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1月30日(火)のつぶやき

2018年01月31日 02時33分30秒 | 仏教

◆私たちは彼にあって御国を

2018年01月30日 16時21分09秒 | 聖書
受け継ぐ者ともなったのです。(エペソ一・一一)
イエスがご自身を私たちに与えられた時、ご自身に属するすべての権利と特権をも下さった。今主は、永遠の神として、どんな被造物もあえて要求することのできない至上の権利をもっておられるが、一方イエスとして、仲保者として、恵みの契約のかしらとして、主は私たちを離れては相続権をもっておられない。主が死に至るまで従い続けられたことの輝かしい結果のすべては、主にあるすべての者の共同の財産である。主は彼らのために神のみこころを成し遂げられた。
主は栄光の中に入られる。主ご自身だけのためではない。「私たちの先駆けとしてそこにはいられた」とあるからだ。神の御前に主は立たれる。「今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです」とある。
信者よ。このことを考えよ。あなたは、自分自身としては天上に何の権利もない。あなたの権利はキリストのうちにある。もしあなたが罪の赦しを受けるならば、それは主の御血によるのである。もしあなたが義とされるならば、それは主の義による。もしあなたがきよめられるならば、それは神が主をあなたの聖となされたからである。もしあなたが堕落から守られるならば、キリスト・イエスの中にあなたが保持されているゆえである。そしてもし最後の時に完全なものとされるならば、それはあなたが主にあって全うされるゆえである。このようにイエスはあがめられる。すべては主の中にあり、すべては主によるのである。こうして相続権は私たちにとって確かなものとされる。それは主にあって得られるものだからである。そのようにして祝福の一つ一つは、さらにすばらしいものとなり、天国すらもさらに輝かしいものとなる。私たちは愛するイエス「にあって」すべてを得たからである。
私たちが神から受け継いだものを見積もる人がどこにいるだろう。キリストの富を量り、その財宝を量り、聖徒に属する財産を量ることを考えてみよ。キリストの喜びの海の底にもぐり、神がキリストを愛する者たちのために備えられた祝福を理解するよう努めよ。
 

「しかし、人が主に向くなら、

2018年01月30日 16時19分46秒 | 聖書

そのおおいは取り除かれるのです」(Ⅱコリント3:17)

寒暖計は正確に温度を示す。暑いと温度は高く、寒いと低くなる。
そのままを表示する。それが寒暖計だ。私たちも寒暖計だろうか。
つまり、私達はいつも周囲に、ただ「反応」しているだろうか。

相手が穏やかで、優しければ、こちらも穏やかで、優しくなり、相手が冷ややかであれば、こちらも冷たくなり、相手が嫌味で来れば、こちらも嫌味で返す。
きつい言葉が来れば、きつい態度で返す。相手の状態にそのまま反応している。

自分がまるで無い。相手に自分自身を明け渡し、コントロールされている事になる。
そうなら、自分が怒るのは、相手が怒るような事をするからであり、相手が悪いという事になる。
相手がそんな事をしなければ、自分は怒らないと。

しかし、これなら自分が全く無く、肉と状況に流されたままだ。
そして、すべてうまく行かないのは、相手のせい、環境のせいになる。
そこに不平不満、愚痴、自己憐憫しかない。
信仰とは、相手のせいにせず、環境のせいにせず、神を信じて行く事だ。

どんな中でも自分に頼らず、神に頼り、人や状況、周囲に反応するのでなく、神と御言葉に反応して生きて行く。
そして、神により生きて行く時、自分が変えられて行く。
変えられた自分は、周囲を変えて行く。自立とは神に依存することだ。
いつも何に反応しているだろう。主に向こう。
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人の激しい感情に遭遇するとすぐに反応するのでは、まるで子供と一緒だ。
人に反応し人の出方次第でアップダウンするのではなく、主に応答した成熟した大人のクリスチャンとして主のかぐわしい香りを放っていきたい。


今日の聖人の記念日

2018年01月30日 07時21分06秒 | キリスト教

聖バルドヒルド

?-680年ごろ

 バルドヒルドは、イギリスに生まれたが、641年に海賊に捕えられ、奴隷としてフランク王国の宮廷に売られた。

 彼女は非常に美しく才知ある女性であったので、国王クローヴィス2世に望まれて王妃となった。3人の子どもに恵まれ、国王が亡くなって後、657年に長男が即位すると、彼女が摂政を行った。貧しい人々のために病院を建て、奴隷制度を廃止し、多くの修道院に寄進するなど、人々のために尽くした。665年に、反対派の貴族によって修道院に幽閉され、そこで亡くなった。修道院では、謙遜に神の望みを行ない、院長に仕えた。


