富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

オーダーメイド型の地域行政:「耳」の力で個人情報の壁を超える

2017年08月17日 | Weblog

ここまで少子化してくると、個々の家庭の条件に即したオーダーメイド型の地域行政が可能となる。このヒントを戴いたのは、アルスホームの山海社長の富山大学での講義である。プレカットされた木材のパネルを工場で作り、注文から完成・引き渡しまでの工期を短縮するプレカット工法の世界とは逆の営業スタイルである。アルスホームさんは、注文主のファミリーの人生の時間サイクルをできるだけ長いスパンでヒアリングする対話型の営業を基本としてる。

この考え方や営業スタイルは、地方議員と地方自治体の新たな関係を示唆している。両者は、「世帯」の持続性にポイントがある。決して、人口政策が基本ではない。富山の場合、3世代の同居か、近住を可能にしている「ウチ」「イエ」のサポートを軸に、地域の土地と家屋からの固定資産税の税収効果の最大化である。

福祉主義がいけないのは、地域のセンターラインの劣化を見落とすからである。あくまでも、歳入を基本とする税収効果が検証の基本軸である。富山の場合、富山湾岸社会主義の伝統が強いので、歳出を引き出す行政を福祉だと考える。

そうではない。地域の雇用を生み出すのは、企業である。個人企業でも企業である。個人タクシーも、基本、個人企業である。地域全体の産業ロジスティクスの設計、改良、修正、高度化などの地域における税収効果こそ、地方自治体の経営に基本となる。

そのうえで、何らかの困難は、税の関係に資料から容易に、系統的に発見できるから、定型・定番のメニューに合わせて大量販売型の福祉訪問活動ではなく、オーダーメイド型のケアーが可能となる。行政の縦割りではなく、横断的な「ウチ」「イエ」のサポートができる。

地方議員さんには、地盤という土台があり、その土台を維持するには、どんな「ウチ」にしたいのか、「イエ」にしたいのか、収入の増の相談など、オーダーメイド型の地域行政が可能なのに、これらが「個人情報保護の壁」にあたり、アバウトな地域貢献のネタしか掘り起こせていない。富山湾岸社会主義運動は、「個人情報」である「米櫃が空になる」所帯の個人情報を把握した「義倉米」制度に起源がある。お寺さんが、個人情報に通じていた。社会主義では、社会政策しかでてこない。個人情報を地域で共有できるには、「お寺」に代わり「役場」と地方議会の世話役の「耳」の力による。


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富山県の持ち家率第一位の意味(富山学教材)

2017年08月13日 | Weblog

ある方が、TV番組の取材でこういった。富山は昔、水害が多く、貧しかったので、家を財産と考える風習が強まったからだ、と貧困伝説を主張。これは、不勉強すぎる。日本史でも稀有な、越中の歴史の知識がなさすぎる。

歴史的にみると、越中では、加賀前田藩の改作法の土地被配分者と、浄土真宗の門徒としての一人前の資格とが、「屋敷地もちの農家」と二重に重なっている。江戸時代、前田藩は越中の統治において、武士を農村へ派遣しないで、「十村役」制を採用した。この「十村役」が役人として仕切り、ムラの土地の耕作者をくじ引きや輪番で割り当てた。それで、年貢の負担の平等化が行われた。「十村役」の下には、一人前の農家が営農責任者として、自己の属する「ムラ」の自治主体があった。その条件は、ムラに「屋敷」をもつ「ムラの株仲間」である。この「十村」のもとで村の行政を仕切る農家は、同時に、浄土真宗の村にあるお寺の僧侶を兼ねたり、檀家総代などの役目を分担した。さらに、「講」があり、宗教の面で相互扶助したり、京都への本願寺への参観のための旅行の組織となった。

こうした越中の「講」に属するには、「屋敷」地をもつ農家として、一人前の構成員になる必要があった。「屋敷」をもつ「家持ち農家」になることが、郷土の祭りや、水利権、漁業権に1票を割り当てられ、一人前になる基礎資格であった。次三男は、養子となり家督を継ぐ、両養子といって、子供のない家格を夫婦で相続するなどの維持が行われた。したがって、「姓」だけでは、「屋敷」地をもつ「家」と特定できないので、「屋号」制度が発達した。

第2次大戦後、日本各地では、入会地という共同資産をもつ村落共同組織が崩壊したが、富山の場合、浄土真宗の持続力が強く、さらに、「屋敷」地をもつ「家」の持ち主に対して、社会的な信用が供与される地域金融組織の持続性と重なり、都市部でも、「持ち家」所有者の「イエ」を基盤とする富山型社会が出来上がった。

