富山マネジメント・アカデミー

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富山マネジメント学と富山湾岸社会主義との対抗

2017年08月08日 | Weblog

富山県庁、富山市は、首長が誰であろうと、基本の教養は、富山湾岸社会主義の文化モデルの伝統を継承している。高岡や、砺波とは、明らかに違う空気感がある。

富山湾岸社会主義が成立したのは、米騒動が契機である。それ以前は、富山の貧民は北海道への移民により、過剰人口を放出していた。大正期、北陸線が全線開通し、水力発電事業が成立し、農薬の化学工業も定着し、域内での安定・成長のモデルが期待できるようになった。男子へのエリート教育ではなく、女子に高等女学校の教育機会が拡大した。貧民層との日常的な接点があるのが、教育界である。旧制富山高校、師範学校などの人材育成の機関では、次第に富山湾岸社会主義運動と浄土真宗の宗教活動との融合が生まれた。

富山マネジメント学は、高岡の商人道に端を発する。高岡高等商業学校は、商学の拠点として、一橋大学、神戸大学との関係が深いビジネススクールの役割を果たした。富山県では、数的には劣勢である。軍国主義により、高岡高商が廃校された。これが、富山の近代の歴史に大きなゆがみをもたらした。

さらに、富山の農業は、明治16年に成立した富山県庁の農政が景観まで変える絶対君主として、農政を推進した。その流れから、水田農業の一元化が徹底した。今日まで、大根は他府県からの移入に頼らざるをえない米作の一元化が進んだ。これは、船橋村でも例外ではない。水田に不適な土地だけ、例えば、呉羽丘陵の茶畑、果樹など在地特産があるだけ。近年の圃場整備で、富山の農業は、水路の関係と深耕の関係で、畑作の適さない農地に改良された。富山県庁が農業のマネジメントを一元化したために、また、小作農家の自立を促す富山湾岸社会主義の文化モデルを取り込んだ。こうして、個々の農家がマネジメントを考える力を代行し、富山県庁の農政が唯一の頭脳となったため、全知全能が松川べりに集中することになった。マネジメント学を共有できるのは、高岡の町衆だけにある文化である。それが歴史主義、文化主義のワナにはまり、先端科学を共有できる構造にはなっていない。

高岡には、21世紀に主流となる産業技術の先端から、基層工業の技術がある。市長は、文系ではいけない。理工系の学術マネジメントができる方がのぞましい。ところが、高岡高校はやや理系に弱い。富山県には、理系のみ、英語オンリーのエリート高校が必要ですが、誰も我が郷党の高校が無くなるのは寂しいという。今、理系のみ、英語オンリーのエリート高校として、高岡高校を再編成し、スタンフォードや、MITへの進学を目指すべきである。多分だめとしても、片山学園の間違いは訂正するべきである。すべて、中学1年次から英語オンリーの教員による教育をめざすべきである。

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