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2017年12月31日 11時36分57秒 | 聖光会

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ほぼ毎日刊です。朝・夕 生ける神のみことばを配信いたします。

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12月29日(金)のつぶやき

2017年12月30日 02時33分54秒 | 仏教
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◆あなたがたは、キリストについて、

2017年12月29日 16時43分31秒 | 聖書
どう思いますか。(マタイ二二・四二)
「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。」これは、あなたのたましいの健康状態を見る大いなるテストである。主はあなたにとって、「人の子らにまさって麗しく」、「万人よりすぐれ」、「すべてがいとしい」方であられるか。キリストがこのように重んじられるところでは、人のすべての霊的能力は力強く働く。あなたにとって、キリストの存在は高いか。それとも低いか。このバロメーターによって私はあなたの信仰を見極める。
もしキリストのことをほとんど考えず、そのご臨在なく生きることに満足しているならば、もし主の栄光を現すことをほとんど心にかけず、その戒めを顧みないならば、私はあなたのたましいが病気にかかっていることを知る。しかし、もしあなたの第一の思いが、「私はどのようにしてイエスの栄光を現したらよいか」であるならば、また日ごとの願いが、「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り」たい、であるならば、私はあなたに告げる。「たとえあなたに多くの弱点があり、神の子どもであるかどうかもほとんどわからなくても、あなたは安全である。なぜならイエスをこの上なく重んじているから」と。
私は、あなたの着ているぼろを気にしない。あなたは王なるキリストの装いをどのように考えているだろうか。私は、たとえあなたの傷口からどくどく血が流れていても、あなたの傷を気にしない。あなたはキリストの御傷をどのように考えているか。それはあなたにとって、輝くルビーのように尊いか。たとえラザロのように掃きだめの中にいても、私はあなたを低く評価しない。あなたは、美しい王を何と考えているか。主はあなたの心の中で、栄光の高貴な王座を占めておられるか。できれば、主をさらに高くあがめたいとあなたは願うか。主を賛美するメロディーに、もう一つのラッパを加えることができるならば、喜んで死にたいと思うか。あなたが自分自身についてどう考えようと、もしキリストがあなたにとって偉大であるならば、遠からずあなたは主と共になるであろう。
 
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「その啓示があまりにもすばらしいからです。

2017年12月29日 16時42分19秒 | 聖書

そのために私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのとげを与えられました」(Ⅱコリント12:7)

ギデオンの当時、イスラエルは絶えず侵略受け、苦しい状況であった。
神はギデオンを立て、民を率いて、諸国と戦わせようとされた。
呼びかけに三万二千人が集まった。しかし、相手は十三万五千人の大軍だった。
圧倒的不利で、勝ち目はない。

しかし、神は不思議な事をされた。
ギデオンに、兵士の数が多すぎると、減らすように命じられ、最後にはたった三百人の兵士が残された。
しかし、この戦いはギデオンの大勝利に終わった。

この時、神はギデオンに兵士を減らす理由として「大人数だと自分の手で自分を救ったと、自分を誇るから」と言われた。
この戦いの勝利は人間の力ではなく、神の力によるものとわかるよう、あえて兵士の数を減らされたのだ。

私たちも自分が強ければ、神の働きを自分が奪い、自分を誇り、自分の栄光にしてしまう。
信仰的体験さえも、肉が誇ってしまう。パウロは、素晴らしい啓示を受けた。
第三の天にまで引き上げられるという、誰も受けた事のない特別のものだった。
パウロも、自分を誇る弱さがあり、それゆえ、余りにも特別な恵みに、高ぶる事がないように、肉体にとげが与えられたと、言っている。

厳しく苦しく辛いとげであったが、それにより、高ぶる罪から守られた。
そして尚も素晴らしい啓示を受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と。
この世では誇れるのは強さだが、私たちは弱さを誇れるとは何という恵みだろう。
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弱いから強くならなければでなく、この弱さは神様を頼るために与えられていると認め感謝し神様に頼る生活をして行こう。
神様が弱さの中に栄光を表して下さる。

