すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ブルーグラス

2018-12-09 21:05:59 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 今夜ブルーグラスのコンサートに行ったのだが、自分がそこから降りてしまったせいか、面白く感じなかった(ブルーグラスとは、ケンタッキー州を中心に広がったアメリカのカントリー・ミュージックの一種だ。念のため)。  次々に演奏され、歌われる曲が、ほとんど同じように感じた。同じような曲想、同じように繰り返し高音をのんびりと引っ張る歌唱法、同じような演奏技法。それに、不安定な音程の歌。
 急に寒くなったので体が慣れなくて、頭が重く、ふらふらする感じだったせいもあるかもしれないが、途中の休憩時間に、もういいや、と思ってホールから出てきてしまった。ここ何年も安定していた血圧が上がってきたのかとも思った。家に帰って計ってみたら、正常値だったので、そのせいではない。
 近年聴覚が衰えていて、耳に手を当てないとよく聞こえないということが多く、クラシックの演奏会などでも、仕方なくS席に座るのだが、小ホールの前から6列目ぐらいにいたので、耳のせいでもない。
 やはり、演奏が物足りなかったのと、このジャンルに興味が持てなくなってしまっているせいだろう。
 かつては自分も親しんでいた音楽から心が離れてしまっているのを改めて感じるのは寂しい。そういえばシャンソンもそうだが。
 そう、ぼくは2年間受けていたブルーグラスのレッスンをやめてしまった。
 でも、そのことは明日書こう。
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老眼鏡

2018-12-06 22:58:26 | 老いを生きる
 眼鏡を作ることにした。
 ぼくは軽度の乱視はあるものの、それに軽度の白内障と、軽度の高眼圧があるものの、いずれも治療を始める段階ではなくて、ただ老眼が進んでいるだけで、今までは100円眼鏡で過ごしていた。度はどんどん強くなっていた。
 もともと目はすごく良くて、学生時代に霧ヶ峰のゴルフ場で住み込みのキャディーのアルバイトをしていた時には、もう日没近くなってから300ヤード先のバンカーをボールが転がるのが見えたほどなのだが、遠視の人ほど老眼の進むのは早いのだそうで、今は+3でも見えにくくなって、不便を感じていた。
 裸眼だと、五線譜の線がランダムな12本程度に見える。二つ玉の簡単な和音が、かすんだナインスぐらいに見える。また、単純な老眼鏡では、焦点の合う範囲が狭すぎて、楽器を弾きながら体を前後に揺するだけで焦点がぼけてしまう。
 以前、オケに入れてもらっていた時に、同じパートを弾いている隣の人が、「楽譜を忘れてしまったから見せたくれないか」というので二人の間に譜面台を置いたら、ぼくには楽譜が全く読めなかった。 
 焦点の合う範囲の広い眼鏡があったら具合がいいだろうなと思っていた。
 100円眼鏡は粗末に作ってあるから、レンズ面が歪んでいたりして、顔を縦や横に動かすと文字が揺れ動くことがある。それにすぐにツルが歪んだりレンズが外れたりして壊れる。
 壊れるのはまあいいが、ゆがんだレンズをかけているのは目に良くはないだろうと、気にもなっていた。
 眼鏡屋さんは、たいへん詳しく検査をしてくれて、用途によるレンズの性質の違いなどをていねいに説明してくれた。焦点の合う範囲が広いということは、けっきょく、上から下まで無段階に緩やかに焦点距離を変えてあるということなのだ。上の方が遠くて、下が近い。
 ぼくは車の運転とかしないので、生活空間の範囲で焦点の合うレンズをもらうことにした。山登りの時にはメガネは地図を見る以外には使わないので、それで十分だ。今のところ、急な下り道の足元は、裸眼で十分見える。乱視も補正してもらった。フレームは、ファッション性とかはどうでもよいので、丈夫かつ柔軟なものにしてもらった。
 100円眼鏡が何百個も買えるお値段がした。
 100円眼鏡は、、なんせ100円なので、いちどにたくさん買ってきて、あちこちに置いておくことができる。常時6~7個ぐらいは使っていて、予備が同じくらいある、という状態だった。
 これからは一つの眼鏡を、一階から三階まで、移動するたびに持ち歩かなければならない。仕方のないことだが、なんて不便なことか!
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花梨

