富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

論語の「邦君樹塞門」の読み:日本人学者の誤読はひどい

2018年02月14日 | Weblog

「論語」の八佾篇の第22章に、この文章がある。中国の学者の現代語訳をみると、「邦君、塞門を樹(た)つ」と読んでいる。樹木の「樹」は、「立つ」の同義語である。ただ、朱子は「屛は之を樹という」と誤った注をつけた。それで、井波律子さんも、「邦君は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ」と訓読し、「君子は石の衝立を立てて門内が見通せないようにする」と口語訳されている(『完訳論語」)。この訓読は、安井息軒に始まる。今朝、中国の漢代に編纂された古い字典「方言」を調べると、「樹植、立なり。燕の外郊、朝鮮の冽水の間はでは、およそ置きて立てる者は、これを樹植と謂う」(『方言』七)。この地名は、後漢の初めころ、今の北京から朝鮮半島では、「立つ」という意味の言葉を「樹植」といっていたという方言の説明である。そもそも、春秋時代の魯の国の孔子が、「樹」を立てる、という意味で使用していた言葉が、東の夷では、「樹植」で「立つ」という意味の方言になっていたことが確かめられる。

これは、何も難しくない。「樹立」という熟語は、「樹」が「立つ」という意味であるから同義の漢字をふたつ重ねて「樹立」、buildの意味になる。「樹」を「たつ」と読んだのは、日本では、加地伸行先生だけである。朱子は、樹を名詞と解した。「樹」は、目的語(賓語)をもつ典型的なVerb である。日本の学生は、岩波の本にどれだけ騙されてきたのか、想像を絶する。孔子は、志を立てるという心の次元を「立」で表し、建造物の場合は、「樹」と動詞として用いている。こんな用語法に区別もしないで、「完訳論語」と称したのは許せない詐欺行為だ。井波さん、「石の衝立」、この日本語も可笑しいでしょう。「石の屛」なら、日本語として正しい。

 


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内向きの「万葉」学者の饗宴:「詩経」の欧文翻訳に学ぶ

2018年02月14日 | Weblog

私は不勉強なので、「万葉集」に英語訳、フランス語訳、中国語訳があるのか、知らない。私が国学派に疑問を抱くのは、国粋が排外または、外国文化を避ける心理的態度である。大阪大学で、教養部の犬養孝教授に対する敬意と、文学部教授たちの苦笑をまじかにみてきた。私は、文学部の助手だったので、学部生にY君がおり、犬養信者として、万葉ツーリズムの世話役をしていた。ところが、驚いたことに、卒業論文と「万葉集」の間には、彼はなんの橋も掛けることができなかった。それで、卒論の指導には苦労した怨みが残されている。せめて、「万葉」の時代の中国大陸の文化でも扱って欲しかった。つまり、犬養さんは、国粋すぎたのでで、Y君が東洋史学講座に所属する利点をなにも生かせなかった。実は、万葉に用いられた漢字の音の借用だけでも、国粋主義は前提として成立しない。

私が、今、中国人が、特に外交官が、中国の古典である「詩経」を主な欧米語に翻訳出版する事業に大きな努力を払ってきたという事実をしった。陳季同「中国人自画像」という書物にその事実の一端を知った。中国文化が、フランス人から尊敬されるのは、こうした努力が何百年も積み上げてきた事実にある。「一帯一路」というには、最終、文化の架橋が意識されている。日本人が万葉集を日本人の内部で文化の自己消費を行うなら、富山の工芸品が欧州で理解される糸口は拡がらない。せめて、「万葉集」の中国語訳だけでも、富山人は歴史に足跡を残せる。高岡市民には、その能力が潜在するとにらんでいる。「詩経」を原文で読む力がある人たちがおられる。

 


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曹操が再編集した「孫子兵法」のほうが、千金の書物だ。

2018年02月14日 | Weblog

「三国志演義」が書庫から出てきた。頭から読み始めたが辞めた。同じなら、「資治通鑑」の方が百倍ためになる。まだまだ、小説という娯楽には走れない学者の「意地」があるからだ。それと、劉備、関羽、張飛の出会いの場、「三国志演義」には、骨格しか書かれていない。なるほど、ドラマや劇画により、さらに膨らませる余地があることを知った。

しかし、曹操に関しては、散文、詩の世界では、劉備らの輩とは異次元の人物である。儒学の体系化には、「魏王朝」は格段の寄与がある。中国では、曹操の人格・人望のほうがはるかに高く評価されている。なるほど、文章として読めば、「三国志演義」には学べるところは少ない。大学で中国語を選択したなら、せめて「三国志演義」は娯楽を兼ねた教養として、お勧めする。でも、学者一生をかけて読むだけの価値はない。曹操が再編集した「孫子兵法」のほうが、千金の書物だ。

このあたり、高岡高校の出身の、井波律子さんの学問が娯楽に終わる哀しさと重なる。高岡の地の挽歌かも知れない。

 

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2月13日(火)のつぶやき

2018年02月14日 | Weblog

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