隣県に石川では、家の番地が道路に沿い、区画割の数字がきれいに文字列と数列に振られている。富山では、「十村役」による「改作法」のため、「イエ」と「農地」との関係が固定していかかったので、明治期からの国の土地登記の制度を基点に地番が割り振られた。そのため、第2次大戦後の農地改革でさらに枝番が増えた。石川では「土地に人が従属」、富山では「リーダーに人が従い、それにより土地が流動する」という江戸時代の前からの越中組の仕組みが、現代に非常に近い時代まで生きていた。だから、「一人前にするために家持の所帯主」を育成し、奨励する社会慣行も持続したのである。

歴史を深く掘り下げると、「イエ」「家屋」「屋敷地」「屋敷林」・・・「地面」(屋根雪の除雪のため100坪)という形から、今のデザイン住宅への「流行と不易」が見えてくる。

 


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Kは予告どおり、グアム周辺のミサイル威嚇を実行

2017年08月12日 | Weblog

世界の歴史で、皆が静かに廃棄を期待しているのは、国家としての北朝鮮とアメリカではない。あくまでも、両国の現政権に限定されている。だからこそ、「アイツら」の共倒れを期待する。それが最良の結果である。トランプの大失敗と、金正恩の暴走とが、相殺されるのが、世界のベストのシナリオである。まず、ヨーロッパ諸国、アフリカ諸国、アジア・オセアニア諸国は、T政権とK政権との相討ちが望ましい。それが、国際貿易為替のレートとして、ドル安、円高となって現れている。

K政権は、韓国の同胞、在日朝鮮族を核兵器の被害者として選択することはできない。それでは、北朝鮮労働党の大義名分が失われるからだ。アメリカでは、大多数が、トランプの大失政を期待している。彼は弱虫を演じられないから、必ず冒険主義にでる。その時、世論の愛国主義は、冒険でも勝利を歓迎するから、自重して、K政権との外交交渉に持ち込んで弱虫を演じる余裕は、今やT政権にはない。

これは、共和・民主ともに、朝鮮戦争の終結の作業を先送りしてきたからだ。日本国の国益を考えたら、TとKとの政権の相討ちが望ましいという英国流の割り切りがベストである。中国は、さらに厳しい選択の結果、K政権のみ切り落とされ、北朝鮮労働党の支配の継続が望ましいと考えている。ロシアも利権のうえで、北朝鮮労働党の体制の維持されたら、K政権の切り取りは、別に構わない。Kは周囲がK家の血族支配の永久化が、朝鮮労働党のトップ層では期待されていない。何かあるたびに、K家血族支配の基盤が僅かづつ削り取られている。

Kは予告どおり、グアム周辺のミサイル威嚇を実行する。迎撃が不能だと、T政権と日本のA政権の失政となる。これほど有利な賭けはない。もし、ミサイルが迎撃されても、K政権は崩壊しない。けれども、K政権の内部では、K家血族支配の基盤が弱まられている。

結論として、K政権に内側も、ロシア、中国の対朝鮮部局も、グアム基地攻撃を試してみたら、という選択肢が強い。K政権のT政権への揺さぶりを試してみたらという計算がある。そのあとは、外交舞台に持ち込み、利権保全を果たすだけである。中露は、冒険するな、と言いながら、K政権の背中を押している。アメリカ軍の防御性能が強ければ、日本は対米協調すれば良いし、下手くそだと、日本はアジア連帯という伝統思想に逃げこめる。アメリカの識者は、非常に難しい局面だから、T政権に全ても失敗を背負わせたいのだ。世界のずるい賢者たちは、愚者のTK戦争を避暑地で眺めている。Kの強みは、ゲーム感覚にある。Tの弱みは、アメリカの全てのカードをKとのゲームでさらけ出すわけにはいかないからだ。ここで、アメリカ一国支配の終焉を見せてしまいたくないからだ。


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政策研究における演繹法と帰納法【訂正】

2017年08月12日 | Weblog

今の選挙制度だと、選挙区ごとに「要望課題を集める」⇒「課題ごとに整理」⇒いくつかの政策課題に要約する。現実は、多変量で、かつ複雑系なので、そこから帰納する限りは、複数の解決課題が並行的に羅列されるだけである。そこから、予算を要求し、順に予算を奪いあう。年次計画にそい選挙区ごとに予算配分していく。課題から帰納する思考である。ところが、誰も気がつかない領域や次元があると、群衆の盲目の巨象の演繹法に陥る。根源の解決法でないと、そこに負の連鎖が生じる。

