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雨曇子日記

エイティライフの数々です

路線バスの旅 22 弾 水戸・偕楽園~長野・善光寺

2020-04-21 11:10:02 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

4 月 20 日(日)BSテレ東「ローカル路線バスの旅」5 : 58 ~20 : 00 路線バスだけで、つながらないところは歩き、 3 泊 4 日に目的地に到達するという旅番組。2016. 1. 2 の再放送(短縮版)。

     第一日

出発点の偕楽園が映り、旅人が紹介される。レギュラーの太川陽介・蛯子能収に加えて、マドンナ南明奈。26 歳で歴代マドンナ最年少とのこと。

この旅のルールとして当日行先が知らされるので、詳細な地図を渡されてもリーダーの太川さんは困惑の体。

「どこへ行けばいいんだろう」とりあえず水戸駅に向かう。水戸駅 8 : 10 着。案内所で情報を得て石岡ー土浦ー下妻ー古河と進むことに決定。

本数の少ないバスを乗り継ぐので、下妻~菅谷(すげのや)間 7 km を歩くと早くも日が暮れてきた。ロケは、2015. 12. 8 だから、当然寒く、見知らぬ関東の僻村を歩くのは、心細くもあったろう。地域の人が「八千代村の名産だよ」と言って、柿とかきもちを差し入れてくれた。

3 人は古河のビジネスホテルのベッドに倒れこみ「ご飯いらなーい」「うなだれていないで、がんばろー」という疲労困憊状態。

 

     第二日

ホテル6 : 15 出発、間々田駅(東北本線)への小山市コミュニティーバス乗車のため、中妻というバス停まで 8 km を歩かねばならなかった。日の出を眺めながら冬の朝を 2 時間以上歩いた。

この日の歩きはこれで終わらなかった。小山西高校~栃木駅西口 5 km 道の駅「みかも」~佐野新都市バスターミナル 2 km, 合計 15 km も歩かねばならなかった。

当然その日の佐野市「ちゃこや」での夕食もさほど気勢があがらなかった。尤も太川さんは例によってビールの大ジョッキを威勢よく傾けたのだが。下野や上野は自治体のバスに頼らねばならず、バスの旅は思いのほか厳しいのだ。北関東は甘くない!

「もうどうしようもないんです。助けてもらえないでしょうか」太川さんが、佐野の観光案内所で泣き言をもらした。

 

     三日目

三日目の歩きは、山前駅(両毛線)~太田駅北口(東武線)の約 8 km。雨の中、ビニール傘をさして山あいの道を歩いた。

この日は、舌切り雀のお宿・磯部ガーデンに宿泊となるのだが、そのあたりはカットされていた。

 

     第四日

ネットで調べると、最終日の歩きは、松井田支所~横川の 6km と軽井沢・追分入り口~御代田駅の 4 km となっている。

TVの映像は、御代田駅(しなの鉄道)前の「喫茶のんのん」のユニークな店内とそこでの中食、岩村田、小諸を経由した千曲バスが上田駅に到着する様子が映った。

後、善光寺までは 40 km 。時刻はまだ 5 : 10 。つながりさえすればこの日のゴールは可能。「もう、歩きたくないねー」「もう、わからなくなっちゃった自分の足」仲間のこれらの声が耳に痛い。リーダー太川さんは悲痛の表情。案内所であらゆるルートを調べてもらうものの、ついに断念せざるを得なくなった。

「悔しーなー前回に続いて失敗とは。ごめんねー」太川さんは悔しがった。

「しょうがないですよ」と蛭子さんはどこかほっとした表情だ。「でも、すごいですよ。水戸からここまで来れたんですから」とマドンナの南さんが慰めるように言う。

 

関東は奥深く、バスで抜けるのは容易ではない。

それにしても運転手さんたち、 5 年前もこんなに徹底してマスクを着けていたかなあ。そんなところが気になった。

 

 

 

 

 

 


