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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

散歩で見かけた 潜水夫 3の1

2019年01月31日 | 紀  現場にアタック、何でも

中川左岸
テラス工事後の完工水中検査か!?

 

 


高砂橋が見えます。
ここカメラを向けているところは、三角公園でサクラが綺麗です。


潜水夫の作業用意・・・・!!


水中へ飛び込みました、作業開始です。


責任者であろう手前の人が、船上に向かって指示してます。

 
手前のコンクリートが新設された中川左岸テラス。
暖かい時は水辺の散歩が出来ます。


 作業終了です。潜水夫がコンクリートの陰に見えました。


中川奥戸展望デッキ付近の完成なったテラスの様子。

 

 1965年ころから1970年のいざなぎ景気の頃は、

工場排水下水道の不備で河川に汚水をたれ流しいたのが多かった。

したがって、総武線で隅田川を渡るとき、

窓を開けておくと、隅田川を渡る時匂いがプ~ンとして不快を感じた。

汚れた河川も綺麗になり、水の透明度が増した。

新設成った、コンクリートテラスを散策するのが楽しみです。

 

 

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若草山の山焼

2019年01月30日 | 文学  かめの会・季語のある風景

2月の兼題・『末黒野(すぐろの)』➡ (焼野・焼け原・本黒)

 

==早春に枯れ木や枯れ草を焼いた後が黒く残っているのを言う。
野焼きは芽立ちを促したり、焼いた後の灰が肥料となってよい良い草を得るためである。
病害虫の駆除にもなる
==

 

 

 

 古都に春の訪れを告げる若草山の山焼きが26日夜、奈良市であった。
ふもとの奈良公園周辺には約17万人(奈良県発表)が集まり、冬枯れの山肌に
広がる幻想的な炎に見入った。

 


 若草山山焼
2019若草山の山焼,若草山公園管理事務所の画像をお借りした。

 

        宿題の5句を作ってみました。
       作句に当たっては、少年時代(秩父〉の田圃のあぜ道の
        野焼きの思い出があります。

       そのむかしの原風景を思い出しながら……、老年子供に帰る。

 

     1、明後日野焼き回覧走り書き 
            
             
に回る回覧板。その頃は隣組と言っていた。
                   有線放送も、電話もなかった。

       2、風しずか部落総出の野焼きかな 

           田圃のあぜ道を野焼きした。害虫も天に召されて万々歳。
                 豊作間違いなしと…民は喜んだ。

       3、末黒野や若芽顔出す十日過ぎ           

           10日位すると、黒く焼かれた後にポツリポツリ緑らしきものが見える。
                  春の勢い、若芽です。

         4、古都奈良の燃え立つ赤し山を焼く 

           27日の朝刊に、若草山の山焼が写真入りで載っていた。
                  これを詠みました

       5、野焼きする秩父盆地に煙り立つ

                  
秩父は周りが山々、いわゆる秩父盆地です。
                 耕地()毎に、川を挟んで谷地で野焼きが行われる。
                   煙たなびく。末黒野という程でなく田圃のあぜ道でした。

 

 

 

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寂しい庭の冬花

2019年01月29日 | 自然  環境・自然・四季

 あまたの姿を持つ
               春を告げる花

 

 

春を感じるのは、どの様な瞬間であろう。

暖かい風に触れたとき、旬のものを食べたとき。

花もその一つ。可愛らしい姿や匂い。そんなあまたの姿の花が、

新たな季節の訪れを知らせてくれる。 

 


水  仙


花というより灌木、シャリンバイ


玄関を彩る花花


高砂ユリも元気がない


  枯れかかった菊

 
チュウリップの芽
大小45~50球根を植えた。枯野で唯一愉しみは
花が咲いてくれること。

 

砂利を踏む乏しい花や冬の庭   (縄)

 

 

今日のメモ
昭和基地開設記念日(/1/29)

    1957(昭和32)年のこの日、日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設した。

この年から翌年にかけては「国際地球観測年」で、南極大陸には日本を始め12か国による観測網が敷かれた。

 高校生の頃、自転車で通学時友だちと、「南極へ基地が出来るんだって・・・」と、k君と話したことが鮮明に蘇ってきた。

 