演繹法は、軍国主義のもとで、国策至上主義として現れた。お上の御意向からすべてを演繹する。これは、民主主義に反するが、迅速に大きな恵民の効果が期待できる。富山県の県政の歴史だと、明治からの治水・利水を第一義とする県政思想である。そこから演繹して、水力発電事業を県営で推進する施策である。この事業は、大きな効果を生んだが、軍国主義による経済の軍事化のために、国策に吸収された。この歴史から、県政と水力発電とは、完全に分離するという施策が、ある種の固定観念を生み出した。しかし、最近、小水力の発電が進展しているが、基本、北陸電力に買ってもらうことで、資金循環が期待されている。だが、県営で発電する事業は、他方で法律の壁があり、すぐには立ち上げられない。しかし、情報革命の結果、交流の発電に対し、直流の発電と送電網が注目されている。交流は回転させる動力に強く、直流は情報機器に適しているといわれる。今後、電気自動車が普及してくるが、交流から直流へ変換して充電する方式と、ダイレクトに直流送電線から充電する方式も考えられる。直流発電、直流送電網という可能性から「演繹」すると、富山の中山間部の山村の役割として、木材利用の発電、木炭の製造とその利用などを含めた「バイオマス発電の新思考」が可能となる。科学研究により可能な「演繹法」の道筋を外し、タウン・ミーティングによる「帰納法」に頼ると、大きな悔いが残る。そこには、中山間部の山村の役割を根底から再生する「科学の道理」がないからだ。安楽死のプログラムに全員署名をするようなものだ。過去の総合計画のなかに、情報革命への対処という形而上の提言があり、それを2017年の最先端の科学で裏付けたら、重化学工業を第一とする主義から、情報革命に対応する産業革命、産学協同により、描き出せる県政の総合計画の継承関係が見えてくる。

 

 

 

 


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富山県政に一度も検討されなかった専門職大学院

2017年08月11日 | Weblog

タイトルがややオーバーである。実は、富山大学の人間発達学部は、教職のための専門職大学院を実現している。だから、富山県政では一度も議論されていないのはウソである。しかし、県の管轄する行政権限の内部では、県立大学の大学院の工学研究科があるだけだ。それは、通常の学部教育の延長としての大学院である。

社会人が入学し、専門研究を深める仕組みである。学部の教育を兼任しない。主に、博士・修士の養成機関ではあるが、入学者を社会人とする専門職大学院である。これは、有給休暇制度を最大限に活用するのもので、企業からは在籍出向の形となる。富山大学では、経営学に分野でそのような試みがあるが、まだ、成案を得ていない。

富山県が自己責任で開拓するべきなのは、医薬品工学の専門職大学院である。研究者は、富大、県立大、薬業研にまたがり、また、海外の提携・連携先につながるものである。もう一つは、原子のレべりからのナノテクを駆使した「お米」の研究である。これは、食薬の同源につながり、看護学の基本にも関係する。

財源は、特別県民税と制度的な寄付金である。この2つは、世界の最先端の研究者を集めなくてはならない。

このような世界では、教育を下から設計した大学院では不可能である。アメリカのメジャーリーグの野球のように、上から最強のプレーヤーを集めなくてはならない。できるだけ、県庁職員は、きちんとした学会に参加し、研究者としての「入場券」「入館証」「聴講券」をもち、アンテナを先端の学界に眼をむける必要がある。日本には、腐るほど専門学会がある。

30年先の科学研究の伸びしろに合わせて、休日こそ学問をしませんか?県庁職員の「知財」化、それが経営課題なのです。早く、富山湾岸社会主義運動と一線を画してください。なぜなら、社会主義には「権力の科学」という歪みがあるからです。


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最先端の産業があって、新世代の家庭が集積する

2017年08月11日 | Weblog

「奇跡の船橋村」には、最先端技術のファクトリーがある。周辺には、製薬のファクトリーも多い。

日本では、世界に比べ落後しているのが、農業であり、林業である。産業としての落後性のため、知的人材も集まらない。森林がつくる水が、海に流れて美味しい魚を沿岸で再生することは、広く知られた事実である。これと似た現象が、庄川の流域にある。この地では、種もみの生産が古くから根付いた産業であった。庄川の種もみから稲の苗を育てると、病虫害にかかりにくいという市場評価を得てきた。それが、なぜなのか、だれも深く解明しなかった。

