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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

千曲市・稲荷山宿を訪ねる  5/5

2012年12月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

武水宮神社を訪ねる

 

”千曲市・稲荷山宿を訪ねる” シリーズで
最後に選んだのが
祭りの
武水別神社。
「たけみずわけ」と読むが、本によっては「たけみくまり」ともある。
千曲川の水神を祀ったものだろう。

木曾義仲が、横田河原の合戦の戦勝祈願をし、勝利のお礼に水田を奉納の
神社を訪ねた。


雪ある武水宮神社

都合により
しばらくの間、眼の静養に努めます。
また再開した際は、よろしくお願いします。

 

デジブック
『長野 武水別神社 』

 

 

 

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神社&仏閣

2012年12月22日 | 宗  神社・仏閣・著名な建物

鳥居はなぜ赤い・・・?


↑ いずれも千曲市・武水別神社にて

 

仕事場で、神社や仏閣の話になった。
参拝の仕方、神社の系統は、神社の元祖は、稲荷神社はなぜ朱色・など様々な事が。

が、しかしこの道に造詣の深い人が居ないため、宿題になった。
年の暮れも押し迫り、間もなく新年を向かえ初詣に出かける。

初詣の本来の参拝先は、神社か、仏閣か・・
!!??

難しいことはさておき、本殿の前での手の合わせ方をおさらいしておこう。

 

参拝の仕方
神社と寺ではどのように違う

 

 

             

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千曲市・稲荷山宿を訪ねる  5/4

2012年12月20日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

千 曲 川

川 天を映して青き
                    流れて水清し 千曲川


「千曲川旅情の歌」    
            -落梅集より-
                             島崎藤村

昨日またかくてありけり  今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪  明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の 消え残る谷に下りて
    河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き帰る

以下・・・・・略

                                          
千曲川流域と護岸工事

 


温泉の建物と黄色い円が、栄枯の夢を残す荒砥城跡です

  


この流れを舟の往来が有り、あちこちに船着場が設けられた

 

千曲川と水運

稲荷山宿は
明治以降は生糸と絹織物の商いの町として栄えた。

平地にあったことと、善光寺街道、北国街道が近くにあったこと、そして千曲川の水運が
活用できたため、「物資の集積地」として、商人の集まる町となり、発展していった。

現在の千曲川を見たとき、とても水運ということは考えられない。

 

文献から見た千曲川水系の水運   
                     
川崎 保(長野県立歴史館)による

▲ 水運

(1)木流し

善光寺造営材 元禄年間(17世紀末)千曲川:南佐久~村山。

(2)江戸時代の通船 

千曲川 太左衛門船・安永年間(18世紀後葉)西大滝~福島(ふくじま)、
松代藩川船・文政年間(19世紀前葉)松代~飯山、厚連(こうれん)船 天保年間(19世紀中葉) 

(3)明治時代の通船 

千曲川 上田会社(上田~戸倉)、西寺尾会社(戸倉~福島)、
 

▲ 何を運搬したか、何が入ってきたか。

・ 海産物や海の文化(栃原岩陰:海産貝の装身具、長野市宮崎遺跡:サメ椎骨耳飾、) 

・ 木材 栗林遺跡。水さらし場のクリの巨木。
   そのほか多数。

 

現代の千曲川は、護岸工事や砂防工事で
舟の通運していたのかと予想も付かないが、
水運のためあちこちに船着場が設けられていた・・、と記されています。

*今日もコメ欄は締めています。

 

 

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故郷の”香り”

2012年12月20日 | 紀  秩父のあっちこっち

田舎味噌&そば粉が送られて来た


耕地()の人達が、集まって作ったと言う。

何十年ぶり・・・だろう?

送られて来た味噌に目を注ぐ。

全く混じりけのない、田舎純正・農家人の手作り。
畑で採れた大豆と米麹と塩で仕上げた、むかしのその物でした。


秩父いちごの空き箱に入った、
故郷の香りが、ぷ~んと漂う味噌が郷愁を誘い、山や川を連想しつつ
頂く事にしよう。

味噌作りの思い出

 幼少期、小屋の片隅に大きな竈があった。
昔から伝わる土作りの竈である
竈に大きな釜を掛け中に大豆を入れ、釜下で薪を焚き軟らかくなるまで煮た。

煮えた大豆を臼にいれてよく練って細かくし、米麹と塩を混ぜて樽に仕込んだ。
樽を味噌小屋の冷暗所で、1年ほど寝かしてジックリ熟成させた。

現代は、こんな大掛かりな味噌つくりはしないだろうが、帰郷の折に手法を聞いてみたい。

そば粉は、蕎麦ガキにして頂くと、新そばの味がして
ほのかに鼻をくすぐる。

早速お礼の電話をした。

 

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千曲市・稲荷山宿を訪ねる  5/3

2012年12月19日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

北國街道の面影が残る、蔵町を歩く

 

”蔵し館”を見学し後、北國街道の面影が残る、蔵町を歩く

善光寺地震では稲荷山宿も大火となり、
その教訓をもとに、今に残る防火・耐火に優れた土蔵の町となる。
 

細い路地や裏道に並ぶ蔵々や黒い大屋根、白壁の豪壮な町家が当時の富を伝えている。 

 


”蔵し館”のなまこ壁の蔵

 


 
飯縄稲荷神社に向う坂道

 


