すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

四方津の少年・補足

2018-12-25 22:05:17 | 無いアタマを絞る
 長い間、ぼくにとって男性性・女性性は、命がけの大きな問題だった(セクシュアリティーでなく、ジェンダーの問題。念のため)。歳をとって、それはもう自分に関してはどうでもよい事柄になってしまったが、若い人が、特に子供が、ぼくのように苦しんだり試行錯誤したりをできることならしないで生きられたらいいな、と願っている。そのことに人生のエネルギーを食われるよりは、他のことに注いだ方がいい。人は成長する過程で、社会の中で生きていく過程で、いずれにせよ悩み苦しむものだが、そのことではなく別のことで苦しんだ方がいい。
 四方津の少年は、その表情や口調から推測するのだが、自然に、迷いや引け目を感じることなく、女性的なファッションや髪形をしているところにぼくは共感した。  
 スペインの少年と違うところは、向こうは男性・女性に分化する前の単に子供としてのナチュラルであり、四方津の少年は選択的・意志的なナチュラルなのだ
 彼は、自分のファッションが、見た目が、女の子のようであることに気づいていないはずはない。そういうファッションが好きで、選択的にそうしている。そして、そのことで親や学校や周囲とぶつかってはいない。周りの子供たちや大人たちが彼のそういう選択を認めている。それは、彼の態度が、違和を感じさせない気持ち良いものだからだろう。
 トランスジェンダーの子供たちの多くが苦しむ苦しみを彼は背負っていない。彼の、もう一人の少年との接し方、話し方は、ぼくにそう思わせる。これは、すごく幸せなことだ。そしてそれは、通りすがりのぼくをも幸せな気分にする。
 ついでだが、「LGBT」の言葉にはぼくはかなり抵抗がある。それについては、別に書く。
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