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むかしはジャン~ジャン(半鐘)、今は119番

2019年01月28日 | 社  歴史考察

 時代は、常に進化する。

 

 

鐘(半鐘)の下を通り掛かり、ふと考えた。
何の鐘だろう?管理している人は?こんな所に?何のために?半鐘でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
クリック拡大

半鐘から視線を下におろしながら見ると、小さい板塀に黒字で
「第7分団 資材置き場」と看板が出ていた。あぁ・・・そうだったのか・・・と、納得した。

そうなんです。ほとんど見かけなくなった半鐘。櫓から切り離されて
資材置き場の軒先に掛けられていたのです。
屋内には消防ポンプやホースが格納されていた。


目覚しい通信機器の進化・発達で(デジタル社会、119番、110番等)一変した。
   





高砂調で見かけた火の見櫓、半鐘、サイレン。

 


都下、日野市内で見かけたサイレンの櫓

 

 この鐘を是非お聞き下さい半鐘・サイレン 
半世紀前の時代に還れました。

 

↑ 故郷、秩父市上吉田
   県道71号線の正膳寺参道標石から北へ50m、高齢者生産活動センターの西側。
   これは火の見櫓の屋根だろう

 


↑ ふるさと秩父市下吉田
   秩父市消防団吉田分署の敷地内、県道283号線の脇。ここは下吉田村戸長役場跡である。


   

 

 

 

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石焼き芋

2019年01月27日 | 社  食   物

 石焼き芋、現代は電気窯で焼き上げる

 

 

何故か、冬は“焼いも”が美味しい。

縄文人も時々、電子レンジで作って食べます。

スーパー食品売り場の入り口が賑わっていた。何だろうかと首を突っ込むと、

電気式焼き芋製造機でした。時代は進歩した。

現役時代、焼き芋1本持って飲み屋の暖簾を潜る。ママさんのサービスが断然に違った。

 

 

 


スーパーヨーカ堂の店頭で電気式で焼いていた芋焼機。
21世紀の焼き芋製造機。


千葉県船橋駅前にて


港区東京タワー下付近にて


あまり見かけなくなったリヤカーの焼き芋屋さん、小岩駅前で


奥戸天祖神社で、わら屑を燃やし、そこで焼き芋を作ってくれた。


2005、10に行われたしめ縄作りのとき。

 

小岩駅に用事があり出かけると焼き芋屋さんに出会った。

懐かしきかなリヤカーでした。

そんなことから前の画像をかき集めて、UPした。

 

 

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柴又七福神めぐり

2019年01月26日 | 紀  郷土博物館 葛探団

柴又七福神巡りで学ぶ葛飾の正月と文化

葛飾区民の参加者 & 案内=葛飾探検団員、コラボ

 

 

 

 



  企画展(葛飾区郷土と天文博物館)家内安全、商売繁盛~厄除けと承服の縁起物」にちなんで柴又7福神を巡り江戸時代から続く民間信仰の歴史を学びます。

日時・1月20日、AM9,30~正午

集合/京成高砂駅。解散/新柴又駅。

参加者/葛飾区民参加者20名/葛飾探検団。

◎     葛飾探検団員の会長を中心として、現場説明の高田氏が各寺で縁起やエピソードを
楽しくユーモアを交えながら語られ説明された。
 40余名の大勢の為に交差点での交通事故防止のために交通整理を行い、事故の無いように努めました。

                   
 30年12,5号「かつしか]広報掲載された案内

柴又7福神とは
 柴又七福神とは、寅さんで有名な東京の葛飾柴又周辺にある7つの寺院を巡るものです。
都内の殆どが七福神巡りがお寺と神社の両方を巡ることが多いのですが、柴又七福神巡りは、
すべてがお寺です。
下町の風景・風情を楽しみながら巡り、散歩感覚で回ることができました。

 

1、京成 高砂駅集合

 博物館・堀学芸員の挨拶に始まり、葛飾探検団会長の寺島氏、現場進行役の中島氏からの諸注意が
あり7福神を目指して出発です。
(葛飾TV/j・comさんが帯同し七福神巡り一部始終を撮影)


高砂駅
一般参加者&葛飾探検団


京成高砂駅駅から➡新柴又駅解散

 

2、寿老人(観蔵寺) 天祖神社境内を抜け 


天祖神社境内を抜けて

 

