富山出身の井波律子さん「完訳論語」(岩波書店)で、学而編の第7章、「賢賢易色」を、「賢者を賢者として美女のように尊重し」と訳されている。前半は正解である。「色を易える」というところで見事につまづいた。「色」とは、顔色である。賢者の言動に接し、学んでいると、顔色(顔つき)が感化されて変わってくることを意味する。論語では、子夏の言葉になっているが、漢代に書かれた「韓詩外伝」には、閔子ケンが孔子の強化をうけ、「菜色」から「芻豢の色」に変わったことを子貢に指摘され、「易色」の理由を問いただされた話がある。ここに閔さんの見事な実例がある以上は、「色」を美女だ例える艶めかしい翻訳は慎むべきであろう。韓嬰は、これを「切磋琢磨」という詩経の事例として挙げている。子夏は、孔子から詩経の「切磋琢磨」をすぐに思い出したので、いたく褒められている。
「賢を賢として色を易(かえ)る」とは、孔子のような賢者の薫陶をうけ、青臭い青年から思慮深い成人の顔つきに成長したことを意味している。僕が典拠とした「韓詩外伝」は、中国では「論語」を読解する際の確たる挙証として用いられる古典である。ちなみに、加地伸行先生は「夫婦はたがいに相手の良いところを見出してゆくことが第一であり、容姿などは二の次だ」と現代語訳(講談社)をされている。すくなくとも、「詩経」の伝のひとうである「韓詩外伝」くらいは、確認しておいて欲しかった。
昭和は、大教授が学力崩壊していたわけである。かくいう僕もその一人。