小・中学校同級生
五行歌
ひょんなことから、むかしの名簿が必要になった。
あれもこれもと考えていたら余分な時間が過ぎ去った。
その余分な時間の追想を五行歌にした。
同窓会・「サンキュウ会」とは
A組B組C組3学級の会 =サンキュウ会
昭和27年度卒業なので3×9=27=サンキュウ会
お互いに感謝の気持ちを忘れない =サンキュウ会
コメ欄は閉めています
小・中学校同級生
五行歌
ひょんなことから、むかしの名簿が必要になった。
あれもこれもと考えていたら余分な時間が過ぎ去った。
その余分な時間の追想を五行歌にした。
同窓会・「サンキュウ会」とは
A組B組C組3学級の会 =サンキュウ会
昭和27年度卒業なので3×9=27=サンキュウ会
お互いに感謝の気持ちを忘れない =サンキュウ会
コメ欄は閉めています
「三椏」「三叉」
ジンチョウゲ科の落葉低木。古く中国から渡来,
樹皮の繊維で和紙を作るため栽培。
枝は三個ずつ分枝する。葉は披針形。冬の間中,各枝先に
筒状の白いつぼみを密に下垂してつけたまま過ごし,早春,黄色の頭状花を開く。
和紙は良質で虫害を受けにくく,紙幣や証券用紙に使われる。
近くの鎌倉の「墅草園」にて。
月13日墅草園にて
三椏 三叉と書く、枝は三個ずつ分枝する。
三椏は紙の原料(紙幣や証券用紙)となります。
従ってどこかで植栽が・・・❓そのミツマタを見たかった。
有りました。
👇
大雲取越 新宮市熊野川町上長井
≪ 余 談 ≫
コウゾについて
ミツマタは木の材質については知りませんが、
コウゾ で作った障子紙を昭和年間に田舎で使っていました。
実は親戚で和紙作りを家内工業的に庭で紙漉きをしていました。お手製の障子紙作りでした。
今でも思うのですが、実に丈夫で障子紙が破れないで、障子の骨が折れるくらいでした。
厚い、丈夫、縞模様(木の繊維が残ったもの)の入った障子紙でした。
又実家の近くに、コウゾ加工業者があって
山地からコウゾウを採ってきて、よく蒸かして皮をむきて干してあった。
束ねて和紙業者に原料として出荷していたようです。
コウゾの花(桑の葉に似ています)
締めていましたがopenにしました。
≪思いでありがとう≫の内容あらまし
100ページ、70日間かかりました。
楽しみながら作りました。
◎、第13回サンキュウ会会場スナップ写真 7頁
20枚
◎、出会いの広場(綴り方・俳句・近況報告等) 25頁
出稿者のタイトル
1、ブルーベリーの里を拓く 2、 私の思い出 3、頑張ります 4、 先生の思い出
5、川 遊 び 6、 シャルウイダンス 7、私の米作り 8、 公開歌番組に出演
9、新しい芽吹き 10、 楽しみは自分で作る 11、打てなかったホームラン 12, 故郷にUターン
13,山歩き・家庭菜園 14、 同総会に出席して 15、地域に貢献 16、 時代を生きる
17、還暦記念植樹 18、 本 と 私 19、私 の 信念 20、 サンキュウ会 21、古代ハス
▲平 櫛 田 中 ・・・ 人生訓
◎、思い出の集合写真&遠足の行き先 10頁
小学校5年と卒業後最初に集まった時
16枚
◎、寄せ書き 5頁
過去のものがありましたから
複写しました
◎、還暦記念植樹(けや木を植えた) 4頁
けや木の前の幹事さん
◎、小中学校時の時代背景(年表)と淡い思い出 30頁
1、学校時代の思い出の数々、 2小学校改築記念誌(百年のあゆみ)から抜粋
3、小中学校時代の音に会いたい・物に会いたい・見てみたい・体感してみたい
参考資料 小学校時に使った暖飯器、中に火鉢と弁当を入れて暖める(右)
4、担任の先生アラカルト 5、先生に教えてもらった秩父音頭
6、校庭の片隅の万葉歌碑 7小学校の大けや木
8、母校・小学校は城跡(館)でした。
momomama)
小学校のシンボル(けや木)&ろくぼく
今は無き小学校を裏から鳥瞰す
◎、秩父の方言集 8頁
秩父地方の方言を一覧表にしてみました
秩父名物ご存知ねいか
アチャ・ムシ・ダンベェに
つるし柿
◎、サンキュウ会の経過 1頁
在郷の幹事さんたち亡くなられた方々の墓参も行われています。
大変なことです。
◎、付録 伝統の龍勢を受け継ぐ中学生 6頁
覚 書
以上は、概略だけを記しました。
第三者には踏み込んで内容は理解できないと思いますが、こんな編集をしました。