 
珍しき火の見櫓発見、 昔は火の見櫓に半鐘、現在119番


懐かしきかな火の見櫓

 
天祖神社本殿の造り

  寿老人縁起
  杖を突き長い顔が寿老人。長寿延命の神様です。
探検団員の説明員、高田さんの古きを交えながら、寿老人について説明された。
高田氏は根っからの葛飾人で、子供のころとは環境が全く変わってしまいましたと
現在の道路事情や住環境を、驚きの声で説明されていた。


     

一般参加者Aさんの話(参加の動機

 私は(女性)、鹿児島出身で東京に住んで13年、そのうちの3年葛飾・金町に住んでいます。
葛飾は寅さんで有名、そして大きな川を配して、人情が厚い下町です。
自宅と勤め先の往復だけで、人情のまち葛飾をもうちょいと知りたく、そんな動機で参加しました。
これから先、まだまだ葛飾にお世話に成るのでよろしくお願いします。 


この道路は水道道路です。柴又2丁目付近。
真っ直ぐで全く曲りがないです。金町浄水場から、都心への水道本管が埋設されています。


柴又八幡神社。
前方後円墳遺跡があります。毎年10月に獅子舞が行われます

3、布袋尊(良寛寺)

 復路を携え笑っている布袋尊、総てを抱擁する、和合の神様。

 
良寛寺布袋様   

 
人の考え方が、世間の浮き沈みを左右するものです。

 
京成柴又線、かって柴又参拝の人力車列車が通っていた。

 
都民の水がめ金町浄水場です。

             

 

4、 弁財天(真勝院)

 




鐘楼と無縁仏

 

5、題経寺(毘沙門天)

 正月20日とあって、帝釈天参道境内は沢山の人出でした。
高田さんの説明によれば、庚申は仕事を終え夕方から提灯を付けて詣でる人が多かったと、
幼少期を思い出すように語っていた

 
帝釈天に向かう参加者&探検団員

 
帝釈天境内にて高田さんの説明。 

 
   読経寺境内の手水処。
東に江戸川が流れているためにこの地は地下水が高いです。


門前参道にて


庚申日に帝釈天に向かう、むかしの姿。
提灯をぶら下げて向かう姿が印象的です。

 

6、 万福寺(福禄寿)

 この寺が7福神の中で最も新しい寺院です。かっては此処は高台(標高差10m程)ありました。その山の天辺を中心として、四国霊場88ヶ所の、石碑が沢山あり、四国まで行かなくてもここでお参りが出来たそうです。当時はそれだけ巡礼が盛んであったようです。
 しかしいつの間にか山が平地になり御寺さんが建立されていました。


万福寺境内
建物の白壁にカメラがあります。
このカメラは唯一葛飾区内のライブカメラ(中継)・≪黄色丸≫だそうです。
(葛飾・万福寺・ライブ検索)

 

7、大黒天(宝生院)


水仙が庭一杯咲き乱れていた。

 

  浅間山噴火川流溺死者供養碑
  天明3年(江戸時代)の浅間山の大噴火は関東一円に大きな被害を出しましたが、溺死者が江戸の柴又まで流れてきて供養したことは知りませんでした。歴史の重さを感じました


浅間山噴火川流溺死者供養碑の説明

8、 恵比寿天(医王寺)

  縁起
  
右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱えている。
猟衣姿の、恵比寿天は古来日本の神様で、航海や魚業の神様です。
現在は商売繁盛も司ります。

                医王院山門

 
柴又七福神朱印帳

 


無事終了の挨拶

 

一般参加者、区民からの声
 ① 説明員の方が、昔と現在を対比しながら話されたのが、とても良かったです。
  この辺はそんな景色だったのかと風景を思い出しながら聴きました。
 ② ゆったりと時間を掛けて歩いたので、年寄りにも安心して付いて行くことが出来ました。
  有難うございました…と、感謝の言葉を述べていた。
 

  お腹も空いて来た、終点の医王院です。
ゆったり歩いたので所要時間2,30分、約7,000歩の歩程でした。
天気良し、寒くもなく絶好の七福神巡りでした。皆さんお疲れさんでした。   (完)

 

OPEN

 

 

この記事は葛blog&飾探検団機関紙と併用しています。

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夜明けの月は足早で、南の空へ立ち去って行く・・・・。

2019年01月25日 | 自然  環境・自然・四季

 2日前の時は、あそこの屋根の上(満月)
      今朝は、桜の木の上・・に・。

 

 

あまりにも月の動きが激しい、そして真ん丸!

