安部元首相 撃たれて死亡
奈良市で参議院選の応援中。
日本の令和のこの世の中で、民主主義への挑戦である。
世界の人が「安全な国日本」と言われた国で、「安全な日本国が悲しい!」。
選挙のさなかの事件、民主主義が暴力によって歪められるようなことが有ってはならない。
自由で安全な社会を守るために、我々(国民)担い手に課せられた責務は大きい。
合掌。
webより
コメント欄は閉めています。
安部元首相 撃たれて死亡
奈良市で参議院選の応援中。
日本の令和のこの世の中で、民主主義への挑戦である。
世界の人が「安全な国日本」と言われた国で、「安全な日本国が悲しい!」。
選挙のさなかの事件、民主主義が暴力によって歪められるようなことが有ってはならない。
自由で安全な社会を守るために、我々(国民)担い手に課せられた責務は大きい。
合掌。
webより
コメント欄は閉めています。
誕生日の花・ラジオ深夜便から
= 一鉢の命 =
何時ものようにNHKラジヲ深夜便を聞きながら夜明けを迎えた。
4,50分ごろになるとアンカーが
「今日の誕生日の花は、サツキつつじです」の声が流れた。
6月号・ラジオ深夜便をめくると、最初のページに載っていた。
早速我が家の1鉢残りを題材にしようと玄関先へ出た。空は青空、今日は良き天気に
なるであろう。1鉢の皐月を撮った。
NHKラジオ深夜便6月号から引用
唯1本残りし皐月ツツジ咲く
皐月花すべての枯れし古の
愛おしいく有り一鉢の命 (縄)
30~40鉢あったサツキつつじが、此の1鉢のみなってしまった。
家の改築、入院生活等で管理も行き届かないで枯死しさせてしまった。花言葉「協力が得られる」とある。
我の皐月に対する協力、慈しみが足りなかったことにある。
2009,5の皐月
コメ欄は閉めています。
又兵衛と格闘
「山中常盤絵物語」美術史
美術史とは、聞かれて答えられますか!?。
われ知らぬ存ぜぬ、チンプンカンプン、全く分からない!
最初に想像もつかず新年早々に連載が始まり、どんな内容かと読み始めました。
連載も⑮を数え、又兵衛と格闘の「山中常盤絵巻」は、主人公が牛若丸(源義経)の室町時代の絵物語でした。
平家仇討ちを企て奥州に向かう牛若丸を案じて、母の常盤午前が侍従の女を連れて後を追うが、
ふたりは美濃の山中で6人の盗賊に襲われて、身ぐるみはがされたうえ惨殺されてしまう。
これを知った牛若丸は、盗賊を皆殺しにして、やがて大軍を率いて平家を打つために上洛する途中、
美濃の山中にある母の墓に参拝するという筋立ての物語である。
読んでいて、これを物語にしたのが「山中常盤絵巻」であると、薄々わかってきた。
では・・・、その詳細をyoutubeで探索しましたのでご覧ください。
「美術史」なるが若干理解することが出来るかもしれませんが、依然ちんぷんかんぷん。
美術史という我々に縁遠い学問(絵巻)が、これを見て
少し近寄ったと思えれば幸いです。
コメ欄はopenです。
お越しくださって有難うございます。
最後の瞽女(盲目の旅芸人)
映画のご紹介です。
「最後のごぜ」が残したもの
映画監督・瀧澤正治
NHKラジオ深夜便 「明日への言葉から」
1、瞽女、小林はる
新潟県三条市生れ。105才まで生きた方です。
生まれて3ヶ月で白内障から、視力が無くなった視覚障害者となる。
小林はるさんの瞽女歌は、実際にあった方から聞くと背筋がぞくっとくるくらい
胸に突き刺さるような歌声であったという。人に対しては丁寧で優しく