路線バスの旅 21 弾 大阪・堺~三重・鳥羽

2020-04-15 17:20:11 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

4 月 13 日(月)BS テレ東「路線バスの旅」17 : 58 ~ 20 : 00

出発の堺駅南口で行先を鳥羽と告げられ、旅のリーダー太川陽介氏は頭を抱え込んだ。「どう乗り継いで行けばいいのか?」

百戦錬磨の太川さんも悩む難コース。「南海バスだから難解だ」蛯子さん、洒落を言っている場合じゃアないですよ。マドンナの高橋ひとみさんはこれ一回だけの参加だから、歴代マドンナの業績を汚さぬよう明るく元気についていけばよい。

どこまでも太川陽介さんの双肩に成否のカギが重くのしかかっていた。

 

路線バスで大阪を脱出するのは大変だった。光明池~和泉中央駅~岸和田駅~二色浜駅~鶴原駅~泉佐野駅~熊取駅を経由し11 本のバスを乗り継ぎ和歌山県紀の川市の粉河駅(JR西日本和歌山線)に到着したのが 17 : 55。

和歌山市への路線バスは終わりで、この日は「ビジネスホテル粉河」泊となった。

 

第二日

粉河駅 6 : 40 始発和歌山市駅行き路線バスで出発。

バスが進むにつれ、風景が変わった。緑が多く人家が少ない。

南海和歌山市駅に 7 :55 、JR紀勢本線海南駅前 9 : 06 と順調だったが、このあとがつながらない。案内所で一時間もかけて調べてもらい、コミュニティバスを利用して 3 つ先の下津駅前に着いたのが  13 : 20。さらに「東燃クラブ」というバス停に進み、そこからは 6.5km 歩いて、下津駅の 4 つ先の藤波駅に着いたのが 15 :35 。

こんなじれったい進み方しかできないのでは、どうしようもない。

 

平成 15 年に廃線となった有田鉄道の有田鉄道バスで金谷口、川原河(かわらごう)まで、内陸に入り込む。すでに 16 :48 だ。

川原河から日高川町コミュニティバスで愛徳荘前に行き、ここで夕食&宿泊となる。(愛徳荘の夕食は美味しそうだったし湯もよさそうだった)

 

これは、私が調べたのだが、日高川町は和歌山県第三位の面積 331.59 ㎢を持ちながら人口 9246 人。井原西鶴の出身地、徳川吉宗が産湯を使った井戸もあるとか。

 

第三日 

この旅のチェックポイント潮岬には、路線バスでストレートに行けない。方向違いの熊野大社に出、新宮経由という超大回りで 17 : 48 に潮岬に着いた。すでに薄暗く「本州最南端」の看板の前で写真を撮っただけで、南紀ロイヤルホテルに入る。

 

第四日

串本駅前 8 : 32 発で出発、昨日通った新宮を経由して、三重県に入り熊野市駅前に 11 : 27 に着く。

熊野市から 2 時間かけて大紀町(たいきちょう)にある滝原宮へ。

いよいよ大詰め。鳥羽に行くルートを探さねばならない。

一行は、滝原宮発 16 : 35 のバスに乗りこみ、途中、春日町というバス停で降り、これが 17 : 44 であったが、8 月のことであったから、大汗をかきながら 7.2 km を早馬瀬口(はやませぐち)まで歩き、伊勢行きのバスに乗った。

鳥羽行のバス路線のあることは分かっていたが、伊勢駅に着いたのは 20 : 36 、鳥羽行のバスは 16 時台で終わっていた。万事休す。

「悔しいなー」と太川さん。「人生で一番過酷な旅だった!」とマドンナ高橋さん。「想像を絶する旅」であったらしい。

 

カメラマン始めスタッフの方も大変だったでしょう。それに、各バスの運転手さん、案内所の方々、本当によく協力してくれましたよ。(私が言うことではないが)

それぞれの時刻については、ネットにあった日程記録を参照しました。(スタッフの中には記録係もいるんだ)

 

 


