すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

渡り鳥、鮭

2018-12-19 22:51:01 | 無いアタマを絞る
 渡り鳥の生はそれこそ命がけのものだろうし、苦しみに満ちたものだろう。でも彼らは遺伝子とか本能とか、自分の体内に組み込まれた何者かに突き動かされてその生を生きる。そして、その中に苦しみだけではなく喜びだってあるに違いない。その喜びは、ぼくらの日々のちっぽけな喜びや悲しみに比べて、突き動かされているだけ大きなものかもしれない。
 鮭は自分の生まれた川の水のにおいを記憶していて、広い海洋から戻ってくるという。途中で死んでしまってたどり着けないのでなければ、その生まれ故郷の川で種としての義務を果たして力尽きて死ぬためにだけ。彼らは、死ぬために戻る代わりに海洋を泳ぎ回って生き延びることをしない。それだけ、彼らの最後のエネルギーの放出は強い喜びとして組み込まれているのだろう。
 鮭の回帰の本能と鳥の渡りの本能は全く違うものだし、ぼくは彼らの生がうらやましいと思っているわけではない。自分は何かに憧れているのだが、何にあこがれているのかよくわからない。これは鳥の渡りの衝動に似ているかもしれないと、ふと思ったのだ。
 目的地にたどりつけない夢をよく見るぼくは、故郷の川にたどり着けないまま生を終える鮭に似ているかもしれないと、ふと思ったのだ。
 それでもぼくは、生き急ぐことなく日々のちっぽけな感情を生きている。その方がましかもしれないし、そうではないかもしれない。
 人というものは、憧れずにはいられない生き物だ。ただし、それだけでなく、もう少し理想というようなものが持てたらよいのだが。
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