筑波大学硬式野球部のブログ

筑波大学硬式野球部公式HP http://club.taiiku.tsukuba.ac.jp/baseball/

ラストシーズンに懸ける想い⑤(体育4・熊倉智也/新潟、体育4・古東咲也/鵡川)

2022年08月14日 06時42分08秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 


 第4回は熊倉智也(体育4・新潟)と古東咲也(体育4・鵡川)です。
 

 

いつも筑波大学硬式野球部の応援ありがとうございます。

 

4年の熊倉智也です。

 

私自身の野球人生の最後のシーズンが近づいてきました。

 

文章を書くことが苦手で読みにくい文章になるかと思いますが、読んでいただけると嬉しいです。

 

高校野球で後悔があり、悔いなく野球人生を終えたいという思いからこの野球部に入部しました。

 

けがによる手術を決断した1年の冬、自分がチームに貢献するためにサイドスローに転向した3年の春。

 

自分にとって苦しいことばかりの4年間だったように思います。

 

 

その中で1番自分が大事だと感じたのは「自分を知る」ことです。

 

けがの原因となってしまったコンディショニングを改めて見直すこと、自分が投手として生きていくためにどのようなピッチングをしたらよいのか模索すること、どれも自分のことを知らないとできません。

 

 

自分の良いところも悪いところもすべて受け入れ、それをこれからにつなげること、それが一番大事なのではないかと思いました。

 

後輩のみんな、特にB、Cチームで活動している選手は自分のことをもっと知ってほしいと思います。

悪いところも工夫したらよい方向にもっていくことはできるはずです。自分のことを好きになってほしいです。

 

私自身、自分のことを知るためにたくさんの方にお世話になりました。何不自由なく野球に取り組ませてくれた家族、手術の際に親身になってサポートしてくださった病院の方々、先輩、後輩、数えきれないほどの方々に支えていただきました。

 

ありがとうございました。

 

そしていつも悩んでいるときに相談に乗ってくれた同期のみんな。

 

この仲間と最後に笑って終わりたい。今はこの気持ちしかありません。秋リーグ優勝しましょう。
 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

体育専門学群4年 熊倉智也 

新潟高校
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

いつも活動に精を出している皆様、本当にお疲れ様です。また弊部にご支援・ご声援くださる方々、いつもありがとうございます。今年度ヘッドコーチを務めさせていただいております古東です。
 

現在7/30、弘前キャンプ3日目の夜でございます。この3日間を通して改めて自分の力の無さを実感しております。その度に力を貸してくれる仲間、本当にありがとう。

 

 

このキャンプだけではありません。昨年11月に新チームを発足してからたくさんの仲間の支えがあったからこそここまで来ることができたと思っています。
 

 

何を書こうかとずっと悩んでいました。悩みに悩んで現在8/1です。このブログの担当であるT澤投手には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

ここまで数名のブログが更新されました。皆さんの文章を拝読して、やはり筑波の学生は賢いなと感じました。Y崎トレーナーの文章は普段の彼の仕事であるトレーナー業と自らの大学生活がうまくかけられた文章が書かれていました。

 

 

F代捕手の文章は短いけれど読みやすい言葉でまとめられていました。S木マネージャーの文章は「さすが教育学類!」と言いたくなる文章でした。

 

 

M口2浪侍の言葉は自分自身も浪人しているので共感できました。また文章力も浪人中より向上しているのではないかと感じました。全然拙くありません。
 

 

このようなメンバーの中にいることを今でも不思議に思います。なぜなら私は凡庸な人間だからです。特段取り柄があるわけではありません。頭がさえるわけでもありません。カリスマ性もありません。

 

 

ですが、みなさんが私を仲間の一人として認めてくれることを何よりも嬉しく思っています。先ほども登場しましたがF代捕手はじめ・Y田K大野手・Y田U野手、お風呂でいつもかまってくれてありがとう。

 

 

S島野手、いつも当たり障りのない意見ありがとう。

 

時には突っ張ってください。N戸野手、私の精神年齢は低くありません。

 

 

O川野手・T崎SSDサウナに一緒に行ってくれてありがとう。N村野手・O貝野手・O塚野手、野球のスキルをなんとかしてください。

 

 

S本野手、留年期待しています。N井野手・S水野手、いつも本当にありがとう。

 

 

S嵜野手コーチならびにいつもバッピをしてくれる皆様、僕は頭があがりません。

 

H内主将・I井副主将・N舘副主、あと少ししかありません。

 

 

頑張りましょう。幹部ならびに各ポジションリーダーのみなさん、いつもチーム運営ありがとう、そしてメニューを一緒に考えてくれてありがとう。

 

その他ここには書ききれませんが、私を除いて143名のみなさんいつも本当にありがとう。

 

みなさんの仲間であることを誇りに思っています。
 

 

ただ自分たちは仲良しクラブではなく、闘う一つの集団です。

 

だから東海も日体も亜細亜も上武もぶっ倒しましょう。

 

自分たちがこの秋、一番勝ち上がりましょう。

 

そしてみんなでビールかけをしましょう。

 

 

それがこの野球部の一員である古東咲也の願いです。

体育専門学群4年 古東咲也 

鵡川高校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラストシーズンに懸ける想い④(体育4・川原雄大/済々黌、体育4・木口広大/小平)

2022年08月13日 16時39分55秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

第4回は川原雄大(体育4・済々黌)と木口広大(体育4・小平)です。

是非ご覧ください。

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

 