路線バスの旅 5

2020-03-10 16:43:24 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

3 月 9 日(月)BSテレ東「ローカル路線バスの旅 20 弾!」は北海道の三つの岬、地球岬・襟裳岬・納沙布岬を巡る旅でした。

いずれも太平洋に面し、三泊四日であれば、巡るのは容易と思いましたが、それがなかなか大変でした。

 

一行(太川陽介・蛭子能成・森尾由美)の出発は早朝で、遅くなっての到着です。

第一日

洞爺湖温泉発 7 : 03      浦河着 19 : 30(浦河ウエリントン H 泊)

第二日

浦河発 7 : 33         陸別着 22 : 40(陸別オーロラハウス泊)

第三日

陸別発 5 : 52        根室着 19 : 34 (根室イーストハーバー H 泊)

ゆっくりホテルで朝食とはいかず、いずれも時間を気にしつつのあわただしい朝食です。3 日目の朝などは一本目のバスが北見駅に 7 :30 に到着し、駅前の飲食店はどこも開いておらず、ようやく見つけた 8 : 00 オープンの喫茶店「マイカップ」の前で待つことに。(少し前に入れてもらい、肉じゃがつきのモーニングセットをおいしく食べました)

第四日

根室発 6 : 54         羅臼着 11 : 09

 

バスに乗っている時間も当然長く、 7 時間以上はざら、陸別~根室の 3 日目は、 9 時間弱でした。4 日目、出発の前、三人はバス停の前でラジオ体操を始めたほど。腰にきていたのでしょう。

 

三つの岬はどこも素晴らしい景観で、襟裳岬は、北海道の背骨、日高山脈が海に落ち込み岩礁となって点々と続いていました。また、風の館で蛭子・太川の両人が 25 m の風を体験し、ムンクの「叫び」のようになりました。

日本の最東端、納沙布岬に到着したのはちょうどサンセットの時刻で大きな太陽が西方の海に沈んで行きました。

 

四日目、冠雪の羅臼岳がぐんぐん迫ってゴールが近づいてきました。絵になる風景でした。

3 人の旅人とスタッフのみなさんご苦労様と声をかけたくなりました。

 

 

 

 

    


路線バスの旅 4

2020-03-04 13:39:40 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

3 月 2 日(月)BSテレ東 PM 5 : 58 ~ 8 : 00 「ローカル路線バスの旅 19 弾!大阪城 ~ 金沢兼六園」を観た。(2014. 12. 9 ~ 12 ロケ。2015. 1. 3 放送) 

430km を路線バス 40 本を乗り継ぎ、つながらない所( 24.5km )は歩き、バス代金 16990 円を費やし、4 日目の午後 8 時過ぎ無事にたどり着いた旅人、太川陽介・蛭子能収・マルシア(今回のマドンナ役 歌手・俳優)は喜びを爆発させた。

     ”やった!”

     ”これだ!”

     ”すべてガチですね!”

     ”人生 やるときは本気でやれ!”

太川「ご褒美に蟹食べに行こうか」

マルシア「やったあ」

太川「(呟く)沢蟹だけどね」

充実感に満ちた三人の後ろ姿に、ENDマークがだぶる。

 

ロケから 7 年の月日が流れた今も、この旅の舞台は多分変わっていないだろう。

大阪城から路線バスだけで琵琶湖に出ようとすれば丸一日かかるだろうし、琵琶湖西岸湖西線に沿った道を行けば伊吹山の雄姿を望めるはずだ。ただ、一行が 2 日目に朝食をとった堅田駅前の小川珈琲店は 2015.8.23 に閉店した。

道端の農家の庭で赤かぶを洗っていて、マルシアさんに「あっ、リンゴ!」と言わしめたあのおばさんお元気ですか?

