富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

人工衛星による北朝鮮ミサイル迎撃がローコスト

2017年08月01日 | Weblog

北朝鮮の異常性と先鋭性について、議論する暇はない。まず、北朝鮮の潜水艦を一瞬に攻撃する海底のシステムの構築である。第二は、時間がかかっても、日本と朝鮮半島を結ぶ海底トンネルによる輸送路の構築である。第三は、宇宙空間における人工衛星による迎撃システムの構築である。静止衛星だと、標的となりやすいから、乱数のように高度と位置を変えながら迎撃するシステムである。これまで、その危険がなかったから、アメリカが開発してこなかったので、現実化するには、時間を要しない。ただ、宇宙空間の軍事利用となり、人類崩壊の引き金を引くことになる。だから、地上戦しか最終効果がでないという原則に立つならば、韓国からの避難路と、補給の海底パイプが大事である。

北朝鮮の体制変更を50年後と設定し、根気よく、地上戦で勝ための準備をしなくてはならない。当面は、極秘に北朝鮮の潜水艦の24時間監視を基礎にして、ミサイル迎撃システムに力を集めることである。これが一番に安くつくが、実はリターンの少ない消耗戦への投資となる。

イギリスは、フランスとの海峡に、鉄道地下トンネルを運営している。イギリスは、ユーラシア大陸との海底パイプをもっている。

日本が、100年戦争を決意し、ユーラシア大陸への海底パイプを構築するには、朝鮮半島と島根・山口県からのルートか、北海道からの極東ロシアのルートしかない。残されたのは、この海底トンネル構想である。その為には、日韓の同盟が大前提となる。こうした外交背景なしに、軍事力だけ憲法で合法化しても、決め手となる日中関係、日韓関係の将来が不安だと、また、軍人だけが突出する日本の悪夢が再来する。

しはらくは、北朝鮮の花火が危険なために、許容範囲内で迎撃するシステムが、ローコストなのでにぎにぎしく進めること。第2は、海上、海底からの封鎖である。これは、極秘で進めること。そして、北朝鮮労働党を消滅させるための100年計画として、日韓の海底トンネルの工事を始めること。さらに、ロボット兵士を大量生産し、陸上兵を無人化し、センサーで索敵する。日本の自衛隊の装備を21世紀型にする。それをモデルにして、アメリカ軍、韓国軍をロボット主体の超未来型の無人化AIロボット戦力の体系に置き替える。


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富山人のユートピア

2017年08月01日 | Weblog

富山人の経営者として、ベスト経営者は、稲垣晴彦さんである。彼が、今年の富山大学経済学部で行われた「経営学の現場」という講義の締めに、遂に、経営の究極の次元を述べた。「他人の不幸の上に、自己の幸福を築くべきでない」。改めて、ユートピアの夢を心に浮かべている、と。

これは、記録に値する。経営学の最新の理論による経営実務の面でも、可能な限りの達成をリーダーとして導いてこられた。2位、3位なしの1位の経営者である。「他人の不幸の上に、自己の幸福を築くべきでない」という心境は、仏教のシャカでも、間違いを犯した思想の修正である。シャカは、出家して、父母を悲しませた。孫を祖父母に見せられなかった。インド仏教には、原理に大きな限界がある。これを修正したのが、中国の仏教であるが、戒律のため、やはり出家し、女性を絶ち、孤独な修行の道を棄てなかった。日本では、親鸞聖人、日蓮聖人により在家の仏道の優位性が証明された。アジアの仏教が普及した地域で、在家の仏道修行が日常生活の管理と「知行合一」する仕組みを見出した時点で、日本は世界で最も優れた民族国家の道を歩んでいる。

アメリカの経営文化の典型であるコカ・コーラのビジネスから入り、遂に、北陸コカ・コーラを傘下の一企業とする独自の企業協同組織へと到達した。稲垣晴彦さんは、富山100年の逸材である。ワークの中から、その成果として、ライフが生まれる。職能の役割ごとに、分社をつくり、ワークに応じたライフを啓発する。

目の肥えた人なら、蓮如上人の北陸布教、これに次ぐ偉業である、と見えるはずだ。蓮如上人は、近江商人という日本の経済社会の主旋律を作詞・作曲していた。詳しくは、書かないが、彼のGRNホールディングスへの跳躍は、21世紀から22世紀の富山の主旋律となりうる。地上にユートピア(極楽浄土)をつくりえるのは、各自が自己のマネジメントを整備することからはじまる。


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富山の女子の自己限界はどこに?

2017年08月01日 | Weblog

富山女子とは、富山県に生まれ、富山県に育ち、富山県内で生計を営んでいる女性である。その特色は、「家」という家屋において、「家」の財布と、「私」の財布と、2つの財布をきちんと管理していることに特色がある。共働きのできる社会なので、女子は「家」の財布と、個人の財布を生涯持ち続ける。それと、三世代の同居や近住を避けない祖母の統括力が大きい。

統計的には、離婚率が低いのは、「家」の主人公の役だから、家出も少ない。ただし、家に引きこもるタイプではない。社会性の調整、連絡、相談の能力が高い。持ち家率が高いのも、飲む、打つ、買うの「男子の病癖」を克服し、夫をきちんと手の内に収めているためである。また、「家」も地元業者が、新築、改築、補修をして、全国大手のハウス・メーカーの占有率が極めて高いのも、家計管理の主婦と地域社会との接合面が深いからである。

富山女子というカテゴリーなど、そもそも存在しない、というむきもあろう。だが、スーパーのレジ袋を廃し、エコバックの普及、廃棄ゴミの分別とリサイクル率の高い環境意識は、全国平均よりはるかに高い。「わが家」と「地域社会」への輪番、当番による参加が、構造的に安定しているからである。これは、一日にしてならず、である。大正時代の米騒動の結果、官民あげて、共働きのできる社会、合理的な家計管理を学校教育で普及させてきたためである。高等女学校の入学定員は、男子の旧制の中学の入学定員を超過していた。教育の達成は、いまでも富山女子力として評価される。基礎学力は低くない。福井、石川、新潟に比べ、女子の実務能力は、極めて高い。製薬業を支える力は、富山女子にしかない。

では、富山女子の自己限界は、どこにあるのか?極端な個性化を避け、無難な道筋を択ぶところにある。「地域社会」が、小中学生、高校生を不文律で導いているからだ。「地域という鋳型」で、人間を鋳造しているからだ。ある意味、近代化が最も遅れている。それが、実は、ポスト・モダンという現代社会が伝統社会の遺産を整理し、残すべきもの、新しくつくるものの「分別の仕組み」となっている。

富山は、あえて言えば、北欧の協同社会と類似しているという面で、日本で最先端にあるといえる。富山女子の限界は、個の突出力が弱いことにつきる。皆から嫌われたくない、という消極的な同期、同調を主旋律として選ぶ。例外は、家出した富山女子である。彼女たちは、同世代の女子の憧憬の対象である。

 


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