筑波大学硬式野球部4年、環境整美局長を勤めさせていただいています川原雄大です。

 

伝えたいことや自分自身の思いが色々あり、上手くまとまらずブログの提出が遅くなってしまいました。寺澤ごめん。

 

 

今回のブログでは、最後のリーグ戦にかける私の思いについて書かせていただこうと思います。

 

私は大学の4年間で怪我や病気に長いこと苦しみました。

振り返ると、スタッフミーティングにて島さんにデブすぎるとお叱りを受けたことをきっかけに、2年の冬に寺原と冷たい雨の日もほぼ毎日エニタイムに行き、食事にも気を使って自分でも理想に近い体になることができました。

 

 

寺原、島さんありがとう。けいごにも肩痛いのにハウスで特打に付き合ってもらい、支えてくれる人たちに応えたい思いで、とにかくがむしゃらにやっていました。

 

お陰で3年の春先には自分でも驚くぐらいに打撃が成長したのを覚えています。

 

 

しかし、3年の4月、22歳の年に病院でもらった抗生剤が原因で体調を崩し、約半年間入退院を繰り返した時期は本当に辛いものでした。

 

 

寺原とのトレーニングで80キロ近くあった体重も60キロ前半しかなくなり、コロナの影響で面会は禁止。スタッフミーティングでは、怪我や病気には気をつけて頑張ると言っていたのに、このような結果になってしまったことに、大きな罪悪感を抱いていました。

 

何度退院しても病気がぶり返し、いつ治るかわからない状況に、その当時はみんなを裏切ってしまった、もう野球を続ける資格はないのではないか、もういっそこのまま消えてしまいたいという気持ちに支配され1人で悩んでいました。

 

 

そんな中、夏に少しだけ症状が回復し練習に顔を出す機会がありました。

 

正直部活に行くことが本当に怖かったのを覚えています。しかし、その時に周りからは、選手として活躍することを期待してくれる声や、私の退院を喜んでくれる人がいて本当に嬉しかったです。

 

 

ちーくん企画の誕プレもめちゃくちゃ嬉しかった!最近は布団よりもヨギボーで寝ることが多いかも笑

 

 

だからこそ、私のことを期待してくれている人のため、野球を続けることを支えてくれたこのチームのために、全力で頑張りたいと思っています。

 

 

また、私が小堀に背番号を22番でお願いしたのは、1番辛かった歳、そして支えてくれる人達の大切さに気づかせてくれた歳を忘れないようにするためです。

 

最後に、下級生に伝えたいことは、1人で抱え込まないでほしいということです。

 

 

筑波大学の野球部に所属する下級生は本当に素直で真面目でめちゃんこ可愛いです。あ、成沢にはいじられっぱなしなのでいつかやり返したいと思っています。

 

 

ただ、真面目で素直すぎるがゆえに、必要以上に悩み、1人で抱え込んでしまい周りが見えなくなってしまう人が少なくないように感じます。

 

どうしようもない悩みもあると思います。ただ、誰かに打ち明けるだけでも、心は軽くなるはずです。悩んでいるときは辛いことばかりに目がいくものです。ですが、そんな時こそ周りにしっかりと目を向けて欲しいです、仲間に頼って下さい。

 

ジンベエも言ってました。

 

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

最後優勝して、グラウンドでビールかけしよう!

体育専門学群4年 川原雄大 

熊本県立済々黌高校

 

 

 

 

 

筑波大学野球部4年の木口広大と申します。

 

 

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援誠にありがとうございます。

 

「ラストシーズンに懸ける想い」というテーマですので、自分の大学生活を振り返りながら書きたいと思います。「アメリカ人」や「海外かぶれ」といわれているとおり、日本語はあまり得意ではないので、大目に見ていただければと思います。

 

自分は高校まで野球エリートとはかけ離れた野球人生を送ってきましたが、プロ野球選手になりたいという夢を追って筑波大学硬式野球部に入部しました。

 

入部当初は、自分が今までテレビでしか見たことのない強豪校出身の方々と同じチームになることに興奮し、高校時代の友人たちに自慢していたことを思い出します。

 

 

1年生の頃は、ポテンシャルを見込まれてなのか、春リーグ終わりからAチームに合流しました。今思うとなぜあの実力でAに呼ばれたのか不思議ですが、多くの貴重な経験ができ、当時のスタッフの方々には非常に感謝しています。

 

 

迎えた秋リーグでは、東海との最終節で初めて帯同に選ばれ、2試合目ではベンチ入りも果たしました。(誰も覚えてないと思うけど…)

 

 

1年生の秋でリーグのベンチ入りしたこともあり、期待をもって臨んだ2年生でしたが、寮の同じ階の先輩のマッサージや洗濯に追われていたこともあり、(非常に貴重な経験をさせていただきありがとうございます!感謝しています!)目立った活躍をすることはできませんでした。

 

 

3年生になると、主力のピッチャーが3人抜け、やっと訪れたチャンスを逃すまいと、リーグ戦登板を目標意気込んでいたのですが、練習会であの村木さんに返事をせず無視したことで有名な北爪君や、寮の風呂でよくバタ足をしている山田君などとの競争に負け、あと少しのところでリーグ初登板は叶いませんでした。

 

 