飯縄稲荷神社参道登り口にて、この入り口の下にが北國西街道が走る

 

 


松木家の門


黒い大屋根、白壁の豪壮な町家が当時の富を伝えている。
しかし、 傷みが酷く倒壊寸前のものもあちこちに有る。
価値ある文化財として千曲市の早急な保護を願ってやまない。
ここ松木家の問構えは、それは重厚一目見ただけですごいなぁ~・・と誰もが見入る。
傷みが激しいので、今にも倒れそう・・・あえて取り上げました。


 

デジブック
『稲荷山宿、蔵町を歩く』

時間の許す方は、ご覧ください
途中でストップする方は、右クリックすると右上に×が現れます
これを押すといつでもストップします。


 

 

 

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陰と陽

2012年12月18日 | 紀  現場にアタック、何でも

 レンズに傷・・・・・・・が

そうなんです。
木の横に斑点・・が!!

レンズが痛んでしまった・・買わなくてはと思いつつ・・・使用しています。
もうしばらくご勘弁を・・・

 

 

 

陰有りて陽あり。陽ありて陰あり。


陰あるところに必ず陽あり。陽あるところに必ず陰あり。


陰と言えば陽を考え、陽と言えば陰を考える。
 
人生苦あれば楽あり。

 

コメ欄は閉じています。 

 

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捨てる!捨てない

2012年12月16日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 ビニール傘

安くて軽くて便利
急速に普及したが最近は、ややアキが来たのか・・・・・。
布製のカラフルな傘が多い。
しかし各家庭にも3~5本は玄関の軒先にあるのが普通です。
骨が折れた、曲がった、少々破れた。
しかし、まだまだビニール傘は、庶民の右手に健在です。

 


傘の数20本以上・・・

 


単身者宅


捨てられたビニール傘

 

☆ 神宮は梅雨でもないのに傘の雨

ビニール傘の値段  卸価格 

ヒヤ~ ¥77円だって・・・・卸

 

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千曲市・稲荷山宿を訪ねる 5/2

2012年12月14日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

蔵の町をウオーキング(今年最終の旅) 

善光寺道(北国西街道)の宿場町として栄えた稲荷山
善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物の商いの町として栄えた

平地にあったことと、善光寺街道、北国街道が近くにあったこと、そして千曲川の水運が
活用できたため、「物資の集積地」として、商人の集まる町となり、発展していった。

 弘化4年(1847)の善光寺地震では、長野だけではなく稲荷山宿でも大火となった。

この災害を教訓にできあがったのが今に残る防火・耐火に優れた土蔵の町です。
宿場町として栄えた財カが、こうした町をつくりあげる原動力になったのだろう。

近くに、あんずの郷、姨捨山の棚田、戸倉山田温泉郷があります。



千曲市観光協会の地図をお借りしました


武田氏滅亡後の天正11年(1583)、この地を占領した上杉景勝により、
稲荷山に城が造られた。
城は城郭のない砦のようなもので、東は千曲川に接し、約5町四方(約550メートル)
あったといわれる。

 

デジブック
最初の一歩

『稲荷山宿・蔵し館』

 

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バスの中で・・・・・・・5/1

2012年12月14日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

柚子を貰う

葛ハイ一行41名が、長野・千曲市に向うバスの中・・・。
Eさんからの差し入れです、と言いながらリーダーが配った。
黄金色に輝くみずみずしい柚子を、皆さんにいただいた。

冬至にお使いください・・・との気づかいあろう。
車中、柚子の香が漂った。

リーダーからによると、自宅の庭に一杯生ったということです。
Eさんありがとう御座います。

☆ バスの中朝陽射しわたり柚子の香 

 

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ヒヨドリ鳴きて・・・

2012年12月12日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

宮崎高千穂・夜神楽の旅を・・思い出す

20数年前になろうか。
夜を徹してお神楽催うされるというので、旅館から神社へバスで出向いた。
宮崎・高千穂峡のあちこちの柿が熟す12月でした。


五ヶ瀬川を挟んだ向こう岸には、のどかな田園風景が広がっていた。
畑には冬野菜、取り巻く畦道は草紅葉となり、川は蛇行しながら流れていた。
バスは曲がり道をゆっくり通り過ぎようとしたとき、
柿を食べるヒヨ鳥の鳴き声が、キイ~キイ~感高く、降るように聞こえてきた。

 


長野県から来たという中年の夫婦が、隣に座っていた。
世間話の合間に、ふと漏らした。
「ヒヨ鳥の鳴き声、どうも不吉に感じます。
キイ~・・キイ~・・と感高く、気持ちを揺るがし、心を突き刺すようでなりません」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒヨ鳥の鳴き声に深い想いと何らかの出来事を重ね合わせたので有ろうかと推察したが、
それ以上に尋ねることはできなかった、

 

山国育ち、百舌鳥の鳴き声は時に触れ聞いていた。
熟れた柿をつつきながら青い空に響き渡るように、聞いたものでした。
柿を食べて、オイシィ~、オイシィ~と鳥の囁き、お喋りをしているものとばかり思っていた。
なるほど人それそれ、感じ方の妙を得てるとも思い、
あの時の会話がいまでも鮮明に蘇る。

 

☆ 百舌鳥の声 心掻き消す 末え淋し

 ☆ 百舌鳥鳴きて 夜神楽(高千穂)の旅 バスの中

 

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