台湾の歴史史料を整理していたら、面白い文献がでてきた。僕の書斎には、尖閣列島は、明王朝の時代には琉球王国の実効支配が台湾島周辺には及んでいなかったと主張する中国側の研究文献がある。もし、琉球王国が台湾島の付近を実効支配していないなら、尖閣は台湾島の付属の諸島となるので、明王朝を継いだ清朝が台湾省に編入したから、中国の領有権の主張にも、ひとまず理屈として成り立つかもね、とぼんやり考えていいた。清朝の「雍正朱批諭旨」には、「清王朝が琉球国使に冊立封建した海宝」という琉球人の奏上により、福建省の天后媽祖廟の春秋の大祭の主宰権を与えたという公文書が残されていることが確かめられる。琉球国の対清朝の外交使節の長に対し、中国大陸の一部に属する福建省の甫田県にある天后媽祖廟の祭主権を認めた。これは、清朝が琉球王国を介して、台湾島の周辺の船舶航行権を間接的にに管理していたとも解釈できる。しかし、他方で、琉球王国が実効支配した領海は狭くて、最南端の尖閣諸島には及んでいなかったという中国の学者の学術的な主張は崩れるのである。なぜなら、天后媽祖廟から天后の塑像を下賜され、それを船舶の祭壇に飾り祭祀しないと、福建人が運行する船舶、つまり当時の全ての中国船舶は、一隻たりとも運行できない。そこには、船主のギルドと船員のギルドの媽祖信仰の宗教的な厳しい盟約があるからだ。それで、江戸時代に長崎に来た唐船は、この神前盟約の拘束を受けていたのである。この仕切り役を琉球国に委任している雍正帝の決裁文書が存在する以上は、琉球国が台湾だけでなく、対岸の福建省に及んでいたことを意味する。天后神は、航海の女神として全ての唐船の命運を主っていた。琉球国の海商の主体勢力圏は、僕の想像よりもはるかに広かったのである。
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