とにかく独断と偏見、独りよがりの作になってしまいました。
各ページの文章に似合った写真を挿入して、
読み易さを和らげ一息入れるように心がけた。
サンキュウ会の席上にて
原稿依頼
あらかじめ幹事さんに冊子作成の了解をとってありました。
原稿依頼をお願いしました。
一言メーッセイジを書いてください(300~500文字前後)
内容 (俳句、短歌、詩、エッセイ、お孫さんのこと、趣味、犬猫のこと、
綴り方と思ってお書きください。いま夢中になっていること、小・中学校の思いで何でも結構です。
全く形式にはとらわれません。
皆さんにお願いしました。
サンキュウ会(同窓会)
「思い出ありがとう」完成させて
同窓会案内状 出来上がった冊子
1、冊子の作成の契機
(画像↓は戦後史年表から転載しました)
一枚の案内状が8月の上旬に舞い込んだ。
≪9月5日(日)・かんぽの宿(埼玉・寄居)にて同窓会開催≫
そんとき昭和の年表を繰っていた。
小学校時代に終戦を迎え、戦後の混乱期を生き抜き,何とか着の身着のままカテ飯(芋飯、スイトン・・・・・)
日の丸弁当に腹を膨らませ、粉ミルクの給食、あるときは裸足で校庭を駆け回った。
鼻たれ小僧が二本鼻を垂らし、いがぐり坊主の童子。
「りんごの歌」が一世を風靡する。
戦争放棄、民主主義。
6,3制教育の実施。数え上げたら切がない。
そんなこんなの中から、雑納(進駐軍の払い下げ)下げてで学校に通い、同じ屋根の下で薪ストウブを囲み、
ボール食器でミルクをすすり、
アカイアカイ・アサヒアサヒ、ハトコイコイ、コマイヌサン、ウン、’墨塗り教科書’
で勉強してきた仲間(同士)ではなかったか・・・・・・・!!。
家族に次ぐ強い絆!!
数日後に、サンキュウカイ会場で一堂に会して、杯を酌み交わす。
墨塗り教科書&ストーブの横に沢庵の弁当を置き温めた。現代社会は冷暖房機(電気)に電子レンジ
想えば同級生といえば、小学校6年間、中学校3年間と愉しみ苦しみ悩み喧嘩をして来た切っても切れない友達。
案内状を貰って以来、小中学校時代を総括してみよう、振り返ってみよう。
《サンキュウ会・ありがとう・感謝》・・・・・・・・・・を
何か形にまとめられないかと考えた。いまこの機会を逃してはチャンスがない。
益々老いていく。そんな気持ちが心を強く押した。
『冊子』を作ろう!!日増しに気持ちが作ることに高揚した。
≪次回は、「2、同窓会場にて」を記します≫
『サンキュウ会』とは
1、A組、B組、C組の3学級の会
サンキュウ会〔3級〕
2、昭和27年度卒業生なので3×9=27
サンキュウ会〔3×9〕
3、お互いに感謝の気持ちを忘れないで・・・
サンキュウ会〔感謝=サンキュウ〕
サンキュウ=有難う=感謝
同窓会場に行く途中・・・
植林した山が見えた
自分の足で歩くことに多くの発見があった。
学校林(赤丸)まで、およそ90分の道のり
植林する山(資料映像)
杉苗 道具
見事な杉林(資料映像)
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今日のメモ
♪ 「お山のすぎの子」
確か2番の歌詞は
「まるまる坊主の禿山はいつでもみんなの笑いもの~
♪これこれ杉の子起きなさい~♪・・・」だったと覚えている。
ただこの歌に乗って杉がたくさん植樹されていたとは思いもしなかった。
お山のすぎの子音楽が流れます。
終戦後すぐに学校を挙げて植林に取り組むことが計画された。
学校林は、埼玉と群馬県の県境の城峰山に近くにあった。
禿山に杉の苗木を植林することになった。
生徒たちは約90分の山に徒歩で現地に向かった。
山麓で杉の苗木が配られ手渡された長さ30cm程の杉苗をバックパックに
詰め込んで急斜面を登りながら、一本一本植え込んでいく。
急峻な山に慣れない生徒たちにとってはなかなかの重労働であった。
いまこうして学校の校庭近くからその山を眺めて、
学校行事とは言いながら良くやったものと当時を振り返った。
環境教育、イジメ、児童の健全育成などで
学校林がクローズアップされて来た。
「大ケヤ木」
元・中学校は幼稚園に・・・・
そして中学校は移転新築された。
元・木造小学校校舎は近代的校舎に新築され変貌した。
小学校「大ケヤ木」
①、所在地 吉田小学校校庭
②、推定樹齢 約800年〔伝承〕