今津から小浜までJRバスで鯖街道を行き、田島というの旅館清風荘、ジーパン姿できびきびした都会的な女性という感じの若女将、”主人が海に潜って捕って来たばかりですよ”と食卓に並んだアワビを説明していました。

3 日目、敦賀の先と思いますが、氷雨の中バスを待つ 2 時間の間、体育館のストーブで芋を焼いて食べさせてくれたゲートボール練習中のおじさん、いろいろな方の善意に支えられた旅でした。

印象的だったのは、進路を訪ねる太川さんに対する運転手さん、案内所の職員の皆さんの誠実な応答ぶり。ご親切にどうもと言いたくなる。

 

総じて、このバス旅は巡礼旅に共通するものがあると思った。


路線バスの旅 3

2020-02-26 15:45:30 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

いつの間にか私はこの番組の虜になっている。

2 月 24 日(月)BSテレ東「ローカル路線バスの旅 18 弾!御殿場~直江津」を観た。

 

これは再放送で、2014. 9 の放送、ロケは 8 月だ。

旅する人 太川陽介と蛭子能収はレギュラー。マドンナ野村真実は、1964 年生まれの女優。旅・登山が趣味で、登山歴は富士・槍ヶ岳・北岳・・・明るくポジティブな人。このマドンナのお陰で蛯子さんは車中で一睡もせず三人はチームワークよく旅ができた。

 

第一日

御殿場 8 : 10 河口湖行きの始発のバスで出発。

「もっとしとやかなイメージがあったけれど活発な方ですねー」と、蛯子さんがマドンナの第一印象を口にする。

河口湖ではバニラアイスクリームを舐めながら湖を見ただけで甲府駅に。ここでも滞在時間は 5 分で韮崎へ。ここは中田英寿の出身地、駅前広場にはサッカー少年の像がある。韮崎からは下教来石(シモキョウライシ)へ。難読地名だ。

下教来石からバスがつながらない。小淵沢までの 5.2km は歩くしかない。

・先頭を行く太川さんの背中はびしょびしょ。

・蛯子さん休憩時にペットボトルの水を頭にかける。

・野村さんひとり涼しい顔。

この日は小淵沢まで。宿泊は「高原旅館」夕食は「八ヶ岳ジンギスカンかつみ食堂」

 

第二日

「抜けるような青い空 八ヶ岳もくっきり見えます」とナレーター キートン山田さんの声も晴れやか。

江戸時代後期の裕福な農民の暮らしを再現した、名主の家、旧平田家住宅見学の後、バスで茅野、白樺湖に進む。

白樺湖ではドクターフィッシュに足をつつかれてご満悦の三人。

蛯子さん、湖畔のハンモックで気持ちよさそうなシーン。

リゾート地として全国に知られたこの白樺湖がもとは農業用水のため池だったとは。

きわめて順調な旅のようだったが、リーダーの太川さんは地図を眺めて難しい表情。苦心惨憺、次のように進んだ。

白樺湖バスステーション 15 : 10 ~ 芦田バスステーション 15 : 46 ~ 蓼科役場前 16 : 30 ~ 大屋駅 16 : 57 ~ 上田駅 17 : 36

この日は「上田東急イン」宿泊。夕食「大正館えんぎや」

 

第三日

松本ルートを捨て北国街道ぞいに進むことに決定。信州上田療養センター経由で坂城駅に向かう。

坂城~上山田力石公民館~戸倉駅~矢代駅~松代~長野~牟礼と進んできた。

太川さん曰く「魔の三日目、尺取虫のように進んできた」

(善光寺・川中島古戦場などはパス)

宿泊の「黒姫温泉旅館あすなろ」は、生簀で客が釣りあげた魚を食膳に出すことがウリ。

太川さん、蛭子さんは早速イワナ釣り。マドンナは入浴シーンの撮影。

 

第四日

運命の(無事到着できるか)第 4 日、天気は上々。

黒姫駅から野尻湖に出て関川関所前までの 3.9 km は歩くことになる。途中、北国街道の旧道に入り関所(道の歴史館)を見学。昼食は「手打ちそば御宿せきがわ」で。

食後頸南バスで妙高高原駅に出てさらに関山駅に。この時点で 14 :25 。

関山駅はとてもおしゃれで、野村さん「いいところに来ましたねー」「あー、風が涼しい。高原の風だわー」と絶賛。

しかし、路線バスの旅はここからが大変だった。この先ルートがないのだ。

 