勉強すると、米穀の奥行きが無限に近いことが分かる。食用油となる油性分、日本酒、米酢、味噌などの発酵、米を粉にした米粉の食品、もみ殻を炭にして製鉄に使用、稲わらの効用も無視できない。こういう伝統の世界は、経験値が固定観念となり、中世の理学という枠内で整合する。中世の理学という枠とは、「朱子学のいう格物」の理学である。

今は、根本をさておき、品種改良にかかわる遺伝子研究の成果の導入がみられるが、根本としては、お米を原子のレベルの構造体として、ナノレベルの物理化学として素材研究される時代にきているで。経験値を固定観念とする中世の理学から、米穀を物理化学の最先端に晒すとどうなるのか?

一つの論文をみつけた。大阪大学での研究のようだ。米でんぷんの消化効率の高さを証明する効果があるようだ。

生デンプン粒のアミラーゼによる消化特にコメデンプン粒について

この謎ときから、コメを粒として利用する食品化の逆に、原子からナノレベルから構造式を考える食薬同源に新しい道が生まれてくる。量子力学は、朱子学の理学の原点にあった陽と陰の次元への本源回帰を可能にする。原子への還元、これをお米で考える。食品であり、薬品である様々な「経口物質」が発見できる。

富山大学のオープンクラスで、ハングルと量子力学を学んだ。ハングルは音声記号の体系として優れた表音文字なので感心した。それと量子力学とは、最小単位の記号のロジックという一点でつながる。


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観光学アタマ、経営学アタマ

2017年08月11日 | Weblog

行政系の人材には、経営学系の人材は少ない。相当に専門学力を必要とする。自治体の首長が、管内の税収効果につき微細につかみ、域内の経営組織へのきめ細かな施策により、改善につぐ改善が自治体を媒介して可能ならば、それは優れた「経営学的な行政」といえる。

富山県の石井知事は、その面で戦後最強といえる。南砺市の田中市長も、優れた「経営学的な行政」のできる人財である。ただ、南砺市という括りが、自然条件の面で厳しい制約に直面している。

地域経済の単位として、南砺は10年後には、富山県の玄関口となる可能性がある。それは、東京と名古屋とがリニアモーターカーで40分で結ばれることである。この名古屋から先は、主要には東海道・山陽道の列島幹線に結ばれるが、日本海側の入り口としては、道路交通の面では、南砺市が大きなターミナル効果をもつ。北陸観光の最初の拠点地として、南砺市から金沢へ、能登へ、高岡へ、富山へ、そして立山への拠点となる。リニアは、ほとんどトンネル空間であるから、観光客は、逆に、道路による景観の開けた世界で開放感を楽しむことができる。もう一つは、人財の移動効果である。

首都圏と富山県との人財の交流の相乗効果により、デザイン系のクリエーターの職住に最適の地となる。この効果は、すでに富山県の東部には生まれている。10年後は、南砺を中心に県西部は、名古屋経由の太平洋ベルト地帯との広域経済圏へ繋がる。速度では、相対的に劣化した富山市が優位性を確保するには、港湾と空港の機能のネックを解消するほかにない。その可能性が低いとするなら、南砺が富山の表紙になり、高岡、富山が裏表紙になる逆転も生じる。

その場合、南砺の主な産業の「核」となるテクノロジーは何か。それは、世界の最先端の「緑色産業」であろう。衣食住にわたり、何が先端となるのか、高度な生物学が主導する可能性を探るほかない。経営学アタマ>観光学アタマの不等号を忘れると、おバカな中高年の行政マンが横行することになる。米穀が全人類にとり提供できる「お米の原子レベル、ナノレベル」の探求などが決め手となる。農業の高度化のために、英語を公用語とする専門大学院を構想するべきであろう。

大学院は、下から積みあげて造る時代はおわった。大学院とくに専門職、社会人の研究参入というように、世界の最先端から着地点を見出す設計が基本となる。世界の最先端の「緑色産業」と専門大学院を結合し、福野農学校の伝統を蘇らせる道はないだろうか?美しい散居村に風景になじむのは、最先端の技術という対極からの誘いであろう。

 


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朝鮮の歴史の発展法則

2017年08月10日 | Weblog

怒りに狂うほどの脅威は、北朝鮮の核武装である。しかし、これだけの経済制裁を受けながら、短期間に兵器開発を遂げたのは、北朝鮮の平城である。韓国は、この間に進歩なしか、退歩。