そこからはケガなどもあり、AとBを行ったり来たりの日々が続き、最上級生となった今は悔しくもBチームでリーグでの登板を目標に練習を積んでいます。

 

このように、自分の大学野球生活は思うようにはいかず、納得のいく成果を上げることができていませんが、ここまでくじけずに頑張ってこれたのは、自分を支えてくれた家族、そして同期のおかげだと思います。

 

単身赴任でフィリピンにいても自分の野球について気にかけてくれる父、日々の他愛もない話を通して安心感を与えてくれる母、自分のことを驚くほど慕ってくれている弟、今までたくさん迷惑をかけてきたけれど、自分の夢を応援してくれて本当にありがとう。

 

 

同期との日々のコミュニケーションも自分にとっては頑張る糧になっています。特に、愛してやまない西舘君やひねくれコーチの中塚君には感謝しています。

 

 

「あれ、お前Aじゃなかったっけ?」とよくやられるいじりは、「早くAに上がってこい!一緒に野球やろうよ!」という励ましの言葉だと自分は認識しています。(後輩の一井君には「辛かったらいつでも相談してくださいね。」と心配されていますが…)

 

支えてくれる人への感謝を忘れないことは野球人なら誰もが小さいころから言われていて、当たり前のことだと思いますが、学生野球のラストシーズンである今だからこそ、改めて大事にしていきたいと思います。

 

そして、応援してくれている皆さんに恩返しできるよう、リーグで登板し、チームの目標であるリーグ優勝・日本一に貢献したいと思います。

 

 

拙い文章だったとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

今後とも筑波大学硬式野球部への応援の程、よろしくお願いします。

 

体育専門学群4年 木口広大

都立小平高校

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラストシーズンに懸ける想い③(人文4・小川慶悟/市立浦和、体育4・小川柾/札幌第一)

2022年08月12日 07時29分06秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

第3回は小川慶悟(人文4・市立浦和)と小川柾(体育4・札幌第一)です。

 

 

 

 

平素より筑波大学硬式野球部への熱いご支援、ご声援、誠にありがとうございます。

 

投手トレーナーの小川慶悟と申します。

 

 

ラストシーズンに先立ちこのような機会をいただいたので、ひとまず普段は伝えることのない両親の感謝を書きしたためてやろうかなと思います。父さん母さん、見てなかったらドンマイ。

 

 

はじめに、ここまで自分を大切に育ててくれて本当にありがとうございます。

 

 

野球も勉強もできて要領の良かった兄と比べて、自分は育てるのに苦労を掛けたと思います。たいして実力もないのに理想ばかり高く掲げる私の姿を見ていつもヒヤヒヤさせていたのではないでしょうか。

 

 

あとなんか考古学に興味持っていて思想強めだし。

 

 

そこまで荒くれものではなかったとは思いますが、別の意味で手のかかる息子だったと自覚しています。

 

 

極めつきは、現役で入った大学に通いながらの筑波大学の再受験です。

 

 

どうしても野球を続けたかったこと、当時専攻していた民俗学に対し昔を知る学問としての限界を感じて考古学を本気で学びたいと考えたこと、私にとっては重要なことでも父と母にとっては一見理解しづらいものであったと思います。

 

しかも他大学へ通っていた1年の間に、母は大病を患い数週間にわたる入院と手術を経験しています(無事成功して今は元気です)。

 

これも私の受験生活を通じたストレスが一因となってしまったのではないかと感じています。

 

 

「家族にここまで迷惑をかけるなら」と本気で夢を諦めようと悩みました。

 

しかしそんな状況でも「夢に向かって頑張れ」と応援してくれたこと、本当に感謝しています。

 

 

ちなみに母は呼吸器をつけていたせいかこのやり取りは口頭ではなく、LINEで文面として残りました。

 

このLINEは目いっぱいにスクショして、お守りとして「お気に入りフォルダ」に鎮座しています。きもいですかね。きもいですよね。

 

 

 

とまあ、本当に両親をはじめとしたいろいろな人たちに支えられてこの野球部で活動して来ることができました。

 

「支えてくれた人への感謝!」といったよくある美談めいた話になってしまうのですが、こと私に関しては他の人よりも支えられている比重が大きいと思うのであえてこのようなことを書かせていただきました。

 

 

さて、話変わりますが、本当に頼りない先輩ながら後輩(特に選手)に伝えたいことがあります。

 

野球部の中でいろいろ辛いことあるだろうけれど、野球を精一杯楽しんでほしいということです。

 

 

みんな小さい頃は単純にボールを投げるのが、打つのが、走るのが楽しくて野球をしていたのだと思います。しかし少年時代とは違い、大学野球にまでなると組織力がより求められ、しがらみが増えてくるのだろうとも思います。

 

 

辟易して何で野球なんかやっているのだろうと考える時もあるでしょう。

 

 

そんな時こそきっかけの部分に着目してみてほしい。

十何年も野球を続けてきた本質が見えるかもしれません。

 

 

なんでこんなことを伝えたいのかというと、シンプルに一先輩として、一スタッフとして後輩が辛そうに野球をやっている所を見るのが心苦しいからです。せっかく野球が楽しくてここまで続けてきて、恐らく多くの部員にとって集大成となる大学野球が辛酸ものになってしまっては非常にもったいない。

 

 

できないことよりも昔と比べて何ができるようになったのかに目を向ける。そうすることで自身をモチベートしたり、今後何をすべきなのか見通しが立てられることもあります。

 

