緒に歩けるようになった嬉しさが込み上げてくる。なんせ半年前には、彼女はもう帰らぬ人になってしまうものと思い、ロシアのウクライナ侵攻の連日の衝撃的なニュースもあって、ぼくは絶望的な気分でいたのだ。
 分かれ道を右に、ちょうど今5年越しの改修工事が終わって内部を公開している臨春閣を拝見しようと御門をくぐると、和装の新婚さんが記念撮影をしていた。思わず「おめでとうございます。お幸せに」と声をかけた。
 臨春閣は日本庭園の池に沿った三段の雁行式の(雁が飛ぶ時のように斜めに連なった)凝った作りの建物で、紀州徳川家の初代藩主が建てた由緒ある建物だそうだが、お殿様の趣味の建物という感じがして、生活感が無さ過ぎて軽く、ぼくも友達もあまり好きにはなれなかった。襖絵など狩野派の名品が目白押しなのだそうだが、色褪せてぼんやりとしかわからない。池の水は降り続いた雨のせいか白く濁っていたが、芝生の緑は瑞々しく、粋を凝らした建物よりも外の風景に心を惹かれた。植物は、造られた庭であっても、雨が降れば生命力を取り戻すが、建物はどんどん劣化していく。
 内苑の古建築群はざっと見て門を出ると再び外苑。三重塔のある丘に登る道。「ゆっくり歩けば大丈夫」と言うので、休みながら登る。
登りながらふと別のことを思った。生糸貿易で莫大な資産を築いた男が金に任せて京都他から歴史的建造物を集めている間にも、飛騨の貧しい村々の娘が製糸工場で働くために峠を越えて行った。今度、女工哀史の関係の本を読んでみよう。そして、友達がもっと元気になったら、できたら一緒に野麦峠も訪ねてみたい。
 展望台は急な階段で、しかも醜いごちゃごちゃした埋め立て地しか見えなそうなのでパスして、三重塔へ。至近距離から見上げると九輪の上に真っ青な秋の空だ。飛天達が人間から身を隠してまじっていそうな微かな雲だ。
 東屋をみつけてお弁当を食べることにする。横浜駅で買った崎陽軒の炒飯弁当と季節のお弁当「秋」。季節のお弁当も好きだが、ぼくは特にこの炒飯が好きだ。崎陽軒はご飯が美味しい。
 お弁当を食べながら見ると50mほど先に彼岸花の群落があり、通る人ごとに足を止めている。食べ終わって行ってみたら、チョウがたくさん来ていた。キアゲハとクロアゲハ。もう少し色が複雑なのがカラスアゲハで、よく似ているけど瑠璃色の強い美しいのは何だろう? ミヤマアゲハだろうか? 子供のころ昆虫が苦手だったのでよくわからない。友人は「あ、恋をしている」というのだが、種類が違うから、「この蜜はオレのだぞ」とかやっているのだろう。
 矢箆原家(やのはらけ)住宅というのに行ったら、上がり込んで内部の見学ができた。白川郷のさらに奥の荘川村の庄屋が、御母衣(みほろ)ダムの建設で水没することになった家を三渓園に寄贈したのだという。これは江戸時代の農民の家とは言え、じつに重厚な建物だ。臨春閣よりははるかに生活の実質のある、しかも年月によっても容易には色褪せない風格のある家だ。ボランティア・ガイドの方にいろいろ詳しく教えていただいたが、その立派さはぼくが書いても表現できないから、行って見てもらうしかない。説明書も置いてある。コロナ禍で二階は解放していないというのが残念だった。 
 池のほとりのお茶屋さんで氷を浮かべた抹茶と水まんじゅうをいただいた。本牧まで歩き、バスで関内に出た。「月に一回ぐらい、出かけようね。旅行もしたいね」、と約束して別れた。家に帰って万歩計を見たら、一万五千歩を超えていた。彼女も一万歩は超えているだろう。大したものだ。
(なお、三渓園は以前にも行ったことがあるが、桜と紅葉の頃には人混みになるので御用心。)

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・・・ 

2022-09-17 10:56:23 | 老いを生きる

どうもぼくはこのごろ
他の人には見えぬ
誰かと話をしているらしい

時々家族に
「え、何か言った?」
と訊かれる

「いや、何でもないんだ
ただちょっと
・・・がそこに坐っていたような気がしたんだ」

街で自転車にぶつかりそうになった
「大丈夫ですか?」
突然立ち止まったようだ

「いえ、ごめんなさい
 ちょっとそこの角に
 知り合いがいたような気がしたので」

窓辺の椅子に坐って
君がうつむいて泣いているのは
ぼくと一緒に歳が取れなかったからか?