隣でラジオ体操している人に聞いた。

Aさん「そうなのよね!?昨日と今日、3日前と位置が全く違うの・・・・・」
kさん「体操している真上に満月。今日は桜の木の上…???」

     あまりにも、月の動きが激しいので今朝は画像に収めた。

その原理をあちこち調べたが・・・・。

ブロ友の「ドンこさん』も、スパームーンをUPしていた。

少し月に対して手掛かりを得た。

 

 


朝のラジオ体操風景


1月24日撮影

 

 


ラジオ体操会場の公園から見た月の動き
今朝(1/25)の月は、かなり左にづズレて見えた。


ラジオ体操会場から離れたからの月(6時45分撮影)、黄色丸ラジオ体操場所

 

 ブロ友の、どんこさんが素晴らしいスーパー文をupしています。
是非ご覧ください。 ここです

 

 コメ欄今日はお休みです。

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新聞小説、サブノート、その1

2019年01月24日 | 総  未分類

 

 ◎ 小説 「業平・なりひら」・サブノート 

 読み始めたはよいが、奈良・平安時代の宮中の雅な生活。
建物にも特殊語彙や言葉使い、会話にも難しい言葉が使用されている。

此れでは内容を理解するのは至難の業、平家物語はほんのさわりだけ勉強した。
したがって、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。

 


伊勢物語に至っては、
昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、辛うじて
盗み出でて、いと暗きに来けり。……全くチンプンカンプン。

 

これでは如何と調べて書き出しメモした。
語彙を≪業平・サブノート≫

にしてみました。 

 

   作家・高樹のぶ子とは 
  高樹氏は、1946年山口県生まれ。84年「光抱く友よ」で芥川賞を受賞しました。
成熟した男女の性愛をテーマにした物語や自伝的小説、文化的なミステリーなど幅広く執筆し、
感情の機微を精巧に描く作品が高く評価されています。
 今年、文化功労者に選ばれました。 


 

小説・伊勢物語 「業平・なりひら」ーー メモから

1、【初冠】・・ういこうかぶり
 日本古代に起った男子の成人儀礼で,元服の中心をなす儀式。官職位階によって区別されたを初めてつける礼。武家社会では冠の代りに烏帽子 (えぼし) を用いた。

         

 

2、【路銀】ろぎん

 類語。旅に必要な金銭。旅費。

                                       

 

3、【千切】ちぎり

  千切とは?歴史民俗用語。
読み方:チギリ(chigiri)(1)木や石などをつなぎあわせるときに用いるもの。
(2)機織具の一部分名。

                        

 

4、短 歌

         ◎     春日野の若紫のすり着

                    しのぶのみだれかぎり知らざる

分かり易く

世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
(よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり)

という歌で教科書にも掲載される有名なうただそうです。


現代語に訳せば
   現世を実に空しいものだと悟った今だからこそなのか いよいよまことにつらく悲しみが込み上げてくることだ 。となります。
  「余能奈可波」は「世の中」で別の言葉にすると≪浮き世 俗世間 娑婆(しゃば) 現世 生きて暮らしていく場≫と表すことができます。 



5、【忍摺り・信夫摺り】しのぶ-ずり

  「摺(す)り衣(ごろも)」の一種。石の上に布を置き、「忍草(しのぶぐさ)」の葉・茎を摺(す)りつけて乱れた模様を出したものという。
一説に、陸奥(むつ)の国の信夫(しのぶ)郡(=今の福島市一帯)に産する織物の模様ともいう。
「忍(しのぶ)」「忍綟摺(しのぶもぢず)り」とも。                                                                                              

                                                                              

6、【三日夜餅】 みかよのもちい

  婚嫁(こんか)の際に行われた儀式の一つ。平安時代、貴族社会において主流を占めたいわゆる婿取り婚の婚儀では、結婚の開始から、毎夜男は女のもとへ通うのであるが、普通三日目の夜に餅(もち)を婿に供することが行われた。本来これは露顕(ところあらわし)の儀と一体のもので、その本質は、自家の女性の寝所に忍んで通う男を、その現場でとらえ、自家の火で調理した餅を食べさせることで同族化してしまうという婿捕(むことら)えの呪術(じゅじゅつ)の儀式化といえる。
                                                           