◆神の造られた世界

2018年01月30日 07時19分50秒 | 聖書

主は知恵をもって地の基を定め、
英知をもって天を堅く立てられた。       (箴言三19)
私の家の八十二歳のおばあちゃんのところへ、数年前、七十七歳のおばあちゃんが訪ねてこられました。駅に着いたら車でお迎えに行きますからということだったのに、重い小豆島そうめんのおみやげをぶらさげて歩いてこられたのです。汗びっしょりでした。「まあまあ、どうして電話をかけてくださらなかったのです。」「石油ショックで、ガソリンを節約しなけりゃならないでしょう。」真剣な顔で言われたのには、びっくりするやら笑うやらでした。
たくさんの人が、この世界について不安を覚えています。世界中の学者も技術者も、「この地球はどうなるのだろう」と考えています。しかし聖書は、「神が知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた」と書いています。
旧約の詩人は、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇一九1)と歌いました。広大な宇宙にも神の英知が見られます。しかし、小さな野の花にも、一ひねりでつぶれる小さな羽虫の生き方にも、確かな神の英知が見られます。実に巧妙に世界は造られ、すべてに調和があります。神の英知という法則に従って、花は咲き鳥はさえずっているのです。岩陰の岩ダヌキも一羽の雀も一匹の蟻も、保たれ養われています。
ところが、人間の社会を見ると問題ばかりです。これは神にすばらしく造られた私たち人間が神を拒否し、神の英知に逆らっているからです。神の英知と愛を知り、これと合わせて生き始める時、神は全天地を支える力をもって私たちを守ってくださいます。すべての思想の及びもつかない神の平安で守られます。信仰と従順こそ、神の知恵を知る方法なのです。
 

◆バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、

2018年01月30日 07時18分11秒 | 仏教
そのとき、あなたは攻め上れ。(Ⅱサムエル五・二四)
キリストのからだである教会に加わる者は、祈り深く、常に聖霊の油がその心に注がれ、キリストの王国が実現されて、「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」と求めなければならない。しかしまた、神が特別にシオンに幸いを与えられる時がある。そのような時期が、ここに言う「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時である。この時には私たちはこれまで以上に祈り深くなり、熱心になり、さらに御座の前で祈りをもって争わなければならない。活動は迅速で活発であるべきである。潮は満ちてきた。私たちは元気よく、岸辺に向かってこいで行こうではないか。ああ、ペンテコステの日の御霊の傾注と、その目覚ましい働きよ。
主にある友よ。あなたにも、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」時がある。祈りに特別の力を感じ、神の御霊が喜びと楽しみを与え、聖書があなたに開かれ、約束が実現され、神の御顔の光の中を歩み、個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。このように、あなたの「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえる」ような喜びの時こそ、あなたが攻め上る時である。この時こそ聖霊があなたの弱さを助け、すべての悪い習慣に勝たせられる時である。あなたの帆を広げよ。しかし次の歌を覚えておけ。
 私は帆を広げることができるだけです
 神よ。追い風を送ってください
あなたは帆を上げることを怠ってはならない。準備のないために、追い風を見逃すことのないように。あなたが信仰的に強くなった時には、義務においてもいっそう熱心になることができるように。御座に近づくことができる恵みが加えられれば加えられるほど、ますます祈ることができるように。あなたがキリストに近く生活をすればするほど、ますますその語るところも神聖になり得るように。あなたはこのような助けを神に求めよ。
 

詩篇89篇19-37節

2018年01月30日 07時16分31秒 | 聖書

89:34 わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。


主の契約は「片務契約」と言われます。

一方的な契約です。

主ご自身が民に契約を与えて下さって、契約を守る者に、主は永遠の命の付与を約束なさいました。

律法を守る民に、主にある命を約束されたのです。

しかし、民はその契約を守りませんでした。

いや、守り切れませんでした。

それは、彼らの心が罪に満ちていたからです。

そこで主は、新しい契約を与えて下さいました。

これも「片務契約」です。

神が遣わされた、神の御子であられるイエス様を、罪の贖い主として信じて信頼する者に、永遠の命を約束してくださいました。

そして、その契約に信仰を持って預かった人々は、永遠の命を与えられました。

 また、神が個人的に約束されたことは、真実を持ってその約束を守り、実現してくださいました。

ダビデに対して語ってくれた約束は、その通りに守り、彼を支えてくださいました。

主は、ご自分がなした契約と約束に対しては、誠実に実行し、実現して下さる方であるのです。


ヘブル人への手紙10章9節

2018年01月30日 07時13分21秒 | 聖書

★後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。


■O:今日のコラム
夕があり朝があったと創世の時に繰り返し言われた神様は、小さな光から、より大きな光を導き出されます。そのためには、初めのものは廃止されなければなりません。