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ヒトの形(2)

2022-06-02 22:29:28 | 老いを生きる

シートに背を沈めると
骨髄の奥から
疲れがじわじわと滲み出して
全身に広がってゆく

山に登るために乗った列車だが
今日はどこまで行けるのだろう?

この日頃 ノートもつけず
音楽もせず
力仕事など無論縁がなく
何をしていたから
という訳ではないのに
枯草を這う燠火のような
この熱はなんだろう?

 人という仮の形を採り続けることは
 (人に限らず全ての生き物も同じだろうが)
 それだけで多大なエネルギーを消耗している

だから歳を取ってくるとそれが
なかなかシンドクなるのだ
気を張り続けていないと
ふっと今の形を失いそうになる

このままシートにもたれて
うたた寝してしまったら
この席に何か別のものがいるかもしれない

 若くして死んだぼくの恋人は
 本当は白い鳥だったのだ

ぼくはクラゲかウミウシか
あるいは形を持つこともできないものか
シートに塩水だけが残るのか

今の体力には少しキツい山に
好んで登るのは
ヒトの形を採り続けるための
抵抗戦かも知れない

・・・などと考えているうちにも
車窓に美しい緑の谷や尾根が広がり巡り
列車は目的地に近づいていく

さあ今のうちに気を入れ直せ
まだもう少しの間
この形のままでいたいなら

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添い寝

2021-11-14 17:12:41 | 老いを生きる

部屋が狭くて布団がくっつくので
少しずらして間を空けて
それでも枕が近いのは緊張するので
互い違いに寝ころんで
若い頃の思い出話なんかしているうちに
昔の悪友 君は
すやすやと寝息を立て始めた

先に眠ってしまうというのは
望まぬ事態を避けつつ
気まずい空気にならないための
女の作戦なのだと聞いたことがあるが
もともとぼくにはもうそんな気はないから
要らぬ用心というものだが
たぶんただ安心して寝てしまったのだろう
(安心できる相手だというのは素直にうれしい)

それにしてもどうだろう この
おだやかな寝顔は
「温泉にゆっくり浸かってゆっくり休みたい」
と言っていたが
コロナ禍中の仕事で疲れ切っていたんだな

ぼくはと言えばいつものことながら
枕が変わると寝付けない癖で
(しかも今日は山を歩き回ったわけじゃなく)
明かりを暗くしてウイスキーを
ちびりちびり飲む

あんまり寝顔を見ていると
目の前の浴衣から延びた足を見ていると
案外の気持ちが起きるかもしれないので
暗い天井を見上げながら
二人で仕出かした無鉄砲などを
懐かしく遠く思い出しながら