思いやりがあり、非常に慈しみの強い方であったと言います。
ハルさんの家は庄屋で、
何不自由なく暮らしていましたが、母親が、一人で
生きていくための日常の生活から、礼儀作法を厳しくしつけた。ご飯の食べ方、躾け、着物の着方、
畳み方、荷造くりなど厳しく教えた。それは盲目でも独り
立ち出来るように、我が子に対する強い愛情からでした。
5歳の時、親と別れて親方の処に修行に出る。自分の娘のように可愛がって旅に出るがそこは所詮他人、
厳しい修行であった。学校に行ってないものが何も分かる訳がなく、
下からの積み上げであった。「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」
「難儀することが修行、苦は楽の種」といって教えられた。
2,アッツ~、布団があった・・・。
真新しい手触りの、私だけの布団。
敷布も枕も、そして寝巻きも用意されていて、私は本当にほっとした。一瞬だった。
雨が降る日も、風が吹く日も、このあたたかい布団で眠れる。
その夜、私はその真新しい布団に包まれて、朝までグッスリと眠った。
(七十三歳で引退して、初めて老人ホーム施設に入ったとき)
昭和53年頃、瞽女の伝承者として、無形文化財に指定される。
三味線を片手に村々を巡り、民謡やはやり唄、義太夫などを聞かせた旅芸人、
「最後の瞽女(ごぜ)小林はる」と呼ばれていた。
3、瀧澤正治監督から
滝澤監督
ハルさんのお母さんがハルさんに教える「人を恨んでは駄目、人を区別しては駄目、うらやまし
がったら駄目」と親かとも1つ1つ教え込んでいった。
目の見えない我が子を諭すように教えを守り続けた。けなげに生きる瞽女としての
はるさんに厳しい教えが待っていた。
母親のしつけと、小林ハルさんの人間性を真正面に出したかった。
ハルさんの手
4、 私が、瞽女(ゴゼ)に、何故心を惹かれたか
私(縄文人)は、幼少期2回ほど瞽女を見聞きし三味の音を聞いた。
芸が終わると農家ですから御礼にお米を渡した。
そして実家は道路脇のの取っ付きの位置していたため、何かと行商人が立ち寄り、
背中に背負った荷物は重く、我が家預けてまた翌日引き取りに来た。
瞽女さんも荷物を置いて、翌朝我が家から仕事が始まった。
戦後75年
広島に原爆投下された日
広島と長崎に人類初の原爆が投下されてから75年となる。
一瞬で命を奪われた人から原爆症で命を落とした人まで原爆死没者は約50万人に上る。
日本で戦後生まれの割合は8割を超え、被爆の実相を知る高齢者は少なくなっている
A・被爆木(アオギリ)の種を分配し、何時までも平和が
広島県広島中央区中之島の広島平和記念公園内に生育する、被曝した樹木のアオギリ。
広島市が選定した被爆樹木の一つであり、その中でも代表的なものである。
現在は、広島平和資料東館の北側に2本生育している。6月から7月にかけて黄色い花を咲かせる。
その付近に被爆アオギリ二世と見られているアオギリも自生している。
熊取町役場正面出入口前(平成27年7月撮影)
被ばく木(ぼく)種取り育つ原爆忌 (縄)
B・「黒い雨」裁判が尾を・・
「黒い雨」未だ尾を引く立夏かな (縄)
コメント欄は SHUT
産地直送
これは庭先からの恵み、ナスにトマト、やはり取り立ては
新鮮で瑞々しいです、ほんの一握り。
鈴姫トマトの収穫です。
こちらは新幹線で産地直送。
普段なら2日間ほどの時間を要しますが、新幹線で運ぶとおよそ90分。
東京駅でそのまま召し上がって首都圏の皆さんに食べて貰おうと言う試み!!