 

ぜひ君たちが自信満々、溌溂颯爽とグラウンドで躍動する姿を目に収めるラストシーズンにしたいです。一緒に頑張りましょう。

 

 

以上、長くまとまりのない文になってしまいましたが、私のブログの結びとさせていただきたいと思います。

 

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

 

今後ともぜひ弊部への応援の程、よろしくお願いいたします。

人文・文化学群人文学類4年 小川慶悟 

市立浦和高校

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。

体育専門学群4年の小川柾です。

 

現在原稿の締め切りが過ぎました。すみません。母が国語教師なのですが、文章を書くこと、漢字を読むことが苦手なので、なかなか書く気が起きませんが、所属する広報部局(ほぼ何もやってません🙇‍♂️)の為になんとか知恵を絞って書きたいと思います。

 

拙い文章ですが、お許しください。

 

私は小学校3年生で野球を始めました。実家の部屋はなぜかコンクリートで出来ていて、物心付いた時から壁当てをしていた記憶があります。

 

 

ここで守備の基礎が身につけられたと言っても過言ではありません。

 

 

所属していた西岡ボルテージというチームは区内ではまあそこそこくらいのチームで、とにかく楽しく野球をやっていました。

 

本質ですね。先日、清川孝監督にご挨拶に伺いましたが、現在も沼田公園でバッティングピッチャーをやられてました。お身体に気をつけてください。

 

 

中学は札幌真駒内シニアに入団しました。土日しか練習がないチームで野球やるのが待ち遠しく、毎週暗くなるまで自主練習をしてた記憶があります。

 

 

冬場の練習場は雪道の中1時間半かかるところにあり、毎週送迎してくれた両親には本当に感謝です。

 

激アツ野球少年龍健太君とはここで出会いました。大学でもよく対戦したし、飲みにも行きました。引退したらまた行こう。

 

高校は札幌第一高校に入学しました。中学生の頃は成績が良かったので、強豪校かつその後の進路も考えた上で高校を選択しました。

めでたい事に甲子園と神宮大会に出場したのですが、甲子園では今井副キャプテン率いる健大高崎に、神宮大会では濱内キャプテン率いる履正社に負けました。

 

 

高校は練習もキツく監督も怖かったので絶対に戻りたくない3年間です。監督から電話が来ると今も冷や汗かきます。

 

 

大学はご縁があり、筑波大学に推薦で入学しました。同期に出会ったことや、お酒を教えて下さった先輩、可愛げのある後輩など、様々な人と多くの思い出がありますが、長くなったので割愛させていただきます。大学生活楽しいです。

 

 

ラストシーズンは、これまでの野球人生でお世話になった方々に良い結果を報告ができるようように神宮球場で引退したいと思います。特に父と母と姉には野球中心の生活を送ってきてもらったので、何か少しでも成長した姿をみせたいです。

 

 

頑張ります。優勝☝️

体育専門学群4年 小川柾 

札幌第一高校

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラストシーズンに懸ける想い②(数学4・海野哲也/会津,体育4・大澤宏貴/磐田南)

2022年08月11日 12時06分48秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

広報部局の寺澤です。

 

第2回は海野哲也(数学4・会津)と大澤宏貴(体育4・磐田南)です。

是非ご覧ください。

 

 

 

この文章を書いているのはAチーム青森キャンプから帰ってきた後であり、これを書き終えたらもう最後のリーグまで一直線なのだと痛感しています。ラストシーズンに懸ける想いということで、自分の気持ちを綴らせていただきたいと思います。
 

自分はこの野球部でSSDという役職についています。データ班のようなもので、主に試合や練習の映像撮影、自チーム及び対戦チームの分析などを行っております。

 

あとSSDの仕事ではないですが、バッティング投手も良く行っています。打ちやすいらしく、選手からはそれなりに好評です。
 

 

このように自分は裏方としてこのチームに所属していますが、それでも選手だった頃より格段にやりがいを持ってこのチームに携わることができています。自分たちが考えて作った成果物が目に見えてチームに役立っているのを見て、自分にはこのような役職が性分に合っているのだなと感じさせられました。
 

 

これまでの成果物も、頼もしくなりつつある井上、岩室、三戸ら3年SSDらが活用、改善していき、今後のSSDの発展に活かしてくれると信じております。
 

 

SSDへの転向を決めるときも、そしてSSDになってから活動している中でも、自分はあまり選手への未練を感じてはいませんでした。単純に実力が無かったからというのもありますが、それまで全くと言っていいほどチームの戦力になっていなかった自分がどれだけこのチームに役立てるか試してみたかったということ、また自分が苦しかった時期に支えてくれた同期に対し、今度は自分がスタッフとして支えたいという思いがあったからです。

 

家族やチームメイトなど様々な人達の支えによってここまで来ることができました。

 

自分にとって最後のリーグ戦、僕はグラウンドに立つことはできませんがプレーする選手がベストを尽くせるように、選手たちを支えていきたいと思います。
 
理工学群数学類4年 海野哲也 

会津高校
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
みなさん、こんばんは。
筑波大学硬式野球部4年の大澤宏貴です。
 

 

日頃より、弊部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 

筑波大学に入学してから3年半がたち、大学野球最後のシーズンが近づいてきました。

 

これまでの時間は本当にあっという間だったなと感じています。

 