      
衾(ふすま)=掛け布団…この時代には
正方形と直垂(ひたたれ)型のふたつの形が
ありました。

 

7、【妻戸】つま-ど

  寝殿造りで、建物の四隅(よすみ)に設けた外側に開く両開きの板戸。
掛け金でとめる仕組みになっている。    
一般に両開きの板戸。◆端(つま)に設けた戸の意。

           
                                                                            本蔵妻戸奈瀬

 

 

18回までですが、多くの語彙・言葉に出会いました。
あまり多いと億劫になります、割愛しました。
また次の機会に、譲ります。

『 出典。
               ウイキペディア・フリー百科事典から』

 

 

OPENしています。
チョイと長い文章です。

古典に興味の方は、是非お読みください。

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菜園のMさん&Kさん

2019年01月23日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

懇意(ポン友)のお二人さん

M、Kさんはいつも一緒、深く静かに潜行する
 クリック下さい。
むかしのネタが次から次へと飛び出してきます。

 

今日は静かで良いあんばいですね・・・!

何か楽しそうに作業しているので、写真撮ってもいいですか、・・・と、声を掛けた。

「イイともさぁ~…。俺らぁ間もなくあの世に行くだけださぁ~!

幾らでも、撮ってくれ」元気な声が返ってきた。

元気な作業風景を撮らせてもらった。


Mさんは87才、だいぶ耳が遠い、Kさんは82才元気バリバリ、迷コンビ。


里芋と、ニンジンを掘り洗ったところ。帰りに持参する。


ほうれん草を袋に詰めて・・・・


里芋のひげ取り


今年はあまり出来が良くない、雨が少なかった・・・・との言。


野菜を鳥たちにいたずらされるので、周囲を網で囲う。

以前も撮らせてもらいました。

美味しそうにおにぎりを食べているところです。チョイト一休み 

 

≪今日のメモ≫

   八甲田山の日

1902年のこの日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した。

冬の八甲田山は本来は冬の重装備が必要だったが、指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始した。

猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労の為に遭難した。

 

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港区を歩く  NO7 (完)

2019年01月22日 | 総  未分類

愛宕山・NHK放送センター見学(再々)


 

NHK放送博物館は、1956年に、世界最初の

放送専門のミュージアムとして、“放送のふるさと”愛宕山に開館しました。

日本の放送が始まってから90余年、放送は、ラジオからテレビへ、

さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと

大きく進歩・発展してきました。

放送博物館では、こうした放送の歴史に

関するさまざまな実物展示があり、放送の原点です。

 

NHKのアナウンサーが優秀な人たちとは、解っていたが、
ニュース報道の原稿読み、これで了解
 です。

ニュース スタジオ現場に密着

 

  
NHK放送博物館の外観

               


沢山のキャラクターが迎えてくれました。


① ニュースの原稿が、デスクの上に在ります。


② デスクの上のカメラが、原稿を覗き込み映しています。


③ アナウンサーの前にあるモニターに映し出される。
此のモニターを見て、下を見なくて済むのです。

 


①原稿と③モニターに位置関係


④ お天気おネイサンの現場

 
⑤音声、ミキサー


像がどのように写されて、
ニュースキャスターが目にするかの方式です。

スタジオ内の全体です。

 


ニュースはこのような、多くの人達によって電波になり送り出されます。
↑ の画像や文は、単なる放送の仕組みです。

 

切り口変えて裏から覗く

* ニュースは実況中継やら、現場で取材した汗の結晶から生まれてきたものが
原稿となり報道される。

NHKを辞めた森友スクープ記者が本を出版! 
相澤氏は初の著書『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』
(文藝春秋)を出版 渾身のノンフィクションだ!】

ニュースの裏面(真相)は知りましたが、この本は読んでいません。
相沢氏が辞めなければならなかった理由、本を出版しなければならなか訳、この裏には
大きな問題が、
横たわっていたのでしょう。

 

 

open・開けています。 

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