世はまさにスピード時代。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
庭のナスやトモトはともかく
此のスピード感の記事を書きたかった。
open
新元号、4月1日に発表
(産経新聞より)
平成・元号をふり返る、次なる元号間近に迫って。
平成制定は、目が回るような1日でした。
昭和天皇 崩御 ・・ 1989(昭和64年)1月7日、午前6時33分崩御
元号に関する懇談会 ・有識者からの意見を聞く
臨 時 閣 議 ・・ 7日午後2時から臨時閣議で「平成」決定
発 表・・ 1989年1月7日、2時36分。
小渕恵三官房長官が記者会見室で、
「平成」と墨で書かれた生乾きの2文字を掲げた。
元 号 ・・ 『平成』 出典「史記」 「書径」
「内平らかに外なる」 「地平から天なる」
施 行 ・・ 翌日8日施行すると政令で決定
1989年(号外)から
昭和天皇の崩御を受け、7日朝かねてから考案を依頼していた学者数名に、元号候補名考案を
正式に依頼候補名が提出された。有識者らの意見を聴きさらに絞り込み、衆参両議院の正副議長
の意見を聞いたうえで正式に決定した。
「平成」は、247番目の元号で、大正、昭和の即日改元と違い、翌日改元となったのが特徴です。
≪1989年(昭和64年)1月7日読売新聞「号外」から抜粋≫
上2枚の画像は、わが保管スクラップから転載しました。
平成元号発表、当時の小渕官房長官。
平成は残り僅か。残された時間をどう過ごすか。
周囲の人々との何気ないやりとりが、また平成という年代をどう生きてきたか
あなたえの私えの評価、振り返る時であるかもしれない。
この記事を綴って思ったこと
平成も間もな暮れていく。
たまたま本棚を整理していたら、平成元号制定の当時の新聞(号外・関連紙面)あれよあれよと出てきました。当時新聞スクラップをしていたもので、それがそっくり保存されていた。数紙が出てきた。
これらの新聞の古の匂いと内容を読み取ると、如何に慌ただしかった平成制定の様子が時系列で読み取れた。やらなければならない!!何が何でも終わらせなければ。施行の段取りしなければ・・・・・・!!
上記の文章は、読売新聞号外から抜き取ったもので、次なる元号がどう制定されるであろうか・・・?
携わった方の労苦、生みの苦しみが少しでも理解出来たら・・・。そして平成とはいかなる30年であったか、反省の機会がそれぞれの方に得られれば幸いと思い掲載した。
昭和が戦争の時代、そして終戦で苦い辛酸をなめた時代でした。平成の時代は戦いがなかったことが唯一の幸せであったと思います。
「平成のその先」は、間近に迫っている。
・ 平成の号外セピア色濃くし
昭和平成新元号に生き (縄)
コメント欄は開けています。
お賽銭から景気を占う。
皆さんの初詣、お賽銭は!?
ある宮司にきいたところ
「お賽銭は100円程度を納める方が多いと思います」ということでした。
第1位: 51円~100円/34.4%
第2位: 5円~10円/23.5%
第3位: 101円~500円/20.2%
賽銭に200円。昨年のお札の小焚き上げに300円が通常相場。
賽銭で今年の経済読み解けぬ (縄)
1昨年の柴又帝釈天
臨時に設けられた特大賽銭投げ入れ場
大納会&大発会
年内最後の取引である「大納会」の東京株式市場の日経平均株価の終値は
2万14円77銭となった。
2012年から17年まで6年連続で年初の株価を年末株価が上回っていたが、
2018年は7年ぶりにマイナスに転じた 。
2019大発会
大発会TV中継から
年明け最初の取引となる大発会を迎えた4日の東京株式市場の日経平均株価
(225種)は大幅に下落して始まり、2万円の大台を割り込んだ。
そして、昨年に比べると「回復局面」とみる企業が減り、
「悪化局面」と見る企業が増えています。
米中貿易戦争が大きな影を落とし、そして中東政策の不安定が
大きな要因となっています。
更には国内で、10月の消費税10%、人出不足等々。
年金受給者とて株式を、目をふさいでいる訳には行かない。
年金積立の大半が株投資によって運営されていることを忘れてはならない。
大発会平成残り波乱気味 (縄)
コメ欄は閉めています。
平成最後の終戦の日
陛下・戦争の惨禍を繰り返さない願いを次代へ
戦後73年目の8月15日は平成最後の「終戦の日」となった。
天皇陛下は皇后さまとともに日本武道館(東京・千代田)で開かれた全国戦没者追悼式に出席。
在位中最後の終戦の日のお言葉を述べられた
正午の黙とうに続いて、
陛下は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」と振り返り、
今年も先の大戦への「深い反省」に言及。
平和を祈念された。
外出先から帰ると正午前、「全国戦没者追悼式」中継が行われていた。
平成天皇も最後の大行事に、追悼式に列席されていた。
正午の、時報と共に一斉に黙とうが行われた。
わたしも頭を垂れた。
この中継記事を掲載した理由
文芸春秋・9月号に
≪両陛下最後の8月15日 (前侍従長)川島 裕/保阪正康≫を
図書館で読み終えて、帰宅したところでした。
このお二人の対談の中で最大関心事は,どんな言葉を述べられるかでした。
「深い反省」が、前年と大きく違う所だと報道された。
コメ欄は閉めています。