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おはようございます。

2017年12月29日 07時22分54秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

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今日の聖人の記念日

2017年12月29日 07時21分32秒 | キリスト教

聖トマス・ベケット司教殉教者

1117/8年-1170年

 トマスは、イギリス、ロンドンのノルマン人の商家に生まれた。ロンドン、パリで学んだのち、1141年にカンタベリー大司教テオバルドゥスに見いだされ、彼の片腕となって教会のために貢献した。その後、国王ヘンリー2世の顧問となり、国政の改革に力を尽くした。

 大司教が亡くなってから、王は英国教会を王権下に置こうとして、1162年トマスを大司教として選出した。そのころまでトマスは、栄華と名誉を求め王と親交を保っていたが、生活を一変し聖性への道を歩むとともに、教会の権利を王権から守ろうと努めた。そのため王の怒りを買い、フランスに亡命した。時の教皇アレクサンドル3世がトマスの主張を認めたため、王も自らの非を認めて、両者は和解し、1170年にトマスはイギリスに戻った。だが争いは再び起こり、トマスはカンタベリ大聖堂で王の配下によって暗殺された。トマスの死は全ヨーロッパに衝撃を与え、のちに王は彼の墓前で罪を悔い改め、教皇権に従った。

 トマスの墓は、巡礼地となっている。

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◆ここまで主が私たちを助けてくださった。

2017年12月29日 07時20分00秒 | 聖書
(Ⅰサムエル七・一二)
「ここまで」とのことばは、過去のすべてを指すように思われる。二十年あるいは七十年の間、それぞれ「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。貧しい時、富める時、病気の時、健康の時、国内で、外国で、陸上、または海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において「ここまで主が私たちを助けてくださった」のである。
並木道の端から端までの長い景色をながめるのは楽しい。それは、枝の柱、葉のアーチでできた緑の宮である。あなたも過去の長い年月を振り返り、その頭上をおおうあわれみの緑の大枝、あなたの喜びを支えるいつくしみと誠実の強い幹を見よ。かなたの枝には多くの小鳥がいて、みな「ここまで」受けたあわれみについて歌っているに相違ない。
しかし、このことばはまた前方をも指し示している。なぜなら人がある目標まで来て、「ここまで」と書く時、まだ終点まで来ているのではなく、なお進むべき道のりをもっているからである。なお多くの試練と喜び、誘惑と勝利、祈りと応答、労苦と支え、戦いと凱歌を経験してから、病気、老衰、そして死が訪れる。
それで終わりであろうか。否、まだ先がある。イエスに似た者になって目を覚まし、御座に着き、たてごとをとり、賛美し、白い衣をまとい、イエスの御顔を拝し、聖徒と交わり、神の栄光を受け、永遠の満たしを与えられ、無限の祝福にあずかる。
おお、信者よ。勇気を出せ。そして感謝に満たされ、確信をもって「エベン・エゼル」と呼べ。なぜなら、
 これまであなたを助けられた方は
 あなたが旅を終えるまで伴ってくださる
からである。
天国の光に照らして見る時、あなたの「ここまで」はなんと輝かしく、またなんと驚くべき前途の眺望を、あなたの感謝に満ちた目の前に展開することであろう。
 
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詩篇84篇8-9節

2017年12月29日 07時18分11秒 | 聖書

84:8 万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。
84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。


パウロはロ-マ書の中で「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」と語って、政治的な意味で、民のために働く人々のために祈り、彼らが正義と公平を行う事が出来るように、執りなしなさいと勧めています。

 ここでは、作者は「あなたに油注がれた者」の為に祈っています。

主に油を注がれた者には、祭司や預言者や王がいます。

ここでは、王のことです。

王は、主がお立て下さったわれらの盾、つまり守り手であると言うのです。

ですから、この王とその働きを守って、彼を支えて下さいと祈っているのです。

 私たちキリスト者も、神が与えて下さったこの世界の中に住んでいます。

ですから、この世界で立てられた支配者が、神の御心を行い、また人の益のために働くことが出来るように、執り成しの祈りを必要としているのです。


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ヨハネの福音書18章34節

2017年12月29日 07時15分56秒 | 聖書

★イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」


■O:今日のコラム
今日の箇所は、ピラトがイエス様に「あなたは、ユダヤ人の王ですか?」と聞いて、イエス様がピラトに聞き返した質問です。

イエス様は、ピラトの質問に対して、するどくピラトにこう言います。「わたしがユダヤ人の王であると言っているのは、あなたが言っているのか、それとも、他の人がわたしをユダヤ人の王だと言っているから、そうやって言っているのか。」と。