朝鮮の歴史は、太古の箕氏の時代から、北朝鮮が歴史において優位性を保ってきた。李氏朝鮮の時代にも、通貨の流通では、南、中、北部の三つの経済圏に分かれていた。通貨に統一に成功したのは、日本の第一銀行券とその電信為替制である。その時でも、北朝鮮は帝政ロシアの東方進出に付随し、シベリア鉄道の沿線に遠隔地商人の武装した商団を経営し、経済基盤を構築し、日本の東北進出の対峙する勢力を構築した。これが、コミンテルンの極東支部となって、今なお、北朝鮮労働党として武装した政治星稜として、遂に、世界史にデビューした。

したがって、その裏面には、歴史の偶然はなく、必然性が隠されている。北朝鮮の富の源泉は、レアーメタルであり、無煙炭である。経済制裁をうけても,極秘の輸出が可能なのは、Iトン当たりの価格が石油よりも高価であるからだ。

さらに優れているのは、彼らの知能である。李氏朝鮮の朱子学を内から解体したのは、ピョンヤンの学派である。その伝統は生きている。実に手強い強国である。


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伝統企業の崩壊が日本経済の弱体化につながるのか?

2017年08月10日 | Weblog

東芝はもとより、三菱重工など三菱系にも不振の連鎖がおきている。そこから、日本経済の弱体化が生じると考えるのは、日本経済の成長のメカニズムが狂っているからなのか、それとも、成長のメカニズムに適合していない伝統企業が衰退の道にあるのか。答えは、後者である。

あらゆる製品やサービスは、Sという文字の形のように市場飽和から急速に下降に局面転換する。だから、あたらな成長分野を10年かけてスタートさせ、Sの文字を連続してならべ、SSSSSというように主力市場に送り出す4番バッターを連続して送りだせないと、下り坂は一気にくる。

たとえば、新高岡駅がそうである。10年後には、東京から名古屋まで40分、乗り換えて高速バスに繋ぐと、砺波、高岡、小矢部、氷見は、北陸新幹線が、東京との最短にはならない。もう10年後には、新幹線の新高岡の利用価値は、激減する。これは、必ず予想される結果である。今を悲観する理由はない。富山の方が高岡よりも、東京に近くなる。

JRの新幹線は、人の移動には成功したように見えるが、格安航空機の利用により、過去の実績は栄光のかなたに追いやられる。東芝の崩壊を極めて早い段階で予想した観点でいうと、三菱系にも同じような落日の日が来る。これは、日本の人口減に同期する「縮み」のベクトルに吸い寄せられる現象である。高齢化、少子化の壁を乗り越える準備は、1990年からスタートできたはずである。高齢化したOBが現役の役員を陰で操るような企業は、高齢化と少子化のワナに自ら嵌るわけである。こうして、超大企業でも、今や衰退し、氷解しても、日本の国民総生産にはマイナス効果がでない。見事に市場経済原理が作用し、市場経済の新陳代謝のリズムを作りだす。見事に社会科学の物理法則が機能するわけである。これは、中国の国営企業の民営化の流れでも同じ。2027年には、三菱のブランドはどこに残っているだろうか?成長分野である新産業、新技術、新企業は、老木が倒壊した付近に生まれる。市場経済原理には、新陳代謝という競争による進化論が生きている。

日立、パナソニックは再生したが、10年後の2027年に安泰であるという保証はどこにもない。毎日、毎日が、厳しい競争環境にあるという厳しい現実から、目をそらそうとするような「働き方の改革」が推進された場合、業績の伸びを下降させる企業が相当にでてくる。それは、企業人の病理現象である。東芝、三菱の衰退とが別の、企業の足腰の衰退である。これは、日本経済が過去に経験しなかった勤労の自律神経の損傷となり、国家そのものが滅びる前兆である。

 


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月額25.1万円(想定残業手当30時間含) (賞与込想定年収約370万円)

2017年08月10日 | Weblog

TMA講師代表の分析:県下の大学に学ぶ学生さんが、富山の企業を就活の選択肢として選ぶために具体的過ぎるアドバイス。

ある県外企業の募集広告に、月額25.1万円(想定残業手当30時間含)(賞与込想定年収約370万円)とあった。実質、月単位に直すと、30万、一日当たり1万円という初任給が提示されている。三交代(24時間)、8時間単位であるが、残業が当初から月30時間だから、25日勤務として、毎日1時間以上の残業が想定されている。これは初任給の提示である。基本は、技術要員。

