日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

子供たちから頂いた力水〔酒〕

2015年06月29日 | 総  日々是好日&出来事

父の日、プレゼント
         神前にお供えし、美味しく頂きました。

 


縄文人

・ 獺(かわうそ)に祭と書き「獺祭(だっさい)」と読むお酒があります。
一風変わった名前を持この日本酒は、山口県の岩国市周東町という小さな町から地酒。
日本酒ファンの間でかなり話題になっているお酒です

・ 茜霧島(あかねきりしま)、 
りを楽しむ芋焼酎”というコンセプトを掲げ、
南国を思わせるような“フルーティーな香り”を特長とする商品に仕上てありました。


それぞれに個性が有り美味しく頂きました。
これからも元気に健康の限り、働きたいと思います。

 

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少年院で行った「漢字を使った魂の授業」

2015年06月28日 | 報   NHKラジオ深夜便

お笑い芸人 ゴルゴ松本
「命」や「人生」について、魂(気迫)のこもった言葉

 

6月28日〔日〕、NHK・ラジオ深夜便≪明日への言葉≫
ゴルゴ松本が出演して放送された。

内容は、ゴルゴ松本が
少年院で行った「漢字を使った魂の授業」であった。

犯罪に手を染めてしまった少年たちと、しっかりと向き合い、
コミュニケーションをとりながら「命」や「人生」について、魂のこもった授業を行った。

漢字の意味と気迫に、とても感動した。

youtubeで検索したらヒットした。

画像をみながらで気迫のこもった講演に、とても感動し涙した。

少年院で行った「漢字を使った魂の授業」クリック

命について考える魂の授業を、是非ご覧ください。

きっとあなたの胸に響くはずです。

                                       〔ご存知の方にはご容赦下さい〕

 
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伝統工芸の最高峰 JR金沢駅

2015年06月27日 | 技術  道具・伝承・歴史

NHK深夜便≪明日への言葉≫を聞き
「百工比照」と書いて「ひゃっこうひしょう」と読むと言う

葛飾区にも数々の伝統工芸〔既報〕が有り 伝承されています。

ラジオ深夜便 ≪”工芸王国”の美と技の心を伝える≫

を聞いて、深く感銘した。

いま北陸新幹線金沢駅が興味津々、面白い、沸いている。  

陸新幹線の金沢・富山〜長野間が開業した。 

和の伝統美と最新技術の機能 美を搭載したw7系が走る北陸新幹線。 

そして北陸新幹線・金沢駅構内に施された伝統工芸が満ち溢れ、 

それは素晴しいと言う.

金沢に出かけたい心境に駆られた。


北陸新幹線金沢駅クリック日本の美ご覧下さい

 

 

............................................................................. 

下の画像は金沢駅と関係ありません。 

  

↑ 画像は、葛飾区伝統工芸展 より

 

 

 

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タブレット端末

2015年06月26日 | 紀  現場にアタック、何でも

観光バスのドライバー事情〔考〕
           端末機器を活用し道路情報の収集

 

端末機器の発達が激しい。

メーカーがあれやこれやと新製品を発売するので、とても着いていけない。

月に1~2回観光バスに乗車するので、端末機器と運転者考(考〕を見た。

 


携帯端末


道路経路、道路渋滞情報などインプットした。
サァ出発。秩父札所25番にて

 

席が最前列だったので、ドライバーの一部始終をウオッチングした。

タブレット端末の検索により道路事情、携帯電話により高速渋滞情報の収集を常に怠らない。

会社や、同僚〔各地に出向いているドライバー)から情報収集し、

心引き締め、
安全運転の励行に勤めていた。

  

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山梨・清里三社参り  その6

2015年06月24日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

ハイキングの〆は、お蕎麦

 そば処、清里 北甲斐亭の おそば。
 「樫山のそば」として栽培・収穫から粉挽き・そば打ちと
一貫して地元の方々が行っている そうです。
 この地区の方々は古くより蕎麦の栽培に関わってきた。

ハイキング途中にも、そば畑があちこちに青葉を茂らして成長していた。

総勢22名
おそばを食べて、ハイキングを締め括った。


看板裏手を葛ハイが行く

 ←クリック
玄関口右手に、混ぜる、これぬ、延ばす、切る。
しばらく見ていたら、お袋の蕎麦打ちと重ね合わせた。

 


そばを待つ葛ハイ員、もう少々お待ちください。
奥の座敷も埋め尽くされた。

 
皆で食べれば、美味しさが倍加する。

 