入学してすぐのリーグ応援や日々の練習を通して、4年生の先輩方は大人っぽく、落ち着いているけど熱い思いを持ち合わせているかっこいい先輩だったことを今でも覚えています。

 

 

月日が流れ最上級生になりましたが、1~3年生の目に僕たちはどのように映っているでしょうか。

 

僕が一年生の時に感じたような思いを少しでも感じてもらえてたらいいなと思います。
 

 

ラストシーズンということでこれまでの野球生活を少し振り返りたいと思います。
 

 

1年夏は、午前練習をして昼に死ぬほど暑いTドームでウエイトしてまた午後に練習すること、ホームでの試合も多く試合前にハーフや打ち込みをすることなど夏があまり得意ではない僕にとってつくばの湿気の多い気候も合わさり、体重が減りまくるなどあまり思い出したくないきつい日々でした。

 

お昼に坂本朗くんと今はなくなったうどん屋で冷たいうどんを食べて、タピオカを飲みに行くことが夏の唯一の楽しみでしたね。

 

1.2年の時はなかなか結果を残せませんでした。
 
3年になり、前ヘッドコーチの林さんから「おーさわー、明日えーなー」、「おーさわー、明日ゲームノック参加で」といったLINEが増えAの試合にも呼ばれましたが、チャンスをつかみきれずAとBを行ったり来たりの生活が続きました。

 

 

怪我人の影響で呼ばれ、夜につくばから一人電車に揺られ平塚に行き、スマホの充電が切れ平塚駅で迷子になったこともありました。

 

 

その中でも一番印象に残っているのが秋リーグの桜美林戦。当日朝、林ヘッドからベンチに入る可能性があると緊急招集の電話があり、ドキドキしながら帯同しました。しかし、結局ベンチ外となりボールボーイをしていました。

 

目の前で同期が活躍する中、僕はボールを3球もって審判さんに向かってダッシュを繰り返していました。あの時のドキドキを返してくれ。
 

そして迎えた4年春リーグ。チームは開幕7連敗。個人としても9打数0安打、打率0割。現実逃避したくなるような数字です。
 

 

 

このように大学生活を少し振り返ってみると本当に悔しい思いばかりです。
 

悔しい思いばかりの大学野球生活ですがここまで頑張ってこれたのは間違いなく周りの人の支えや刺激があったからこそだと思います。
 

 

まずはお父さん、お母さん。

 

帰省すると僕の大好物をフルコースで出してくれることや食材を頼むと冷凍庫からあふれるほど大量に送ってくれることなど感謝でいっぱいです。

 

卒業するまでは親のすねかじりで生活させてほしいです。お願いします。
 

 

後輩のみんな。遅刻しまくって丸坊主にする野手コーチを筆頭にユーモアも野球センスも兼ね備えている人が非常に多いです。

 

若さとフレッシュさにいつも刺激をもらっています。エネルギー全開で秋リーグまで駆け抜けていこう。

 

自主練でノックとか誘ってくれれば喜んで一緒に受けるのでどんどん誘ってください。
 

 

そして同期のみんな。リーグ戦で活躍する姿、遅くまで自主練している姿、ノックを打ち続ける姿、バッピで投げ続ける姿、データ分析する姿。チームへの関わり方はそれぞれだけど色々なところでチームのために動いている姿は素直にかっこいい。

 

僕の意味の分からないボケにも丁寧に突っ込んでくれる島君、ご飯誘ったら95%は来てくれる村井君、いつもいじってごめんちー君、面白い漫画教えてくれる清水大海、サウナ大好き三好君などなど面白い同期のみんな、いつもありがとう。

 

最近何かといわれることも多いけど、最後までみんなで泥臭くチームのために戦っていこう。
 

 

周りの人のこれまでの支えに応えることはもちろん、もう悔しい思いはせず、いい形で野球人生最後となるシーズンを終わることができるよう最後の最後までもがき続けたいと思います。
 

 

このチームの良さなどをもっと語りたいところですが長くなってしまうのでぜひ球場に足を運んで目で見て感じていただきたいと思います。
 

 

 

硬式野球部に所属する部員、保護者の方、OB、OGの皆さん、野球部を応援してくださるファンの方々のすべてを含めた「一心」となって秋リーグは戦っていきましょう。

体育専門学群4年 大澤宏貴 

磐田南高校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラストシーズンに懸ける想い①(体育4・阿部大輝/豊田西、体育4・磯村頌吾/明和)

2022年08月10日 20時44分02秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

広報部局の寺澤です。

 

この度、4 年生がラストシーズンを迎えるにあたって、4 年生にラストシーズンに懸ける想いを綴ってもらいました。
4 年生のそれぞれの想いをぜひご覧ください。

 

第 1 回となる今回は阿部大輝(体育 4 ・豊田西)と磯村頌吾(体育 4 ・明和)です。 

 

こんにちは。
筑波大学硬式野球部 3 年の阿部大輝です。現在は学生トレーナーとして活動しています。 このブログでは、学生スタッフに転身した理由とそこで感じたことを書きたいと思います。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

まずは、私がなぜ学生トレーナーとして活動しているのかを話したいと思います。
2 年生までは選手としてリーグ戦で活躍することや、上のレベルで野球がしたいと思いながら活動していました。

 

弊部では 2 年生の秋リーグ終了後「スタッフミーティング」と呼ばれるミーティングがあり、選手から 10 名〜15 名程がスタッフに転身し、チームの運営を任せられます。

