私たちの祈り、賛美、黙想、クリスチャンとしての個人的努力においても同様である。聖い油を注がれることは、敬虔への道のたましいであり、いのちである。それを欠くことは、すべての不幸のうち最大の不幸である。油注ぎを受けないで主の御前に出るのは、あたかも普通のレビ人が祭司の務めをするようであり、それは奉仕というよりむしろ罪である。どうか、私たちが聖なる油注ぎを受けずに、あえて神聖なるわざに携わることのないように。油は私たちの栄光のかしらなるお方から、私たちの上にしたたる。主に油が注がれることにより、主の衣のすそである私たちも、その豊かな油注ぎにあずかる。
精選された香料は、薬剤師の巧妙な技術によって調合されて注ぎの油となり、私たちに聖霊の感化の豊かさを示す。すべてのよいものは、神である慰め主の中に見いだされる。たぐいない慰め、誤りない教え、不滅のいのち、霊の力、神の聖潔、これらのすべてが、他の高貴なものと結合されて、聖霊の天来の注ぎの油の中に見いだされる。これを注がれる人は、その品性の上に快い香りを受ける。富む者の財宝の中にも賢者の知恵の中にも、これに比すべきものは見いだされない。それは模倣できるものではない。それは神のみから来て、イエス・キリストを通して、すべての待ち望むたましいに無代価で与えられる。
私たちは、それを求めようではないか。なぜなら私たちはそれをもつことができるからである。今夜でも、おお主よ。あなたのしもべに油を注いでください。