春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

心に残った、北関東の社寺 ② 桐生天満宮②-①

2022-06-02 22:37:34 | 心に残った北関東の社寺


👆日曜日、5月29日の
桐生天満宮は群馬県、
子供が背中で、何撮ってんの?
北関東、心に残ってた社寺を撮るには、
暑つっ・・熱かった ‼











桐生近辺を1187年から、支配していた桐生氏が、
京都の北野天満宮の御分霊を合祀して
「桐生天満宮」 と改称した1350年、
1778年から15年かけて、
1793年落成した社殿は、

1789年の棟札から、
群馬渡良瀬川・花輪の近くに住んでた、
関口文治郎、58歳。
公儀御彫物棟梁関東彫物大工
日光山彫物棟梁として、
使いぱっしりを、自分の子供2人にして、
弟子8人が装飾に技術を競うように、
彫り上げたもの。



















1731年に生まれた関口文次郎さん
末裔の方たちが語る伝説
群馬県に数十回通い始めるきっかけが
彫り物師・文治郎の人間像
文治郎が武州公儀彫物棟梁として
独自の世界を繰り広げた
桐生天満宮の彫り物

画質は悪いけど
もう少し
次回で
展開です



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心に残った、北関東社寺 ① 宿稲荷神社 ②-②

2022-05-31 21:13:27 | 心に残った北関東の社寺

宿稲荷神社、畑の向こうに秩父連山、
地元の人たちだって、お参りにと
歩いていくには、ちと遠すぎる。
なのに、訪れるたびに境内は整備されてる。
氏子さん・隣接地の墓地を管理している人たちが、
休憩所を置いて、宿稲荷を守ってます。
そんなところも、眼に焼き付いてます。






👇拝殿の向拝には、
須佐之男命が櫛名姫を守って、
大蛇を退治している彫り物を。



奉納された額は、
諸流射術とあって、元治2年(1865)
弓射の理法の修練で、
人間形成の道を基本理念とした弓術者の名が
200名ほど、
まもなく明治、激動の江戸末期、貴重な物かも。



榛名講の人たち、榛名神社に出向くとき、
皆、立ち寄ったといいます。

👇本殿には、
北関東(群馬・茨木・栃木の三県に・・埼玉県)
の社寺には、江戸中期から、胴羽目いっぱいに、
故事の彫物を施すのが特徴で👇脇障子も、
わが子を谷底に落とす獅子を彫り、
見る人たちが、徳を刻むように、






彫り物師も勉強したのでしょうね。













群馬・埼玉の広域から
信者の寄進で造営された
宿稲荷神社
石原常八親子が
田んぼを見ながら、掘っ立て小屋
鑿袋から鑿を手にして

掌に、口から気合の滑り止め
・・・・・・
浮かんできます



誰? しっぽ、折ったのは・・













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心に残つた、北関東社寺 ① 宿稲荷神社 ①

2022-05-29 22:43:20 | 心に残った北関東の社寺

群馬県北群馬郡榛東村広馬場3971 
関越自動車道 前橋I.Cより車で約19分 
柏木沢農協前バス停・下車徒歩約7分

花輪彫刻集団のひとり
石原常八・親子3代が
渾身の彫りを残した
神社




 








1861年の灯篭


松井田領主
儘田武右衛門さん寄贈






長谷川家に養子になった
一族・小林源太郎
榛名神社の双竜門の扉に
影響を与えた宿稲荷の扉









紹介されて飛んで行った
榛東村の田園景色に
想いでは人との思い出も重なり
忘れられない
宿稲荷神社
続けます
ファイルは5月29日今日です

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