ピラトの答えは、「自分からではない。」でした。

ピラトはイエス様のことを人から聞いていたけれど、イエス様と交わったことがなく、何も知らなかったのです。ユダヤ人や祭司長たちが言っている言葉を聞いたり、イエス様のうわさ話を聞いたくらいでした。

皆さんの答えはどうでしょうか?皆さんにとって、イエス様は誰ですか?様々な答えがあるでしょう。「良き羊飼い」「王」「救い主」などなど。

けれど、それは、どこかのメッセージで聞いたことがあるからではないでしょうか?本当にその事を「自ら」知って告白できるでしょうか?

今日、もう一度、自分にとってイエス様はどういうお方なのかを知っていきましょう。それは、誰かが言っていたからではなく、みことばなる主が語っている聖書の中から見つけ、主ご自身と深く交わり、そして、「自分の」言葉をもって、主がどういうお方かを宣言していきましょう。





■A:考えてみよう
今日、聖書から、イエス・キリストは誰なのかを見つけ出し、自分に宣言していきましょう。
そして、真実にその方はみことば通りの方だということを体験していきましょう!!



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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12月28日(木)のつぶやき

2017年12月29日 02時37分29秒 | 仏教
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◆わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。

2017年12月28日 16時19分53秒 | 聖書
わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ一〇・三四)
クリスチャンには必ず敵ができる。一人も敵を作らないことがクリスチャンの目的の一つであるが、もし正しいことをし、真実を信じようとするならば、この地上の友をすべて失うことになる。クリスチャンはそれを、小さな損失と見る。なぜなら、天におられる大いなる友がさらに親しいお方となり、これまで以上に、さらに恵み深くご自身を啓示されるからである。
おお、主の十字架を担う者よ。あなたは主が言われたことを知らないのか。「わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。」キリストは、平和を作り出す偉大なお方である。しかし平和に先立って、戦いをもたらされる。
真理のあるところ、偽りは逃げ去らなければならない。真理はその標準を下げることができないし、虚偽を足下に踏みつけなければならない。もしあなたがキリストに従うならば、世俗の犬がみなあなたの後ろからほえつくであろう。あなたが、最後の審判の法廷のテストに耐え得る生活をしようとするならば、この世は必ず、あなたのことをよく言わないであろう。この世と親交ある者は、神に敵対している。もしあなたが、いと高きお方に対して真実であり忠実であれば、人々はあなたの断固たる誠実に対して怒りを発するであろう。なぜなら、それは彼らの悪に反対する証しだからである。
しかしあらゆる結果を恐れずに、あなたは正しいことをしなければならない。真理のためには自分の名声と骨肉への愛すら危険にさらすが、このような危機と対決するには、あなたのうちに聖霊のみが作られる節操を絶えず必要とする。
雄々しく、主の御足の跡に従え。なぜなら、主はあなたに先立ってこの険しい道を行かれたからである。しばしの戦いの後、永遠の安息を得るのは、偽りの平和と永遠の呵責にはるかにまさる。
 
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「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、

2017年12月28日 16時18分55秒 | 聖書

比較したりしているのは、知恵のないことなのです」(Ⅱコリント10:12)

この世は競争社会だ。能力があり、出来る事が良い事だ。就職試験で問われるのは、何が出来て、何の資格を持つかだ。
つまり、どれだけ自分に価値があるかが重要で、能力、技術が問題になる。

そしてどこまでも人との競争なので、そこでの自分の力量や位置は、必ず、人との「比較」の中で量る事になる。
人よりどこが勝るのか、絶えず人が基準だ。

つまりずっと無意識にも「比較」の中に身を置く事になる。この世はそうだ。
だから、この世では、得る、増し加える事が重要だ。
競争を勝ち抜くには、努力をし、技術を磨き、更に技術、資格獲得に熱心になり、自分に付加価値を付け続けなければならない。