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墓参り

2021-09-27 21:36:30 | 老いを生きる

 足元がふらついて山登りに行けないので、思いついて墓参りに行った。駅から寺まではタクシーで行けるので、用心のためにストックさえあれば大丈夫だ。そう遠くはないのだが、コロナ禍で一昨年の秋以来の墓参だ。
 菩提寺は、武田信玄の墓と夢窓国師の庭があるので今ではすっかり観光寺になってしまった、山梨県の塩山の恵林寺というところ。信玄にも夢窓国師にも関心はないのだが、墓地に行く道の杉木立の間から真正面に乾徳山が見える。ここから見る乾徳山はスッキリと三角に高く、まことに美しい。山号が「乾徳山恵林寺」というのが肯ける。乾徳山はぼくの「ふるさとの山」だ。
 墓地は奥の中央部が石段で小高い平地になっていて、その正面に歴代の住職の墓(「無縫塔」という玉子型の墓)が並び、その左手が樋口の墓。場所だけはなかなか格式のある墓なのだ、エヘン。昔はここはぐるりと林に囲まれていてうっそうと暗く、夏の夜には子供たちの「キモ試し」に最適の場所だった(と思う。臆病なぼくはいちども参加しなかったから)。寺が林を切り払って墓地を拡大してしまったので、昔の森閑とした雰囲気は全く失われ、明るい平凡な場所になった。山が見えるのを良しとしよう。
 墓は二年間ほったらかしになっていたので、前半分はセイタカアワダチソウなどの雑草が茂り放題になっている。そんなことになっているとは知らず、鎌など持って行かなかったので、軍手をはめて引き抜こうとしたら、しっかり根が大きくなっていて、小石を敷いた上に薄くコンクリートを流しているそのコンクリごと抜けてしまう。仕方がないので枯れ茎をなるべく根元から折りとった。後ろ半分は納骨室の平石の後ろに戦国時代からの小さな石塔がごちゃごちゃあるのだが、隣の墓地から侵入した蔓草で地面はすっかり覆われ、蔓は平石にも石塔にも這い登ろうとしている。剝がせるだけは剝がした。年明けには母の七回忌なので、それまでに改めて来て手入れをしなければな。
 うちの墓は、正面中央に明治時代、日本での飛行機の開発期にテスト飛行中に墜落死した大叔父のための大きな石塔が立っている。明治天皇からの下賜金で建てたのだそうだ。「樋口家先祖代々の墓」のほうはその左に小さくなっている。
 右には大きな切り株がある。半分以上はウロになってコンクリが詰めてある。大きな桜の切り株だ。ぼくが子供の頃はこの木はまだ生きていて、といってもさらにずっと前に落雷に遭って幹の半分以上が焼けこげてなくなり、残りの部分でかろうじて生きていて、それでも毎年季節になると花を咲かせていた。その半分だけの姿が無惨で、でも子供心にもけなげに思えて美しかった。
 しかしさすがにだんだん生命力は衰え、枯れ枝が落ちてきて危ないというので、寺からの要請もあって20年ほど前に根元から切ってしまった。そのあと、ぼくはここに来て切り株を見て、故郷との縁が終わってしまったように感じたものだ。
 …さて、うちの墓はぼくの兄弟たちがみんな死んでしまったら跡を継ぐ人はいない。だからまた雑草や蔓草に覆われるだろう。その先は、掘り返されて遺骨は永代供養塔に収められて、土地は更地になってまたどこかの家の墓になることだろう。それを残念なこととは思わない。ただ、骨壺からは出して欲しいな。永遠に閉じ込められるのは嫌だ。
 「死んだらぼくという存在の一切は終わりになる」とふだん思っているぼくの、これは不合理なセンチメンタリズムだろうか? 人は生きている限り、さまざま矛盾した感情を持つ。自分の死のことなどを考えるときは、ますます矛盾した感情を待つ。
 フランス東部のいくつかの礼拝堂の地下墓地で、ペストで死んだ中世の人々の無数の骸骨が積み上げられているのを見た。あれはあれで良い。あれの方が、壺に閉じ込められているのよりは小気味よい。せめてそれくらいは思っても良いだろう。
 境内の池のほとりの精進料理屋でお昼にしたかったが、閉まっていた。この店の売店の草餅はでかくてうまいのだが、そこも閉まっていた。昔はここは寺の経営する幼稚園で、朝は厨子から出された観音様に手を合わせることから始まった。ぼくは胃腸が弱くて町の病院に通わねばならないので中退した。池はその頃は冬には氷が張って、靴でスケートをした。
 タクシーを待つ間、ベンチに腰かけて物思いをした。腹が悪いので十分に食べられず、この寺の参道で祖母に手を引かれて、食べ物のことばかり考えていたのを思い出した。

 

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帰郷

2021-05-29 21:06:10 | 老いを生きる

まだ若いカエデの葉を
小刻みに震わせながら
林の道はひっそりと続いている

この道はいつか来た道
季節もたしか今頃

浅い谷に透明な水が流れ
道の辺に
ガクウツギやクサイチゴが
先へ先へと招いている

花の白は
安らぎと
無垢

それが不可能な願いならば
せめて
浄化

思い出そうとして思い出せないことは
起こったのではないことだ

忘れてしまいたいことは
忘れてしまうほうが良い

白い花に招かれるままに行ったら
この道の果てに
母が待っている?
幼年のぼくに会える?

