富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

『京大生小野君の占領期獄中日記』を戴いた

2018年02月03日 | Weblog

小野君とは、中国近代史研究の大家である小野信爾教授のことである。朝鮮戦争に対し、「反戦ビラ」を配布し、米軍占領当局の主権下、投獄されたその獄中日記である。京都大学学術出版会から公刊された立派な戦後思想史の史料であり、歴史の証言である。京都大学が立派なのは、学生の運動も有り、当局が小野さんの学籍を守ったことである。当局は、自主退学を強くもとめたが、運動により、刑期満了後、復学され、著名な歴史研究者となられた。いまや、朝鮮戦争は、北朝鮮からの策動であると歴史学は証明している。ただ、朝鮮戦争はいまなお北東アジアにおける未解決問題の基礎にあり、アジア連帯の面から小野君の戦いは、畏敬するべき先駆者であったことも確かである。

僕は京大との関係では、小野信爾派ではなく、どちらかといえば、堀川哲男派である。しかし、小野さんは折に触れ、厳しい助言と深い慈愛で接して下さり、このたびも献本を戴いた。小野さんは、徹底した反米帝国主義の視点と親中国主義を貫かれたが、その信念と体験とは本物である。中国共産党には、絶大な信頼を寄せられている。これは、終生貫かれると思われる。小野さんの学風は、厳しく、徹底した文献史料を丁寧に史料批判を重ねて組み立てるもので、そこから思想性の発露を禁欲しながら、重厚な論を構築される方である。

小野さんの気持ち、<歴史家が後輩の歴史家に歴史研究の対象にされる>のは、実は居心地の悪い話である。獄中日記は、これからゆっくりと拝読することにする。戦後史の掘り起こしにおいて、宇野田尚哉教授(大阪大学)が中心となり、獄中日記を一次史料として、戦後日本人のアジア連帯の思想史が、アカデミズムのなかで市民権を得ることは、日本の将来にも有意義である。日本の有名大学は、大学史料館を充実させており、その成果も本書の背後にある好ましい傾向を後押ししている。この点につき、付記しておく。


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企業のHPの英文ページ増設支援事業

2018年02月03日 | Weblog

富山の企業で、ホーム・ページにすっきりした英文ページを持っているのは、三協立山さん。すでに、ヨーロッパ、東南アジアでの事業展開があるからだ。英語が必要なのは、アメリカ、イギリスだけではない。ヨーロッパも、アセアン諸国も、全て英語が共通語となっている。

それで、富山新聞の文化センターに提案した。趣味・道楽の教室も大事だが、富山の文化を海外に伝えるのは、企業の営業の展開力を高めることだ、と。それで、企業の広報担当の社員さんを対象に、「企業のHPの英文ページ増設支援講座」の開設につき、文化センターのトップから具体化の指示がでた。それで、富山大学の国際部の部長である田中先生にお会いして、大学としての後援をお願いした。大学のテクニカル・サポートがないと、日本語のページの英文訳に終わるからだ。専門性あるHPとのリンクの紹介など、大学からの地域の国際化の支援をお願いした。

それは、自治体の仕事ではない。地方自治体は、現代の「太閤検地」に全力を傾けるべきである。観光は民力に委ねましょう。そもそも、土地面積の測量、所有者の不明の不動産、山林など、明治以来の紙ベースの行政に基礎データが、厳密に測量するとズレている、固定資産税の請求先が不明、こうした底割れに努力を傾注するべきだ。

 


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「奇跡の村・船橋」刊行をお祝いします

2018年02月03日 | Weblog

富山新聞社報道局篇の船橋村の特集が本になった。「過疎、少子高齢化問題を乗り切る知恵がここに」と帯にある。表紙カバーは、アニメ調になっている。

メディアが、地域を育てる方法は2つある。一つは、父性を暴く、悪代官を見つけ、地方新聞がヒーローとなるパターンである。だから、いつも悪者探し、あら捜し、果ては裏情報を隠す代わりに代償を受け取る「ブンヤ」稼業の世界である。政治部が主体となると、明治以来の自由民権運動の暗部と縁が切れないパターンである。

もう一つの方法は、褒めて育てる「農園型」の育成パターンである。船橋村の奇跡を読み解くのに、大学の研究者のマクロ、ミクロの分析視点を取り込みながら、理屈臭くならないように、社会という枠取りがしっかりしている。その上で、現場主義が徹底している。しかも、記者の体温が共感型なので、取材されるほうがつい乗せられてしまう。船橋村からでた有名な経営者は、幼児期、電車で上市の保育所に通っていたという一節が、とても気に入った。そうです。富山人は、家庭内の教育の限界を知るので、経済力に関係なく、「地域のおばさん、お姉さん、お兄さん」の代表である保育士に、富山人としての骨格の育成がなされているところに魅力がある。この保育感を大学教育にまで循環型にできたら最高だと思われる。今、富山では、学童保育において、全国の最先端に立てる条件がある。


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