運転手さんに散々聞いて、太川さんの決断は、関山駅から原通り入り口まで 7 km を歩くこと。

「最後の歩きだ。がんばろー」と歩きだす 3 人。

途中トラックの運転手がわざわざ車を止めてペットボトルのお茶を何本も差し入れてくれるなど励まされるが、蛯子さんが音を上げた。

「アーア。多分無理だと思う」

空模様も怪しくなり、にわかに黒雲が現れ雷鳴と共に大粒の雨まで降って来た。

しかし、原通り入り口という過疎な道端のバス停に、日に数本しか来ない小型の市営バスがやってきて、目指していた「新井バスターミナル」に行けることになった。

ところが、新井バスタだーミナルでは直江津行はもう終わっていた。

万事休す か、でも高田の東に位置する中央病院行きは残っていた。病院前から直江津行バスはあるかも知れない。

病院行のバスの中で太川さんを不安にさせたのは、病院に着いて、もし最終バスが出ていたらという懸念であった。そこで地図を懸命に探し、病院から直江津までのルートと、今乗っているバスのルートの接点を見つけ、運転手さんに確かめ、「原通り四丁目」で降りる決断をした。

最終バスに間に合ったことが分かり、安堵した三人の前に夕暮れの街道を直江津行き最終バスが現れた。

 

こうして、無事直江津駅前に到着できた三人は、喜びを爆発させた。

「今回は、奇跡的快挙!」

「成功です。よかったー!」

「イヤー、スゴイ。ヤー最高!」

 

 

 

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路線バスの旅 2

2020-02-21 15:53:38 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

2 月 19 日(火)テレ東「ローカル路線バスの旅 13 弾」を観る。午後 6 : 55 ~ 9 : 00 のゴールデンタイム。

これは、2012. 12. 5 ~ 12. 8 ロケ 2013. 1. 5 放送の再放送。

旅は、スタート新宿駅西口 ゴール新潟市万代シティバスターミナル。

 

第一日

太川陽介はバス路線の多さに「どれに乗ったものか」と途方に暮れている。傍らに、いつもののんき顔の蛭子能収がいる。今日のマドンナは田中律子(一年後にはテレ朝徳光さんのバス旅番組のメインキャスターとなる)”さあいくぞ”というきびきびした身のこなし。

結局、8 : 16 発 野方駅行に乗り、野方からは 赤羽~川口~岩槻~蓮田~桶川~鴻巣~東松山を経由して14 本のバスを乗り継ぎ、熊谷に到着する。時すでに午後 9 時を過ぎている。この日は”熊谷ロイヤルホテル鈴木”に宿泊。

 

第二日

8 : 10 熊谷駅前発深谷行で出発。

深谷~岡部~ 6km 歩き~本庄~伊勢崎~高崎~渋川~伊香保温泉(この日乗り継いだバスは 7 本)

宿泊の”四季の宿晴観荘”では、入浴シーンの撮影もあり無事二日目の日程を終える。

 

第三日 この旅は筋書きのあるドラマなのかドキュメントなのか?

渋川~上野入り口~沼田局~歩き~沼田駅~猿ヶ京(ここに 11 : 40 ごろ着いている)

温泉宿で昼食を取りながらバスのない三国峠越えの作戦を練る。

トンネルの手前まで歩き、新潟県側の温泉宿に宿泊の連絡をして迎えに来てもらう。

この計画は甘かった。

歩きだしたのは 15 : 30 ごろ。山道を 7km も歩くと日が暮れてきた。雪も横殴りに降っている。

「今回はしんどいなー」と思わずつぶやく太川さん。「疲れたぞー」とシュプレヒコールのように叫ぶ蛭子さん。

傍らを観光バスが 2 台 3 台と通り過ぎていく。空席も見える。越後湯沢温泉へ向かうバスだ。

「載せてって―」と田中さんが叫ぶ。バスは無情にも走り去る。

(これは、台本にあったのか、ドキュメントなのか)

「もう歩くのはやめよう。危険だ。」太川さんが決断し、新潟県側の温泉宿 4 軒に電話を入れるが、ことごとく断られる。その日は金曜日で客が多く、迎えには行けないとのことだった。

さあどうする?