それとも道は
さらにその先
暗い峠を越えて
生まれる前に続いている?

 それともぼくは歩きながら
 別の時間の入り口を
 探しているのだろうか?

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広場

2021-03-29 19:56:40 | 老いを生きる

石畳の広場の
芽吹きはじめた木々の間を
抜けて行くまだ冷たい風

家々の窓のひとつひとつ
植木鉢のひとつひとつに
暖かく輝く夕日

でも陰が
壁を少しずつ這い上って行く

通ってきた遠い街々
川 森
古いベンチに座って
それをもういちど辿ってみる

夜が来る前にここを発とう
もう少し旅を続けよう

明日
別の旅人がこのベンチで
彼の街々を 川を森を
辿りなおすかもしれない

そしてまた
別の誰かが

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巣ごもり

2021-02-25 10:37:44 | 老いを生きる

宴(うたげ)は終わった
仲間たちは三々五々連れ立って
それぞれの家路についた
たぶん 火照った体と
楽しさと寂しさを味わいながら

テーブルに残った沢山の木のコップや皿
それを片付けるのはぼくの仕事だ
生ごみはコンポストに入れて
土や落ち葉と混ぜ
良い堆肥になったら
畑に返そう

コップと皿はバケツに入れて
手押し車で小川に持って行って洗おう
テーブルクロスも洗って
木の間に干そう
冷え性にはなかなか辛いのだが
それはみんな明日でいい

ストーブに薪を足し
腰に毛布を巻き付け
みんなの書いてくれた
ゲストブックを読もう
要さんは相変わらずイラストが上手いな
あきちゃんは字がしっかりしてきたな

一人の夜は冷える
樹々が芽吹き始める頃が
一年でいちばん寒いのだ

外では風が回っている
雪になるかもしれないな
まあいい
みんなと違ってぼくには
春の作業までには
まだだいぶ時間がある
それまではゆっくり本が読める
                      
本を読むぼくの窓の灯は
森の向こうからも見えるだろうか
外の闇のどれくらい遠くまで
届くのだろうか
ここに人がいると
たまには誰かが気付いたら良いな

ここはぼくの仮の住処だ
あと何年か過ごし
あと何回か仲間たちとの
宴を楽しんだら
旅に立とう
ここはじつに気持ちの良いところだが
人は永遠には住み続けられない

 …これはむろん、実体験ではなく、願望です。でもここにはいくらかは、保土ヶ谷の林の中での生活と、そこで何度も仲間たちと過ごした楽しい集まりの思い出が反映しています。あのころ訪ねて来てくれた友人たちに、あらためて、ありがとう。

 