2018-12-04 23:17:13 | 自然・季節
 小石川植物園を出ようとしたら、門の横の受付の前に花梨が台に山盛りになっていて、「ご自由にお持ちください」と書いてあった。さっき入ったときにはなかったので、受付の人に訊いたら、「今届いたばかりです。いくつでもどうぞ」とのこと。今しがたスロープを下りてくるときに、空の一輪車を押した作業員のおじさんとすれ違ってあいさつを交わしたのだが、おじさんなんだかうれしそうだった。彼が運んできたのだね。花梨園は、ほぼ長方形をした植物園の正門とはちょうど対角線に当たるいちばん外れだから、けっこう大変だったろう。届けてくれた彼もうれしかったのだな。
 中くらいの大きさのを3ついただいた。花梨の実は表面がネバネバしているから、レジ袋に入れないとリュックの中がべとついてしまう。落ちたのを拾い集めたのだろう、ところどころ傷はついているが、良い香りのする、楕円形の、美しい黄色の実だ。花梨酒造りに、再挑戦してみよう。
 じつは、5年位前、ちょうど今頃の時期にここに来たことがあって、花梨園に行ったら実がいっぱい落ちていて、しかもそこにいる間にも上から落ちてくる。大きいのをいくつかこっそり拾って帰ったのだ(もちろん、ほんとはいけないのだが)。
 それを花梨酒にしてみたのだが、なぜかものすごく苦くなってしまって、薬のつもりでなければ飲めない代物になってしまった。
 もともと苦みの強い実で、スライスして砂糖漬けにしたものを売っていたりするが、そのままは食べられないからそうするのらしい。氷砂糖と一緒に焼酎漬けにしてももちろん苦みはあるのだが、以前に作ったあれは、それにしてもあまりに苦かった。分量を量らないで欲張って花梨を入れ過ぎたのだろうか。
 今回はきちんと量って、苦みを抑えるためにレモンを入れると良いらしいので、再挑戦してみよう。
 レシピ本には、花梨1Kgに対して氷砂糖100g、35度のホワイトリカー1,8リットルとある。量ったら3個で965gだった。ちょうどよい。
 その本には、まずお湯で表面をごしごし洗って、笊に上げて2~3日おくと蜜が出て表面がふたたびネバネバしてくるからそれから漬ける、と書いてある。
 さっそく洗って笊に上げた。一時間ぐらいしてからコーヒーを飲みに台所に行ったら、さわやかな良い香りに包まれた。
 これから3日ほどこの香りが楽しめるのはうれしい。

コメント (2)
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「パリの公園」

2018-12-03 10:56:18 | 音楽の楽しみー歌
ビュット・ショーモンで子供時代を過ごした
家が貧しかったので、ヴァカンスもそこで
立ち入り禁止の芝生を横目で見ていた
草の間に痩せたヒナギクが咲いていた
 パリの公園は芝生と摘んではいけない花と
 銅像の下で退屈している子供で一杯
 銅像の下でね

リュクサンブールで青春を過ごした
はじめての恋とはじめての過ち!
ある学生が私を夢中にさせた
17歳の私にもういちど戻れたら!
 パリの公園はスズメと恋人たちでいっぱい
 そこが我が家のつもりでいるねぐらのない恋人たち
 そこが我が家だとね

モンソーである実業家が
ルネサンス風の館をくれた
友達と宝石と毛皮に囲まれて
ベッドから公園の緑を眺めた
 パリの公園は恋を求める老紳士で一杯
 毎日は食事もできない美しい娘を相手に
 毎日は食事もね

チュイルリーが私の最後の居場所
すっかり年を取って歩くのもやっと
ここでさまよい歩くのは私でなく私の影
昔の素晴らしい日々を空しく求めながら
 パリの公園は子供とスズメと銅像と 
 恋人たちと失われた夢で一杯 
 永遠に失われたね

 …昨日神代植物公園を歩いていて、ふと古いシャンソンを思い出した。コラ・ヴォケールの歌ったものだ。歌詞の内容は通俗的なものだが、コラの、声を張り上げない、語り掛けるような、甘みのある、ややとつとつとした感じがする歌唱が、主人公の哀しみをよく表現している。ぼくの好きな歌のひとつだ。まだぼくは歩き回れるから、この哀しみはすこし遠いが。
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神代植物公園