絶体絶命の場面でマドンナの田中律子さんの脳裏にひらめいたのは、貝掛温泉温泉!女将と友達だった。

地図で貝掛温泉が近いことを確かめ、田中さんが電話を入れると、当日は休館日にもかかわらず、宿泊OK、迎えにも来てくれるとのこと。

30 分後、貝掛温泉の長谷川夫妻が車でかけつけた。

 

第四日

温泉宿から近い”浅貝上”バス停から 6 : 55 始発越後湯沢駅行きバスに乗車。

女将さん心づくしの魚沼米塩むすびを「おいしーねえ」とほおばる三人。

 

新潟県に入ったのだから県庁所在地新潟市へのルートは簡単だと思われるが、路線バスで繋ぐのは大変だった。

湯沢駅前~六日町駅前~小出営業所~小千谷駅前~長岡駅前~東三条駅前~新飯田新町~燕駅前~白根健生病院前

このルートを初めて訪れる旅人が乗り継ぐのは至難の業。バス営業所の職員だって難解だ。おまけにこの日は土曜日で休日ダイアでの運行。本数が少ない。苦心惨憺で、白根健生病院前からの新潟駅行きの最終バスを捕まえた時の嬉しさはTV画面からよく伝わってきました。

うれしいことに、そのバスは古町経由ということで、万代シティバスターミナルというバスストップがあったのです。もう乗っていればゴールできるのです。

こうして、20 時過ぎ無事目的地に到着した三人は思わず「ばんざーい、バンダーイ」と叫ぶのでした。

 

水を差すようですが、運転手さんにあまり聞くのはどうかと思いますが・・・。運転手さんも親切気を出して赤信号の間にルートを探してあげるなどしないほうがいいと思いますよ。

 

 


路線バスの旅

2020-02-18 20:26:59 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

2 月 17 日(月)BSテレ東放送の「路線バスの旅」( 2014. 4. 20 の再放送)を観た。山口~室戸岬を路線バスを乗り継ぎ 3 泊 4 日で行くのである。果して行きつけるのか。

第一日

山口駅前から 7 : 25 の徳山行き路線バスで出発。

この日は 10 本のバス路線を乗り継ぎ、つながらない箇所は歩き(35 分)広島県竹原に 20 : 48 に到着し、宿を探して宿泊した。

第二日

竹原駅 6 :35 三島行きの路線バスで出発。

尾道から”しまなみ街道”に入って四国に渡る。ここがこの旅のハイライト。

路線バスでは島と島を渡す橋は渡れないので、歩かねばならない。

総計 3 時間弱歩いた。乗り継いだバス路線は 10 。

愛媛県今治を眼前にした”大島”の民宿に 18 : 00 過ぎに到着、宿泊。

第三日

最後の橋”来島海峡大橋 4105m ”を渡り、この日も 10 本のバスを乗り継ぎ、85 分歩き、 18 : 09 に高知県吾川郡仁淀川町の民宿”いなり”にたどりつく。

第四日

バス停”狩山口” 7 : 42 出発。バス 3 本を乗り継いで 12 : 58 に無事目的地にたどり着く。

 

決して楽な旅ではない。

疲労困憊の表情を時々見せるのは、蛭子能収さんとマドンナの宮地真緒さん。リーダーの太川陽介さんはどんな過酷な局面でも決して弱音を吐かない。明るく前進あるのみ。そして、夕飯時には大ジョッキのビールを豪快に一気飲みをする。

地図を手元に置いて観るのが楽しい番組だ。