 

そこで野球部で活動している2 年生全員が残りの 2 年、どのようにチームへ関わっていくのか見つめ直し覚悟を決め、決意をします。

その機会に私がなぜ「スタッフ」として残りの 2 年間を捧げる覚悟をしたのか。

私は「イップス」を持っており、自分の思った通りにボールが投げられません。

私にとっては野球の基本であるキャッチボールがいちばん地獄の練習です。
1 年間浪人をしたこともあり、ボールを投げるという感覚が全くなくなり、新人練習の際には何回も20m 先の相手に 2 バウンドくらいのボールや、遥か上に投げました。

 

かろうじてバッティングの方には自信があり、大学 1 年生の 6 月に筑波の打線を引っ張る清水大海と共に A チームに上がらせていただきました。

 

Aチームに上がった初日の練習日の最初のメニュー、キャッチボールで大海は前チーム主将片岡さんと組んでいましたが、私はペアができずに探しているとその時の主将篠原さんが気を利かせてくれ、私と組んでくれそうな雰囲気になっていました。

 

現在も ENEOS で活躍されており、アマチュア野球界で篠原さんを知らない人はいないほどの方で、本来なら大変嬉しい事だと思いますが、私は違いました。

 

初日からイップスが発動してしまうイメージしかなかったので、先輩にお願いをして相手を交代してもらいました。

篠原さん申し訳ありません、、

 

 

副主将の皆神さんに相手をしていただきましたが、その日は川村卓監督のショートスロー講義があり、15 分くらいショートスローが続きました。
本当に地獄でした。

 

筑波では、ペッパー後にバントを 1 球行うのですが、10 メートル先の皆神さんに 2 バウンドするくらいのボールを投げました。
マジで野球を辞めたくなりました。

 

 

様々な方法でイップスの改善に努力をしましたが、 大学野球の守備のレベルなども踏まえて私があと 2 年でどこまで選手としてチームの勝利に貢献できるのかというイメージした時と、

学生トレーナーとして私が大好きなトレーニングを選手に還元したり、リーグ戦のライブ配信・ YouTube チャンネルの運営などでチームに貢献している姿を想像したときに、

 

後者の関わり方の方が自分自身の中でイメージする事ができ、筑波大学硬式野球部という組織に貢献できる部分が大きいのではないかと考え、選手を辞めて学生スタッフに転身する決断をしました。

学生スタッフになると、新たな発見が多かったです。
小学 3 年生で野球を始めてから大学 2 年生になるまで、野球をやれているのはごく普通のことで、むしろ 1 日中暑い中で練習を頑張った自分は偉いと思っていました。

 

その裏では次の日の練習のために打ち合わせをしていたり、選手より早くグラウンドに来て準備をする人がいたり、球場を使用するために夜中から並んで球場を確保したりしている人の存在が全く見えていませんでした。 そういった多くの人の支えがある中で野球を行える環境があると気づいたことは大きな発見です。

選手を外から見ていて感じることは、活躍している選手は総じて 「野球に対してかなり深い思考で練習している」 ということです。

 

「考えて練習する」と言葉で言うことは簡単ですが、本当の意味で実践している人は少ないのではないかと思います。

 

 

振り返ると私自身も「考えて練習」しているつもりだったと思います。 だからこそ、イップスが克服できませんでした。 卒論でなんとかイップスに対して答えを出したいと思っています。

 

ここでいう、「深い思考」は、 川村先生がよくおっしゃっている【自主性】と【主体性】の違いという言葉が一番合っていると感じます。

 

自主性:指示がなくてもやるべきことを率先して行うこと

主体性:目的に向かって行動を起こし、結果に対しても責任を持つこと

 

様々な選手の練習相手をしますが、活躍する選手は本当に主体性があります。

能力を持っているのに伸び悩んでいる選手は、主体性がありません。

 

少し言葉を足すと、自分のうまくいく練習ばかりを率先して長い時間やっていたり、試合や実戦で出た結果に対して、相手ベースで反省や捉え方をしています。

 

主体性がある選手は常に自分ベースで反省をして、次同じ場面になった時にはミスをしないように修正をして次の日のグランドに立っています。

 

筑波大学硬式野球部にいる 150 名の選手の能力差は大きくないと思います。 実際、大学野球日本代表になった石毛がリーグ戦で 5 割近く打つバッターになるなんて 1ミリも思っていませんでした。

 

 

しかし、色々な人からのアドバイスを真摯に受け止めて情報の取捨選択をし、自分に必要なことを考えて主体的に野球に向き合う彼の姿は学生スタッフになってから多く見てきま した。

そう言った考え方や行動が、結果に結びついているんだと思います。

 

自分自身筑波大学硬式野球部で結果を残していないにも関わらず、偉そうなことを言って 申し訳ないですが、選手をずっと見ている率直な感想です。

この話を聞いて考えや行動が変わる人が 1 人でもいたらとても嬉しいです。

 

学生スタッフに転身した経験があったことで、卒業後の進路にも影響がありました。 これまでは自分が主役で野球をやっていましたが、ここ 2 年間は誰かを支えるという立場で生活をしています。 トレーナーとして身体の動きが悪い選手に対して、一緒に改善をした選手の動きが良くなり良いプレーをした時や、どん詰まりながらも筋肉で押し込みフェンス直撃を打つ中村真也を見た時、 (秋リーグではもっと筋トレをしてホームランにしてね)

