ふるさと「葛飾鎌倉」の歴史・講演者、小峰園子
於・鎌倉公園内
かつしか 鎌倉は、室町時代の板碑が見つかっていて、約600年前の室町時代には
人が暮らしていたと考えられている。
その後、江戸時代に改めて農地として開発され鎌倉という地名になりました。
江戸時代の書物には、鎌倉という地名になった理由は、相模 国鎌倉郡(現在の神奈川県鎌
倉市の辺り)に住んでいた源右衛門という人がこの地を
開発したからだと書かれています。(葛飾区史より)
かつしか公報掲載記事
講演場所・新装なった鎌倉公園野草園管理所
昔の鎌倉、映し出されたモニター
講師・郷土と天文博物館、小峰園子氏
モニター画面
モニター画面
モニター画面
講演の風景
周囲の状況
外周は野草園
その他の内容記事は➡その2へ続く
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葛飾区鎌倉地区、良い地名ですね。
葛飾区はよく聞きますが、それに鎌倉がつくんですね。
地名の由来など歴史を知ると面白いです。。。(*^▽^*)
「いざ鎌倉」で鎌倉に関連が深いんですね。
◎ 郷土史や 講演有ると スタコラと
暇つぶしにと めおとで参る (縄)
新装なってまだ1年ほど新しくて気持ち良い講演会でした。
が・・・・・しかし子供たちの遊び場が近くてチョイトウうるさいかったです。
◎ 京都から 今の住処へ 越してきて
あれよあれよと 80年よ (縄)
京都、は名所旧跡の多い場所!!
昨日新聞を見ていましたら最近は外国人の観光客、観光公害というニュースがありました。
此れも、限られた名所の観光地に限られたことでしょうが~~~。
鎌倉などから 葛飾あたりや千葉あたりへは 人が移り住んでいるのでしょうか。
そういえば頼朝も安房の国へ来たような気がしますが。
葛飾に鎌倉なんて言うところあるんでしたか。
まったく恥ずかしい事で申し訳ございません。
いつも勉強ばかりのわが人生で、
教えてもらっているばかりですから・・ありがとうございます。
葛飾にも鎌倉があるんですね。
妹夫婦にも教えておきますよ。
「葛飾鎌倉」↑ は縄文人さんのおかげで初めて伺い学ばせて頂いております。
御地に「鎌倉」という地名があることはこちらのblogを訪問するようになって知ったことですが、その地名の由来についてはずっと分からないままでしたが、この記事でそれが判明してありがたく思っているところです。
しかし今度は江戸幕府開闢に関して三河の人たちが相当数江戸に移り住んだと聞いていますが、その割には三河の名残の地名があまり残されていないことに不思議さも感じています。
今日は啓蟄ですが、雨も降り寒い一日でしたね。
年齢を重ねても、学ぶ意欲は大切です。
地元の歴史に触れたようですね。
私も葛飾区のシルバーカレッジで、先月「郷愁の
作曲家たち」という講座に参加しました。
とても興味深い内容で、勉強になりました。
これからも縄文人さんを見習って、学んでいこうと思います。