昭和39年、鎌倉学園から入団した投手です。まだドラフト制のない当時、非常に騒がれて国鉄スワローズに、その将来をもの凄く期待されて入団した右腕の本格派投手でした。右腕の後方への引きが素晴らしい感があり、ほぼオーバースローに近い位置からの投球は威力抜群でした。しかし球速はあるものの、浮き上がる快速球という感じにはやや乏しく、もの凄く悪く表現すれば球を置きに行く感じは否定出来ないものでした。とは言え球速は素晴らしく将来、どの様な投手に育つか非常に期待させてくれました。昭和39年は何故か、新人研修制度があり、高校卒の新人は6月からしか出場出来ない規定がありながらも、8勝を挙げ、当時かなり喧伝された右の金田、金田二世の名称もあながちオーバーではなかったかと思います。その当時日曜日の午前の番組でミユキ野球教室という30分番組があり、メインキャスターを務めるパリーグ会長の中沢氏が新人投手の半沢士郎に対して、国鉄スワローズの最速投手の渋谷誠司を超える快速球を投げられる様、目指して欲しいという会話を何故か忘れられないものです。その中沢氏の発言には、永遠の自称最速投手の金田正一の名前を出していない事に、氏の媚びない姿勢と慧眼を思い出してしまいます。
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(山田勉と言う投手が、93年に伊藤智の他にセリーグ記録16奪三振していたんですね)
今までの高校野球での最高投手は何と言っても「尾崎行雄」という話から始まり「西の尾崎、東の半沢」と言いきっています。
半沢投手の話題など懐かしい話をありがとうございます。
松坂投手登場以前の横浜高校渡辺監督が
「尾崎、渡辺(慶応)、鎌倉学園の半沢、鈴木孝政と速い投手は見てきたが江川だけは別格。ど真ん中でもバットが回ってしまうのは江川だけ。」と語ってました。
でも半沢投手にはプロで活躍して欲しかったです。