 

 

チーム全体としてトレーニングを頑張る雰囲気になってくれたことなど、 直接的にチームの勝利に貢献しているわけではないけれど、少しはその選手の良いプレーやチームに貢献できたと思える瞬間が、 自分がホームランを打った時の喜びよりも大きいと感じました。

 

 

他にも、リーグ戦のライブ配信を行った際に、5 万回程の再生をしていただき多くの人から 「コロナ禍で野球が全く見られない時に野球中継をしてくれてありがとう」 という言葉をいただきました。

これらの経験から私は自分 1 人の成功よりも、 自分の行ったことで何かの影響を受けた人が成功する姿を見る方が向いているのではないかと感じました。

 

だからこそ、
「誰かに考えを変えられるきっかけを与え、幸せになる人を増やしたい」 という軸をもとに地上波放送で様々の層の人に届けられるテレビ局に就職しようと考えま した。

 

 

学生スタッフにならなければ、人を支えることが自分の幸せにもなるという事は理解できていなかったと思います。

 

さらに、自身でコンテンツを選ぶ YouTube や SNS などと異なり、数チャンネルしかなくコンテンツが選べないからこそ、普段光が当たらない立場の人に光を当てられると考えて います。

 

自身の経験も踏まえて光が当たらない立場の人や社会の小さな声に光を当て続けて、 「自分の関わったもので誰かの考えや人生を変えられる仕事」
がしたいです。

最後に、 この秋の目標は、「リーグ優勝・日本一」

残念ながらコロナ禍になってから筑波は長い間下位争いをしています。

国立大学ということもあり推薦で入学する選手が各学年 3 人と、他大学に比べればかなり 少なく、A チームの選手も公立高校出身の選手ばかりです。 その中で密なコミュニケーションや、一体感のある応援など 150 人が束になることで上位争いをしていたチームだと感じています。

 

コロナ禍で練習を共にすることも難しくなり、感染症拡大防止の為に異なるカテゴリーのチームの選手との接触を避けるなど、新たなルールもできてしまいました。

 

そんな中現在もコロナウイルスが収束する未来も見えず、現在も第 7 波が猛威を奮ってい ます。

しかし、2022 年秋季リーグ戦が、コロナ以前のように開催できなければ筑波の応援など伝統を 3 年生以下に伝えることはできません。 どうか、新型コロナウイルスが落ち着くのを願うばかりです。

濱内キャプテン率いる私たちの代は、 「一心」というスローガンで活動しています。

このスローガンには 2 つの意味があります。

 

・心を一つに新型コロナウイルスにより、人との繋がりが希薄になったことを見直して 143 名の部員が一体感を持つ

 

・一球に心を込める
リーグ戦に出場する選手が、143 名の代表として一球に心を込めてプレーをす る

「一心」を体現することができれば、 必ずリーグ優勝、日本一を達成することができると強く思っています。

そういった組織になるために、学生トレーナーとして残りの期間、 誰かのプレーを変えるきっかけを与えられるように精進します。

体育専門学群4年 阿部大輝

豊田西高校

 

 

 

 

 

筑波大学硬式野球部の部員、そして弊部を応援してくださる関係者の皆様、こんにちは。 投手サポート兼寮長を務めております、4 年の磯村頌吾(いそむらしょうご)です。

今回のブログテーマは「ラストシーズンに懸ける想い」ということなので、まず先に僕が自覚している自分自身の性格(人間性)について読者の皆様にお伝えし、それを踏まえた上でブログテーマに則した内容を文字に起こしていきたいと思います。拙劣な文章ではあ りますが、最後までお目通しいただければ幸いです。

 

さて、唐突ですが、皆さんは自分自身の性格を一言で表すとしたら、どんな言葉がふさわしいか考えたことはありますか。僕の場合ですと「変態的利他主義者」という言葉が当てはまるのではないかと考えます。

 

これは大学 3 年次の夏から始めた就職活動をきっかけに考えるようになったことなので、この性格を自覚したのは僕自身にとってもつい最近のこ とになります。

 

 

ブリタニカ国際大百科事典による「利他主義」とは、行為の目的を他人に対する善におく倫理学上の一学説であり、一般に自己主義(自我主義)と対照されるものだそうです。僕の性格には、まさにこの「利他主義」の考え方が強く根付いていると思います。

 

就職活動 で過去20年の人生経験を振り返る中で、僕のモチベーションが特別高い時期には「人から感謝される」「人の役に立つ」などの共通点がありました。生徒会長として学校に設置さ れた意見箱に集まった生徒の声を実現する可能性を考えている時間や、修学旅行実行委員としての仕事を終えたときにクラスメイトから寄せ書きの色紙をプレゼントしてもらった瞬間などはどれも充実しており、思い出すだけでも幸せな気持ちになれるほどです。

 

 

昨年末に青桐寮で開催したクリスマスイベントでも一人ひそかに多くの困難にぶつかりました が、高いモチベーションを維持できた背景には僕の中に強い「利他主義」の精神があった からではないかと振り返ります。

 

「利他主義者」特有の行動様式が垣間見える人間は僕の周りにも一定数います。代表的な例は学生スタッフ陣です。選手のため、チームのために尽力する姿勢は尊敬に値します。 いつもありがとう。

 

 

