主が祈りのために選ばれた時は注目に値する。それは群衆にわずらわされない沈黙の時であった。主を除くすべての者が活動を停止した休息の時であり、睡眠によって自分のわざわいを忘れ、それから解放されるために、神に嘆願することをやめている時であった。
場所もまた、よく選んでおられた。主はだれも妨げられず、また見られない所にただひとり入られた。こうしてパリサイ的な見えや無作法な妨げから自由になることがおできになった。暗黒と静寂におおわれるあたりの丘々は、神の御子のためにかっこうな礼拝堂を形づくっていた。夜半の沈黙を守る天と地は、神秘の君のうめきと嘆きに耳をそばだてていた。
主の執拗な祈りはまことにあざやかである。長い夜も主にとっては短く、冷たい風も主の熱いお心をさますことはない。無気味な暗黒は主の信仰に影を落とさず、寂しさもその執拗さをゆるめなかった。私たちは主とともに一時たりとも目を覚ましていることはできないが、主は夜を徹して私たちを見守られた。
主が祈られた時期も注目に値する。それは、主の敵が激怒した後であった。――そのため祈りは主の避け所となり、慰めとなった。またそれは、十二使徒を派遣する前であった。――そのため祈りは主のご計画の門となり、新しい働きの先ぶれとなった。私たちが特別な試みの中にある時、あるいは主の栄光のために新しい事を計画しようとする時、特別な祈りに頼るべきことを、イエスから学ぶべきである。