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巻雲

2021-02-11 13:48:33 | 老いを生きる

空を見上げることが多くなった

暗い顔をして
俯いて過ごした若い時代
その若ささえ失っていった
長い時代
空が頭上にあることさえ
気付かなかった

年取ってからは
都会の切り取られた空ではなく
野山に出て広い空を見上げるのが好きだ

今日はなぜか みごとな飛行機雲が
空いっぱいに 次々に 縦横に
描かれてゆく
描いてゆく筆の先端も見える

航跡は次第に広がり
周囲の巻雲と溶け合って
漂っていく

空の高みで
大きな魂に融合する
ひとつひとつの魂
漂い流れてゆく
生命の夢

ぼくもいつか

あそこは寒く
風が強いのだろうが
それは構わない

足元に目を移すと
一輪の水仙の黄色

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徘徊

2021-01-11 08:27:04 | 老いを生きる

昨日歩きながら考えていたことは何だったろう?
すごく大事なことだったような気がする

…と考えながら歩いている
気が付くとこの頃いつもこうだ

…という事は別に大事なことではないのだ
何かやり残したことがあるような気がするだけだ

毎日同じことを考えているだけかもしれない
山に行けないので近所を毎日歩き回る

なるべく車の通らないところを
なるべく日当たりの中をでも時には寒風の中も

草原も小川もないところを歩き回るのは空しいが歩かないよりはマシだ
何時間も歩き回ってくたびれて眠る

まだ今のところ自分がどこを歩いているのかは分かっている
夢の中でなら何処だかわからずに歩くのはしょっちゅうだ

分からないのはなぜこんなに渇いた者のように
あるいは救いを求める者のように歩かねばならないのかだ

そのうち夢と現実との境界が薄くなったら
人はぼくの行為を徘徊と呼ぶことだろう

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夏の体力

2020-07-14 08:06:19 | 老いを生きる
 おととい、梅雨の晴れ間を利用して北高尾山稜に行った。高尾山域ではぼくの最も好きな場所だが、また、最もきつい場所でもある。八王子城跡から、堂所山を経て陣馬高原下バス停までの予定。体調が良かったら陣馬山頂を経て藤野駅まで、と思っていたのだが、序の口の富士見台まででもうバテて、引き返そうかショートカットしようか考えながら歩いていた。
 富士見台で休み、美しい黒富士に気を取り直して、もう少し行こう、と思い、結局、道半ばの黒ドッケまで行って、夕やけ小やけバス停に降りた。
 ここ数年、今ぐらいの時期になると、「この夏は無事乗り越えられるだろうか?」と思う。「山登りなんかしている人間が何をばかなことを」と思われるかもしれないが、ぼくはもともと体力はないし、おまけにかなりの心配性でもある。また、年々少しずつ、いろんなことができにくくなってきてもいる。毎夏、山登りに数回行くほかは、気息奄々、という感じで暑い時期を耐えているのが実情でもある。
 今年はどうやら、音楽ができなくなりそうだが、それはまた別に書こう。
 もちろん、無防備になすすべもなく夏を迎えているわけではない。春先から、はじめは短いハイキングから繰り返して、夏山登山に向かって少しずつ体力を上げることに努めている。だが今年はどうやら、すでに7月半ばというのに、順調に体調を上げることができていないようだ。
 コロナで山に行けなかったこともあるし、近くの体育館が改修工事でずっと休みだったということもある(7月3日から再開したが、今は人数制限があり、シャワーは使えず、しかも先着順だ。それに、まだ怖い)。
 でも、トレーニングの方法はほかにもあるよね。その気にならないのは、つまり気力の問題だ。そして、気力の衰えというものは体力の衰えとニワトリ玉子だ。
 この頃、気が付くと居間のソファで浅い息をしていることがよくある。今から10年後ぐらいに、晩年の母のように一日の大半をソファでうつらうつら過ごす、ということにならないように心しなければなあ。
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「老人と海」

2020-06-23 14:30:05 | 老いを生きる
 Uさんから昨日の記事について、Facebookの方へ下記のコメントをいただいた。ありがとうございます。
・・・・・・・・・
 老人と海のシーンが眼に浮かぶ。私も港に向かって一人でオールを漕いでいます。ちょっと鼻歌まじりにね。
・・・・・・・・・
 …確かにね。じつはぼくも書きながら、「老人と海」を思い出していた。
 ヘミングウェイの老人は、極限の、最後は絶望的な、戦いを戦い抜き、戦いが終わった後も、疲れ切ってはいてもまだ戦うことを投げ出してはいない。
 この希望を捨てない姿勢によってヘミングウェイはノーベル賞を授与されたのではなかったろうか。ヘミングウェイは好きだが、やや、男の文学し過ぎるようにも思う。
 彼は鬱と神経衰弱で、最後は自殺した。男は脆い。
 ぼくの老人は、どこかで戦うことをあきらめてしまったように思える。あきらめてしまって、戦う代わりに夢想にふけった方が楽ではある。最初は「酒瓶を片手に」と書いたのだが、やめた。朝から酒を飲まないだけましかもしれない。
 ともあれ、この老人は(この船も)10年後ぐらいのぼくかもしれない。
 現在のぼく自身は、まだあきらめきっているわけではない。
 まだ戦おうとする気持ちと、夢想にふけった方が楽だろうと思う気持ちが、かわるがわるやってくる状態にある。
 鼻歌まじりにオールを漕いでいるUさんを見習わなきゃね、と思いつつ。
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