「利他主義(者)」の性質についての説明はこれで十分かと思いますので次に進みますが、 今の読者の皆さんにとっての疑問は、なぜ僕は自分の「利他主義」の精神を「変態的」とまで強調したのかだと思います。結論から述べると、冷静になって振り返れば自分でも引いてしまうほど自己を犠牲にしているからです。

 

 

分かりやすいよう以下にいくつか具体例を挙げます。昨年秋から寮長に就任した僕は、その業務を通して自分の財布からおよそ 5000 円分の支出があります。知る人ぞ知る中村真也くん(体育 2 年、専修大松戸)の最弱王帽子は実は僕のポケットからの支出なのです(大切にしてください)。

 

また、青桐寮でのクリスマスイベントの準備期間では、翌日に紅白戦があっても明け方までパワーポイントとにらめっこをしていた日もありました(今だから言えますが、普通に何やってんだって話です...)。多方面において手厚いサポートをしてくれている家族にはこの場を借りて一言謝罪 したいと思います。

 

期待とは異なる方向に注力し、また考え方によっては自分を大切にしない人間になってしまってごめんなさい。

さて、ここまで自分の性格について長々と説明をしてしまいましたが、ここからなんとかブログテーマ「ラストシーズンに懸ける想い」に繋げていけるよう頑張りますので、もうしばらくお付き合いください。

 

 

なぜ僕がこれほどまでに他人のために自分を犠牲にできるのか(変態的であるのか)について考えたことがあります。

 

そして導き出された結論は、『僕には確固たる「自分像」がないから』ということです。「こうしたい、こうなりたい」という明確な理想や目標もなければ、ここだけは誰にも譲れないといった軸のようなものを自らの内に感じた経験もないのです。

 

正直に言って、野球(もっと言えば勝負事全般)には完全に不向きな性格です。こんな自分の性格にもっと早く気付いてしまっていたら、今頃は野球をやめてアニメの美少女キャラと結婚願望を抱くもっさり肥満陰キャになっていたと思います。

気付いたのが最近で良かったです。

 

自分自身の性格について思考を重ねる中で、自分という人間を理解はしましたが、どうも好きにはなれません。現在の交友関係の半数以上が同じ野球部員ということもあり、周りの人間からは皆、譲れない軸や熱い想いなどの「自分像」がひしひしと伝わってきます。 僕が感じるのは自分自身への劣等感と皆への憧れです。

 

そんな僕がこの筑波大学硬式野球部に所属し続ける意味はなかなか見つからず、自らの進退を決するには非常に多くの時間と労力を割きましたが、ラストシーズンを間近に控えてその答えが遂に見つかりました。それは、『行為の目的を他人に対する善におく「利他主義者」として、行為対象となる「他人」は自分の理想や憧れる存在であるべきだ』ということです。

 

 

自分には確固たる「自分像」がない。少し前の僕は、軸、夢、目標などは、野球をする者として当然もっている必要があることは理解しているが故に、それらを半ば無理やり自らの内に創造しようとしていました。しかし、僕ほどの「変態的」な「利他主義者」 にとっては、そもそも自分自身の内側のことは全く重要ではなく、善を施す対象である「他人」がどうであるかが最も大切であるという、言われてみれば当たり前のことにようやく 気が付きました。

 

 

簡単に言えば、善の施し甲斐があるかどうかです。「利他主義者」であるとはいえ、「他人」に善を施すという行為のすべてに一律の喜びを感じるわけではありませ ん。

 

読者の皆さんが仮に、見ず知らずのおじさんが落としたハンカチと、好きな異性が落としたハンカチ、同じように拾って渡し、同じように感謝の言葉をもらったとしたら、ど ちらにより大きな喜びを感じますか。つまりはそういうことです。話が逸れましたが、ここで僕が伝えたかったのは、僕(=利他主義者)からみたチームメイトの皆(=他人)は、 先程の例でいう好きな異性の側であり、その最高の存在であるということです。先にも述べた通り、僕の周りの部員は皆、僕がもっていないものを多くもっているし、そんな皆が

 

 

僕の目にはとても輝いて見えています。まさに理想、まさに憧れです。そんな人間が 100 人以上いるこの筑波大学硬式野球部で自分が善を施せるなんて、なんて恵まれた環境なんだろう。ちょっと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、これが今の僕の正直な気持ち です。

 

サポートに回った今、また、寮長としての業務も、僕が本質的にやりたいことができているので、最近は毎日がとても充実しています。今回のブログでは、ラストシーズンに向けた 4 年生の個人としての明確想いや目標を聞きたかった企画だと思いますが、あいにく僕はそれらを持ち合わせていません。でもそれでいいと思っています。僕はこれまで通り、 チームメイトの皆にとっての善を探して、少しでも力になれれば、十分な充足感や満足感を得られるのですから。ただ、欲を言えば、僕の理想であり、憧れである皆が、夢を叶えた姿を見てみたいです。自分が関わった人間がより大きな成功体験を実現することによって、「自分像」がなく、他人のために注力することしかできない自分の性格が少しでも好きになれるかもしれないので...。

 

以上が僕がもっている「ラストシーズンに懸ける想い」です。一部の読者には理解されないような内容を長々と話してしまい申し訳ありません。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ラストシーズン、より強い覚悟や想いをもった仲間に負けないよ う、僕も精一杯サポートしますので、部内外問わずこれからも「一心」に頑張って参りましょう。

体育専門学群4年 磯村頌吾

明和高校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする