鳥沢駅から舗装道路を1時間歩いて、登山口の「梨の木平」につく。ここから2時間弱の登りだ。登山地図には1h20と書いてあるが、道標は1h50になっている。標高差が550mあるので、道標の方が実際に近いはずだ。ここは、クマ出没注意だ。実際に熊を見た人もいる。鈴を鳴らしながらゆっくり登る。
途中、「山の神」の水場がある。夏場のように「うー冷たい。美味い!」という感じではないが、かえって味わい深いまろやかな水だ。さらに登りながら見上げると、尾根が近づいて、明るい林がさらに明るさを増して、空がさらに広がってくる。もう少しだ。尾根にたどり着いたら、なだらかな道をすぐだ。
山頂の上の空は真っ青なのだが、残念ながら、周囲の山並みは薄雲が広がってぼやけている。朝はあんなにくっきりと見えていたのに。山頂の広場を取り巻く樹林は育っていて、葉の茂る季節なら展望は得にくいかもしれない。ただ富士山の方向だけは切り開かれていて、ベンチ代わりに置いてある枯れ木の幹に腰掛けると真正面に大きく、ごく薄い雲に取り囲まれようとしている姿が輝いている。
山頂の広々とした快さと展望の良さでは、隣の百蔵山の方が勝るかもしれない。ただし、百蔵から扇に来る道はいったん大きく下って登り返すので、なかなか手ごわい。
太陽に向かって座ってお昼を食べていると、薄い登山ズボンの膝が熱いくらいに暖かい。一年でいちばん日暮れの早い時期だし、風が冷たくならないうちに下山することにする。
「君恋温泉」という美しい名前の温泉があって、そちらに下山する人が多いようだが、犬目丸を通って降りるコースも展望が開けた、なだらかな良い道だ。今日はついでだから、大野貯水池に冬鳥が来てないか見ながら、四方津駅に降りることにする。けっこう長い道だ。
…残念ながら、オオバンの群れが44羽、キンクロハジロが8羽、しか確認できなかった。オオバンは一年中いるだろうから、ここもまだ冬鳥の飛来には早いということだろう。暖冬でもあるし、地球温暖化で、繁殖地でそのまま越冬する鳥も増えて来るのかも知れない。
四方津駅のホームの椅子にザックを置いて電車を待っている時、すぐそばの席に小学校3,4年生ぐらいと思われる少女がいた。初詣のパンフレットを熱心に見ていた。ちらりと見た顔が、大変美しかった。真赤な地に黒のヒョウ柄のパンツに、白いニットを着ている。そこへ、もう少し年長と思われる運動選手タイプの少年が来て、少女を見つけてうれしそうに顔を寄せて後ろからチラシを覗き込んだ。相手が気が付かないので、肩に手をかけた。驚いて振り向いた子が一瞬にしてうれしそうににっこりして、なんだか話し出した。その顔が、また非常に美しかった。
ぼくはびっくりした。
話の内容は聞き取れないのだが、口調からして、座っていた子は少年だったのだ。
そばに怪しいおじさんがいるのに気が付いたのか、二人は肩を寄せてホームの端の方に離れていった。
外国で、たとえばアルジェリアとかスペインで、非常に美しい少年や少女を見かけることはある。陳腐な形容だが、「天使のような」。その子たちは、男と女に分かれる前の、中性的な美しさだ。四方津の少年のような、女の子的な美しさの少年は、初めて見たかもしれない。あの口調と衣服と、もう一人の少年とのごく自然な親密ぶりから見て、彼は自分のジェンダー・アイデンテティーに悩んだりはしていないと思われる。それは素晴らしいことだ。悩んだりすることなく、そのまま成長して欲しいものだ。
…これは間違い。
あの子に比ぶべくもないが、ぼくはかつてあの子の歳ぐらいまで持っていたはずの、とっくに失くしてしまった幸福感を思い出す。いまだに、その失くしてしまった後の空虚を何かで埋められたら、と思っている自分を思い出す。
あの子も、他の誰でも、成長する途中で必ず悩み事を抱え、苦しむことになるだろう。ジェンダーの問題で、ということでなく、様々なことで。
そこからなるべく早く、なるべくまっすぐに、抜け出してほしいものだ。姿も心も無垢なままで。
