富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山県も急ぎ着手するべき電気自動車と法制改革

2017年08月22日 | Weblog

富山県は、組織としては政策官庁である。このところ、思い切りバイオ製薬の技術の可能性に力が入ったには、誠に喜ばしい。見るに見かねて、県立大に製薬工学の学部・学科の新設を提案したものとして楽しみである。薬のクの字も知らないから、僕の役は開演の合図で終わった。

さて、県の製造業を航空機産業に導くことの非を唱えてきた。それは、三菱重工に信を置きすぎるな、という意味である。同時期に、医工学の産業の可能性を論文にしていた。これが、富山大学の中村真人教授の目に留まり、富大で活字化された。その後の医工学の製造業における進展は、すばらしい。オムロンで活躍された飛田さんを朝日建設の林和夫社長のご紹介と尽力により、富山でゴールドラットの経営理論を学んだ。

新薬の開発は不可欠で、今後は、バイオ製薬にあるという見解はそうである。ただ、富山の製造業の伝統は、バイオではない。電気系統にすぐれた産業連関を持っている。それが、水力発電の伝統である。実は、富山には、小さな自動車メーカーがある。ただ、余りにも小規模すぎる。

ここで、富山の製造業の全体努力で、電気自動車に関し、産業集積と技術連関を精力的に企画する段階に来ている。バッテリーの技術は、日本のトップ水準にあるファクトリーが高岡にある。車体の軽量化では、炭素繊維を使うのは、石川県の技術なので、富山では車台の軽量化のもう一つの道筋であるアルミ合金の技術である。回転軸は、炭素繊維ではむり。ここに一つの新素材の課題がある。第二は、ガラスにからむ課題である。ガラスを活かすか、アクリルを利用するのが。

ともかく、富山にないのは、タイヤ工場である。しかし、リサイクル産業をさらに高度化すれば、中古タイヤの解体・粉砕から、電気自動車用のタイヤ開発は可能である。つまり、ガソリン車から電気自動車への転換を徹底的に利用することである。これも、富山県立大学の力量で十分に舞台に載せられる。

ところで、大事なのは、電気自動車に有利な法制の整備である。これは、富山大学の経営法学科による基礎研究が望ましい。ものづくりより困難なのは、規制緩和と法制の改善である。車検制度や、免許制度、公道の利用制限の緩和など、「法制改革」が前提となる。県庁は、ここを指導して欲しい。急がないと、中国の自動車市場は、急速に変化する。藤堂工業、田中精密には、転形期を乗り越える指導がいる。明日がないと信じたら、打開できる。

 


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棄てはいけないKJ法

2017年08月22日 | Weblog

日本企業の強みは、日本の近代教育で均質かされた集団知である。チームワークを活かす技法である。IT時代においても、形を変えて盛んに用いられている。気づきを短冊に書き上げ、体系知を構成している認識の共通化である。

いまでも、優良企業の現場で活かされていることが、富山大学の経営学科の「経営学の現場」という講義をして下さる企業経営者のかたの発言で確認できた。大学では、KJ法を系統的に教えていない。

これは、BigData処理により、暗黙知の当否、体系知の構築に大きな武器となる。古本市場でよいから、川喜多二郎さんの名を検索して紐解かれるとよい。なお、中村は、総合科学が本領なので、「一人KJ法」を用いている。時間差のお陰で、自分の情報力の増加を、一つは忘却により整理し、残された記憶により再構成している。


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メルロポンティの眼で孔子を読む

2017年08月22日 | Weblog

メルロポンティとは、「眼」と「精神」のキーワードで有名な現象学派のフランスの哲学者である。彼の達成のお陰で、臨床心理学が大きく進化した。それにより、人間発達学も大いに高度化した。医学にも、患者の精神という脳内で習慣行動の解明にも大きく寄与した。日本の哲学で、唯物、唯心から唯脳へと決定的な方向転換が生じた。

大学には、必ずその原点となったメルロポンティに関する哲学研究者が求められる。哲学の臨床化である。この知の革命を実体的に進化させたのが、大阪大学の文学部の哲学科である。鷲田清一さんが、リーダーである。彼が大阪大学の総長に選ばれ、大阪大学の学問の根底を深く変えた。彼を支持したのは、医学者である。

非常に分かりやすくいうと、人間は個々の脳に刻み込まれた潜在意識に支配され、無意識に習慣的な行為を重ねている、と。知覚器官である「眼」は、彼の小宇宙とつながっているというわけだ。京都大学の哲学から分岐した現象学派は、今でも光彩を放っている。しかし、世界を全て個々人の潜在意識へ還元する心理学主義から抜け出そうとする試みもある。それが、各自の「暗黙知」をもちより、共有できる「体系知」に再構築していくことが求められる。それが、M.ポラニーの提案である

世界では認められていないが、日本の川喜多二郎さんのKJ法は、各自の心理に根ざした自然言語の歪みを認めながら、集団的な体系知に高めるチームワーク思考の方法である。実は、それを一番最初におこなったのは、孔子であり、その記録が「論語」であるといえる。何を生み出したのか。漢語に潜む「精神」を「体系ある知」に高めたことである。それが、「詩経」であり、「春秋」である。結果として、漢語というコミュニケーションの道具箱が、さらに高度な漢語を使う人々の文明の文法を導き出した。それが「礼記」である。関西では、中国に哲学がない、という定説から始まった。メルロポンティの眼で孔子を読むと、孔子がとてつもない哲学を宿していた思想家であることがわかる。少なくとも、20世紀の孫文、21世紀の習近平とその仲間たちを鼓舞し、自己啓発する作用はあった。

 

 


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国際特許を生み出す科学研究のセンス

2017年08月22日 | Weblog

昨日、日本経済新聞が科学雑誌「ネーチャー」誌の記事を紹介していた。それによると、日本の大学は、国際特許の申請に裏づけとなる科学論文の引用数において、アメリカに大きく水を開けられていることが報じられた。同時に、日本の大学評価において、文部科学省が最重点の大学としてあげている5大学の順位も大きく違う。記事では、大阪大学が日本を代表する特許につながる研究論文を生産している、と伝えている。東大、京大、東北大の貢献度は低い。

これは、一面だけの議論である。しかし、なんでも、かんでも科学ではない。少子化してくる日本にとり、世界国家であるアメリカに対し、発言力を保持するには、国際特許に繋がる研究課題に戦略を定め、そこに戦力を集中していくことが求められる。

文部省では、東大が第一。国際特許への貢献は、大阪大学が第一。これは、是非論ではない。富山県にとり、京都、大阪との交通に不便があること、特に、北陸新幹線による首都圏への集中は、少なくとも、ビジネスに関わる科学研究に限り不利だと言える。

朝日印刷さんが、関西、京都に生産拠点を置くのは、先見だといえる。京都が、大震災による被害を免れているからだ。と、同時に、製薬の研究は、関西が本場である。

中村に議論の仕方に注意して欲しい。富山の企業や行政を基盤として、世界の情報から、あえて我田引水していることに。東北大のOBと、大阪大学のOBと比較すると、頭脳は変わらないがセンスが違う。大阪大学では、自然に「目的変数」から演繹して、「説明変数」をリサーチする。なんでも、かんでも科学とは考えない。かといって、費用対効果比など最初に考えない。「やってみる」という冒険の勘である。工学部に制約拠点をおき、過去の薬学部が厚生労働省の制約から免れるというワザに気が付いた。


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