偽善者は神に苦しめられる時、怒りを発し、奴隷のように、むちを打つ主人から逃れようとする。しかし、天国の真の相続人はそうではない。彼は自分をむち打つ手に口づけし、自分に対して顔をしかめておられる神の御胸に避け所を求める。
神と交わりたいというヨブの願いは、他のすべての慰めの源が閉ざされたことによって、さらに強められた。この族長は、同情する友人たちに背を向けて、天の御座を仰いだ。あたかも、旅人が空になった皮袋を捨てて、全速力で泉に向かうように、彼は地上的な希望に別れを告げ、そして叫んだ。「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知りたい」と。
私たちは周囲がすべて空虚であることを知る時ほど、創造者の尊さを教えられる時はない。この地上の巣箱に少しも蜜がなく、多くの鋭い針があることを発見する時、私たちは、激しい軽蔑の思いをもってそれに背を向け、喜んで主のみもとに帰る。その忠実なみことばは、蜜よりも巣箱よりも甘美である。
あらゆる逆境の中で、まず神が共にいますことを覚えるように努めよ。主の御顔の笑みを喜ぶことのみを努めよう。そうすれば、主の愛に力づけられて、喜んで日ごとの十字架を担うことができるようになる。