そう、この老人は祈る。
反対側の電車が来た。
途中、「山の神」の水場がある。夏場のように「うー冷たい。美味い!」という感じではないが、かえって味わい深いまろやかな水だ。さらに登りながら見上げると、尾根が近づいて、明るい林がさらに明るさを増して、空がさらに広がってくる。もう少しだ。尾根にたどり着いたら、なだらかな道をすぐだ。
山頂の上の空は真っ青なのだが、残念ながら、周囲の山並みは薄雲が広がってぼやけている。朝はあんなにくっきりと見えていたのに。山頂の広場を取り巻く樹林は育っていて、葉の茂る季節なら展望は得にくいかもしれない。ただ富士山の方向だけは切り開かれていて、ベンチ代わりに置いてある枯れ木の幹に腰掛けると真正面に大きく、ごく薄い雲に取り囲まれようとしている姿が輝いている。
山頂の広々とした快さと展望の良さでは、隣の百蔵山の方が勝るかもしれない。ただし、百蔵から扇に来る道はいったん大きく下って登り返すので、なかなか手ごわい。
太陽に向かって座ってお昼を食べていると、薄い登山ズボンの膝が熱いくらいに暖かい。一年でいちばん日暮れの早い時期だし、風が冷たくならないうちに下山することにする。
「君恋温泉」という美しい名前の温泉があって、そちらに下山する人が多いようだが、犬目丸を通って降りるコースも展望が開けた、なだらかな良い道だ。今日はついでだから、大野貯水池に冬鳥が来てないか見ながら、四方津駅に降りることにする。けっこう長い道だ。
…残念ながら、オオバンの群れが44羽、キンクロハジロが8羽、しか確認できなかった。オオバンは一年中いるだろうから、ここもまだ冬鳥の飛来には早いということだろう。暖冬でもあるし、地球温暖化で、繁殖地でそのまま越冬する鳥も増えて来るのかも知れない。
四方津駅のホームの椅子にザックを置いて電車を待っている時、すぐそばの席に小学校3,4年生ぐらいと思われる少女がいた。初詣のパンフレットを熱心に見ていた。ちらりと見た顔が、大変美しかった。真赤な地に黒のヒョウ柄のパンツに、白いニットを着ている。そこへ、もう少し年長と思われる運動選手タイプの少年が来て、少女を見つけてうれしそうに顔を寄せて後ろからチラシを覗き込んだ。相手が気が付かないので、肩に手をかけた。驚いて振り向いた子が一瞬にしてうれしそうににっこりして、なんだか話し出した。その顔が、また非常に美しかった。
ぼくはびっくりした。
話の内容は聞き取れないのだが、口調からして、座っていた子は少年だったのだ。
そばに怪しいおじさんがいるのに気が付いたのか、二人は肩を寄せてホームの端の方に離れていった。
外国で、たとえばアルジェリアとかスペインで、非常に美しい少年や少女を見かけることはある。陳腐な形容だが、「天使のような」。その子たちは、男と女に分かれる前の、中性的な美しさだ。四方津の少年のような、女の子的な美しさの少年は、初めて見たかもしれない。あの口調と衣服と、もう一人の少年とのごく自然な親密ぶりから見て、彼は自分のジェンダー・アイデンテティーに悩んだりはしていないと思われる。それは素晴らしいことだ。悩んだりすることなく、そのまま成長して欲しいものだ。
…これは間違い。
あの子に比ぶべくもないが、ぼくはかつてあの子の歳ぐらいまで持っていたはずの、とっくに失くしてしまった幸福感を思い出す。いまだに、その失くしてしまった後の空虚を何かで埋められたら、と思っている自分を思い出す。
あの子も、他の誰でも、成長する途中で必ず悩み事を抱え、苦しむことになるだろう。ジェンダーの問題で、ということでなく、様々なことで。
そこからなるべく早く、なるべくまっすぐに、抜け出してほしいものだ。姿も心も無垢なままで。
そう、この老人は祈る。
反対側の電車が来た。
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