③、幹周り 542cm ・主幹 542cm
④、樹高 15m 枝張り 16m 株立ち 4本
⑤、根元の状況 裸地
⑦、欠損度 小枝枯れ損、 頭頂部幹折れ
⑧、着生植物 あり
⑨、独特の呼称 吉小の大ケヤ木
⑩、故事伝承 なし
⑪、保護制度 天然記念物に指定〔市・町・村〕
⑫、特記事項 薬剤散布、施肥
(環境庁調べ)
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今日のメモ
昨日「還暦記念にケヤ木植樹」をupした。
実家から同窓会場に行く途中に
小学校・「大ケヤ木」は有る。
立ち寄った。
上の写真のように小学校、中学校は大きく発展的変貌を遂げていた。
大ケヤ木は、冬空に向かって雄雄しく凛とそびえていた。
近寄り天空を見上げた。
春には芽吹き、夏には新緑となって、秋は紅葉して
校庭一杯に落ち葉が舞った。
校長先生の話、朝礼のとき、ソフトボール、ドッチボール等など体操の時間、
突然のにわか雨、暑い時は緑陰として、雨のときは傘となって
見守ってくれた大ケヤ木。
空を見上げりゃ ケヤ木の枝が
雨の降る日は 傘になり
お前らいつかは 世の中の
傘になれよと 教えてくれた
ケヤ木の ケヤ木の心
忘れはしない
サンキュウ会・還暦記念植樹
サンキュウ会とは3クラス(組=級)の会。
有難う(thank you)と併せて名前が平成元年につけられた。
平成十年、4月に還暦を記念して、「道の駅」にケヤ木を植樹した。
後方の山は秩父連山
雄雄しく天空に育つ
記念碑とケヤ木
還暦記念碑
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今日のメモ
記念植樹のケヤ木は雄雄しく天空に向け成長していた。
何故ケヤ木を植えたかといえば、後日紹介しますが、
小学校の校庭に「大ケヤ木」が有ります。
夏は緑陰、ケヤ木の下で朝礼、体育、傘代り・・・・とわれわれの
一部始終を見守ってくれた。
そんなことから、2代目跡継ぎとして選定された。
ふるさとに帰るたびに、皆さんがその
記念樹の成長ぶりを見守るっている。
そして勇気を貰う
楽しい有意義な1日を過ごしました。
心の支えになりましたblogerの皆さんに感謝します。
出席者記念撮影
縄文人写す人
カラオケで盛り上がる
会場入り口
同窓会の関連が次回もつづきます。
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今日のメモ
心の隅にセピヤ色に焼きついていたフィルムが
時間と共に徐々に輝き出して話していく内にカラーに変わっていく。
「私、イジメられたのよ・・・・」とか、
「新任の先生を冷やかして授業にならなかった話・・・」、
「雨の日は、履物がなくて裸足で通学して行き、池で足を洗った、こと・・・・」
「弁当を新聞紙で隠しながら食べたこと・・・・・」
「女生徒の机の中から生理用品を持ち出して隠した事・・・・・」
等など・・・・話は尽きなかった。
幹事から、子供銀行の標語で縄文さんが
入選し運動靴を頂いた事が紹介された。
「貯金日は笑顔で通帳差し出そう」を紹介された時は、
当時を回想して心にジ~ンと来た。
話に花が咲いた。
同窓生120名 ・ 出席者26名・
(物故者17名)
生かされている 健康の有難さ
同窓会・残念、無念の決断。
と言う記事を書いた。
出席できることになった。
嬉しい・・。
職場に行き、世間ばなしのとき、同窓会の話が出た。
その話に加わった。
T氏は、「俺は正月ひまだから、行って来た方がいいよ・・・・。
代番を俺がやってやる」の言葉が飛び出た。
感謝、感謝。
朝な夕な眺めた両神山
秩父夜祭の話題も出るだろう・・・・(資料映像)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のメモ
『人類はみな兄弟』
人の心を分かって貰える人がいた。
私より年配の方が、
『懐かしいもんだよ・・・。同級生に会えるなんて・・・。又の機会と思っていたら、
それはいかんよ。欠席は別れのこと・・・」
と、プッシュしてくれた。
うれしかった。
T氏にお願いした。
早速関係向きに連絡を取った。
☆ ふるさとが 近くに見えたり 友の顔
正月3日が楽しみだ。