私たちがさまよう時、永遠の見張りの者の絶えることのない視線が私たちの上に注がれており、私たちは決して、羊飼いの目の届かない所に迷い出ることはない。私たちの悲しみの時、主は絶えず私たちを見つめ、ただ一つの苦しみさえ逃されない。私たちが労苦する時にも、私たちのすべての疲れに心を配り、主の忠実な子どもたちのすべての戦いを記録される。これらの主の思いは、私たちが歩むすべての道で私たちを囲み、心の奥底まで見通してくださる。
愛する友よ。これはあなたにとって尊いことではないか。ではそれをしっかり守れ。非人格的な神などを信じてはならない。主は生きておられ、私たちのことを思っていてくださる。この真理は、軽々しく奪われるにはあまりにも大きい。高貴な人に知られるということは非常に価値のあることであり、そのようにされるならば、自分の運命が開かれたと思う。しかし、王の王によって自らの存在が知られることは、なんとすばらしいことか。主が私たちを念頭に置かれるならば、すべてはよく、私たちは永久に喜ぶ。