食べ終えて店を出ると待ち人あり
お待ちどうさまでし・・・・た、と店員さんが案内して入った。

 

 
皆さん満腹くリックを背負い、そば処を後にした。

 


バスの待つ駐車場へと階段を降りた。

 

清里は1875年(明治8年)に浅川村と樫山村の合併により誕生した清里村に由来し、

大字名は樫山だったが1964年(昭和39年)に「清里」に改めた。

清里、原点蕎麦を頂いた。

リーダー、お世話になりました。

 

 

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男料理/生野菜即席漬け

2015年06月23日 | 社  食   物

今は元気、Y夫腰通で2週間の入院
         ご飯と、力水のつまみ

 

5月に 2週間の入院した。

外食ばかりではと、オカズを作ったりチャアハンを炒めたり、


おそばを茹でたりで何とか凌ぎました。

その時のほんの一コマ。

 

           
    キャベツ              きゅうり、ニンジン


生姜を少々刻んで、味にアクセントを付けて


刻み上がりました、塩をまぶして・・・


ビニールの袋に入れてギューット押す、冷蔵庫に半日入れておけば出来上がり


チョイトさびいいが!?
喉を湿してから夕ご飯です。
炊き立てごとイースタント味噌汁が出来ています。

 

主婦の仕事の重要さ

台所に立てちて身に染み思う 

 

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山梨・清里三社参り  その5

2015年06月21日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

ホタルの里
ホタルも良し、足元をとうとうと流れる水源は何処から?
航空写真で見つけた  『水源地』


 

この辺は、谷と谷が合わさって出来た森、低湿地、水田、畑で谷地と呼ぶ。

山麓を縫うように走る、コンクリートの水路を見た。


きっとこの水路が肥沃な田畑を潤し、農家の人達に豊作の恵みを与える貴重な水と思った。


この足底の下を流れる水路、田畑への大動脈と直感した。


道路脇を流れる豊富な水、いったい何処から来るのだろう。

水源は!?


蛍の里が広がる谷地

 クリック
この水路に沢山の蛍が飛び交うと言う。
トンネル出口に、大正13年4月完工とある

 
これだけの水量が何処からどの様にして通水されているのかと、頭は廻る。


葛ハイの行く足元に水路あり

 


水の恵みに頼った畑作が・・・。


アヤメがとてもきれいに咲いていた。

 

土地改良区記念碑から読み取れる先人達


記念碑の長文から
先人達が長い年月・・・・書き出しの2行から、樫山地区の背景が読み取れました。


航空写真から歩いた道をたどる。
大門川から揚水し、山中に貯水池。きっと蛍の里の水は此処からの通水であろう。
水源地発見!!

  ー 黄色い線 → 歩いたコース
         ー 青色い線 → 樫山地区を潤す水路の

A  土地改良区記念碑位地

                1、出発点        2、権現神社           3、ほたるの里
                  4、日吉神社       5、風の三郎社          6、風きりの松散策路   
   
       7、そば処 北甲斐亭

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

やっぱり有った水源地(貯水池)。
ほたるの里トンネル口に、大正13年完工と刻んである。

「先人たちの、長年にわたり・・・・」の内容が、しっかりと読み取れた。


青線
部分の散策路を、
とうとうと流れる水は、農家の人にとって命に次ぐ大切な水路であろう。

 


  

清里と言えば周辺に広がる高原、八ヶ岳を観光地をイメージします。 

清里は1875年(明治8年)に浅川村と樫山村の合併により誕生した清里村に由来し、 

大字名は樫山だったが1964年(昭和39年)に「清里」に改めた。 

今回訪ねた三社参りは清里の原点で有ったと言います。 

良き所を探訪し、清里の昔を見せてもらいました。

 

 

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木炭自動車、バス

2015年06月21日 | 技術  道具・伝承・歴史

車体の後部から白い煙、やっとこさぁ~・・・・坂を上る
途中で降りて皆で押す・・・田舎のバス

 

  前回『松根油』をupしましたら、多くの方から関心を頂いた。
ブロガーからのコメントで、≪子供の時代に木炭車が街を走っている記憶があります≫
そこで、pc検索頼りに木炭自動車、バスをまとめました。

  木炭自動車の思い出

  バスもトラックも有りました。
エンジンが掛かるまの準備が大変。木材を燃やしガスを発生させる。
窯の中からモクモクと煙が舞い上がった。
それからしばらくして、エンジンを始動して走行に入る。

  木炭で何故車が動くかの原理は知り得ていない。


  バスの車掌さんが”発車オーライ”言ったはよいが、坂道でエンコして動かなくなる。
乗客は降車して、後ろや脇に群がって坂道を押し上げる。
こんなことは日常茶飯事でした。

        田舎のバス・中村メイコ


  木炭車トラックも。

木炭の窯を荷台の運転席の後方に設置され、煙をふかしながら走った。力は無かった。

 1920年代から1940年代にかけ、戦時体制にあって正規の液体燃料(ガソリン、軽油など)の供給事情が悪化して国々で広範に用いられ、多くの人達の目に映った。 


    木炭車 昭和12年頃
 
  
                         宮城(皇居)に入る木炭バス(1941年)

  昭和12年日華事変が勃発し、石油の輸入制限が厳しくなりました。
市営バスでは、同年秋頃からガソリンの入手が困難になることを見越し、代用燃料車として木炭自動車の採用を研究していました。

  昭和13年になると、バスに対するガソリン配給割当は激減し、木炭自動車を本格的に採用せざらるを得なくなりました。

 

  木炭貨物車

 ←クリック
運転席後ろに設置されていた木炭窯

                                     ↑ の画像は、「ウイキペティヤ百科」、「昭和は遠く」から出典

 

    youtubeによるバスの始動準備から発進まで

     木炭自動車 エンジン始動準備1

     木炭自動車 エンジン始動準備3

     木炭自動車 エンジン始動準備4

        

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山梨・清里三社参り  その4

2015年06月19日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

根油採取跡、
資源の乏しい日本、
負けられません勝つまでは!!!!!!』

私は見た、小学校1年生の頃。
道端(空き地等)に沢山の松の根がゴロゴロ積み上げられ、なぜ根っこなどを掘るのだろう???
それは軍国主義(政府)、最後のアガキだったのであろう。
松の根っこから、飛行機を飛ばす。


歴然と残っていた松根油採取跡 清里にて
抜根のため窪んでいた


松を切り倒し、並べられた風倒木、葛ハイは行く。


戦争当時であったら非国民と・・・・
松の幹上に採取してきた、篠竹の筍をそっと置く


山中で年老いた男性に出会った。
赤松林・ハイキング道の草刈をしていた。
きっと≪松根油、抜根≫の生き証人であろう。

現在は、赤松防風林として、

その当時を知る由もなく、爽やかな風が松葉の葉音と共に吹き抜けていた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

参考資料 

松根油・赤とんぼクリック

↓ 下記の画像は、他のHPからお借りしたものです。


牛車で松の根を運ぶ風景
 
手前は松の根を積み上げた場所

 

 松の根を切り刻み油を絞る前の段取り

 

山と積まれた松の根っこは、

どのようになったかは終戦のドサクサ、幼かったので知り得ない。

松の油で飛行機を飛ばす。

今国会で安保法案が審議中。
どう向き合うか、しっかりと見守りたい。
もう、戦争はいやだ!!

 

 

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山梨・清里三社参り  その3

2015年06月18日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 印象深く目にした茅葺屋根の廃家向井潤吉の世界

 

戦後の高度経済成長により次第に伝統的家屋が失われた。

潤吉は全国を巡り古い藁葺き屋根の家屋を描き続けた。資料や潤吉自身の言葉から推定すると

描き残した民家は1000軒を超え、油彩による民家作品は2000点にも及ぶとされる。

その茅葺屋根 を清里に見た。

 


屋敷の後方に樹林(防風林)を廃止、強風から守る
左上、電柱の上『風切りの松』


上に同じ家屋


目を凝視すると、物干し竿、ポリピンチハンガーが、庭先に有る。
見ていて現場離れ難し!!

 


自動車が行き来するすぐ土手の上に鎮座・・・・

屋根を葺き替えるのは、自分の家だけではとても出来ない。

幼き頃、部落総出の葺き替え作業を見た。


屋根の葺き替え作業。←クリック

 


茅葺屋根の廃家、↑ 4枚
家屋は人が住まなくなると急にもろくなる。


近くには立派な、黒光り屋根の家屋があちこちに並ぶ

 

茅葺屋根の佇まいを数件見た。

都会の人は早く壊して!!という早計な考えかもしれないが、

 これに居を構え、生活した者にとっては、壊すというのは偲びがたいのであろう。

生活の一部始終が詰まっていて・・・・。

それとも故郷を離れしまった人の家か、想いは廻る!?

 

 

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