2018-12-02 21:49:25 | 思い出すことなど
 林試の森から自然教育園まで行くのはぼくのお気に入りの散歩だが、林試は半分は運動公園化しているし、教育園は決まったコースしか歩けないので、今日は神代植物公園に行った。
 中央沿線の山に登るのに高尾まで京王線で行くのだが、調布駅を通過するときにいつも植物園のことが気になっていた。
 ぼくは神社仏閣にほとんど関心がないので、たとえばパリにいた時でも、ノートルダムとサント・シャペルと近郊のシャルトルはステンドグラスを見に行ったことがあるが、他はどこにも行っていない。ムードンやフォンテーヌブローの森を歩き回っていた。
 今日は深大寺にも行ったが、狭い敷地にごちゃごちゃと建物があるな、というのと、土産物屋と蕎麦屋が軒を連ねて、目黒不動よりずっとにぎやかだな、と思っただけだ。
 植物公園に行くのは、実に56年ぶりだ。広大だからあとでゆっくり回るとして、まずはバラ園に行った。枯れていて淋しいだろうな、と覚悟して行ったのだが、この時期でもバラって、いっぱい咲いているんだね。知らなかった。
 たいへん美しく、感慨にふけった。花の間をゆっくりゆっくり歩いていると、時の迷路の中に迷い込んだような、めまいのような感覚を覚える。ここでは何十年の時も、何千年の時も、一瞬の時も、同じもののような。今あるものが、小径も中央の噴水も奥の大温室のガラスの建物も、この季節だけのはずの黄葉も枯れた藤棚も、今あるのと同じに時を越えて在り、永遠に同じ謎をかけてくるような。目の前の黄色いバラの株もその向こうの赤いバラの株も、50年前も同じようにあり、あるいはその遥か前からあり、これからもあり続けるような。
 
 神代植物園は、1961年に開園した。新聞に大きく取り上げられたのを覚えている。ことに、バラ園の美しさは話題になっていた。
 だからぼくたちは行ってみる気になったのだ。

ぼくたちがそのバラ園を訪れたのは中学三年生の時だ。ぼくと、同じクラスの彼女と、彼女の親友とその彼氏、つまり二組のカップルで、平日の授業をすっぽかして出かけた。なぜそんな大胆なことをする気になったのかはよくわからない。当時誰もそんなことをする生徒はいなかったから、大騒ぎになるのはわかっていたはずなのに、ぼくたちは誰もそんなことを考えもしなかった。大冒険をする、という意識もなかった。「ねえ、明日、バラ園に行かない?」「いいねえ、行こ行こ」みたいな感じだった。たぶんぼくたちは自分たちに夢中で周りの状況は何も見えていなかったのだろう。
 バラ園は静かな雨が降っていて、バラは盛りを少し過ぎていて、平日のせいか人はほとんどいなくて、ぼくたちは手をつないで歩き回った。当時の中学生は今と違ってかわいいもので、キスをするどころか、手をつないでいればそれで幸せだったのだ。
 そのあと、すぐには帰りたくなくて、後楽園遊園地に行ってぐるぐる回るティーカップに乗って、目黒駅前の「薔薇窓」という名の中華料理屋(名前がバラだったから)に入ってラーメンを食べた。
 …帰ったら大騒ぎになっていた。同じクラスのカップル二組が同時にさぼった、というので学校から父兄に連絡がいっていて、ぼくは父に散々殴られた(ただでさえすぐ殴る人だった)。翌日学校に行くと、担任は文学青年上がりの物分かりのいい人だったが、当然ながら厳しい尋問をされた。あとで聴いたら一年生の妹のクラスにまで、「三年の不良」のうわさは広がったらしい。
 そのあと、交際を禁じられたぼくはグレた。
 …それは嘘だが、受験勉強は全くやる気がなく投げ出して、理科系一直線だったのが、文学を読みふけるようになった。やがて、彼女本人よりも文学作品の方に、つまりフクションの恋愛の方に、ぼくは夢中になった。
 卒業してから、彼女には一度も会っていない。
 徹底抗戦するだけの気概はなかったから、サボタージュすることにした、ということかな。情けない話だ。
 その後50年、いろんな人や事に出会い、手放し、失い、別れて生きてきた。
 ふと思った。
 失ったものを、人や、恋や、大切にしていた何かを、もういちど見つけ出す―心の中で。もういちど味わいなおす。老いる、とは、生きる、とは、その過程なのではないか。そしてそれはなかなか悪くないことではないか。情けない人生も、そのことによって救われるのだから。
 今日、バラ園の止まった時間が教えてくれた。
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