「資本主義」と「社会主義」とは、対語である。19世紀に生まれ、20世紀を席巻した「お粗末な社会科学」用語である。「資本主義」は、思想的には「自由主義」(自己責任社会)という18世紀からの社会風潮に裏打ちされていた時代がある。ところが、中央銀行制度、電信通信網、鉄道網などの産業ロジスティクスが発達し、国家が主導する経済・金融政策が国民総生産を「PDCA]サイクルにより主導するようになった。そのため、自由主義が衰退し、国家の役割を主体とする政治経済思想に移行した。その結果、流通・分配において「市場型経済原理」を基軸として維持するイギリス、アメリカを中心とする「いわゆる自由主義陣営」と、「国家指令型経済原理」のよる流通分配の国家管理に突入したドイツ、日本の「国家社会主義」、そして、スターリン主義の「ソ連共産党の産軍体制」を「社会主義」と呼ぶようになった。1990年を境にして、「社会主義」が体制原理として崩壊したために、「資本主義」という対語も消滅した。
では、私たち地球人は、いかなる経済原理で生活しているのか、それが学問的な探求課題となった。その結果、人類は太古からの「互恵型経済原理」を基盤にして生存しており、地球上のいかなる民族国家も、「愛国」を棄てないのは、「互恵型経済原理」を基本として維持しているからである。日本も、北朝鮮も、中国も、トルコも、アラブも、どんな原始の部族社会でも「互恵型経済原理」は普遍である。問題は、その「互恵型経済原理」を高度化するという「幻想」として、政治権力が生まれ、それを持続させるために「兵役と納税」による「国家指令型経済原理」が生まれる。これは、世界の太古の4大文明に共通する「都市」を中核とする古代帝国へと進化する。このうち、メソポタミア文明が地中海世界に取り込まれ、そこにグローバルな「市場経済原理」が大きく展開する。東方では、黄河文明が、東周時代の管仲の国家学をへて、国家が貨幣を管理する独自の「中国型の市場家財原理」が生まれ、孔子による官僚養成の教育原理が樹立され、今日に至る。
したがって、「資本主義が終わって」「地産地消」の互恵型経済原理への回帰を説くような地方創成論は、中学生の程度の頭脳しかない。人類は、言語を共有する言語圏のもとで、「国家指令型経済原理」と、「市場経済原理」と、「互恵型経済原理」との3種の経済原理の相関関係において生存している。例えば、北朝鮮では「国家指令型経済原理」へ一元化する人為的な努力が極端化してると分析できる。3つの経済原理の均衡調整が巧みなので、民族国家が長期に持続しているのは、中国と日本だけである。そして、この3種の経済原理は、地方社会の基層社会との関係で微妙に異なってくる。
その違いは、方言に現れるが、そうではなく言語の位相差により現れる。例えば、北陸を含む中部地方では、ITの言語で語れる人材群がずば抜けて多い。業務に使用される言語のIT化の差異が、地域間の格差を大きく広げる。「言語の位相差」は、改めて詳しく論じるが、大学と大学とでも大きく異なり始めた。