私達も底にこの世の価値観が無いか。
努力に努力を重ねて身に付けると、そこに肉の「誇り」が生じる。
自分の力でするので、肉の誇りを培う。
御霊の喜びではなく、優越感の喜びとなる。

これが問題だ。自分の力が強ければ、神のみわざも自分の力と勘違いする。
表には出さないが、内心自分を更に誇って行く。主の世界は、丁度逆で、その「誇り」を捨てる事がいのちに至る。

「神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり・・十字架の死までも従われた」この世と逆だ。
「それゆえ、神はキリストを高く上げて」。根深い世の価値観に、無意識に流されていないか。
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神様が必要ならその力も技術も与えて下さると頭では知っている。
人に勝つため、人に優るために力を下さいとも祈らないのに、目の前の比較の中に流され頑張ってしまう。
世の比較、誇りから守られますように。

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おはようございます。

2017年12月28日 06時38分01秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

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今日の聖人の記念日

2017年12月28日 06時37分12秒 | キリスト教

幼子殉教者

紀元前4年ごろ

 イエス・キリストが誕生した当時のイスラエルは、ヘロデ王が国を治めていた。彼は、それまでイスラエルを治めていたハスモン王朝の王女と結婚して王権を握り、自分に反抗する者をつぎつぎに殺す残虐な性格の持ち主であった。イスラエルはローマ帝国の属国であり、ヘロデはローマに追従する一方で、イスラエル人の宗教に対する信仰深さを知り、それを認めて、自分の利益のために豪華な神殿に改修した。また他にも多くの建設事業をしたことは有名である。

 あるとき、3人の博士が東方(現在のイラン)からヘロデのもとを訪れ、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねた。ヘロデは自分の他に王位を狙う者が現われたと思い、その者の殺害を実行しようとした。そしてヘロデは、祭司長たちや律法学者たちを集め、ベツレヘムに現われると分かると、「『ユダヤの王』を自分も拝みたいので見つけたら知らせるように」と言って博士たちを送り出した。しかし、博士たちは「ヘロデのところに帰るな」と夢で告げられたので、別の道を通って帰った。ヘロデはそれを知って、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を皆殺しするように命じた。このときヨセフは、天使のお告げによってイエスとマリアを連れてエジプトに逃れた(マタイ2章 参照)。

 おそらく殺された幼子は、20名ぐらいだっただろうと伝えられる。

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◆勤勉な家庭のマネージャー  Ⅱ

2017年12月28日 06時35分45秒 | 聖書

(箴言三一13―19)
すばらしい妻の第二点、忠実で勤勉な家庭の管理者について、もう一度学びましょう。ここでまず気がつくことは、よい妻が、自分の欲望の満足とか名誉のために損得で働いているのではないことです。
私たちが持っているもので、受けなかったもの、神から与えられなかったものは何一つありません。ところが私たちは、できるだけ自分のものだと主張し、自分のために用いようとします。自分が、自分のために、自分によってが、私たちの哲学のようです。戦争のような大きな罪も、人殺しのような残忍な罪も、また、そんなはっきりした形をとらない、私たちの間のもやもや・不調和・争い・不作法・ねたみ・そねみ・さいぎ心・疑い・裏切り・悪口も、みなこのエゴイズムが原因となっています。
よい妻は、家庭の中でエゴイズムの自分を主張しません。自分の夫も子どもたちも使用人も、家畜も畑も家屋も、全部神から預けられたものとして、忠実に守り、育て、あるいは使います。みなの平和と幸福と成長という目的に従い、自分は家庭の管理者として、ただ、勤勉な仕える人となろうとしています。
ですから、人に仕えられようとせず、自分から率先して働きます。朝早く起き、夜おそくまで勤勉に働きます。夫や子どもはもちろん、使用人の一人一人や家畜にも気を配ります。冬が来る前に冬の準備をし、破れてだめになる前に、家族の着物を整えておきます。子どもたちが、やはり同じように、神からいただいた人生のよい管理者になるように、助け育てていくのです。
「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます」(Ⅰコリント四1―2)。
 
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