座間コミニティー

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◆人の計画・神の計画

2011年07月31日 09時29分42秒 | 聖書
人の心には多くの計画がある。
しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言一九21)

ナポレオンは、実にちみつな計画を立てた人だったそうです。ワーテルローの戦いに臨んだ時も、一点の非の打ち所もないプランを立てていました。しかし、その日に朝から降った大雨のために、十二分に立てられたそのはかりごとは、ついえ去りました。ナポレオンとその軍隊は敗れ、ついに、その敗北から立ちあがれなくなったそうです。人が、人の力によって人のために立てる計画とは、そんなものではないでしょうか。むなしいものです。
しかし、「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」(箴言一六9)と聖書は言います。どうせなるようにしかならないんだ、そんなやけのやんぱちからは、何の祝福もよいことも出てきません。どうすれば、主から祝福を受けることができるでしょうか。
第一に、自分の考え・願い・計画を祈りの中で神の前に持ち出し、神に相談してみることです。神に正し、力づけていただくのです。
第二に、「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。……信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」(ローマ一二3)とパウロが述べたすすめに従うことです。
第三に、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです」(ピリピ二13)とあるように、神に与えられた志を働かせそれを実践していくことです。神は私たちに、その時々にその力をも与えてくださいます。いいえ、成し遂げてもくださるというのです(ヘブル一三21参照)。
これが、祝福を受ける理想的な姿ではないでしょうか。


出エジプト記2章11-15節

2011年07月31日 09時12分25秒 | 聖書
2:15 パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。 モーセは、王女から母に育児が託されて、その家で育てられました。そして大きくなった時、王女の所に引き取られました。王女の息子となったのです。その彼が、ある時、自分の主の民であるヘブル人を、エジプト人が打ち付けているのを見ました。彼は哀れになって、誰も見ていないのを見届けると、そのエジプト人を殺してしまいました。ところが、次の日に彼が出て行くと、ヘブル人同士がけんかをしていました。それを仲介すると、「あなたはエジプト人を殺したように、私を殺すのか」と、言われてしまいました。彼はそのことを知って、自分が殺されると思い、その地から逃げ出しました。案の定、王は彼を殺害しようと思っていたのでした。 彼はミデアンの地に逃れました。ある井戸の所に座っていると、羊飼いが、水を汲みに来ていた女たちを追い出していました。そこで彼は、彼女たちを救いました。彼はどこにいても、正しいことを求める人でした。

●転籍の法的解釈●

2011年07月31日 09時06分26秒 | 労働法
転籍は、元の会社からの離職と、新たな会社への就職が同時に行われると解釈することができますが、一方、労働契約を新たな会社に譲渡する形態としても構成することができます。労働者を他の会社で働かせるということは、現在雇用契約による労働させる権利を、他の会社に渡すということですが、これは民法625条に規定されています。民法625条では、「使用者は、労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡すことができない」と規定していて、労働者の同意が要件となっています。

わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

2011年07月30日 20時35分27秒 | 聖書
◆わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。(ヨハネ六・三七)

この御約束には期限がない。単に「罪人が初めてわたしのところに来る時、これを捨てない」とあるのでなく、「決して捨てない」とある。このことばの原語は「わたしはしない、捨てはしない」、「わたしは決して捨てない」との意である。この聖句は、主が最初に信者を拒まれないことを意味し、最初にされないことを最後までなさらないことを言っている。
しかし、信者がキリストのみもとに来て後に罪を犯すならば、どうなるのか。「もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」信者の信仰が後退すればどうなるのか。「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。」信者は誘惑に陥るかもしれない。「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
だが信者は、ダビデのように罪に陥るかもしれない。しかし主は、「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう」との祈りに答えてくださる。「わたしは……わたしにそむいたすべての咎を赦す。」
主は言われた。「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」おお、震えるか弱き者たちよ。あなたはこのみことばに対して何と言うか。これは尊いあわれみではないか。キリストに来た者は、しばらくの間大切にされ、その後顧みられなくなるのではない。主はあなたを受け入れ、花嫁とされ、あなたは永遠に主のものとなる。では、もう恐れを抱く奴隷の霊ではなく、「アバ、父」と呼ぶ子としての霊を受けよ。おお、「決して捨てません」というみことばの中にある深き恵みよ。