募集広告の場合、こうした待遇条件の提示は必要条件ではあるが、十分条件ではない。かなり詳しい業務内容の説明があるが、この分野の求人が過熱しているとき、この企業の絶対優位は、どこにも存在していない。勤務地に近い居住者しか魅力はない。YKKのように居住環境まで提案されていない。実は、同じ職種、同じ業務の場合、富山の企業は、この企業よりも賃金の水準は低い。それでも成り立つのは、すでに住環境を確保し、自宅に居住スペースがあるので、住のケアーのためのコストも安い。企業が富山に立地する場合には、三交代勤務に耐えられる住環境をすでに確保している条件を備えている、と想定できるケースが確率的に高い。

では、働く側の選別のポイントは、教育訓練の機関としての企業の「技術の差別化」と「技術の教育力」、それにリスク管理への備えを見抜く必要がある。また、その企業の市場占有率も大事な指標である。題材にした県外企業には、資本構成にうえで、国際的・国内的な市場占有率があり、金融機関のサポート関係が薄い。

学生さんの一部は、賃金と勤務条件に注目するが、それは富山湾岸社会主義のモノの見方である。富山大学生の優秀な学生は、企業の「技術の差別化」と「技術の教育力」、それにリスク管理への備えを見抜いている。富山の企業がさらに良いのは、おばちゃん力。職場がうまいこと回る無形のペースメーカーたちが、職場の緩衝材となっている。男女共生社会が日本で一番進んでいる富山県には、おばちゃん力という無形の人間関係の融和剤が隠されている。

決して、初任給の水準ではおさまらない職場環境というものがある。それが企業文化だと考えておいた方がよい。就活の際、こっそり「おばちゃん力」を確かめて欲しい。

 


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北朝鮮とアメリカとの二国間交渉

2017年08月10日 | Weblog

日本は、北朝鮮と二国間の外交を行うべし、という主張は、指令型経済原理からしても、論理整合しない。日本は、北朝鮮とは、戦時賠償の交渉をしていない。南朝鮮の韓国を朝鮮民族の代表としてみなして、戦後処理を済ませている。日本は、軍事的に朝鮮戦争に参戦していないから、朝鮮戦争の停戦により、アメリカは北朝鮮を国家として認めた。その意味では、占領軍に国家主権があり、日本は北朝鮮に戦時賠償をする法的な根拠を見つけ出しにくい。

静観して、アメリカと北朝鮮との二国間交渉の結果を待つしかない。交渉は、相互は妥協しないと相互の多大な損害が及ぶという危機の回避からしか生まれない。だから、アメリカに全てを委任し、日本は、軍事的には最前線で待機を余儀なくされる。

もし、軍事的な解決をアメリカが選択した場合、日本は、ここで初めて第2次朝鮮戦争に参戦を宣言しないまま、事実上の参戦を強いられえる。この極めて厳しい状況認識のもとで、安倍政権を貶めることは、明らかに北朝鮮に加担することになる。

だから、多くの点で疑念はあるが、北朝鮮とは、非和解的な、敵対関係にあるという状況認識に立てば、安倍政権を貶めることを恣意的に進めてはならないだろう。北朝鮮の脅威は、肉親でも謀殺する非人道性にある。個人としては、経済政策、特に日銀との政策リンクには多大な不満はあるが、こと北朝鮮の突出した脅迫外交に対抗するのに、北朝鮮の権力者を利する安倍政権の弱体化を加速させるメディアの動きは、言論亡国を招きかねない。「日本円」という通貨が、国内の要因により、世界の安定通貨としての信用を失うことで、国民経済を利することはできない。

富山では、富山湾岸社会主義か、日本の伝統保守か、北朝鮮の脅威が、複雑な波紋を呼び込むことになる。日本が、アメリカ軍による核武装を北朝鮮に対する抑止力として認めたくない人でも、自説を曲げてでも,北朝鮮の暴挙への備えを放棄せよというのですか?高岡市は、高岡駅の地下空間を核シェルターとして活用する訓練をした。魚津市長は、「反核都市」の代表として長崎の原爆関係の行事に参加した。この「反核都市宣言」は、富山湾岸社会主義のシンボルである。「反核都市宣言」は、アメリカの核武装の施設を市として拒むという宣言である。北朝鮮にむけた反核宣言は、含まれているのか?説明の責任が要る。


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大学の教養教育の基本は、多変量解析の思考

2017年08月10日 | Weblog

日本では、総合科学を専門にする学者はいない。実は、経営学こそ総合科学に一番に近い学問である。その普遍性は、マーケティングにある。まだまだ、教科書は初歩的であるが、データマイニングという思考である。データを鉱石と考え、鉱石から精錬された純金属を取りだす作業である。