神様と人との出会いの場所についてもそうです。ソロモンの神殿が廃止されることによって、ゴルゴタの丘の上に十字架が立てられたように、まず取り除かれて、そこに立てられるのです。

律法の時代、祭司たちは毎日、朝と夕に羊を殺し全焼のいけにえをささげました。それとともに、かなりの量の捧げ物をし、労動のようにしなければならなりませんでした。しかも、このように毎日いけにえをささげても、神様を求めてくる人々を完全にすることができなかったのです。このいけにえは、人間の内側にある根深い罪に対しては、根本的な解決にはなりませんでした。

そのため神様は、みこころを行うためにこの世にイエス様を送られました。それは、【前者】の旧約のいけにえのやり方を廃止し、【後者】の新しいいけにえのやり方を立てるためでした。イエスキリストは、神様のこのみこころにしたがって、十字架の上でただ一度ご自分をささげられ、永遠の和解のいけにえとなられました。これによって、私たちは聖なるものとされたのです。

いけにえは、完全に罪を除き去ることはできませんが、イエスキリストの十字架で、私たちの罪は完全に永遠に贖われたのです。イエスキリストの血潮によって、私たちは神様の御前で永遠に全うされた者となったのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)

私たちの内側になされる神様の御業も同様で、古い罪の性質が取り除かれて新しい人が生まれるのです。

そして、私たちの信仰も同様です。自分の義が取り除かれて、キリストの義が与えられます。間違えた平安が取り除かれて、まことの平安が与えられます。古い自分が取り除かれて、新しい自分が生まれます。自分の力が失われて神様の力が与えられるんです。

私たちは、古い律法に生きるのではなく、イエス様の十字架によって完全に罪赦され、神様の圧倒的な恵みの中に生きる者とされていることを信じます。



■A:考えてみよう
私たちが直面している試練は、私たちに失望落胆を与えるかもしれません。それは、今ある問題に目を向けているからではないでしょうか?もしそうするのであれば、神様が私たちのために備えてくださっている栄光ある計画を見失ってしまうことになるでしょう。

神様に目を向けましょう。そうするのであれば、私たちは神様が用意してくださっている新しい者へと変えられていくことを信じます。



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


1月29日(月)のつぶやき

2018年01月30日 02時32分40秒 | 仏教

◆鳩は夕方になって、

2018年01月29日 16時28分38秒 | 聖書
彼のもとに帰って来た。(創世八・一一)
私は今、一日の働きで疲れているが、この一日あわれみを与えてくださった主を賛美したい。人を守られるお方に、私は感謝の歌をささげる。
鳩は、箱舟の外には安息を見いだせなかった。それで箱舟に帰って来た。私のたましいも、今日、これまでよりもさらに明確に、地上のものには満足がなく、神のみが私の霊に安息を下さることを学んだ。私の職業、私の所有物、私の家族、私の学識、それらはみなまずまずではあるが、私の霊の願いを満たすことはできない。「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。」
一日の幕が降りようとする静かなたそがれに、鳩は疲れた翼で主人のもとに帰って来た。おお、主よ。私も今夜、そのようにイエスのもとに帰らせてください。鳩は、不安な荒野の上を飛びあかして一夜を過ごすことができなかった。そのように私も、たとい一時間であっても、私の心の安息の地であり、私の霊の故郷であるイエスから離れていることに耐えられない。
鳩は、単に箱舟の屋根にとまったのではなく、「彼のもとに帰って来た」のである。そのように、神を慕う私の霊も、主の奥義をうかがい、真理の内側を見通し、幕の中に入って実際に愛する主にお目にかかることを望む。私はイエスのみもとに来なければならない。私のあえぎ求める心は、主との最も近い、最も親しい交わりに入るのでなければ満足しない。
聖なる主イエス様。私と共にあり、あなたご自身を私に啓示し、夜の間共にいてください。私が目覚める時にも、なおあなたと共にあるために。
鳩はくちばしにオリーブの枝をくわえていた。これは過ぎ去った日の記念であり、来るべき日の預言である。私には、家庭にもち帰る喜びの記録がないであろうか。来るべきいつくしみの保証はないのであろうか。
主よ。朝ごとに、また夕ごとに新しい、あなたの優しい恵みに心からの感謝をおささげします。そして、今祈りをささげます。どうか御手をのべて、あなたの鳩を御胸に抱き取ってください。
 