出エジプト記2章1-10節

2011年07月30日 08時42分39秒 | 聖書
2:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。 イスラエルの民の中に、レビ族という、後に、神殿の奉仕に携わった部族の出の人がいました。その人が結婚をして、男の子をもうけました。男子ですので殺される危険がありましたが、あまりにかわいいので、家の人は3ヶ月の間、家に隠しておきました。しかし隠しきれないことをみて、彼はその子をパピルスで作った籠に入れて、ナイル川の岸の茂みにおきました。そこは、王の娘たちがよく水遊びに来る所でした。もしかしたら、王女たちの目にとまって助かるのではないかと期待したのです。この子の姉が、遠くからその籠のことをみていました。すると案の定、王の娘が水遊びに来ました。そして、侍女たちが岸辺を歩いている時に、その籠を見つけました。また、その中に入っている赤ちゃんが男の子であり、またヘブル人の子であるということがわかりました。しかし、その子の保護を考えたのです。赤ちゃんのかわいさは、神様が与えてくださった、保護のための、恵みなのです。

●転籍●

2011年07月30日 08時35分02秒 | 労働法
転籍とは、元の会社の離職と、新たな会社への就職を同時に行うものです。元の会社との雇用関係がなくなってしまう点で、出向とは異なるものです。そのため、出向よりも労働者の同意について、より高いハードルがあります。出向についても、就業規則などで出向後の労働条件について詳細に規定されていることが最低限求められている訳ですから、転籍は、基本的に本人同意が必要です。就業規則などに転籍命令の根拠が示されている場合でも、その転籍が同一グループ会社内のもので、労働条件は全く変わらないなどの場合に限り、事前の合意が認められた裁判例もありますが、限定的な事例です。

●出向元の就業規則による懲戒処分●

2011年07月29日 11時53分09秒 | 労働法
出向先での非違行為については、出向先の就業規則によって、出向者に対する懲戒規定に基づいて、しかるべき処分がなされることになります。しかし、小規模な会社の場合、出向先が子会社でしかも従業員はほとんどが出向者、というケースもあるでしょう。こうした子会社で、従業員数が10名未満の場合、この子会社に就業規則の作成義務はありませんから、就業規則は無い、ということもあるでしょう。こうした場合に、子会社での懲戒処分は全くできないと判断できる余地もありますが、出向元親会社による就業規則に基づく懲戒処分を有効とする裁判例があります。

育鵬社版 藤沢市教委が採択

2011年07月29日 11時16分54秒 | 教科書
神奈川初 委員から強い異議も

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 神奈川県藤沢市教育委員会(小澤一成委員長)は28日、2012年度から市立中学生に使われる、侵略戦争賛美、憲法敵視の育鵬社版の歴史と公民の教科書を採択しました。同社の採択は県内で初めてです。

 態度保留の教育長を除く委員4人中3人が歴史と公民で育鵬社を推薦。公民に育鵬社を推薦した委員は、「一部教科書には権利という言葉が偏重され、義務という言葉が尊重されていないものが散見された」と述べました。

 これに対し委員の一人は「戦争が日本にもたらした功績を強調するあまり、戦争の悲惨さや反省がおざなりにされていると捉えかねられない記述がある」と話し、「子どもたちに戦争はいかなることがあっても許されないと明確に示し続けることが市教委の役割」と育鵬社の歴史教科書に異議を唱えました。

 同委員は「藤沢市の先生が誰一人として希望していない教科書を採択することに、懸念を抱かざるを得ない」と強調しました。

 この日の委員会は、定員80人に約150人が傍聴を希望。市民団体「みんなの教育・ふじさわネット」の人たちは「現場の声とかけ離れた採択で許せない」「新しい運動のスタートにしていこう」と語りました。