それで、日本の大正時代の歴史を分析すると、日本の国民総生産の変化データと、鉄道の営業距離数の変化とが、相関性が高く、他のカテゴリーの数値変化との相関性が低いことが簡単に証明できる。政治史の政友会、鉄道敷設という流れが、大正の経済史に基本であったことが確かめられる。だから、国内の狭軌の鉄道の限界を超えるため、中国の満鉄を殖民国家とするような19世紀型の帝国主義のワナを上策として選択したことが分かる。

医学、薬学、工学、理学では、多変量解析は日常のツールである。それなのに、学生を町おこしのイベントに駆り立てるバカな教育をする輩がいる。町おこしのための多変量解析のデータを集めているわけでもない。通行人による「自然言語によるインタビュー記録」を整理し、KJ法から問題点を探る方法が採用されているわけでもない。マッピングとDVD撮影により、通行人の視線を多変量解析しているわけでもない。北陸には、大学教員としての資格が疑わしいほど、共通教養としての多変量解析の能力が欠けている。

富山大学でも、地域貢献型の大学教育を数値的、統計的、数学的な分析ツールが開発できていない。就活の意識調査で、県外か他府県か、2分法でアンケートを作成している。個人企業でも許されないアンケート用紙しか作れない。学部学科の違い、さらには性別の違いという属性のデータ項目を最低5項目がないと困る。「大学院進学」を進路と選んだ学習意欲ある学生と、4年次切り捨て組みとは、多変量解析しないと、意識の構造はみえてこない。

正直に大学のホームページに公表されていたので、拝見したが、すぐに公表を辞めるべきだ。富山大学の社会科学、特に社会学の研究技術が疑われるからだ。サッカーにたとえると、J!,!2,J3の下のカテゴリーが「カターレ富山」、その下に新庄に強いアマのクラブチームがある。それよりも弱い。何かの原因は、主要因、副次要員のいくつかが複雑に組み合わされている。その複雑現象を2分法でなく、多変量で捉えられないと、現実に作用している磁場が読めなくなる。


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台風の豪雨に耐えた富山県の治水

2017年08月09日 | Weblog

TMA講師代表:ようやく鈍足の台風が消滅したようだ。予想よりコースが北よりになり、富山、石川を直撃した。早くから暴風よりも、豪雨が心配された。メディアを調べたが、行政の責任や不備が指摘されるような被害はなかった。災害の報道の場合には、被災地、被害状況だけがメディアで紹介される。

しかし、冷静に考えると、被害がほとんどないことは報道されない。「富山県、豪雨災害ほとんど被害なし」と、新聞に見出しには書けない。被害者を思う心が自制させるからだ。でも、新聞、TVでは語られないが、報道に値する被害がなかったのは、「奇跡」ではない。富山県政は、古典的であるが「治水」を絶対の基本軸においてきた。洪水に対処するのは、消防団である。この「指令型経済原理」と「互恵型経済原理」との結合は、富山湾岸社会主義運動の政治勢力に対し、絶対的に優位の関係が保たれてきた。

富山県を論じるのに、都市と農村とを2分する理論は学術的には不完全であることを説いてきた。高山から海岸部まで、通貫しているのは、水利の施設、水量の調節機能である。富山では、水の道筋が藩政時代から厳格な管理が継承されてきた。この台風の前から、すでに高い雨量があり、山崩れなどの予兆はあった。治水は、防御率で評価される事業である。関係者の昼夜を徹した点検作業により、県民総資産が失われることなく切り抜けた。

いつも厳しい論議にさらされるが、富山県庁の治水対策の歴史遺産が、パーフェクトであったことが証明され慶賀にたえない。こうして、富山には、都会性と農村性とが融合した一体型の都鄙構造があるというTMAの理解と主張も証明された。同じことが、道路において完全性を達成するのは、道路排水のキメ細かさが期待できる。

ひさかた感謝に、気持ちで擱筆できる。県土木の優秀な伝統が絶えないことを祈る。


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研究所型の国家へ:日本の針路

2017年08月08日 | Weblog

国家の成長分野は、新技術、新産業の創成にある。少なくとも、10年以上の先行投資が必要である。それには、日本には、国家が管理する膨大な社会保険のファンドがある。この資金は、今後、日本国として必要な企業の安定的な株主として、日本銀行の選別により、投資信託の形で産業資金の基礎が固められている。この2,3年で、日本国の経済基盤は質的に大きく変化した。

実は、富山県の場合、このような中核企業の頭脳は、ほとんど富山にはないのが実情である。研究所の適地は、住環境と知的情報交換に適した神奈川県が大きな比重を占める。政治家においても神奈川人脈は大きな比重を占める。日本の頭脳の神奈川化が進んでいる。では、精密な高度生産の人員は、どこの集中しているのか?