「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。

2018年01月29日 16時27分16秒 | 聖書

あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから」(ルツ3:18)

ナオミは、モアブの地から、自分についてベツレヘムに来た、嫁ルツの今後についてよく考えた事だろう。
ルツに良くしてくれるボアズ、親戚であり、その誠実さに彼こそがふさわしいと考えた。

ナオミはルツに指示し、ルツは姑の言う通りにした。
ボアズに買い戻しを願い、そのように行動した。
すると彼は、更に近い親類がいて、もしその人が放棄するなら、自分が買い戻すと。

その時、ナオミは、結果を見る前に、必ずボアズがルツを買い戻す事、それが神の御心であり、その通りに成る事を信じた。
それで、この結果が出るまで「待て」と確信持って言えた。

神が働かれるから、ただじっと経過を見守っているようにと。
何か策を練るのでもなく、動くのでもなく、ただじっとして待てと。
人間的な動きを止めることだ。

私達はこれが大変難しい。
必ず自分を救うために、何かしようとするし、じっとしているより、その方が楽で、安心なのだ。
目に見えない神をただ待ち望む事は難しい。
又、それは、ただ単に、何もせず手をこまねいているのではなく、示された事はして、待つという意味だ。

ルツは自分のなすべき分を果たした。だからこそ、次にすべき事はそこで安息し、ただ神がされる事を、祈りの内に待てばよい。
あなたにも、今なすべ事を果たし、後は、神を待ち望めと、言っておられるだろうか。

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なすべき事をした後、主を信頼して待つことができる。
後は、主の側の働きであり、主はみこころを成し遂げて下さる。
私たちの今すべき事は、明け渡す事だろうか。
目の前の事態を、自分自身を、明け渡すなら、主が御心の通りにして下さる。


今日の聖人の記念日

2018年01月29日 07時33分03秒 | キリスト教

聖ギルダス

500年ごろ-570年ごろ

 ギルダスは、イギリス諸島の、イングランド地方に生まれ、ウェールズで隠修士となった。その後アイルランドに行き、そこで学び、ローマにも巡礼をした。彼は、当時の聖職者と信徒たちの行いに疑問を抱き、彼らの信仰生活を正しく導くために、ローマ人が渡来してから彼の時代までのイングランドのキリスト教史を著した。当時の生活と教会の状況を知るための貴重な資料となっている。

 彼は、ブリタニーに修道院を建て、そこで生涯を終えた。



◆金銀にまさる知恵

2018年01月29日 07時31分56秒 | 聖書

幸いなことよ。知恵を見いだす人、
英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、
その収穫は黄金にまさるからだ。(箴言三13―14)
現在、物価がジリジリ上がっているようです。そこで、もうお金の値打ちに信用がおけず、金や銀や宝石類に換えて取っておこうとしている人が多いと聞きます。しかし、ちょっと考えただけでも宝石類には問題があります。
・ にせものとほんものの区別がつかず、うっかりにせものをつかまされる。
・ いつ盗まれるか分からない。
・ いざという時、金銀宝石は煮ても焼いても食べられない。
・ 金銀宝石を子孫に残すと、争いが起こったりなまけ者ができたりして、よいことがあまりない。
ところが、宝にもまさってすばらしいのは、神を知る知恵・英知です。
・ これは目べりもしないし、盗まれもしない。
・ 神を知る知恵は、どんな苦しい時でも悲しい時でも、心の中からわきあがる力を与えてくれる。
・ 子孫に伝えれば、どんな遺産を残すより確実に子孫を幸いにする。
・ 神の知恵は、その人にいつも上を向いて希望に満ちて生活させるだけではなくて、他の人にまで恵みと力を与える。
神を知ることによって得るもうけは、神がすべてを支配していて、神に従う者に最善を与えてくださるという確信です。それは、神があなたを愛していてくださり、慰め・力・希望をいつも満たしてくださるという確信です。また神の知恵は、いつもほんものとにせもの、一時的なものと永遠のものを見分けさせてくださるのです。
心を尽くしてこの知恵を自分のものとすべきです。