座間コミニティー

2011年07月29日 11時08分58秒 | その他

[私たちが考え,思い、実現しようとしていること]
○公立保育園の非正規職員を正職員へ
○待機児童ゼロへ
○市の非正規職員を正職員へ
○水道料金の値上げ反対(2011年10月上下水道料金値上がります)
○65歳以上の医療費無料化
○中学生まで医療費無料
○中学生の給食開始
○憲法9条を守り、米軍基地全面返還・自衛隊の海外派兵反対
○市営住宅の増設、改築
○独身青年への住宅補助制度を創設
○身体・精神障碍者に優しい街づくり
○引きこもり、不登校児(者)の居場所つくり
○広島・長崎へ平和大使派遣
○労働法のハンドブックを作成・配布
○国民保険の低所得者への減免・免除等の制度の拡充
○最低賃金千円にする

以上の項目で共鳴を感じた方是非会員になってください。
また、定期的に、井戸端会議(おしゃべり会)、読書会、聖書読書会、ヒーリングセラピー(心理カウンセリング)、なんでも相談会をしています。
会費は、1ヶ月500円と実費をお願いします。


ご意見、相談どんなことでもお問い合わせくださいませ。
大西 sainnt_tosi1@yahoo.co.jp


出エジプト記1章15-22節

2011年07月29日 09時13分06秒 | 聖書
1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。 王は、イスラエルの民を強制労働につかせても、なかなか人口が減らないことに気をもみました。通常ですと、激しい労働につかせれば、過労のために死んでいく人が多く出るものです。しかし、彼らはそうならなかったのです。むしろ、人口の増加は維持されたままでした。そこで王は、この人口の減少のために強行策に出てきました。それは、今いる人口を減らすのではなく、増える人を抑えるということでした。そうするならば、次第に人口が減ってきます。それを手段としたのです。具体的には、新しく生まれてくる子供が男子であれば、殺害するということでした。そして、その方法はなるべく目立たないように、また、その母親にもわからないようにすることでした。だから、直接出産に携わる助産婦に、命じたのでした。しかし、彼女たちはその命令に従いませんでした。日頃、子供を扱っているので子供を愛しますし、それ以上に、人の命を奪うということを恐れたからです。神が彼女たちの心を、導いてくださったのです。

●出向元、出向先双方からの懲戒処分●

2011年07月28日 08時08分37秒 | 労働法
そもそも、一つの懲戒事由に対して、出向元、出向先の双方から、懲戒処分を課されることは、二重処分の禁止の原則に反しないのか、が問われるところですが、それには反しないとする裁判例があります。この判断は、出向元、出向先との契約関係から、その範囲においてなされた処分であることが前提で、その範囲を超えた処分であれば、労働契約法15条に規定する懲戒権の濫用と判断される余地があることになります。例えば出向先で出勤停止処分を受けた後に、出向元への復帰後にも出勤停止処分を受けたとすれば、これは二重処分と判断されますが、出向先、出向元の双方で、降格とそれに伴う減給処分を受けた場合に、その降格の程度については問題となる余地はあっても、二重処分とは判断されにくいでしょう。

出エジプト記1章8-14節

2011年07月28日 06時08分15秒 | 聖書
1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。 神様は、イスラエルの民の数が、空の星の数のようになると約束してくださいました。しかし、その約束が実現してきますと、王は不安を感じて、彼らの人口を減らそうと試みました。その結果、彼らに厳しい労働を課しました。具体的には、倉庫の町を建てさせるということでした。激しい労働に駆り立てたのです。 不安というのは、自分の思ったとおりにならない時に起こってきます。王は、自分の支配が侵されるのではないかと恐れたのです。後に、パウロの時代にも、エペソの町で福音が広がってきますと、町の有力者は不安を感じて、自分たちの利益が損なわれるのではないかと思い、福音を述べ伝える人々を迫害しました。 この世は、神に逆らう支配の下にありますから、何時でも、神と神の御心が受容されないということが起こり得るのです。従って、いつでも覚悟が必要なのです。