これは工作機械のメーカーに注目すればよい。福井のソディックから富山のスギノマシーンの間に、日本人の手先の器用さを機械動作に置き替える工作機械の特色あるラインナップがある。より練度が低く、汎用で安価な工作機械は、北陸では肩身がせまい。

北陸の福井・石川・富山は、研究所型の国家を支える基幹を構成している。なぜ、研究所型の国家に転身するのか?まず、21世紀は、知的技術者の知財資本の社会が、最強の国家といえる。富山のスギノマシーンは、物質科学に基本である原子の次元に入り込めるドアーを開いた。東大で開発された原子の顕微鏡は、その部屋を覗けるメガネである。

もし富山が、研究所型の国家へ進みたいなら、原子の顕微鏡は絶対に必要である。富山のスギノマシーンの機械で、幾千万の「サンプル」を生産し、原子と原子の構造が見える化できるツールで、安定した新素材を検証することが可能となる。神奈川でなく、富山が研究所型の国家に転身するには、富山県の県営の新素材研究のための原子の顕微鏡というツールが必要だ。

不二越は不要である。スギノマシーンが、新世紀の鍵を握っている。それと、富山大学の都市デザイン学にぶち込まれている新素材研究の学科である。


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富山マネジメント学と富山湾岸社会主義との対抗

2017年08月08日 | Weblog

富山県庁、富山市は、首長が誰であろうと、基本の教養は、富山湾岸社会主義の文化モデルの伝統を継承している。高岡や、砺波とは、明らかに違う空気感がある。

富山湾岸社会主義が成立したのは、米騒動が契機である。それ以前は、富山の貧民は北海道への移民により、過剰人口を放出していた。大正期、北陸線が全線開通し、水力発電事業が成立し、農薬の化学工業も定着し、域内での安定・成長のモデルが期待できるようになった。男子へのエリート教育ではなく、女子に高等女学校の教育機会が拡大した。貧民層との日常的な接点があるのが、教育界である。旧制富山高校、師範学校などの人材育成の機関では、次第に富山湾岸社会主義運動と浄土真宗の宗教活動との融合が生まれた。

富山マネジメント学は、高岡の商人道に端を発する。高岡高等商業学校は、商学の拠点として、一橋大学、神戸大学との関係が深いビジネススクールの役割を果たした。富山県では、数的には劣勢である。軍国主義により、高岡高商が廃校された。これが、富山の近代の歴史に大きなゆがみをもたらした。

さらに、富山の農業は、明治16年に成立した富山県庁の農政が景観まで変える絶対君主として、農政を推進した。その流れから、水田農業の一元化が徹底した。今日まで、大根は他府県からの移入に頼らざるをえない米作の一元化が進んだ。これは、船橋村でも例外ではない。水田に不適な土地だけ、例えば、呉羽丘陵の茶畑、果樹など在地特産があるだけ。近年の圃場整備で、富山の農業は、水路の関係と深耕の関係で、畑作の適さない農地に改良された。富山県庁が農業のマネジメントを一元化したために、また、小作農家の自立を促す富山湾岸社会主義の文化モデルを取り込んだ。こうして、個々の農家がマネジメントを考える力を代行し、富山県庁の農政が唯一の頭脳となったため、全知全能が松川べりに集中することになった。マネジメント学を共有できるのは、高岡の町衆だけにある文化である。それが歴史主義、文化主義のワナにはまり、先端科学を共有できる構造にはなっていない。

高岡には、21世紀に主流となる産業技術の先端から、基層工業の技術がある。市長は、文系ではいけない。理工系の学術マネジメントができる方がのぞましい。ところが、高岡高校はやや理系に弱い。富山県には、理系のみ、英語オンリーのエリート高校が必要ですが、誰も我が郷党の高校が無くなるのは寂しいという。今、理系のみ、英語オンリーのエリート高校として、高岡高校を再編成し、スタンフォードや、MITへの進学を目指すべきである。多分だめとしても、片山学園の間違いは訂正するべきである。すべて、中学1年次から英語オンリーの教員による教育をめざすべきである。


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