聖クリュソゴノス
?-304年
クリュソゴノスは、ローマの役人であったが、キリスト教徒になり、多くの人びとを信仰に導いた。特にアナスタシア(殉教し聖人となる)を信仰に導いた。クリュソゴノスは彼女の信仰の師として、キリスト教徒でない人と結婚したキリスト者の生き方を論じたと伝えられている。
当時は、ローマ皇帝ディオクレチアヌスによるキリスト教迫害下にあり、クリュソゴノスも捕えられ、何か月も拷問を受けたのちに斬首された。彼の遺体は、海に投げられ、ゾイルスという司祭に発見されたといわれる。
4世紀の初めに、教皇シルベストロ1世によってクリュソゴノスの墓の上に教会が建てられ、人びとから敬われた。この教会の祭壇の上には、彼の頭と腕が安置され、17世紀になって、天井に画家ジョヴァンニ・グエンチーノによる「聖クリュソゴノスの勝利」という絵が描かれた。
聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者
17-19世紀
彼らは1625年から1886年にかけて、ベトナムで殉教した117人である。そのうち96人がベトナム人司祭、カテキスタ、第3会員で、その他外国人の21人は、ドミニコ会やパリ・ミッション会の司教、司祭だった。
スペイン人のドミニコ会士、イグナチオ・デルカド司教とドミニコ・エナレス司教は50年間ベトナムで働き、逮捕された。監禁された後、飢えと渇きに苦しみ、1838年、斬首された。
アンデレ・ジュン・ラク司祭は、1795年にベトナム北部のバックニン省で生まれた。異教徒の貧しい家庭で育ち、12歳のときハノイ市に家族とともに移り住んだ。そこでカテキスタと出会い、信仰教育を受けた彼は自らもカテキスタとなり、1823年に司祭に叙階された。国王による迫害のもと、彼は何度か捕らえられたが、信徒たちが集めた献金を王に献上し、解放された。多くの人に洗礼を授け、教区司祭として信徒を励まし司牧していたが、1839年に捕らえられた。激しい拷問を受け、12月21日に斬首された。
ベトナムでの信徒に対する拷問は残酷で、1847年に殉教した信徒17人のなかには、9歳の子どももいた。
117人は、1900年にレオ13世、1906年と1909年にピオ10世、1951年に教皇ピオ12世よって4回にわたって列福され、1988年6月19日に教皇ヨハネ・パウロ2世よってローマにおいて全員が列聖された。